第29話 風使いと「人生」
僕は風見爽介。唯一にして最強の風使いだ。
僕を追い詰めることが出来る人間なんてそうはいない。
持ち前の精神力と、天から与えられた風使いとしての能力。これらを駆使すれば、たいていの窮地は跳ねのけられる。
だから僕を追い詰めることが出来るとするならば……
それは『人生』そのものだろう。
所詮、僕らは駒に過ぎない。この人生という盤上で、運命という名のルーレットに踊らされるだけの小さな存在だ。
それでも納得はできない。今まで築き上げて来たものが、こんなにも脆く崩れ去るなんて――高校生だった頃の僕には想像もできなかった。
就職して、家族ができ、幸せな日々を送っていたのに……たった一度の失敗で、多くを失ってしまった。
愛する妻と可愛い娘。彼女たちは今、マイカーの座席で無表情のままに佇んでいる。何を思っているのか――想像するだけで胸がはち切れそうになる。
あの時、ルーレットが別の数字を指してさえいれば……
そうです。人生ゲームです。
■ ■ ■
「ああ、マジかよ! もう金ねぇって!」
僕の悲痛な叫びがワタルの部屋にこだました。
「あーあ残念。ほら、約束手形だ」
親友の挫折をあざ笑いながら、ワタルは赤い紙札を二枚差し出してくる。
「な、もう一回やり直させてくれよ、僕には妻も子供もいるんだぞ」
「ふざけんな。お前の甲斐性がないからだろうが。人生は自分で切り拓くものなんだよ」
辛辣なワタル。しかしこいつのツキっぷりと言ったらない。
高校生からスタートして、大学卒業までを最短で進んだ。そして職業選択のマスであっさりと医者になるわ、さっさと結婚して子沢山だわ、チャンスイベントはしっかりと押さえるわで……。
「なあワタル、これイカサマじゃねえの?」
「んなわけないだろ。小学生の頃に使ってから、ずっと押入れで埃かぶってたんだぜ。壊れてたとしてもイカサマなんてあるはずないって」
ちっ、と悪態をつき、売れないミュージシャンである僕は渋々と約束手形を受けとる。ボード上の僕の家族が泣いているように見えた。ああごめんよ、マイファミリー。
しかし、これは布石である。
持ち主であるワタルに『イカサマはあり得ない』と言わせたのだ。
つまり、次から風使いの僕がルーレットに細工をして、それが少しくらい不自然でも、誰も僕を糾弾することなんて出来やしないということだ。これが完全勝利だ。人生なんて、ちょちょいのちょいやで!
僕は心の中でほくそ笑む。
「んでほら、次は希乃ちゃんの番だよ――」
ワタルが、僕の隣にちょこんと座る穂々乃木に声を掛ける。
――そう、不思議なメンツなのだが、今日はワタルと穂々木と僕の三人で、ワタルの部屋のフローリングにボードを広げて、人生ゲームを堪能しているのだ。
そして次は穂々乃木がルーレットを回す番だ。
が。
「……うふ、うふふ…………」
彼女は不気味な笑いを浮かべている。
「あー、これはまたイっちゃってるな」
「はは、希乃ちゃんって面白いな。さすが爽介の彼女」
「いや――うん」
これはワタルの勘違いであって、しかし勘違いではないのだが……それはともかく。
穂々乃木は、先程のターンでようやく伴侶を得て以来、ずっとこの調子だ。
人間であろうとなかろうと、生物・無生物を問わず、彼女の妄想にかかれば全てはただの美味しい『ネタ』になる。
車の形をした駒には、運転席にピンクのピンと、その横に青いピンが刺さっている。それを眺めながら、きっと新婚夫婦のやりとりでも想像して楽しんでいるのだろう……
「結婚したんだから俺の車に乗りかえようよ……」
穂々乃木は男性の声色でつぶやく。
「ダメよ、私たちは一心同体なの……」
今度はちょっと高めの女性の声だ。
「いいじゃないかそんなオンボロ車、売ってしまって新婚旅行の資金にしようじゃないか」
「いや、そんなのいや……」
なんだ、新婚にしては剣呑な雰囲気だな。
「お嬢さん、僕のことは気にしないで……」
別の男の声? 誰だ? ピンはまだ二本しかないぜ。
「これまで、こんなに大切に乗ってもらえて……それだけで僕は満足です」
