第21話 風使いと「スカーフ」(3)【七不思議編】
更衣室トリオは、放課後も同じ場所に集った。
「ほんと……最悪……帰りて……」
と、セーラー服姿の実花穂は生気のない顔でため息をつく。
このままだと明日着る制服もない状態だ。学校を休むしかないかも……と実花穂は思ったが、しかしそれでは根本的な解決にならない。
仕方なく、放課後も実花穂は更衣室へと足を向けたのだった。
「どんまい!」と風見。
「こんの…………」ノーテンキな風見の首を、実花穂は淡々と締める。
「んぎぎぎぎぎぎ…………」
そんなやりとりをよそ目に、空良は例のロッカーをもう一度検分してみる。
やはり変わったところはない。
どうしたものだろう――と思案するが、
「あ……」ふと思いついて「あの平先輩――」
振り返ると、完全に血の気の引いた風見と、無表情でその首を締め続ける実花穂の姿があった。
――あれ?
――さすがに死んじゃわないか?
「す、ストップ! 平先輩、ストップ!」
慌てて止めに入る。
危うく七不思議が増えるところだった。
セーラー服の絞殺魔。
いや、七不思議っていうか普通に事件だけども。
「――せ、先輩。もう一回試してみましょうよ」
空良の提案に、しかし実花穂は怪訝な表情を見せる。
「また脱げっての? これも無くなったらあたしどーすんのよ?」
「そうなんですけど……それだけじゃなくって。人も入ってみたらどうかなって」
「人? ……あ、あたしは嫌よ?」
後ずさりする実花穂。
「いやいや、ほら……その人を詰め込みましょう」
空良は、意識不明の風見を指さして真顔でそう言った。
■ ■ ■
ややあって。
「な、なんじゃこりゃあああ――!」絶叫する風見。
「何であたしもこんな……」学習しない実花穂。
「あはは、まあ……いいじゃないっすか」そんな二人を、温かい笑顔で見守る空良。
説明しよう!
まず、気絶した風見の制服を脱がせ、実花穂がその男子用ブレザーに着替えた。
次に、まだ目を覚まさない風見にセーラー服を着せた。
以上!
「あ、あたし……体操服で良かったぽくね?」
「あはは……」
空良は途中で気づいていたが――まあ、彼にも悪戯心が芽生えることが、たまにはある。
ともかく。
「ぼ、僕は……僕は変態か? 変態になっちまったのか?」
わなわなと震える風見。何だか本気でショックを受けてるっぽい。
「何よ、アンタは今更じゃん」
「違う! こ、これは……違う!」
うわあ――と床を転がりながら悶える風見。
スカート姿でわめく風見を見ながら、空良は一矢報いた気分になる。
たまにはこんなのもいいだろう――と思う。
空良は優しく微笑んで、
「どんまいですよ、風見先輩」
「く、くそぅ……うう」
男泣きする風見。
「さあ、時間がもったいないですから、入ってください、風見先輩」
「入る……どこに…………」
風見の思考能力は通常の六割引のようだ。
「ですから、ロッカーに」
「え? 僕が?」
「ええ。今、女子の制服それしかありませんから」
空良に言われて、風見は更衣室を見回す。
見回したところで、元々三人しか居ないし、セーラー服しかない。
そのセーラー服は今――風見が着ているのだ。
「うわあああ!」
またも叫ぶ風見だった。
彼の、変態、変態じゃないのラインがよく分からなかったが、実花穂は、
「…………ねえ天馬。何だろう。いや、こんな姿で言うもの本当になんだけどさ」
「はい。平先輩」
「勝ったわね」
「勝ちましたね」
生徒会役員の二人は、がっしと固い握手を交わす。向き直って、
「さて。本当に時間の無駄ですから、放り込みましょう」
「そうね」
「い、いやだぁああぁ! 着替えるぅううう!」
二人がかりで、泣き叫ぶ風見をロッカーへと押し込めた。
「変なヤツが出たらすぐに報告しなよ。つーかドア開けて。中から」
と、風見に含ませて、しばらく待つことにした。
初めこそしくしくと風見の泣き声が漏れてきて、それはそれで七不思議っぽかったが、すぐに静かになった。
「しかし、超能力にしろ手品にしろ、目的が分かりませんよね」
「目的?」
動機です、と空良。
実花穂は眉をひそめて、
