第31話 風使いと「家族」
ここのところの僕は、様々な角度から、色々なピンチに見舞われている。一体、僕が何をしたってんだ、まったく。
ただ今回のピンチは、割りと早い時期から予測できたことだったので、僕も何かと手を打って来た。
例えば、日直でもないのに黒板を綺麗にしてみたり、風紀委員として(血の涙を流しながら)女子の短いスカートを注意してみたり。
授業中に騒ぐクラスメイトのことは注意したし、美山の巨乳については、周囲に聞こえないように小声でいじることにした(「逆にリアル過ぎて引くわ」と、美山からお叱りを受けた)。
特に数学の授業では、率先して挙手し問題に取り組んだ。予習も復習もバッチリした。数学の担当でありクラス担任である高座山先生の脚を、じっくり眺めることも自粛した。
良い子になった。
だって、三者面談があるんだもの。
■ ■ ■
「どうですか、ウチの爽介は」
僕の隣には母が座っている。滅多に見ない、きちんとしたよそ行きの格好でお淑やかにしている。
「ええ、そうですね……」
僕らの対面に座る高座山先生も、いつものジーンズではない、黒いスーツ姿だ。残念なことにタイトスカートではなく、折り目正しいパンツルックだ。
……ここで青少年諸君にパンツルックについて解説しておこう。きっと『パンツルック』という言葉を初めて耳にした方は、
「え、なに? 下着姿なの? ひゃっほい!」
と小踊りをしていることだろうが、申し訳ない。残念ながら下着の上からズボンを履いているのだ。
『パンツ』ではなく『パンツ』だ。イントネーションは『いちご』と同じだ。
『いちご』『パンツ』だ。
柄の話ではない。発音の話だ、気をつけろ。
……いや、もしも高座山先生が下着を着用しない主義であれば――ズボンの下に下着はない。そんな可能性もゼロではない。あれ、じゃあ、もうズボンが下着ってことになるんじゃないか? 上着がなければそれは下着だろう……
え、え?
じゃあパンツルックって下着じゃん?
ひゃっほい!
「……くん? 風見くん? 目がおかしな色になってるけど……」
大丈夫じゃなさそうね――と高座山先生は苦笑いを浮かべる。
どうやら僕は現実逃避をしていたようだ。危ない危ない。
「もう爽介ったら、先生の前で恥ずかしい」
母さんがため息を吐いて心配そうな目をする。
「いや、はは……ちょっと緊張しちゃって」
僕は気弱そうなフリを装って、曖昧に笑う。
ちなみに、家では『大人しい良い子』で通っている。これは僕の振る舞いの問題という以上に、姉さんの存在が大きいからだと言っておこう。
僕は、おぎゃあと生まれたその時から、あの姉の下僕だ。家の中で息をするにも、廊下を歩くにも。彼女の許可した範囲でなければならないという、およそ不可侵な法の下で生活している。
つまり、『大人しい良い子』でなければ生きていけないということを意味するのだ。学校でのテンションを発揮する余地などない。
だから最も親しい家族である父母であっても、家の中で小さくなっている僕のことを『大人しい良い子』だと思ってる。
更に付け加えるなら、毎朝六時に家を出ているのは『陸上の自主練』ということになっているのだ。まあ、あながち嘘ではないが、真実からは程遠い……。
ともかく。
もし高座山先生に、学校での僕の様子をバラされたらどうなってしまうことやら……
「そうですね、まあ、人気者……ですよ」
高座山先生は言葉を詰まらせながらも、そうフォローしてくれた。感謝感謝だ。
「あら、ウチでは借りてきた猫みたいに大人しいものだから、意外ですわ。ウチの子なのに、借りてきたっていうのも可笑しいですけどね――」
「か、母さん、そういうのはいいから」
何だか気恥ずかしさを覚えて母さんの言葉を遮る。
肉親が学校に来て、更には『よそ行き』の雰囲気を醸し出す――これはもう、なかなかの恥辱プレイだと思う。
そう、それに僕は間違っていない。今日は素行相談ではなく、進路相談なのだから。
■ ■ ■
「今のところ大学への進学……ということですが、ご家庭では進路について話し合う機会はありますでしょうか」
高座山先生もどこか『よそ行き』モードだ。
「ええ、話しはするんですけどね、どうにもこの子、主張が弱くって」
「はあ……」
釈然としないような表情を浮かべる高座山先生。
いや、これも仕方ないんだ。だって、家族で進路について話す時には何故かいつも姉さんもリビングにいるんだから。
「私のことは気にしないで」
なんて言いながら煎餅をかじっているのだが、僕はバリバリに意識してしまう。言葉が上手く出なくなってしまう。
特に、『天馬ミニスカメイド事件』以降、姉さんから僕へのプレッシャーは増したように思う。姉さんの一挙手一投足に、怯えながらの毎日なのだ。
だからまあ、母さんからは主張が弱いように見えるのだろう。
