第20話 風使いと「スカーフ」(2)【七不思議編】
「よし――平、脱げ」
しばらく突っ伏して、床のタイルたちと仲良くしていた風見だったが、起き上がって更衣室に入ってくるなり、両手を腰に当ててそう言った。
「は、はぁ?! アンタなに言ってんのよ」
当然ながらというか必然的にというか、実花穂は拒絶し、再三の一撃を加えようと身構えた。
「いやだってほら、試してみないと分かんないじゃん? 制服入れてみて、本当に出るのかどうか」
「……先輩、それはそうですけど、いきなり過ぎますって」
空良は実花穂を庇うようにそう言った。
「何だよ空良、お前だって見たいだろ?」
「…………念のため確認しますけど……、何を、ですか?」
「平のストリップ――うげへっ!」
言い終わるが早いか、実花穂の前蹴りが風見の下腹部にクリーンヒットした。風見はしばらく苦悶の悲鳴を上げていたが、やがて体勢を立てなおして、
「平――お前、いきなり暴力ってやめろよな」
「アンタこそ、いきいきセクハラすんなよな」
「ああん?」
「はああ?」
「ま、まあまあ二人とも……」
睨み合いを始めた先輩たちをなだめる空良。しかし、これが実花穂の癇に障ったようで、
「ちょっと天馬。アンタ風見の味方するわけ? 随分仲良くなったんじゃん。もうアンタらだけで勝手にやれば?」
「え、いや平先輩、そんなつもりないですから。風見先輩の味方なワケないでしょ、オレが、こんな人の!」
慌てて弁解する空良。風見本人を前に、全否定するような言葉だったが、不思議と後ろめたさは感じなかった。むしろ、「言ってやったぜ」感のほうが強かった。
「……ははぁん。そんなことを言ってもいいのかな、天馬空良くん」
「……いいんですよ。大体、オレは生徒会の仕事として組んでるだけなんですから、慣れ合うつもりなんて、まっったくありませんよ」
風見に対し、空良は努めて挑戦的な笑みを浮かべる。
確かに良い意味でも悪い意味でも常人とは違う魅力を持った先輩ではあるが、それとこれとは話が違う、と空良は思う。一緒にはされたくないと、心から思う。
「よしわかった。んじゃお前ら帰れ。あとは僕が調べる」
「……え?」
「へーえ、さっきはあたしに泣きついて来たくせに」
「そりゃ生徒会の仕事だからな。でも、役員のお前らが協力しないっつーんなら仕方ない。個人的なコネを使うしかない」
風見は腕を組み、うんうんと頷きながら何やら含みのある表情を浮かべる。
「個人的なコネ……って、何ですか」
嫌な予感しかせず、空良はそう訊いた。
「個人的に付き合いのある女子に頼む。……具体的には、天馬美津姫にお願いする」
「!」
「二人っきりの更衣室で、脱いでもらう」
「!!」
「放課後、ゆっくりと、一枚ずつ――」
「!!!」
絶句。
空良くん絶句。
「あーあ、僕としては気が進まないんだけどなぁ。こないだもちょっと迷惑かけちゃったし? 生徒会の仕事に巻き込むなんてさー」
「ね、姉さんじゃなくたって……」
「他にやってくれそうな女子いねぇんだもん(いるけど)」
「ふ、二人きりじゃなくても……」
「天馬一人じゃ危ねぇだろ? 『悪魔』が出るってのによ」
もはや空良の顔面は蒼白だった。
前回の騒動で思い知ったのは、この男はやるときはやる男だということ。
「でもなー。今ここで平が脱いでくれるんなら、天馬を犠牲にせずに済むのになー。あー、だれか平を押さえつけてくれないかなー」
「アンタ、何言って――って、天馬! てめぇ!」
無言で平を羽交い締めにする空良。
目はうつろで、口元では「姉さんのため姉さんのため姉さんのため……」とブツブツとお経のように呟いている。
怖い。
「ふっふっふ、ねえちゃんよ、大人しくしてたほうが痛くねぇぜ……なあに、すぐに済む、すぐに済む……」
風見が両手を実花穂に向けて、指をわきわきと動かしながら近づいてくる。
「ま、待て! ……て、てめえら!」
「すみません平先輩、オレは……オレは悪に屈します」
悲壮な覚悟で空良はそう言った。風見は舌なめずりをしながら、
「上からいこーか、下からいこーか、迷うよなぁ……」
「平先輩、お覚悟!」
しかしこの時、この二人組の悪党は知っておくべきだった。平実花穂は、先ほどまでの攻撃だって、実は手を抜いていたことを。
