第28話 風使いと「スカーフ」(10)【七不思議編】
「スカーフ」編、最終回(いつもより少し長めです)
「風見くん、大丈夫か!」
橋の上から花木の声がした。
それを聞きつけて風見は、しまった――と苦い顔をした。
欄干の下、鉄骨の部分に左手を引っ掛けて、どうにかぶら下がっている状態だ。二百メートルはあろうかという長い橋の中間付近で、橋桁の高さは三十メートル近くある。吹き付ける寒風が痛い。
風見は、隙を見てふわりと橋の上へと舞い戻ろうとしていたのだが、その前に花木に見つけられてしまった形だ。これではあまり大っぴらに風使いの力を使うわけにもいかない。不自然だ。
……先ほどまでも充分に不自然ではあったが、彼にとってはぎりぎりバレない範囲だろうと思っている。しかし、こうも注目されてしまったらそうもいくまい。
花木は身を乗り出してこちらを見下ろしている。
「い、今助けるからね」
欄干の隙間から手を伸ばすが、風見のところまでは届かない。
「僕は大丈夫だ……それより玲実香さんのとこに行けよ」
「そんなこと出来るわけがないだろう! 手を、手を伸ばして」
花木は必死の形相を浮かべる。空良も駆けつけて来て手を伸ばす。
「風見先輩!」
しかし、やはりわずかに足りない。花木の隣に、玲実香と実花穂の顔も見えた。
――やっぱりそっくりだな、さすが親子。
などと、風見は呑気に考えていた。
このまま落ちて川の上を歩くことも可能だし、モーゼのように川を割って岸までたどり着くことだって出来るだろう。だが、これだけギャラリーがいてはそれも難しい。風使いの能力を使わずに二月の冷たい川に落ちるのは勘弁だった。
「いやほら、本当に僕は自分でどうにかするからさ。ほら散った散った」
「んなこと出来るわけないでしょ!」
声を張り上げたのは玲実香だった。
「あんた、何者なのよ……散々あたしを引っ掻き回して! 絶対に助けるんだからね」
制服のスカーフを外して花木に渡す。
「これ使って、これならあそこまで届くでしょ」
「あ、ああ、ありがとう! さあ風見くん、これに掴まれ」
花木が受け取った白いスカーフを、欄干の隙間から風見に向かって垂らす。手を伸ばせばどうにか届きそうな位置でスカーフはひらひらと揺れる。
「いやでも――」
「でもじゃない! 君、無茶し過ぎなんだよ!」
「花木……」
花木と玲実香の顔は険しかった。本気で心配をして、そして風見の悠長な態度に怒っているようにも見えた。
二人の剣幕に観念した風見は、力を振り絞って右手を伸ばし、その白い命綱をしっかりと掴んだ。
「よし、引き上げるよ!」
花木は歯を食いしばる。力を込めるあまり顔面が紅潮している。
風見は自身の異能を使うことも忘れ、促されるまま橋の上へと戻ろうとする。
「う――うあ」
花木がうめき声を上げる。スカーフが手から滑るのだ。
「ま、まずい――」
じわ、じわっと滑っていく。それに気づいた空良と実花穂が、左右から支えようとするが間に合わない。
落ちる――と風見が思ったとき、スカーフは花木の手から完全に滑落した。ふっと体が宙に投げ出される。
その瞬間の風見にとっては、待ち受けているであろう川の冷たさよりも、花木の悲痛な顔のほうが辛かった。
何をやっているんだ僕は……呆然とする風見の目に、黒い影が這い寄るのが見えた。
突き出された花木の手、その五指が形を変え、それぞれが一本の黒い手に変わる。落下するスピードより速く風見の手に追いつき、ざわざわと体中を這いまわる。
「っな! これって――」
更衣室で味わった恐怖が風見の脳裏に蘇る。落下しながら風見は周囲が暗闇に包まれていくのを感じた。花木の叫ぶ声が遠くで響いた。
■ ■ ■
「こ、ここは……」
気づくと風見の視界には石膏ボードの天井が映っていた。背中には固い感触。窓から差す西日が眩しい。
体を起こすと、すぐ近くに実花穂と空良が床の上で横たわっていた。二人は小さいうめき声を上げながら目を覚ます。
「あれ……風見先輩?」
「どこなのよ、ここ……」
三人揃って辺りを見回す。部屋の中には三人しかいない。
長いベンチが二台置かれてあり、壁際にはロッカーが並んでいる。その内の一つが開け放たれていて、中には何も入っていない。どうやらここは例の女子更衣室のようだった。
