第40話 風使いと「てがみ」(1)
※今回は前後編の二部構成。ではまず、前編から……
世界は謎に満ちている――という。
地球には七十億もの人間が住んでいるらしく、それほどの人間の英知が集まっても、まだまだ謎がいっぱいだというんだから――謎解きを商売としている人たちにとって、この地球はたまらない遊び場なのだろう。
謎あるところに探偵あり。
または、探偵あるところに謎が生まれる。
そうであるなら、人間はみんな、謎を解き明かすために生まれた探偵なのかもしれない。
だからまあ、僕の目下の謎は、廊下で拾った一枚の手紙――なんだけど。
■ ■ ■
「……どしたの、かざみん…………」
僕が廊下に突っ立っていると、背中から声がした。
振り向いてみると、僕の肩くらいの高さに小さい顔があった。僕の可愛いむすめ――じゃなかった、クラスメイトの穂々乃木希乃だった。
小首をかしげるその姿からは、小型犬を思い浮かべるんだけれど――口の端っこからよだれを流している様子もまた、犬を連想させてくれる。
「おい穂々乃木、よだれよだれ」
「え、ああ、……えへへ」
はにかんで、穂々乃木は口元をぬぐう。
目もどこか熱っぽいので、きっとまた、変な妄想をしながら廊下を歩いていたんだろう。うん、いつもの穂々乃木だ。平常運転だ。
「じ、実はね……さっきすれ違った男子がね、右手に……」
「いい。聞きたくない」
僕は彼女の言葉をさえぎる。残念そうな顔を浮かべる穂々乃木には悪いが、彼女のイマジネーション豊かな妄想は、精神汚染兵器なみの威力を持っていて、できれば聞きたくないのだ。
しかも、こんな真っ昼間から、学校の廊下で。
たいていの場合、突拍子もない設定と、常人には理解できないストーリーだったりして、聞いていると頭痛がしてくる。
公然わいせつ罪ならぬ、公然妄想罪みたいな罪科を刑法に加えてほしい。早く選挙権を十八歳に引き下げてもらって、僕らの声を国会に届けられるようにしてもらいたい。それはもう切実に。
穂々乃木のことは愛しているが、それはそれ、これはこれだ。
「で、どしたの……?」
「ああ、これなんだけどさ」
僕は、先ほど廊下で拾った一枚の紙を、穂々乃木に見せてやる。
薄いピンクの背景に花柄があしらわれた、手のひらよりも少し大きい便せんだ。紙面には、上品な感じの文字が書かれてある。
「……え、と、ラブレター?」
と、穂々乃木が感想を述べる。
「だろうな。あて名も、差出人も書いてないから、誰のだかわかんないんだけどさ」
そう、それが問題なのだ。
届ける先もわからず、かと言って、思い切って書いたであろうこの手紙を、たくさんの生徒の前で披露して、
「これ、誰のですかー」
なんて、小学生みたいな真似はできない。
そこまで僕は子供じゃない。
■ ■ ■
ラブレターの文面は簡潔なもので、要は、『放課後、体育館ウラに来てください』というものだった。
……わが校の体育館ウラは日当たりが悪くて、結構寒い。
あまりムードのいい場所ではないけれど、人が寄りつかないという意味では告白に向いている。
「きっと書きかけだぜ、これ」
「何で分かるの、かざみん?」
穂々乃木は僕を見上げるようにしてくる。
「ん、だってさ、どこにも名前が書いてないだろ? これじゃあ誰が誰に宛てたのか分からないじゃん」
「封筒に書いてあったのかも……よ?」
「いや、それにしては折り目がない。このサイズなら普通、折りたたんで封筒に入れるだろ。たぶん、そういうタイプのレターセットだって、これ」
僕が持論を展開すると、穂々乃木は目を輝かせて、
「かざみん……探偵みたい……かっこいい」
「ははは、いいぞ、もっと褒め称えろ。さしずめシャーロックホームズか? 工藤新一かな?」
「名探偵ポワロみたい」
「……いや僕、ヒゲとか生やしてないし」
なんでポワロが出てきたんだろう。
自信家だって言いたいのか?