そして、事前に調べておくべきだったのだ。彼女は、二年B組担任の高座山教諭と同じ空手道場に通う、生粋の空手ファイターであることを。
結局、更衣室には凄惨な撲殺死体が二つ、仲良く折り重なることになったとさ。
■ ■ ■
「ほら、これでいいんだろ」
なんだかんだ、実花穂は教室から体操服を持ってきて、二人を追い出し、着替えて、制服の上下を貸してくれた(男子二名による土下座があってのことだが)。彼女なりの義務感なのかもしれないし、やはり那名崎会長への義理立てなのかもしれない。
ともあれ、風見と空良は制服をゲットした。
「それじゃ、入れてみますね」
空良はロッカーの中に何の仕掛けもないことを確認して、ハンガーに掛けた実花穂の制服を入れ、扉を閉じる。
「よーし、んじゃあ待ちますか」
風見はどっかりと長椅子に腰掛ける。
「ってさ、ちょっと待ってよ。休み時間中に何も起こんなかったらどーすんのコレ」
「いや、しばらく置いてみるしかないだろ」
「あたしはどーなんのよ」
「体操服で授業受けりゃいいじゃん」
さらりと風見は言う。
「嫌に決まってんじゃん! ……アンタと更衣室に消えて、次の時間から着替えてるとか……どんな噂が立つか分かんないじゃん!」
「気にすんなって、噂くらい」
「なんでアンタはそんな平然としてられんのよ……いや、平気だからここまでなのか……」
実花穂は納得したかのようにつぶやき、肩を落とす。
「とにかく! しばらくして何もなかったらあたしまた着替えるかんね? 次からは別の女子に頼んでよ」
「そ、そんな平先輩……」
「なによ……アンタ先輩より身内をかばうわけ?」
実花穂はジト目で空良を見るが、彼は珍しく目を吊り上げて、
「あ、当たり前です! 姉さんを守るのが最優先です!」
「……言い切るわね、アンタ。まあ、それはそうなのかもだけどさ」
さすがに空良の剣幕に気圧されて、実花穂は矛を引っ込める。
「じゃあ風見、他の知り合いを当たりなさいよね。ほらB組の……美山とかいるじゃん。仲いいでしょアンタら」
「敵に借りはつくらない」
きっぱりと風見は言う。
「アンタね……、カッコイイ風に言ってんじゃないっての。だいたいさ――」
実花穂が言いかけたところで、ロッカーが激しく揺れる音がした。
三人が慌てて目をやると、制服を入れたロッカーが、中に人間でも入っているかのように、そこから出たがっているかのように激しく揺れている。
だというのに、周りのロッカーには――揺れるロッカーの煽りは受けるものの――何の動きもない。地震の類ではない。
「ちょ、ちょっと――!」
実花穂が青ざめて叫ぶ。
「な、これって――」
空良も固まる。風見も目を丸くしていたがすぐにロッカーに近づき、躊躇せず扉を開ける。
と、揺れは止まった。
「せ、先輩?」
空良が不安げに声を掛ける。風見は無言だ。
「な、なによ、なんか言いなさいよ――」
実花穂は震えて、空良に体を寄せながら言う。小柄だし、意外と可愛いところがある――空良は密かにそう思った。
「……うーん」
風見は唸った。唸って、首だけ空良たちのほうを振り向いた。
「これ、何なんだろうな」
「ど、どうしたんです?」
恐る恐る空良が訊ねると風見はロッカーに手を突っ込み、ハンガーを持って、中に入っていたものを取り出し、二人に見せた。
「え? なんで?」
「うそじゃん……」
風見が手にしていたのは、嵐谷高校のものではない制服――セーラー服だった。
■ ■ ■
ロッカー周りをもう一度調べたが異変はなかったし、消えたブレザーも見つからなかった。
念のため一緒に借りていた男子更衣室――女子更衣室の隣だ――の鍵を使って入り、誰も居ないことと、女子更衣室側の壁に穴など空いていないことを確認した。
「これ、どうすっかな。結局、手がかりってそのセーラー服だけだもんな」
結局、女子更衣室に戻り、風見がそうこぼした。
「あ、あたしの制服……」
先ほどから実花穂は意気消沈してうなだれている。『女子更衣室の悪魔』などほとんど信じていなかった彼女としては、この状況は受け入れがたいものがあるのだろう。
そんな実花穂に聞こえないように声を低くして、空良は風見に言う。
(これ、また妖怪的なやつですかね……)
(妖怪のせいなのね、ってやつか?)