「学校でも同じ感じかしら……そんな調子だと大学に行けたとしても苦労しそうですわよね」
「ええ、まあ……」
結局また僕の素行問題へと話が戻ってしまった。
「社会に出る前に、もっと積極性が身につけばいいんですけど……」
「…………」
「か、母さん」
僕が再び軌道修正を試みたところで、高座山先生が口を開いた。
とうとう、口にしたのだ。
「お母様。風見くんは……とても積極的な生徒さんです」
そうですか、と首を傾げる母。それを横目にしながら、そして高座山先生の言葉に戦々恐々としながら、僕はダラダラと汗をかく。
何を言われるのだろうか。今からでも力づくで止めようか……。
「例えば――」
「せ、せんせ」
「黙りなさい、爽介」
僕がビクッと肩を震わせて隣を窺うと、笑顔のままの母からは、有無を言わせない圧迫感が立ち上っていた。
姉が普段発している、いわゆる『魔王オーラ』の上位互換。『大魔王オーラ』とでも呼ぶべきものだ。
こういう母さんを見るのは、恐らく三度目。
初めて見たのは幼稚園の頃。ふざけて遊んでいて、ワタルに酷い怪我をさせてしまった時だ。
母さんは、謝りもせずフラフラしていた五歳の僕を物凄い剣幕で叱り飛ばし、すぐにワタルの手当てに取り掛かっていた。
二度目は、小四の頃、父さんから叱られている時にそっぽを向いていた僕を、やはり叱り飛ばした。
「大事な話をしているでしょう。きちんと聞きなさい」
僕は震え上がって涙を浮かべたことを覚えている。
――あれ以来だ。
つまり、先生の話をきちんと聞け、口を挟むな、ということなのだろう。
「すみません先生、どうぞ続けて頂けますか」
「え、あ、はい――」
女傑として名高い高座山先生も困惑しているようだった。が、気を取り直して彼女は話を続けた。
「……彼は、風見くんは、正直に言うと元気すぎるくらいに元気です。学校イチと言っていい程のトラブルメーカーです」
そうですか、と母さんは頷く。
「騒動を引き起こしては、周囲を驚かせています」
「それはそれは」
僕は黙って聞くしかない。話を続ける高座山先生も、言いづらいからなのか、額に軽く汗を浮かべている。
「初めは大変だなと思いました。急に突拍子もないことを言い出したり、私をからかってみたり。ただ――」
「ただ?」
「彼が居なければ、私のクラスは今のようにまとまっていなかったと思います。男子からは不思議な人気がありますし」
先生は、母さんを真っ直ぐに見ている。
「女子は距離を測りかねている子もいるようですが、それでも彼を嫌うような素振りはありません。いつも喧嘩している子も――ああ、これは喧嘩するほど仲がいい、という関係ですが。……彼女は背負いすぎるところがあるんですけど、それを、風見くんがいい具合に中和してくれていると言いますか」
喧嘩? 美山のことだろうか。
「それに九月に転校生が新しく入ってきたとき、クラスに馴染めなかった彼女を取りなしてくれたのは、間違いなく風見くんです」
先生はチラリとこちらを見た。
「そして、先日、文化祭の出し物についてホームルームを開いた際に、皆の推薦で風見くんが主役に選ばれました。……これはもうお聞きになっているかもしれませんが」
「いいえ、今初めて知りましたわ。もう、この子ったらそんなことも教えてくれないんだから」
「あ、あはは……」
どうだろう、今、僕はピンチなんだろうか。逃げ出したい気持ちであることは間違いないんだが。
「まあでも少し安心しましたわ。……いい先生に恵まれたようで」
母さんは含みのある笑顔でそう言った。
「でも大変でしょ、この子、セクハラ三昧でしょうし」
「え? えっと……まあ、はい」
戸惑いながらも先生は頷いた。
「まだ三歳の頃だったかしら……デパートに行ったら、若い女の子のスカートばっかり覗いてたんですよ」
「それは……恐ろしいお子さんですね」
「かあさ――」
「口を塞ぎなさい」
「――はい」
「それでね、先生。この子ったら脚フェチを馬鹿にするくせに、大好きなんですよ、実は」
「なるほど、それで私のジーンズ姿をやたらと褒めてくるんですね」
「そうなんですよ、おほほ」
……本日の風使い、ピンチを通り越して、もはや死に体である。三者面談という名の拷問は、この後二十分も続いた。
■ ■ ■
ようやく開放され、母さんと二人、下駄箱へと向かっていた。肩を落とす僕の横で、母さんは楽しそうだった。
「いい先生だったわね。……来年も担任になって欲しいけど、持ち上がりじゃないんでしょ?」
「ああ、うん。三年のクラス担任になる可能性は高いと思うけど、クラス替えはあるし、どうなるかは分かんないかな」
クジ運じゃないかな、と僕は言った。
「あなたのことも受け入れてくれるような懐の深い人みたいだし、あの先生なら母さんも安心なんだけどね」
「…………」
