第18話 風使いと「衣装」
ある秋の放課後、グラウンドでのことである。
「そっろそろ……んしょ。新人戦、楽しみですね、先輩……っと」
ジャージ姿で、前後屈をしながら話しかけてくる虎走あぶみ。終わってから話しかけろよ、と思うが、素敵な先輩の代表とも言える僕は、そんなことは口にしない。
なんてったって、『この先輩がすごい!2015 男子の部』で堂々の一位を獲得した僕だ(僕調べ)。
「そうだな。――お前は気楽だろうよ、ここんところずっと絶好調だもんな」
「そんな気楽だなんて。あ、でも確かに絶好調です! 絶賛絶好調私です」
一学期に為末くんと付き合い出してからというもの、虎走はグングンと陸上での成績を伸ばしている。単に成長期と重なっただとか、高校での練習がいい具合に結実してきたとか、そんな色々があるのだろうが、まあそんな風に言うのも無粋か。
「成長期のわりに胸は……ご愁傷様だな」
「ほんとですよねぇ。まな板かってくらいに平坦なもんだから、この間とうとうお葬式を……って、んなわけないじゃないですか! セクハラです!」
おお、ノリツッコミまで習得しやがった。成長したな、後輩。胸以外が。
「まあそれは仕方ねぇんだよ。お前のキャラメイクするとき、ポイントを全部顔面と脚につぎ込んだからな。残念ながら胸にまで回らなかったんだよ。諦めろ」
「キャラメイクってなんですか? 私、ゲームキャラだったんですか? ファーストヒロインなのに扱い酷くないですか」
何だよファーストヒロインって。
「お前の場合、手っ取り早いからファーストってよりファストヒロインって感じだな」
「お手軽感高いですね?」
「スマイル0円」
「にっこ~~☆」
成長しても落ち着くことのない、いつもの陸上部コンビによるいつもの部活風景である。
■ ■ ■
そんな虎走が、恋愛相談所の如く僕を利用しているという話をしよう。
先日のとある昼休み。彼女は演劇部だという同級生を引き連れて来て、
「はい、こちらがクラスメイトの夏目杏南ちゃんです。で、こちらが噂の風見爽介先輩です」
噂の――って何だろうと疑問がよぎるが、虎走はボクシングのレフェリーのように、僕と夏目との間に立ち、それぞれを紹介する。何だ? 僕は殴り合いを始めればいいのか?相手が誰だろうと容赦しないぜ。男女差別反対。
「この人なんだね。すごい……」
凄いって何だ、凄いって。
「そうでしょ、風見先輩はね、私の恋愛相談に乗ってくれて一発で解決してくれたんだよ」
「いや別に解決したわけじゃ……」
ただ声を掛けただけなんだけど、彼女の中ではそういう位置づけになってるらしい。
「うわー、すごいんですね。ぜひお願いします!」
夏目はぺこりと頭を下げる。小柄な夏目が体を折ると更にコンパクトになる。簡単に持ち運べそうなサイズ感だ。
「……なあ虎走。この可愛い物体の持ち帰りはアリか?」
「ナシです、ナシ! 何聞いてたんですか、恋愛相談ですって」
と突っ込む虎走を尻目に夏目は、
「いいですよ、どうぞお持ち帰りください!」
あれ? このファストフード店、テイクアウトありのパターン? とはいえ、自分で言ってみたものの、
「えーっと、持ち帰りはさすがに。よし、そうだな。代わりに胸を生贄に差し出すってのはどうだ?」
「村のためなら仕方ありません。……どうぞ!」
そのよく育った胸を突き出してくる夏目に戸惑い、僕は「村人を襲うモンスターかよ」という突っ込みを忘れ、ただただ本能に身を任せる。両手が吸い込まれるようにその双丘に伸びていき……
「後~輩~チョップ!」
コミカルな名前の一撃を食らった。僕は手首を押さえながら、
「なんだよ、邪魔すんな虎走」
「そうだよ? 村を救うには生娘の生贄が必要なんだよ?」
「アンナ! もう。先輩はやるときはやる男なんだからね。気をつけないと」
演劇部というだけあって、夏目は役づくりがしっかりしていて感心感心。ああでも分かった。分かっちゃったね。夏目はあれだ。ノリツッコミですらない、ただのボケ役なんだ。ボケキャラに対してはツッコミに回らざるを得ないという僕の特性を利用した刺客なんだな。負けてなるもんか。
