第22話 風使いと「スカーフ」(4)【七不思議編】
「な、なんであたしの名前知ってんのよ?」
実花穂は目の前の学ラン姿の男子に戸惑いの声を上げる。
しかし混乱しているのは相手も同じで、
「た、平さんがなんで男子トイレに……それにその姿……」
言われて実花穂は、自身のブレザー姿を恥じる。
「こ、これは仕方ないじゃん。ちょっと理由があって……」
「理由って……」
そこに、トイレに近づく気配が外からあった。
「――! 平さん、こっちだ!」
「え? わ、ちょっと!」
男子生徒――若かりし日の花木は実花穂の手を取るとトイレの個室へと駆け込んだ。
風見は初め実花穂を追おうとしたが、花木の気配に気づき個室の中へと逆戻りしていたので、つまり奥から空良、真ん中に風見、手前に実花穂と花木が潜んでいることになる。
三つしか個室のないこのトイレは――ただいま満室である。
(あ、アンタ……人を連れ込んでどうしようってのよ……!)
声を抑えながら実花穂は言う。最悪の場合は大声を出すなり隣の風見たちに助けを求めるなりしなければならないと考えたが、今はむしろ他の大勢に見つかるほうを気にしていた。
(いやだって……まずいでしょう、そんな姿で男子便所に居るのを見られたら)
(う……そうなんだけどさ……でもアンタなんであたしを知ってんのよ!)
実花穂の言葉に花木はショックを受けたように俯き、しばし沈黙が流れる。
ちょうどトイレに数人の男子生徒が入ってきたところだったので、実花穂も黙った。彼らがトイレから出たのを確認して花木は、
(……平さん……俺は、俺は……!)
(…………っ!)
鼻息の荒くなってきた花木に、そろそろ鉄拳を振るうべきかと実花穂が身を固くしたところで、個室のドアがバキバキッ! という音とともに真っ二つになり、西部劇で見るスイングドアのような形状に様変わりした。
「「う、うええっ――?」」
実花穂と花木の驚嘆が被った瞬間、そこにはセーラー服姿の変態……が立っていた。
「おいお前、何してんだ? さっさとその小汚い手を離せよ。両断されたいか?」
風見は花木を睨んでそう凄む。
殺気――というより、冷気を含んだ風が彼から湧き出ていた。
「き、君こそなんだ! へ、変態か」
変態には違いなかった。が、今は怒れる変態である。
「平からその手を、離せっての――!」
『何か』を振りかぶる風見の前に実花穂が立ちふさがる。
「タンマ! 何する気か知らないけど、取り敢えずさっさとここ出んのよ。それが先でしょ? 騒ぎを大きくしてどうすんのさ」
「……んん。……分かったよ」
風見は渋々と矛を下ろしたが、
「んじゃ、そいつ人質にしよう」
そう言って怯えたままの花木の襟首を掴んで連行する。
「せ、先輩? どこ行くんですか」
風見がトイレから出ると、後ろから空良が追いかけてくる。実花穂も遅れて付いてきている。
「屋上」
「屋上? なんでそんな……」
「ちょっと確かめたいことがあってな」
何故か花木を引き摺るだけの腕力を見せ、ずんずんと進む風見に、従うしかない空良たちだった。
■ ■ ■
階段の近くだったこともあり、幸いひと目を避けながら屋上にたどり着くことが出来た。しかしこの頃には空良も、現状に大きな違和感を抱き始めていた。
違和感という曖昧なものだけではなく、例えば引き摺られ涙目の男子生徒や、否応なく瞼の裏に焼き付いた更衣室での光景……様々なものが引っかかる。
そして屋上で、風見は違和感の正体を暴いた。
「うーん、やっぱな。ほら、あっち見てみろって」
風見に言われて空良はフェンスの向こう側を見渡す。
「え? あれ? 何か……違う」
この方角には確か――ソフトボール部のグラウンドがあったはず、と、空良は方角や周囲の町並みを確認しながら気づく。グラウンドがあるはずの場所には、二階建ての古い建物が立っている。グラウンドだけでなく、町並みにも違和感がある。あっちに見えるマンションはやたらと外壁が綺麗だし、それにあんな本屋、あっただろうか……。
「こりゃあれだな、タイムスリップだな」
「は、はい? んな馬鹿な……」
「今って何年?」
と、風見はフェンス際で小さくなって座っている花木少年に声を掛けた。
「……一九九〇年だけど、何だよそれが」
「ちょっと、嘘つくんじゃねえって!」
実花穂が素っ頓狂な声を上げて花木の胸ぐらを掴む。。
激昂――と言ってもいいくらいの剣幕だった。
「な、何だよ……君たちこそ何を言ってるんださっきから……。格好だって、変だし」
「う…………」
外見を突っ込まれると実花穂は何も言えなくなる。
ダボダボなブレザー姿では、迫力も説得力もないのだ。
そんな二人を横目に、風見は続ける。
「ソフトボール部のグラウンドって割と最近出来たらしくてさ――つっても十年くらい前らしいけど。んで、制服が学ラン・セーラー服から今のブレザーに変わったのが二十年程前だろ」
「何でそんな詳しいんすか……?」
「ソフト部の話は先輩から聞いてさ。制服は当然、入学前に調べるだろ」
制服フェチとしてはさ、と風見は言う。
「……はあ、いやでもあまりに突飛すぎませんか? タイムスリップなんて……」
「だから七不思議なんだろ?」
「いやそんな簡単に割り切れませんて」
頭を抱える空良だが、実花穂と比べればまだ現状に対する適応力はありそうだった。これも――ほんの僅かではあるが――風見と過ごした期間の違いなのかもしれない。細かいことを気にしていては、風見のバディは務まらないのだ。
「なあ」と花木が口を開き、「――俺はもう行っていいかな……その、平さん」
「はあ? 何であたしに訊くわけよ……」
「だって……」
花木は泣きそうな顔になる。
「つーかさっきから平さん平さんって……あたしアンタのことなんか知らないっつってんのに……」
「そこまで……クラスメイトだっていうのに、席が隣になったこともあるのに、覚えてすらもらえてないのかい!?」
花木が声を荒げる。
「く、クラスメイトって……一緒になったことなんかないじゃん」
「そんな! 花木だよ、花木隆雅!」
「は、花木? そんなのクラスに……」
「君は平さんだろ? 平玲実香さんだろ?」
「ち、違うし! あたしは平実花穂だ」
「え?」
ん? 玲実香? と実花穂は訝しがる。風見が誰にともなしに語りかける。
「確か日本史の花木先生って嵐谷高校出身だったよな。当時は学ランで」
「そ、それって――そういうことなんですか?!」
「推測だけど、でも名前も時期も一致はするんだよなぁ」
風見たちの会話を耳に、実花穂はもう一度花木を見る。
確かに面影がある。愛嬌のある二重の垂れ目、天然パーマ、野暮ったい輪郭は――現代の花木よりは若干シャープだが、似ていると言っていいだろう。
いや、風見の推測のとおりなら似ているどころではなく――同一なのだから。
「ま、まじかよ……」
「な、何を驚いてるんだ、君たちは……」
「…………」
実花穂はしばらく愕然として、そして、
「玲実香はあたしの母さんだよ」
と、重々しく口を開いた。




