第3話 風使いと「授業」
改稿済み(H27.6.2)
さて、七月である。
風見爽介、つまり唯一にして最強の風使いである僕が本領を発揮する季節が到来した。
高校生活の大半を締めるのはもちろん授業の時間だ。
『授業』というだけあって、何らかの技能を生徒に授けて頂けるありがたい時間だ。
『ありとあらゆる風を自在にコントロールする』程度の技能しか持ち合わせていない僕にとってはとても貴重な時間である。
しかし、この嵐谷高校はひとつ大きな問題を抱えている。
構造的欠陥、機能不全、いや、機能不十分というべきかもしれない。
こんなとき、無力な一般市民に代わって立ち上がるのが僕のような英雄の使命だろう。英雄はいつの時代も、苦難の中から生まれ出るものである。
とかいって。
まあ要は、我が校には未だエアコンが取り付けられていないという、そういう話なんだけれども。
七月になっても梅雨の空気を引きずっている今年は、例年以上にムシムシと暑い。
そんな中、運良くこの『最強の風使い』である僕と同じ教室で過ごすクラスメイトたちは、そよ風に髪をたなびかせながら、快適に授業を受けている。
その気になればエアーコンディショナーの役割もやってやれないことはないが、そちらに集中するあまり授業内容が頭に入らなければ本末転倒なので、今は扇風機としての機能を果たすことにしている。
今日も、首振り、微風、でスイッチオン。
■ ■ ■
次の授業はここ、家庭科室で行われる調理実習だ。
両親共働き、かつ家庭内ヒエラルキー最下層の僕は、両親の不在時に姉から、
「あんた何か作りなさいよ。高校生でしょ」
と、ありがたい命令を頂いて台所に立つことがよくあるので、平均レベルよりは料理スキルに長けていると思う。
「高校生でしょ」という言葉に、一体どんな正当性があるのかは分からないけれども。
おそらく、高校生で調理実習の授業も受けているのだから何か作れるはずだ、ということをあの暴君は言っているのだろう。
よくよく考えれば、「お前も二年前まで高校生だったろう」とか心の中で思いつつも、余計な波風を立てないため、僕は発言を自粛している。
誰だって保身に走ることはあるものだ。
■ ■ ■
「ねぇ風見、あんた今日は包丁握らなくていいから」
そんな挑発的なことを言うのはクラスメイトの美山 陽。
鋭利な刃物のように攻撃的な目をしているが、僕以外の人間には優しく面倒見のいい人気者だ。
長い髪をポニーテールに結わえた、格好良さと可愛さが同居した十七歳。
意外と胸も大きい。
揉みたい。
で、その大きな胸に、自前のピンクだか紫だかのエプロンを着けて(乗っけてと言うべきか?)、いきなり僕に突っかかってきた。
「取りあえず皮むきでもしてて」
僕らは同じ班で、これから調理実習に臨むところだ。
作業が減ることに文句はないけれど、そう頭ごなしに言われると反抗してみたくなる。
反抗期は過ぎても、反骨精神はなくしたくない。
いや、どこで発揮してんだって話だけども。
「いや美山、僕の『全ての食材の断罪者』という異名を知らないとは言わせないぞ?」
「知るかバカ」
取りつく島もなかった。
「フードスライサーじゃなくてピーラーやってって言ってんの」
「お前な、デカいのは胸だけにしとけよ。そんな態度じゃ男も寄ってこないぜ」
「……あんたのその怖いもの知らずなところだけは尊敬するわ」
包丁を持つ彼女の右手に、ピキピキと怒りマークが浮かんでくるのが見えるようだった。
「あんたこそ忘れてるでしょ、これまでの調理実習」
ツリ目の巨乳は僕にまくし立てる。
「あんたがどんだけ包丁好きなのか知らないけど、ぜ〜んぶ一人でやっちゃうから、みんなの練習にならないって言ってんの!」
「ふふん、つまり『低能で愚かな私のために風見様のお慈悲をお与えください』と、そう言っているわけだな」
「んなわけあるか!」
バシッと頭を叩かれる。左手で良かった。包丁で人を殴りつけないくらいの良心は残っているようだった。
「もう、変なもの触ったからまた手洗わなくちゃいけないじゃない」
ジャブジャブと手を洗う美山と頭をさする僕の姿を、同じ班のクラスメイトたちは「またか」という諦めの目で見ていた。
一方、家庭科の担当、山本先生はとても気弱な女性で、遠くからこちらを見てハラハラしているだけだった。
彼女の名誉のために言っておくが調理スキルに関しては完璧な人なので、まぁそのくらいの欠点は見逃してあげて欲しい。
タオルで両手を拭く美山。
そう、この巨乳は事あるごとに僕に突っかかってくるのだ。
「なんだツンデレか?」と思ったこともあったが、口にした途端、ミドルキックが僕の脇腹にヒットしたことがあるので、最近は思っても言わないようにしている。
どうやらこの調子だと僕は、家でも学校でも寡黙な男の子になりそうだった。
自粛反対。表現の自由をください。
表現の自由、そして包丁の自由。
僕は美山に宣言した。
「とにかく、僕も包丁を握らせてもらうぜ。腕が錆びちゃあかなわねぇからな」
念のため解説をしておくと、僕に包丁などという時代遅れの調理器具は必要ない。
そう、包丁を使うフリをしながら手元に真空を作り、カマイタチで食材を切り刻んでいるのだ。
こっちの方が明らかに美しく切れる。
包丁を持つのは……そう。雰囲気だ。
「……分かったわよ、じゃあ勝負しましょう。あんたと私、どっちが綺麗に野菜を切れるか。皮むきも包丁で。最後に先生に判定してもらいましょうよ」
「ほほう、いいぜ。しかし『刃の魔術師』ことこの僕に勝負を挑むとは――命知らずな巨乳だぜ」
「あんた……親からもらった名前大切にしなさいよ……」
ちなみに僕の異名は百十一個ある。
■ ■ ■
――美山の包丁スキルを侮っていた。
無駄のない皮むき。そして華麗な包丁捌き。
なにっ空中でだと?!