「しかし夏目はアレだな。見た目、妹キャラみたいな雰囲気だな。姉しかいない僕を癒やすために開発されたキャラなのか」
「お兄ちゃんが望むなら……アンナは妹にもなります。えへっ」
うーん、夏目のはボケっていうよりボケ殺しって感じかもしれないな。
「だからアンナ! って先輩、今回メタネタ多すぎませんか? 風見メタ介なんですか」
「メタ介って何だ。無茶苦茶弱そうだな。……お前も『今回』とか言うんじゃねえよ。虎走メタみかよ」
「えへへ……メタルスライムの系統っぽいですね。足速そうだし、私たち向けですね」
「ああ、確かに」
納得してしまった僕がいる。そして僕が言うのも何だが、全然本題にたどり着きそうにない三人だった。
■ ■ ■
「で、夏目は誰のことが好きなんだ?」
『オリコンチャート 先輩部門』で絶賛一位をひた走り中の僕だ(僕アンケートによる)。仕方ない、急な依頼にも応えてあげよう。
「風見さんストレートですね。嫌いじゃないぜ、そんなとこ☆」
うざっ。
もはや夏目にキャラとかないのか。ノリだけで生きてるのか。色々と危なっかしい後輩だな。
「何で上から目線だ。で?」
「えーっとですね、二年の土岐司先輩――です」
「げ……」
はにかむ笑顔の夏目と対照的に、僕は苦い表情になってしまう。
土岐司は僕の同級生にして生徒会副会長だ。ここのところ、とある事件で浅からぬ因縁を持つことになったのだが……基本的に生真面目なあいつとはそりが合わない。っていうか、僕が一方的に嫌われてるんだけど。
「あ、知ってますか? どんなコが好みなのかなぁって……もしかして彼女とかいたりして」
「知り合いは知り合いだけど、あんま親しくはないんだよな。まあ彼女いるって噂は聞かないな。そっち方面に興味なさそうだし、いないんじゃねぇの」
しかしタイプか……うーん。本当、あんま僕は詳しくないんだよなぁ。本人に聞いてもいいんだけど――
「あ。僕より詳しい人いるかも。ちょっと訊いてみるか」
こうして恋愛ハンティングパーティーを結成した僕らは、まずは三年の神宮院先輩の元を目指した。土岐司と同じ、生徒会の副会長だ。
別に他の役員でも良かったのだが、同学年だとどこかで話が漏れるかもしれないし、あの中で一番土岐司と関わりのありそうなのが神宮院先輩だった。
■ ■ ■
そんなわけで、三年の教室にお邪魔すると、神宮院さんは僕の幼なじみ、チカ姉ちゃんと教科書を挟んでお喋りしているところだった。受験生は大変だ。
「あ、そーちゃん! 私に会いに来てくれたの? 嬉しいな」
チカ姉ちゃんにそんな満面の笑みで迎えられると非常に心苦しいのだが、
「ども。でも今日はチカ姉ちゃんじゃなくて、神宮院先輩の方に用があって……」
「「ええっ何で……」」
二人は異口同音に発しながらも、その言葉に含まれるニュアンスは大分違った。落胆するチカ姉ちゃんと、一方の神宮院先輩は嫌そうな顔をしながら、なぜか胸元を隠す。いや……さすがに僕もいきなり胸は揉まないぜ? 先輩チョップは喰らいたくないからな。
「えっと、僕っていうより、後ろの後輩が。ちょっと時間いいですか? 相談したいことがあって」
三年の教室に緊張しているのか、虎走も夏目も小さくなっている。
「なんですの? まあ、相談というなら、聞いて差し上げますけれど」
僕への悪感情はともかく、神宮院先輩は基本的に人が良いのだ。縦ロールにしては庶民派な副会長なのだ。
「私は? そーちゃん、私は?」
好き好きオーラを全開に僕に擦り寄ってくるチカ姉ちゃんだが、ここは心を鬼にしよう。後輩のためだもの。
「ごめんチカ姉ちゃん。ちょっとプライバシーに配慮して……」
「え~、やだやだ~」
「『待て』!」
「わんっ!」
即興のノリだったが、チカ姉ちゃんは大人しく机で『待て』に従ってくれた。ああそうか、何だか夏目と接しやすいなと思ったらチカ姉ちゃんに似てるのか。……つーか、こんな短期間にキャラかぶりすんじゃねぇよ。