「んなの、制服ドロボーに決まってんじゃん。変態っしょ、変態」
「いや、泥棒なら持っていくだけでいいじゃないですか。他人の制服が残されてる必要なくないですか?」
「そりゃま……そうだけどさ。変態の考えることなんて、アイツに分かんなきゃ、あたしに分かるわけないでしょ」
と、実花穂は、風見inロッカーを顎で示して言う。
「罪悪感でもあるんですかねぇ。せめて着るものは残してあげようみたいな」
「何の救いにもなんないっての、んなの」
確かに、紆余曲折で男子のブレザーに身を包むことになった実花穂にとっては、そうなのだろう。
「……でもそれも似合いますね、平先輩」
「はっ倒すよ?」
「す、すみません……」
実花穂から放たれる殺気を感じ取り、空良は肩を竦めて小さくなる。
冷静になった実花穂は、一人でからかえる相手ではないと改めて悟った。
そう考えると、風見先輩は勇敢なような、無謀なような――
「はぁ……。しっかし、笑いものになるわ、風見の制服を着るわ……散々じゃん、今日のあたし」
と、実花穂がもう一度大きなため息をついたとき、ロッカーが激しく揺れ、風見の声がした。
「――へ、ヘルプ! やばい、これマジでやばいって!」
切迫した風見の声。
空良は実花穂と目を合わせ、慌ててロッカーの扉に手を伸ばす。
なおも揺れるロッカーを開けると、そこには風見と――
黒い手。
影のように黒い手が、何本も。何本も。
風見の体の、あちこちを這い回っている。
影絵のような手。
厚みのない、真っ黒な手のシルエット。
指の長い、悪魔のような手が。
するすると。
うねうねと。
「た、助け……」
風見の顔は恐怖に歪む。
その顔も悪魔の手は侵していく。
ロッカーの奥――真っ暗な闇の中へと引きずり込もうとする。
「え? な――!」
驚きのあまり閉口する空良。
「そ、空良――」
風見が必死に手を伸ばす。
「先輩!!」
空良も風見の手を取る。
が。
闇から伸びる黒い手は、腕を伝って空良の体にも這う。
するすると伸びてくる。
「う、ひ――」
皮膚を這い回る黒い手に怯みながらも、それでも風見の手を離さない空良は、やはりロッカーの中へと飲み込まれていく。足を踏ん張っても、それ以上の力で引き込まれる。
実花穂は反射的に空良の腰へと腕を回し、抱きすくめる。
「こ、こんなの――」
手は伸びる。
たくさんの手。
――痛くはない。
けれども。
抗えない力強さで、実花穂の腕を、首を、顔を捉える。
そして引く。
あの闇へと。
――暗い。
ただ黒い。
ずるっ、ずるっと、実花穂の体も引きずられる。
「あ……あ……」
実花穂の目には、闇に溶け込んでいく風見が見え、次に空良の手が、顔が、胸が消えていく。
なくなって――いく。
そして――
実花穂は、先の見えない闇の中へと沈んでいった。
夕陽に照らされ朱に染まった更衣室で、ロッカーの扉だけが、きいきいと音を立てた。
■ ■ ■
闇から抜け出て。
実花穂の眼に最初に映ったのは、四肢を引き裂かれた風見の躯と、その傍らで嗤う漆黒の悪魔……ではなかった。
更衣室の風景だった。
しかし彼女たちは、壁を通り抜け、隣の男子更衣室に飛び込んだのではない。
女子更衣室だ。
――なぜ言い切れるのか。
それは。
だって。
なぜなら。
「「き、きゃあああーーーー!」」
女子生徒たちのあられもない姿があったからだ。
体育の授業のために――その前後は分からないが――着替えていたのだろう。実花穂たちの視界の中で、色とりどりの下着たちが悲鳴を上げている。
さもありなん。
ロッカーから急に、三人の男子生徒が現れたのだから。実際には、ごく普通の男子が一人、セーラー服姿の男子が一人、男物のブレザーに身を包んだ女子が一人……なのだが。
「え、え? 何よこれ?」
実花穂の混乱も当然だ。
女子更衣室に戻ったのは――まあいい。
しかし、今は放課後のはずだ。
部活生は部室で着替えるし、こんな大勢の女子が更衣室を使うはずがない。
窓からも、夕陽ではなく昼間の太陽が差し込んでいる。
ロッカーで一夜を過ごしてしまったんだろうか?
…… ……あの風見と!?