どうやら、学校での素行がバレていないと思っていたのは浅はかだったようだ。母は全部お見通し――のようだった。
「まあ本当のところは分からなかったのよ。あなた、学校でのことあんまり喋らないから」
「そ、そうかな」
「そうよ。お姉ちゃんに遠慮してるのか知らないけど。あの子はあなたのことが心配なだけなのよ」
「そうは思えないけど……」
あの魔王様が? そんな気配はないけどな。
「昔、あなたが私に怒られるところを見てね、お姉ちゃんったら『そーちゃんのことは私が守る』なんて言い出したのよ」
へ? と、間抜けな声で応えてしまった。
「だから私が怒る前に、あなたを厳しく叱るようになったの。それが姉としての義務だとでも思ったんでしょうね。まあ、力加減が未だに分かってないみたいだけど。あの子は『爽介ラブ』なのよ、ずっとね」
「はあ……」
だとすれば、ありがたいような、ありがたくないような……。
「でもね、あなたがもし、本当に許されないようなことをしたらね。私が直々に叱ってあげますからね。……美鳥ごときに怯えているようじゃ、まだまだよ……」
「は、はい――」
大魔王様に睨まれて、僕はまた身を固くする。あーあ、どっかに光の玉が転がってないかな……闇の衣を剥がさないと、絶対に勝てねぇよ僕。母さんのメラが、僕にとってのメラゾーマだよ。
階段を下りながら母さんは、がらりと声音を変えて、
「それにしてもねぇ……」
と、急に恍惚の声を漏らす。
「素敵な脚だったわねぇ……高座山先生」
「やっぱり……そこ見てたんだ……」
「当たり前じゃないの! あんなスタイルの良い先生、なかなか居ないわよ。あなたの入学式の時からずっと目をつけてたんだから」
ちなみに母さんは、服の上からでも女性の体のラインを寸分違わずチェック出来るという特技の持ち主だ。
「さすが母さん、パンツの上からでも分かるんだ」
「あんな布っきれ、私にかかれば空気のようなものよ。少しでも動きを見せれば、脚のラインなんて丸見えよ」
先生が立ち上がったのは、僕らが教室を出入りするとき、こちらに向かって挨拶をした時だけのはずだ。その数瞬の間に、我が母は全てを見て取ったのだろう。
「父さんならねぇ……上半身だけで下半身のラインを正確に掌握できるんだけど。私はまだまだね」
「尊敬するぜ、父さんも母さんも」
「全盛期にはね、相手の顔を見ただけでスリーサイズを当てられたのよ、父さんったら」
「え、初耳! すげぇな……」
「私もね、初対面で靴のサイズまで当てられたわ」
「それは聞いたよ、それで一目惚れしたんだろ。え、その時も顔見ただけだったの?」
「そうなの。挨拶代わりの一言だったわ。まさかこんな素敵な人が居るなんて……ああもう、今思い出してもドキドキするわ」
「……いつか僕も、そんな風になれるかな」
「なれるわよ、私たちの子ですもの」
親の信頼、マジ感謝です。
「まだ彼女は居ないの?」
「なんだよ、急に」
「だって折角学校に来たんですもの。居るんなら会ってみたいじゃない?」
「い、居ないよ」
「もっと積極性に行かなきゃダメよ。ほら、ガッと行って、バッとやらなきゃ」
「そうだよね、頑張らないとな」
「父さんに教えてもらいなさい、『スリーサイズを見抜く呼吸法』」
「そうしよっかな……」
よし、今夜にでも父さんに頼んでみよう。
やっぱり、親って偉大だな。
そう痛感した秋の日だった。
(第31話 風使いと「家族」 終わり)
《あとがき》
どうも、タイトルを「パンツ」にするか「家族」にするかで迷いました、米洗ミノルです。ということで、復活のあとがきでございます。
さて、今回は新たな女子キャラの登場でしたね。女子キャラというか、まあ風見くんのご母堂なんですけど。
少なくとも萌えキャラではなく、平凡なキャラでもない。変態が都合二人増えたみたいな話でした。
今後、父の出番はあるのか、ないのか。ないんじゃないかな、たぶん。
さて、作中の『いちご』のイントネーション、地方によって微妙に異なったりするらしいですね。
ネットで調べた範囲でしかありませんが、標準語において『いちご』の音の高低は、
『 い ち ご 』
『 _ ― ― 』
になるそうです。
また、ズボンを表す場合の『パンツ』も同様に、
『 パ ン ツ 』
『 _ ― ― 』
という説があるみたいです。ネット万歳。
さて、ということで忘れない内に皆さんで復唱しましょう。
『いちご』『パンツ』。
電車の中でも、バスの中でも、家族の前でも恥ずかしがらずに。だって日本語の練習なのですから。さんはい。
『いちご』『パンツ』。
はい、ありがとうございました。ではまた次回もよろしくお願いします。
※来週から、夏休み仕様で更新時間を変更するかもしれません。ご了承ください。
※外伝も近々、久しぶりに更新する予定です。