「ちょっと風見……あんた川に落ちて……」
「ん、ああ……」
夢だったのか? と訝しがったが、自分の服装を見て思い直す。左胸に『花木』という刺繍がある、青いジャージだった。実花穂の格好はブレザーだ。お互いに顔を見合わせて考えこむ。
夢でないなら……花木はどうなったのだろうか。
「ここって、『いつ』の更衣室なんでしょうか。そうだ――」
空良は窓に歩み寄って外の景色を見やる。風見と実花穂もそれに倣う。
――窓の外にはソフト部のグラウンドがあった。グラウンド沿いの歩道では、ブレザーの制服に身を包んだ生徒たちが、じゃれ合いながら下校していた。
「これは『現代に戻って来た』ってことでいいんですよね?」
「そうでしょ。訳が分かんないけど……あれ、風見、あんたが持ってるのって」
「え?」
全く意識していなかったが、右手には白いスカーフが握られていた。
「ああこれ……玲実香さんのか。……どうする平、これ」
「あたしがもらっても仕方ないしね、あんた、持ってれば」
風見はぼんやりとしたまま頷き、ポケットの中へとスカーフをねじ込んだ。
「とにかく、七不思議って何だったんでしょうか。あの黒い手、あれはオレたちを過去の嵐谷高校に連れていって、そして戻した――ってことなんでしょうか」
風見も実花穂も答えあぐねた。誰ともなくため息をついた。
「ここにいたってどうしようもないし、取りあえず出る?」
実花穂の提案に、二人とも従った。
■ ■ ■
三人が廊下に出たところで、隣の男子更衣室のドアが開き、のっそりと花木が姿を現した。
「あ、花木……先生」
風見がつぶやく。学ラン姿ではない。ダボッとしたスラックスにジャージを羽織った四十代の日本史教師、花木隆雅だ。
「おう、お前ら、こんなところで何してんだ……って、何だその格好」
風見は慌てて左胸の刺繍を隠しながら弁明する。
「あ、いや……平が男の制服着てみたいっていうから僕のを貸して……これは親戚からもらったお下がりです」
実花穂は何か言いたげに睨んできたが、事をややこしくしたくないという心理が働いたのか、口をつぐんだ。
空良が話を逸らすように、花木の疑問に答えた。
「えっと、生徒会で七不思議を調査してるんです、風見先輩にも手伝ってもらいながら。花木先生こそ、何してるんですか」
「いや更衣室が開いてたもんでな。誰かいるのかと思って確認してたんだが……そうか、お前らの仕業か。七不思議を調べるのはいいが、あんまり不審なことしてると逆に疑われちまうぞ」
「そうですね、すみません」
「はは、まあ俺に謝るようなことでもないけどな。……ん、風見、何だか元気ないな、お前にしては。どうしたんだ」
確かに風見にはいつもの勢いがなかった。目にもどこか覇気がない。
「いや、そんなことはないですけど……」
複雑な気持ちだった。状況に頭が付いていかないというのは我ながら珍しい。風見は自身の心中をどう整理したらいいか分からず、取りあえず花木に訊いてみた。
「あの、花木先生って高校の頃、好きな相手とかいましたか」
「何だ藪から棒に。まあ……いたけどな」
「告白は――出来ましたか?」
恐る恐る花木の表情を窺う。
「いやあ、それがな。結局、告白できないまま卒業しちゃってな。うーん、苦い思い出だよ」
「そう、なんですか」
風見は肩を落とす。今度は、実花穂が花木に訊ねた。
「先生、その頃のことって覚えてますか」
花木は苦笑いを浮かべる。
「覚えていることもあれば、覚えてないこともあるな。時間が経ったからっていうのもあるが……実は、卒業直前に自転車で事故してな。その辺の記憶が曖昧なんだよ。色々あった気もするんだがな」
「え……危なかったんですか、その、学校に行けないくらいの怪我をしたとか」
「いや、かすり傷だったよ。ただ記憶だけが、霞が掛かったみたいにボンヤリしててな。意中の相手もその事故現場にいたらしいんだが、どうにも詳細が分からなくて……いやあ、不思議な気分だったよ」
実花穂は、そうですか、とだけ相槌を打つ。
「何だ何だお前ら、俺に興味津々か? はっは、とうとう俺の時代がやってきたかな」
三人は、おどけて笑う花木を眺めるしかなかった。