まるで閃光!
ああ、切られた野菜が放物線を描いて銀のボウルの中に!
「くっ! 貴様もしや、あの伝説の『青髪の特級厨師』か?」
「だから誰よそれ!」
こちらを一瞥しながらも手を休めない美山。
「ふん、大口叩いてた割にあんたは……って、ええっ?」
彼女が驚くのも無理もないだろう。
僕は包丁を目の高さで調理台と水平に構えたまま閉眼し、そのままの姿でまな板の上の野菜を切っていく。
そう、まるで野菜に指一本触れていないかのように!
――いや、実際触れていないのだけど。
「なによ? そんな技、師匠から教えてもらってないわ!」
美山もノッてきた。
僕らは兄弟弟子か。同門対決か。
「極めるとはこういうことだよ、ホルスタイン。……いや、美山!」
「くっ! 速さじゃ勝てない……それならば、繊細さで上回るのみっ!」
美山の包丁さばきが、先ほどまでの速度重視のものから、流れるような繊細な動きに変わった。
ああ、彼女の背後に、美しい湖と雄大な山々のイメージが広がる……なんという優雅!
「それは奥義、『白鳥の羽ばたく水面』かっ?」
「そうよ。あんただけじゃないのよ、強くなったのは!」
勝ち誇る美山。
おのれ、ここで引いちゃあ、みんなに顔向けできねぇぜっ!
「これならどうだっ!」
僕はニンジンを鶴の形に飾り切る。
一瞬の早業だ。
「やるわね、ならば私はこうよっ!」
負けじと美山は可愛いウサギさんを作り出す。
「なんのっ! 負けるわけにはいかねぇんだよ!」
僕のまな板の上にドラゴンが召喚される。
「美山、お前、胸が邪魔だろう!」
僕はなりふり構わず盤外勝負に打って出る。
「最低ね! どうせ男子なんて胸のサイズしか見てないんでしょう!」
「違うぜ! それが甘いってんだよ。大きかろうと小さかろうと、己の胸にコンプレックスを抱く乙女に、そしてそれを恥じる姿に世の男性は萌えているのだっ!」
ギャラリー(ただし男子生徒に限る)から「おおっ」と歓声があがる。
「ほんとどうしようもない男ね!」
美山は言いながらも心乱される様子がない。
……まったく、やり辛い相手だぜ。
バチっとお互いの視線が交差する。
お互い示し合わせたかのように口元を歪め、ニヤっと笑う。
こいつ、夏の日差しより熱いやつだ!
七月の家庭科室に、熱く、しかし爽やかな風が吹いていた。
■ ■ ■
「「先生! 判定をっ!」」
僕と美山は山本先生の前に、それぞれが誠心誠意調理した渾身のひと皿を差し出した。
「……え、え〜っとね」
オロオロする先生。無理もない、高校生レベルの料理じゃないのだから。
僕のも、そしてこの美山のだって。
「あ、あのね、どちらも凄いのよ、凄いと思うのよ。こんな飾り切りなんて中々できるものじゃないし……」
気弱な先生のことだ、甲乙つけ難くて悩むのは分かる。
分かるがしかし。
「先生、これは僕たちの魂のひと皿なんです。僕も美山も全てを出し切りました。だから、どっちが勝ってもきっと後悔はないと思うんです」
美山が僕の台詞に心打たれたのか、まぶたを強く閉じ、何かを考えた後、すっと目を見開いて先生に言う。
「――風見君の言うとおりです。私も彼と――風見君と戦えて良かったです。けれど、それだけでは駄目なんです。きちんとした決着を経て、ようやく私たちは前に進めると思うんです。それぞれの新しい一歩を踏み出せるんです」
本当に、このライバルは胸に来ることを言ってくれる。
こいつと出会えてよかったぜ。生まれ変わったら結婚してやってもいい。
山本先生は言う。
「あの……ね、分かってると思うけど、今日はカレーなの。カレーライスなの。飾り切りとか、正直いらないの。カレーの上に龍とか虎とか、スカイツリーとか……。そりゃあね、火を通しすぎたら煮崩れするのは分かるんだけど、これじゃほとんど生でしょ。それに他の班の食材まで奪って。私、やめなさいって何度も注意したのに」
美山と二人して、ただポカンと先生の言葉を聞く。
「だから、ね。二人とも補習ね」
言う時には言うべきことを言う山本先生だった。
後日、山本先生から『包丁を使わず美味しく作れるカレー』の秘伝を教わった僕と美山だった。
(第3話 風使いと「授業」 終わり)