「そんな、モコさん! 私があなたに初めて乗った日に、私たちずっと一緒だって誓い合ったじゃない! 任意保険にだってしっかりと……」
――車か? マジか。そっちか……。
「確かにあなたを傷つけたこともあったわ。その滑らかな塗装をガリガリって、私がまだ初心者で下手くそだったから……」
ん、ああ。運転ね。
「それに喧嘩もしたわね。あなたは前の女が忘れられないんじゃないかって――私が勝手にヤキモチ焼いて。でも、でも今は!」
「お嬢さま! それ以上は言っちゃ駄目だ! 僕は貴女からもう十分に幸せをもらいました。今度は貴女が幸せになる番です。彼と寄り添って……」
なんだおい、この修羅場は。
「いやよ! あなた以外の人となんて考えられない! どうせこんな結婚、お父様が勝手に決めたことだもの!」
良家の娘か。政略結婚か。放ったらかしで可哀想だぞ、その青いピン。
「お嬢さま……、そんな風に求められたら僕、僕は!」
「……待って、まだあの人が乗ってるのに、ああ、駄目、そんな急発進!」
「――進めろ穂々乃木!」
さすがに耐え切れず、軽く脳天にチョップを入れる。僕が女性に手を上げるなんて初めてかもしれない。
「……あいた。かざみんに殴られた……」
「殴ったうちに入らんわ。ほら、ルーレット回せっての。いつまで経っても終わらないだろ」
「……うん。了解」
穂々乃木は意外と素直に言うことを聞いてくれた。
そしてそんな僕らを、ワタルは微笑ましく眺めている。
……なんでこんな状況に。
■ ■ ■
日曜日。暇を持て余した僕は、ジーパンとパーカーに着替え、本屋にでも行こうと自転車に跨った。すると数十メートルも行かない内に、小柄な少女が前を歩いていた。今日はツインテールを下ろしているようだ。
「おい、穂々乃木――」
僕がその背中に声をかけると、ビクっと肩が震えた。
「……え、あれ、かざみん」
振り返り僕の姿を確認して、怯えていた穂々乃木の表情は僅かに緩む。ワンピース姿と相まって、いつも以上に幼く見える。
「何してんだよこんなところで」
「ん、ネタ探し……」
「……散歩しながら?」
「うん……」
引っ込み思案な癖に、趣味のこととなると穂々乃木は異様な行動力を見せる。きっと暇なのであろうこの日曜日、カップリングのネタを探して町中を徘徊しているんだろうか。
「……家、近所だから」
「え、そうなのか? 僕の家もすぐそこだぜ。そっか、僕は部活で一緒に帰ることもないからな――ご近所さんだったんだな。気付かなかったぜ」
穂々乃木は嬉しそうに、にこりと笑う。彼女も今知ったのだろう。下校時に会わなければ、早朝に登校している僕を通学路で見かけるはずもない。
「かざみんは何してるの?」
「僕は本屋に。やることないし、読書の秋ってやつを追い求めてみようかと思ってな」
自転車から降りて雑談をしていると、僕と同じようにラフな格好のご近所さんが加わってきた。コンビニ帰りなのか、手にはビニール袋をぶら下げている。
夏休みに帰国した僕の幼なじみ、沙南渡だ。
「よう爽介。ん? そっちの子は?」
朗らかな笑顔のワタルだったが、穂々乃木は警戒するように僕の背に隠れる。
「こいつは大丈夫だって。僕の幼なじみだ。ちょっと女たらしだけど……」
「……幼なじみ…………」
「おいおい、今は杏果一筋なんだぜ」
恋人の名前を出して、ワタルは僕と穂々乃木を見比べる。
「もしかして……爽介の彼女?」
「いや――」
「そんなワケないか。爽介に彼女なんて百年早いよな」
「百年経ったら死んでるわ! い、いないとか勝手に決め付けるなよな」
いないけどな。
「いないんだろ。そっちの子だって――」
「か、彼女だよ!」
咄嗟に見栄を張る。ビクっという振動が伝わってきて、穂々乃木が身をこわばらせたのが分かる。
「へぇ――そうなの?」
ワタルが頭を傾けて、僕の背後の穂々乃木に目をやる。穂々乃木は、僕の肩口あたりから顔を覗かせて、
「……はい。彼女です。穂々乃木希乃です」
控え目に呟いた。あれ、話を合わせてくれた?