「そうだ、更衣室といえばこんな話を知ってるか。俺が昔、聞いた話なんだけどな」
花木はイタズラっぽい笑みを浮かべて話し出した。
「とある男子生徒がな、着替えようとしてロッカーを開けたら、不思議なものが入っていたらしいんだ」
「なんですか、それって」
空良が合いの手を打つ。
「ああ、制服だったんだ。しかも女子のだ。当時はまだセーラー服だった。男子更衣室にそんな物があるはずもなく、一気に顔が青ざめたらしい……冷静に考えれば、誰かが着替えて置いていった物だったんだろう。だがその男子生徒は咄嗟に『自分が盗んだと疑われるんじゃないか』なんて考えたらしくてな」
風見には心当たりがあった。確か花木のジャージに着替えるとき、セーラー服はロッカーに置き去りにしていたはずだ。タグに『レミカ』と書かれたセーラー服を。
「周りにはクラスメイトが一杯だったからな。誰かに気づかれる前に隠さないといけないという強迫観念に駆られたんだ。馬鹿なやつだよな、更衣室のロッカーは共用なんだ。疑われたとしたって、いくらでも反論できただろうに。……心のどこかで、自分に関係のある物だと思ったのかもしれない」
なぜか楽しそうに花木は笑う。
「とにかくそいつは隠そうとした。バッグにしまうにしても、途中で気づかれるだろう。ではどこに? どこなら不自然ではないか……そうだ、女子更衣室だ、と思いついたらしい。壁を一枚隔てた向こう側だ……普通、そんなことは考えない。しかし、幸か不幸か、その生徒はな――」
花木は少し間を空けて言った。
「――なんと超能力者だったんだ」
三人はポカンと口を開いて聞き入っている。
「おいおい、ここは突っ込むところだぞ。『なんだそりゃ』ってな。ノリが悪いなお前ら――まあいいか。えっとなんだっけ。そうそう、そいつは薄い壁くらいなら透視できたし、何よりも、物体を離れた場所にテレポーテーションさせる力があったんだ」
大真面目な顔で花木は話す。
「テレポーテーションというか、押し出したり引っ張ったりっていう感じかな」
そういう噂だった――と花木は付け足した。
「その力を使って、隣の女子更衣室にセーラー服をテレポーテーションさせたっていうんだから驚きだよ。成功したと思った……しかし、後でクラスの女子に何となく探りを入れてみても、どうやらそんな騒ぎはなかったらしい。ロッカーにセーラー服があった、なんて騒ぎはな。結局、その超能力者の男は、慌て過ぎてテレポーテーションに失敗した……って事だったんだろう」
そこまで言って花木は三人の顔を順々に覗きこむ。
「どうだ? 七不思議の調査に役立ちそうか?」
「……は、はあ」
風見は気のない返事を返す。
七不思議の正体が超能力?
しかもそれが花木のせいだと言うのだろうか。彼の能力の残りカスが今もあそこにあって、タイムスリップまで引き起こしたのだろうか。そんなことがあるのか?
「それって、花木先生の話なんですか?」
「違う違う。聞いた話だって言ったろ」
花木の笑みからは本心が窺えない。
「そうそう、その男子生徒が超能力を使えたのは高校の間だけだとも言ってたっけな。卒業と同時に、パッタリとその不思議な力は消えてしまったらしい。彼は青春の終わりとともに、超能力からも卒業してしまった。……そういうことらしいんだよな」
花木は話しながら、廊下の窓から秋空を見上げていた。ゆっくりと風見に向き直ると、静かに言った。
「『バラ色じゃなけりゃ思い出じゃない』――」
風見はぎくりと身を固くした。
「これはな、当時俺の友達から聞いた言葉なんだ。誰だったかは……忘れたがな」
花木は懐かしむような目をした。
「確かに俺の高校生活は――そりゃあ苦い思い出もあったけどな。……でもあのころはバラ色だったと思うぞ。辛かった事とか、上手くいかなくて悔しかった事。そんな出来事も、時間が経って振り返るとやっぱり『バラ色』なんだよ。――真っ只中にいるお前たちには、まだ実感はないだろうけどな……ま、それでいいんだ」
腕を組んで笑う。説教臭さは微塵も感じなかった。どこか、友人に対して話すような気取らない口調だった。