「ねえ、私の推理も聞いて……ほしいな」
「お、『よだれの穂々乃木』も何か思いついたのか?」
「……『ねむりの小五郎』みたいだね……」
おっと図らずも、珍しく穂々乃木に突っ込ませることができた。
まあ、眠りながらよだれを垂らすこともあるだろうから、よだれもねむりも、似たようなもんだろう。
「あのね、その文字はね、女の子だと思うの。細くて綺麗だし……」
「ふむふむ。それは僕も同意見だな。便せんもそんな感じだし」
「それでね、きっとその子は、深窓の令嬢でね、小さなころから体が弱くて、ずっとお屋敷で暮らしていたの」
「あん?」
お屋敷ってなんだ。
「でね、病気がだいぶ良くなったから、学校に来るようになって……なんとそこで運命の出会い! え、えへへ……。そして、禁断の恋に目覚めてね――」
「ああ、もういいぞ。続きはまたの機会に聞いてやる」
穂々乃木にまっとうな意見を期待した僕が馬鹿だった。
「ほら穂々乃木、ちょっと真面目に考えようか」
と僕が言うと、
「私はずっとまじめ……」
いじける穂々乃木だった。
「僕らの推理力で、持ち主のところに返してやろうぜ」
実際のところは、破り捨てる……という選択肢が無難なのかもしれない。
けれど、思いのこもったラブレターを勝手に処分するというのは気が引けたし、かと言って僕が持っているのも違う。
やっぱり、書いた本人にそっと返すのがベストだと思うのだ。
「じゃ、じゃあ……私たち、探偵団だね……」
「探偵団? そうだな……いいな、それ」
「相棒」
「ティーカップ持っちゃうか? 探偵っていうか刑事だけどな」
「少年……探偵団」
「いや、そうすると穂々乃木の要素が抜けちゃうだろ」
うーん、と僕たちは唸る。
……どうも本筋から外れている気がしないでもないが、僕たちは至って真面目だった。
「ホホノギ探偵団。」
「いや、僕要素が入ってないって」
「『。』が、かざみんを表すの……」
「ちっさ。――え? 僕が小さいって言いたいのか?」
身長も人間も、僕は小さくなんてない。
きっと。
「ううん、差別化。インパクト重視の部分。もはやなくてはならないもの……みたいな……」
「ほほう、それならアリかな。『モー娘。』の『。』みたいな感じか?」
「『ゲスの極み乙女。』の『ゲス』みたいな……」
「ああなるほど――ってそれ、切り取るとこ違うんじゃね? ただの悪口じゃないか!?」
「じゃあ『藤岡弘、』とか……」
なんだかもう、取り掛かる前から事件は迷宮入りだった。
■ ■ ■
風見たちが、廊下でやんやと騒いでいた頃――
職員室では、化学を受け持つ初老の男性教師が、生徒から集めたノートを整理しているところだった。
すると隣の席で、二年B組の担任にして数学教師の高座山史華が、机の上の書類や、引き出しをひっくり返して、何やら慌てていた。
「何かお探しですか、高座山先生」
と化学教師がたずねると、
「え、い、いえ……何でもないんです、何でも……」
そう言って、まだ若い数学教師は目を伏せてしまった。
明らかに焦燥しているように見えたが、もしかしたらプライベートに関する探しものなのかもしれない――と思い至って、初老の教師はそれ以上追求はしなかった。
高座山は周りを気にしながら、その後も探しものを続けていた。
■ ■ ■
昼休み。
僕と穂々乃木の二人――通称『ホホノギ探偵団。』は、食事を終えると、比較的人通りの多い渡り廊下で、署名を集めていた。
ノートを開いて、道ゆく生徒たちに声を掛ける。物珍しさと、署名の内容からか、意外と食いつきはいい。
しばらくすると、虎走あぶみと堂島リエの、陸上部一年生コンビが僕らの前を通りかかった。
「あれ、何してるんです? 風見先輩」
「おう虎走。見ての通り署名運動さ。学校にケーキバイキングを作るためのな」