「なんだ、それならそうと早く言えよ!」
僕の肩をワタルがバンバンと叩く。
「ほ、ほら、最初から言ってるじゃねぇか。じゃ、じゃあ僕たちは忙しいから……」
「どうせ暇なんだろ。ウチに来いよ。久しぶりだろ。希乃ちゃんにも色々聞いてみたいしさ」
「え、いや――」
強引に誘うワタル。つーか人の彼女をいきなりちゃん付けで呼ぶんじゃねえよ……彼女じゃないけども。
結局、押し切られる形でワタルの家へとなだれ込み、今に至る。
ちなみに、ワタルのテレビゲームは、彼が留学している間に、親が勝手に親戚に貸し出したままらしい。だからボードゲームに興じている――というのがこれまでの経緯である。
そして穂々乃木の目的は『ネタ探し』……幼なじみという響きに何かを見出して、より深く『取材』するために僕に話を合わせたようだ。
今日は僕らが餌食らしい。
■ ■ ■
「そんで希乃ちゃんはさ、爽介のどんなところが好きなの?」
駒を進めながら、ワタルはあけすけに聞いた。
「え……えっと? 格好いい? ところ?」
疑問符が多すぎる。嘘っぽいじゃねえか。嘘だろうけど。
「なるほどね。他には?」
「ほ、他?……うーんと、優しい? かも」
かも、って。
「そっかそっか。良かったな爽介、こんな可愛い彼女ができて」
「まあな、ははは……」
ワタルから目を逸らして、僕はルーレットに手を伸ばす。
「いやでも、こうして並ぶと結構お似合いって感じがするけどな」
しかしワタルは話題を変えてくれない。隣り合って座る僕たちの対面で、ワタルはスマホを構える。
「ほら記念写真。笑って笑って――」
「おい、いいっての」
「いいじゃんか、後で杏果にも報告しないといけないしな」
「うげ……」
穂々乃木はぺたりとした女の子座りのまま、緊張した面持ちでレンズを見ている。若干青ざめているように見えるし、単純に写真が苦手なのかもしれない。
「爽介、希乃ちゃんの肩に手を回して――」
「え、こうか?」
「違う、右肩じゃなくて左肩。手を後ろから回して」
「いやいやいや、僕たちはまだプラトニックな関係でさ――」
「いいじゃねえか」
もっと寄れ、というジェスチャーをしながらも、ワタルは出し抜けにシャッターを押す。
カシャリ――
という撮影音がして、僕らの間抜け顔が収められた。
「ちょ、ちょっと待て、やっぱマズイって――」
慌てて身を乗り出す。直前まで長いことあぐらを掻いていたせいか、足がもつれてワタルのほうへと倒れこむ。
「うわったっ――」
「馬鹿――」
ワタルを押し倒して、その上に僕も倒れる。いわゆる『床ドン』の体勢にもつれ込む。
「痛ってえな」
「わり」
「つーか二回目だな、部屋でお前に押し倒されるの」
「いやそうだけども――」
「……ふわ!」
歓喜の声を漏らしたのは穂々乃木だ。口を両手で覆い、目をキラキラとさせている。
「ち、違うぞ穂々乃木! たぶんお前は今勘違いをしている」
「……へ、部屋で、幼なじみが……くんずほぐれつ」
「だから違うっての!」
抗弁する僕の声は穂々乃木には届かない。
その直後、ガチャリとドアが開いた。
「やっほー、ワタルくん。風見くんも――って」
肩まで伸びたストレートヘアーを揺らし、篠宮が僕らの様子を見て固まる。
が、それも一瞬だった。
「もう、昼間っから何してるの」
突っ込みどころを間違っている。というか、いつまでも覆いかぶさっている僕が悪いのか。体を起こしつつ、
「よう篠宮。これはあれだ、事故ってやつだ」
「なんだか言い訳みたいに聞こえるね――あれ、その子は?」
「ああ、爽介の彼女の希乃ちゃんだよ。」
僕の代わりにワタルが紹介する。嘘プロフィールを提示する。
「あ、希乃ちゃん、俺の彼女の杏果だ」
「希乃ちゃん……」
「えっと、はい……」
しばらく立ち尽くしていた篠宮だったが、急に喜色を浮かべると、
「やーん、可愛い!」
奇声を発して穂々乃木を抱きしめた。
「……え、えと」
「もう風見くんたら、こんな年の離れた子を彼女にするなんて――羨ましい!」
「いや羨ましいって篠宮……それに穂々乃木は同級生だぜ」
篠宮は少し驚いたように、密着していた体を一旦離して、穂々乃木の顔をまじまじと眺める。
が、すぐにまた抱きついた。
「いい! こんな同級生欲しかったなあ。ううん、こんな妹が欲しい。可愛いよ希乃ちゃん」
この間も穂々乃木は目を白黒させながら、なすがままになっている。
「ねえねえ、私のこと『お姉様』って呼んでみて?」
「……お、お姉様」
「なーに、希乃ちゃん!」
「お姉様……」
「はい! お姉様ですよ」
篠宮が頬ずりを始めた辺りで、穂々乃木も満更ではないという顔を浮かべ出した。
お前は何でもアリか。広いなストライクゾーン。
しかし、篠宮も篠宮だ。小さいもの、可愛いもの好きとは何となく知っていたが……
「なあワタル」
「なんだよ爽介」
「お前らに子供が出来たらさ、きっと大変だろうな」
「おう、俺も今そう思った」
ワタルがため息をつくというレアな光景を横目にしながら、僕は女子同士のじゃれ合いをしばし眺める。
「僕のことも『お兄様』って呼んでみるか」
「やなこった。最悪でも俺が兄貴だろう」
「それも嫌だな」
何故か僕の脳裏には、美鳥姉さんとゴールインするワタルの姿が浮かんで頭を振った。
「つーかさ、初めから気づいてたろ、彼女じゃないって」
「そりゃあな。気づくだろ」
「はあ……、まあ暇つぶしにはなったからいいけどさ……」
僕は床へと視線を落とす。
一連の騒ぎで、人生ゲームの駒やお札はバラバラに散ってしまった。僕の運命を決定づけてきたルーレットすらも、盤から外れて、無造作に転がっている。
どうやら、『人生』ですらも僕らには敵わないらしい。
(第29話 風使いと「人生」 終わり)