「だからな、お前らもやりたいと思った事は今のうちにやっとけ。大人になったら出来ん事もある。大人からはくだらないって言われるような事でもな。俺は応援するぞ。……そういう事がしたくて、俺は教師になったんだ。お前らみたいな楽しい生徒と一緒にもう一度、高校生活を満喫してやろうって思ってな」
冗談めかして快活に笑った。その笑顔を見て風見は、自分の心が揺れ動くのを感じた。ただ、その感情をどう表現すればいいのか分からなかったので、代わりにポケットにしまっていたスカーフをぎゅっと握った。
「おっと、そろそろ職員室に戻らんとな。そうだ平、下校のときにはせめて着替えろよ」
複雑な表情を浮かべて頷く実花穂を見て、花木は笑いながら踵を返した。しかし、
「あ、言い忘れた」
二、三歩して立ち止まり、顔だけ振り返って風見を見た。
「無茶をするのはいいけどな――危ない真似はほどほどにしとけよ」
ニヤリと笑い、スリッパをぺたぺた鳴らしながら職員室へと歩いていった。
その背中を見送る風見の横顔に、実花穂の拳が触れる。勢いは全くなく、ただ触れただけだ。
「あんた、花木が告白出来なかったことに責任感じてんの? 珍しいじゃん」
「んなことねぇよ……」
視線を合わせずに風見は返した。
「どっちでもいいけどさ」
実花穂は拳を下ろすと風見を労った。
「帰るよ。色々あったし。疲れたんでしょ、あんたも」
「そうだな、そうすっか」
風見はそれを素直に聞き入れた。空良は努めて明るい声で提案する。
「平先輩、うちの姉さんが替えの制服持ってるかもしれませんから、借りれるか聞いてみましょうか」
「まじ? 助かるわ。結局あたしの制服見つかんないままだし。今日は体操服で帰るしかなさそうね。オッケーだったら帰りに寄ってもいい?」
「ええ、もちろんです」
二人のやり取りを聞きながら、風見は花木が見ていた空を見上げた。真っ赤に染まった雲がゆっくりと流れていた。
■ ■ ■
「風見くん。どうしたの、食欲ないの?」
翌日の昼休み。四人で昼食を食べていると斜向かいに座る蕨野が、風見を気遣うように言った。そんなことはない、と風見は軽く首を振った。
「風見でも体壊すことがあるのね、意外。ぼやぼやしてると雪絵に全部食べられちゃうわよ」
美山がおどけて茶化すと、蕨野はにっこり笑ってお返しをする。
「風見くんの元気がないと、ひなちゃんまで元気なくなっちゃうんだからね。寂しい、寂しい――って泣いちゃうかも」
美山はそんな軽口にも律儀に反応する。
「な、なによそれ、なんで私が寂しがるのよ!」
「……真実…………」
穂々乃木がボソリとこぼす。どこか上の空の風見を除けば、いつもの昼休みの風景だった。
そんな四人の机に、別のクラスの生徒が歩みよって来た。その女子生徒は風見の横で止まり、グーで風見の肩を小突いた。
「なんだよ平、何か――」
風見の言葉を遮って、実花穂は素っ気なく言った。
「ねえ風見、付き合って」
「え、えええ?」
ガタンと椅子を鳴らしたのは美山だった。風見はそれには気にも留めず、実花穂を見上げて怪訝な表情を浮かべる。
「ああ、違うって。放課後付き合ってって意味」
実花穂がそう言うと、美山は軽く咳払いをして居住まいを正す。隣で蕨野がニコニコと笑っている。
「放課後? 何だよ、また調査か」
「いや、今日は生徒会の定例会議だから。あんたにも来て欲しいのよ」
「何のために」
「そりゃ経過報告よ、七不思議のね。報告はあたしがするから、あんたは後ろで聞いてて。何かあれば意見を言ってくれればいいから」
「面倒くせえな……」
「つべこべ言うな」
実花穂が拳を強く握りしめたのを一瞥して、風見はため息を漏らす。
「わーった、わーったよ。行くっての。暴力反対」
「初めっからそう言いなよ。――じゃあ、すっぽかしたらボコボコにすっからね」
教室を出て行く実花穂を見ながら、風見はもう一度嘆息した。
■ ■ ■
「……なるほど、では『女子更衣室の悪魔』は未解決ということだな」
会長の那名崎は、実花穂の報告を聞いてそう総括した。生徒会室には役員の面々が揃っており、コの字型に長机を並べて座っている。
風見は、実花穂の後ろに設けられた、椅子だけの席で会議の様子を眺めている。
実花穂の報告を聞き、斜め向かいに座る土岐司が口を開いた。