(だ・か・ら!)
声を荒らげそうになりながらも空良は、
(どうします、これ……)
(どうもこうもなぁ。でもさ、さすがに妖怪なんてそんな何匹も棲みついてないだろ。犬だって――別に妖怪ってわけじゃないんだろうし)
実際のところは分からなかった。ただそれだけに、今回の七不思議についても対処の仕方が思いつかない。
「ちょっと! なにコソコソ話してんのよ? あたしの制服どうすんのよ」
「どうするったってなぁ」
「つーかもう授業始まるし!」
壁の時計を見て実花穂が慌てる。
「とりあえず着替えれば?」と風見。
「着替えるって……何に?」
「ん」
と言って風見は、空良に持たせていたセーラー服を親指で指す。
「え、ええ?!」
実花穂は目をパチクリとさせる。
「なんでよ、それくらいなら体操服で受けるわよ」
「いやさっき思い出したけどさ、それ、二限目に使ったやつだろ」
「え……いやそうだけど……ってだから何で把握してんのよ!」
「同学年だからな」
「う……。いやでも……」
実花穂は口ごもる。
「見たところ、セーラー服自体に問題はなさそうだし、サイズも合ってそうだし。着れば?」
平然として風見は勧めてくる。
「い、いやよこんな……ってか他のガッコの制服だし 、スカートも長いし!」
セーラー服の上下は、これでもかと言うくらいにスカートのほうが長い。
「そうか? 平、セーラー服も似合いそうだけど」
真顔で風見は言う。
「え、はあ?」
「なあ空良。平が着たら可愛くなりそうだよな」
「――え、ええ。それは確かに」
風見に促された格好ではあるが、空良も本心からの言葉を口にした。
なんというか……似合いそうなのだ。
「ちょ、アンタら急に何よ……あたしを嵌めようったって……」
「別にそんな気はないっての。まあ、敢えて言うなら見てみたいって気持ちはあるけど」
実花穂はかあっと熱くなるのを感じた。男まさりな性格で、しかも空手一筋に生きてきた実花穂は、「可愛い」だの、道着以外を「似合う」だのと言われたことが、ほぼ記憶になかった。悪い気は――しなかった。
「だからって……」
「ほら、着替えるんなら早くしろよ。始まるぜ、授業」
「う……、わ、分かったから! 早く出てってよ」
実花穂は二人を追い出し、いそいそと、怒ったように、だけど少しだけ嬉しそうにセーラー服に着替えた。おずおずとドアを開け、風見たちの待つ廊下に出ると、
「ど、どうよ……」
「いいじゃん! 似合ってる。うん、いい!」
破顔する風見に、戸惑いながらもはにかむ実花穂。空良も、
「先輩、似合ってます」
などと言う。
「べ、別に似合ってるとか……ま、まあ汗臭い体操服よりはマシかな……」
満更でもなさそうに言う実花穂。
似合っている。
なんというか……ふた昔以上前の、ヤンキーみたいだ。
風見と空良の意見が、図らずも一致した。
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ただもちろん、実花穂は目立ちに目立ちまくったし、席に着いたあたりで冷静になり、かつてないほどの後悔に見舞われたし、日本史の花山先生は、
「おお平! それはいいぞ、いいセーラー服だ! 俺の青春時代を思い出すなぁ……グッドチョイス!」
などと言って親指を立て、クラス中の笑いを買ったので、次の休み時間にもう一度風見の頭を、半ば八つ当たり気味に殴りに行ったのだった。
(第20話 風使いと「スカーフ」(2)【七不思議編】 終わり)
※ 一部修正しました。
誤)世界史
正)日本史