そんな想像が実花穂の混乱に拍車をかけた。
もっとも、戸惑うのは他の二人も同じだった。
空良は顔を真っ赤にして固まっている。
一緒に住んでいれば姉の下着姿を見ることも、なくはないが、それとこれとは話が別だ。
さすがに漫画のように鼻血を出すようなことはないが――。
だが、そんな空良の視界の隅で風見は、
「ぶ! ぶーーーーーー!」
と、漫画のように鼻血を盛大に吹き出していた。
漫画かよ。
空良はそう胸の中で突っ込むので精一杯だった。
気の利いた突っ込みなんて、今は浮かばなかった。
実花穂は輪をかけてそれどころではなく、
「え、いやこの……これは違うって……それにあたし……」
女だし、と言おうとした実花穂の顔面に、女子生徒が投げた上履きが直撃する。
よろめく実花穂。
「オ、オレたちは生徒会で――――」
弁解しようとする空良。
しかし、彼の近くに居た女子生徒はセーラー服で胸元を隠しながら、彼の股間を蹴り上げた。
「んぐっ――――!」
ヒット。
つーか、ツーランホームラン。
カッキーン。
女子には分からぬこの辛さ。
――ご愁傷様。
空良は膝を付いた。
「ちょ、ほんとに、ちが……」
空良は口をパクパクさせる。
と、彼の視界一杯に、セーラー服の後ろ姿が広がった。
風見だ。
鼻血はもう止まっている。
「悪いな。――恨むなよっ!」
部屋中に行き渡る声でそう言って、右の掌を天井に向けて突き上げた。
「喰らいなっ! 『天衝く風』!」
風見が叫ぶと同時に、室内に猛烈な上昇気流が生じた。
「えっ? きゃあああ!」
女子生徒たちの衣服が宙を舞う。
竜巻の中にいるような暴風。
「な、なに――?」
激しく吹き付ける風に目を閉じそうになる実花穂の手を、風見が引く。
「今のうちだ、出るぞ! 空良も!」
「ええっ?」「は、はいっ――!」
風見を先頭に、右往左往する女子生徒たちの間を縫って、更衣室を飛び出した。
「とりあえず――トイレに逃げるぞ!」
風見は実花穂の手を引いたまま男子トイレの個室へと駆け込む。
空良もそれに続き、隣の個室に入って鍵を掛ける。
実花穂は肩で息をしながら、
「な、なんでこんな事になってるわけ? 確か――ロッカーに……あの黒い手は何よ!?」
「――しっ!」
騒ぎ立てる実花穂の口を、風見の手が塞ぐ。
トイレの外からは、誰かが歩く気配と、話す声がする。
(ん、んぐ――)
実花穂は風見を突き放そうとするが、彼の力のほうが強かった。
(こ、こいつ――――)
実花穂のすぐ目と鼻の先に、トイレの外へと耳をそばだてる風見の横顔がある。
見たことのない真剣な顔だった。
口に当てられた手。
トイレの個室に二人きり。
少しだけ。
ほんの少しだけ、実花穂の胸が高鳴る。
……彼がセーラー服姿でなければ、もっうちょっと、ときめいていたかもしれない。
「……行ったみたいだな」
風見はようやく実花穂の口から手を離す。
ただでさえ息が上がっていた上に、口を塞がれた実花穂は、息を荒くして言う。
「ふ、ふざけんな。あ、アンタ何なのよ?」
「あん? 何って?」
「だから……あの突風は何よ?」
「何言ってんだよ、お前。大丈夫か?」
真顔でとぼける風見。
「は、はあ? いやだってアンタ、風を起こして……」
「どうやって?」
「い、いや…………」
二の句が継げず、実花穂は視線を逸らす。
「……っていうか、何で逃げないといけないのよ! あたしが」
「平、少し声を落とせ。見つかるぞ」
「だからあたしは女子だし……って、ここ男子トイレじゃん!」
「だから静かにって。――キスで塞ぐぞ?」
べこっ、と、至近距離で風見の頭にグーが振り下ろされる。
「ああもう。……天馬、アンタはそっちにいるのよね?」
個室の壁――合板で出来た薄い壁に顔を近づけて、隣の個室の様子を窺う。
「……はい。あの……」
しかし、気まずそうに空良は、
「き、キスするんなら……聞かなかったことにしますから……」
「だ、誰がするか!」
「僕は別にいいぜ。ファーストキスだけど。奪われてやっても」
「黙れ!」
風見のみぞおちに肘撃を叩き込む。
セーラー服の変態は静かに崩れ落ちる。
「いや、ほんとに……オレ黙ってますから……」
「死ね!」
壁を隔てた空良に対して実花穂は。
両足で地面に根を生やし、特殊な呼吸法で体内の気の流れを操作し、壁に添えた掌へと送り込む。
衝撃だけを『あちら側』へと伝える。
どすんっ!
「ぐへぇっ――!」
壁の向こうで聞き耳を立てていた空良が悶絶してうずくまった。
「ふん!」
障害を排除した実花穂は、個室のドアを開け、一歩踏み出した。
「便所便所~っと……あれ?」
そこで一人の男子生徒に遭遇した。
男子トイレだから仕方のないことではあるが。
目を見開き、身じろぎもできない実花穂は、
(――ご、ごまかせるか? 今は男子のカッコだし……)
外見だけで騙し通すことが出来なかった場合を想定して、実花穂は頭をフル回転させて言い訳を考えた。
しかし無駄だった。
それは、考えること自体が無駄だったのではなく。
そもそもの前提が間違っていたのだ。
確かに実花穂は男子のブレザー姿だ。
そして目の前の男子も同じく制服ではあるが、詰襟――学ラン姿だったからである。
それは、かつてブレザーに変更される前の嵐谷高校の制服だったなどとは、この時点では実花穂は知る由もない。
さらに――
「え? た、平さん――?」
その学ラン姿の男子生徒が、花山隆雅という名の、将来この高校で日本史の教鞭を取ることになる男だとは、彼女は知らなかった。
何よりも。
まだ実花穂が生まれていないこの時代に生きる花山が、なぜ彼女の名を呼んだのかは――まだ彼女は理解できない。
(第21話 風使いと「スカーフ」(3)【七不思議編】 終わり)