「風見くんからは何かないのかな。さっきからずっと黙っているが。オブザーバーとはいえ、七不思議の解析は君に任されている。何か意見はないか」
「……別にないよ。平の言った通りだ」
ふん、と土岐司は鼻を鳴らす。
ちなみに実花穂は、タイムスリップや超能力のことは伏せて、ただ制服が入れ替わったことのみを報告していた。
「ではこの案件については、継続調査ということでしょうか?」
副会長の神宮院が那名崎を窺う。
「うむ……だが発生の頻度から考えると、そうそうチャンスはないだろう。昨日制服のすり替えが起こったというのならしばらくは何もないはずだ。残念ながら中断ということになるだろうな。この件に関しては」
那名崎の言葉に異論を挟む者はいなかった。
「風見君には引き続き苦労を強いるが、次の案件に取り掛かってくれたまえ」
「……そうっすね、分かりました」
風見は低い声で応える。
「それでは、本日の会議は以上としよう。あとは連絡事項を――」
那名崎がそう打ち切ったところで、実花穂が手を挙げた。
「すみません会長、ひとつ、臨時協議に掛けたいことがあるんですけれど」
「ミカちゃん珍しい……」
実花穂の向かいで、国府村が小さくこぼす。普段、積極的に発言をしない実花穂の行動に驚いているようだ。
「平くん、そういうことは予め僕を通してもらわないと困る」
土岐司が迷惑そうな顔をするが、那名崎がそれを制する。
「構わない。平書記、言ってみたまえ」
実花穂は立ち上がり、やや緊張したような声で説明を始めた。
「まだ半年ほどありますが、卒業式での生徒会イベントについてです」
その場の全員が不思議そうな顔を実花穂に向ける。那名崎でさえ意表を突かれたような表情を浮かべたが、実花穂の提案を促すように言う。
「実際の運営は次の生徒会に引き継ぐことにはなるだろうが……準備は早いほどいいだろう。どのようなことかな」
「はい。卒業生を対象にした『告白イベント』です」
実花穂は至極真面目な顔で言う。
「告白と言っても多種多様だが――いわゆる恋愛の告白のことかな」
「ええ、そうです」
恋愛トークとは縁遠い、実花穂の性格からは考えられない提案だ。にわかに役員がざわつく。風見も、あまりに意外な展開に目を白黒させた。
「告白する勇気が出せずに片思いのまま卒業してしまう――そんな生徒もいると思うんです。なので、その場を生徒会で作りたいんです。卒業式後の体育館に有志を集めて、生徒会が相手方を呼び出す。……上手く行った場合、ネクタイとリボンの交換……という形にしてはどうかと」
土岐司が大きくため息をつく。
「平くん、そんな浮ついたイベントを生徒会が? 冗談だろう。そんなものは生徒個々人の勝手だ。生徒会行事にしては、いささか品位に欠ける。僕は反対だ」
そう切って捨てた。
今度は神宮院が、少し躊躇いながらも土岐司に同調する。
「私も――そこまでする必要はないように思いますわ」
実花穂は反対されることを想定していたのだろう、動揺はしていないようだった。しかしそれでも身を硬くした。
一方、末席の空良は、実花穂の意図をくみ取り、珍しく副会長二人に抵抗の意志を見せた。
「オレは賛成です。せっかくの高校生活なんです。先輩方には悔いのないように卒業してもらいたいです」
最後の一人、国府村は態度を決めあぐねているようだったが、実花穂の顔をじっと見た後に言った。
「……私は、ミカちゃんの意見を応援します。私たち生徒会――表のない黒幕の存在感を示すチャンスだとも思いますし……」
那名崎は黙って皆の意見を聞いていた。賛成が多数ではあるが、提案者である実花穂を除けば同数。しかも反対している二名は副会長だ。生徒会は単純な多数決の方法を採らない。全員の立場や意見を考慮して、会長である那名崎が裁決を下すことが通例になっている。
黙考の後、那名崎は実花穂を見た。
「平書記の提案は、上手くいくとは私には思えない」
「でも――」
反論しようとする実花穂を、那名崎は目で制す。
「聞きたまえ。何も反対というわけではない。むしろ賛成だ。卒業生への餞として、なかなか面白い趣向だと思う」
土岐司が驚いたように那名崎を見る。
「しかし、そのやり方は土岐司副会長の言うように、品位に欠ける面は否めない。そうだな……折角同席してもらっているんだ。風見君はどう思うかね、一般生徒の代表として」