「へえ?」
「ショートケーキにチョコケーキ、モンブランからアイスクリームまで。スイーツ好き女子の楽園をぶっ立てようと思ってな。そのための嘆願署名さ」
もちろん違う。
女子の筆跡を確認しよう――というのが目的だ。こうして女子の気を引きそうな話題で署名を集め、ラブレターの筆跡と比べて、犯人を探しだそうという試みだ。
さらには。
たくさんの女子に声をかけることができ、しかも嫌な顔をされない――という、僕得な企画でもあるのだ。
しかも隣の穂々乃木も、積極的に声を掛けるには至っていないが、人間観察は怠らず、随時、妄想のネタを仕入れているようで、それはそれで何だか楽しそうだった。
たまたま通りかかった虎走もまんまと引っ掛かって、
「ケーキ! いいですね。私も署名していいですか?」
「虎走は……いや、お前はいいや。堂島もいい。しっしっ」
「ええ? 何でです?」
大げさに驚く虎走には悪いが、虎走も堂島も、彼氏とラブラブなのだ。たとえ浮気ゴコロがどこかにあったとしても、証拠の残るラブレターなんて書くことはないだろう。
まだぶーぶー言う虎走を追い払ったところで、騒ぎを聞きつけたのか、高座山先生が歩いてくるのが見えた。
「やば……」
と思ったが、時すでに遅し。
先生は、僕らの目の前までやってきて、
「君たちは、何をしているの? 署名?」
不思議そうな顔をする。別に、僕らを叱るためにやって来たわけではないみたいだ。ずらっと女子の名前が載ったノートを見て、先生は怪訝そうな、そして深刻そうな表情を浮かべていた。
「あ、あはは。ちょっと気分転換に署名を集めようかなあ、なんて」
「それは、気分転換にすることじゃないでしょ。まったく」
呆れた声で返される。
「……ところで、この辺で……いや、何でもないわ」
「……?」
高座山先生は、珍しく口ごもる。
そうして、僕らを咎めることなく、何だかきょろきょろしながら廊下を歩いていった。
「……ねえ、かざみん…………」
穂々乃木が、僕の制服の袖をくいくいと引っ張る。
「どうした、穂々乃木」
「あの、もしかしたら……犯人は高座山先生かも」
「ラブレターの差出人が? まさか」
教師がラブレター?
しかも、あの高座山先生が?
なんだかイメージじゃない。
「何か、気になることでもあるのか?」
と僕がたずねると、穂々乃木は小さくうなずく。
「……あのね、私もひなたちゃんから聞いた話なんだけど」
「美山から?」
「うん……高座山先生ってね、小さい頃は体が弱かったらしいの……けど、空手をはじめて、だんだん元気になって……」
「へえ、意外だな」
初耳だった。
「それでね、勉強も運動もできるようになって……だから、頑張れば何とかなるって伝えるために、教師を目指したんだって……」
「ほう、それはまた。んで? それとラブレターがどう繋がるんだ?」
「実家もお金持ちらしくて……。ほら、犯人像といっしょじゃないかな? 病弱な深窓の令嬢で……」
「ああ、確かに、こいつは怪しいなあ――じゃねえよ! それはお前の妄想だ!」
「かざみん、ノリツッコミへた……」
うるさい。うるさいぞ、穂々乃木さん。確かにノリツッコミなんて僕のキャラじゃないが。
「で、でもね……ほら……」
穂々乃木が指差すほう――高座山先生が去っていったほうを見ると、やはりまだ何かを探しているらしい彼女の姿があった。視線は、床の辺りをさまよっている。
「――まさか、な」
「ねえ、追いかけてみない……?」
「追いかける? 高座山先生をか?」
「うん……尾行……」
「尾行か。いいな、探偵っぽいな」
「でしょ」
僕たちは目を合わせてニヤリと笑った。
『ホホノギ探偵団。』第二のミッションは、高座山先生の尾行と決まった。
(第40話 風使いと「てがみ」(1) 終わり)
(続く)