突然水を向けられて、風見はぎょっとする。役員たちの視線を集めて一瞬躊躇したが、
「そうっすね……。他の生徒が見てる前で告白っていうのは、勇気が出ない生徒もいると思います」
役員――特に実花穂や空良は、驚いたように目を見張っていた。
柄にもないことを言っている自覚はあった。普段の風見ならむしろ、「全校生徒の前で告白するべきだ!」くらいは提案しかねない。しかし彼の頭の中には、若かりし日の花木の顔が浮かんでいた。
「だから、呼び出したい相手に手紙を書かせて、生徒会がひっそりと引き合わせるってのはどうっすかね……地味ですけど」
「ふむ、よい折衷案ではないだろうか。詳細は今後詰めるとして、どうかな、実施の方向で進めたいと思うのだが。異論はあるだろうか」
那名崎が役員の顔を見渡す。土岐司は納得いっていないような顔をしていたが、特に反論は出なかった。
「ではこれをもって裁決としよう。平書記、提案者としてこの件は、君を中心に準備を進めてもらうがいいかな」
「はい、もちろんです」
「あ、オレも手伝います」
挙手をする空良に、那名崎は頷く。そして教室の隅へと視線を移した。臨時顧問の天川が腕を組んで壁にもたれかかり、会議を俯瞰していた。
「天川顧問、よろしいでしょうか」
「ああ、構わん。進めろ」
彼にどれほどの権限があるのか実際よく分からなかったが、銀髪の顧問は大仰に肯定した。
「――ふぅ」
実花穂が着席して安堵のため息を漏らした。
その背中を見ながら風見は頭を掻いた。もし次期会長になれたなら、この行事の主催者は風見だ。役員をイエスマンで揃える気でいたが、こうなったら実花穂もメンバーに入れたほうがいいだろうな――と考えていた。
実花穂の提案が終わり、神宮院がいくつか連絡事項を伝えていたが、特に関係のない風見はぼんやりと聞き流していた。
すると、実花穂が他の役員からは見えないようにして、左手を後ろに回した。風見に向かってピースサイン。風見に透視能力はなかったが、それでも彼女が、周りに気づかれないように笑っているだろうことは分かった。
思えば彼女とのチームプレイは初めてだったかもしれない。それも即興で。風見は、小さく笑って頭を掻いた。
■ ■ ■
なお、これは後日談であるが、長年に渡って嵐谷高校を騒がせた『女子更衣室の悪魔』の被害が出ることは、二度となかった。しかし最後に一度だけ――これは被害ではなかったが――悪魔は現れた。
それは風見たちが卒業する間近のこと。
更衣室で実花穂が着替えていると、例のロッカーから黒い手が音もなく現れ――あの日に奪っていった実花穂の制服をそっとハンガーに掛けて、静かに消え去った。気づいたのは彼女だけ。少しだけ驚いて、そして苦笑いを浮かべた。
結局、あの時の行動が『犯人』を鎮めたのかどうかは分からなかったし、花木の話が本当だったのかは、とうとう卒業までに確かめることは出来なかった。
制服のことを風見に報告すると、
「随分と時間にルーズな悪魔だな」
と、呆れたように笑った。
その笑顔を見て実花穂は、七不思議を追い回した日のことを鮮明に思い出した。
馬鹿な同級生、忠犬みたいな後輩、おかしな教師、あり得ない出来事。
怒ったり、呆れたり、ハラハラしたり、笑ったりしたこと――
そして、風見に聞こえないように小声で呟いた。
「そうだね、確かにバラ色だったかも」
それがこの七不思議の終わり。それは、誰かの青春の終わりを告げるようでもあった。
(第28話 風使いと「スカーフ」(10)【七不思議編】終わり)
(「スカーフ」編 了)
〈あとがき〉
気づけば10話にも渡った「スカーフ」編、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ミステリー的な謎解きを期待された方には申し訳ありませんが、この七不思議は『未解決』のまま終わりました。そして最終話ではしおらしくなっちゃった風見。代わりに花木や実花穂が頑張ってくれたかなとは思いますが……いかがでしたでしょうか。
ではでは、次回はコメディ全開の日常回になる予定ですので、またお付き合いいただけると幸いです。