「では、ベランダで話しましょうか? 佐々川さん、少し待っててくださいね」
「わん!」
「……やはり風見くんには近づけない方が良さそうですわね」
神宮院先輩の中で僕への敵対意識がさらに増しつつあったが、この場合は自業自得な部分もあるので甘んじて受けるとしようか。
んで、ベランダで四人、立ち話。
「……っていうことなんですけど、土岐司の恋愛関係って何か知ってますか?」
「うーん、そうした話はあまりしませんからねぇ。どうでしょう……ただ、お付き合いしている方が居るというのは、寡聞にして知りませんね」
「フリーっぽい、ってことですか」
「まあ、そうですわね」
自分から進んでプライベートを話すような奴じゃなさそうだもんな、土岐司は。
「すみませんね、夏目さん、でしたっけ。お力になれなくて」
「いいえ! それより、先輩ってすごく綺麗で優雅って感じですね。憧れちゃいます!」
「え、そ、そんな事ございませんわよ――」
縦ロール先輩が照れている。つーか夏目は人の懐に入るのが上手いな。まあ、チカ姉ちゃんと似てるってことは神宮院先輩とも相性がいいはずだよな。
「貴女こそ、可愛らしくて素敵ですわよ。きっと土岐司副会長もそう感じると思いますわ」
社交辞令じゃなく本当に思っていそうな笑顔だ。そんな人の良い先輩に、僕はついでに訊いてみる。
「そういえば、神宮院先輩は恋人とかいないんですか?」
「そっそんな! 居るわけないでしょう? わ、私に釣り合う殿方なんて、そうそう居ませんですことよ?! おーっほっほっほ」
照れ隠しなのか、言葉遣いも内容もちょっと散らかっている。からかいがいのある人だなー。
ともかく、あいにく実のある情報は得られなかったわけだけれど、神宮院先輩にお礼を言って、チカ姉ちゃんの『待て』を解いて(ご褒美に『よしよし、グッボーイ』してやった。ボーイじゃなくガールだけど)、教室を後にした。
次に聴きこみをするなら……あの人かな。
昼休みだが、きっとあそこにいるだろう。
■ ■ ■
予想どおり、那名崎会長は生徒会室に居た。今日は一人だったようで、僕らが訪ねて行くと快く紅茶を淹れてくれた。食後のティータイムだ。
「それで何用かな。風見君」
落ち着き払った声で会長は言う。
「ああ、えーっと」
ここまで来ておいて何だが、恋愛関係って理由で役員のプライベートを話してくれそうな雰囲気じゃないよな、会長は。
「実はこの学校に、土岐司の生き別れの妹がいるんです。土岐司は知らないんですけど。――んでそのコが、あいつの周辺のことを知りたいらしくって」
思いっきりデマカセを口にしてみた。嘘はデカいほうが意外と後々、処理が楽だったりする。とはいえ後輩二人は少し驚いているようだが。
「ふむ。『そのコ』とやらがこの場にいるのかは……詮索しないでおこう」
さすが会長。ありがたい反応だ。
「で、私のところに聴きこみに、ということかね」
「そうなんです。えっと……具体的には交友関係、女性関係はどうなんでしょうか。彼女とか居るなら、あんまり急な接触は持ちたくないって言ってて」
「役員のプライベートを詳らかにするのは気が咎めるが……そうだな、ヒントくらいはいいだろう」
お、意外といい反応。
「彼は……土岐司は私が好きだ」
「う、ええっ!?」
これには僕ら三人とも驚いた。だって那名崎会長も男だぜ? ボーイズだぜ? ヒントじゃなくて核心だし。
「ま、マジですか?」
「嘘だ」
「…………」
頼むからボケ要員を増やさないでくれ。この場に純粋なツッコミはいないんだよ。……ああ、こんな時だけ美山が恋しい。僕のピンチに駆けつけてくんないかな、ライバルだけに「風見を倒していいのは私だけよ!」とか言って。
「彼のハートを射止めたいなら直接当たりたまえ。それが一番だと思うぞ。……確か、夏目君、だったかな」
「ういっ――?」
夏目が目を丸くする。
……なんと、たったこれだけのやり取りで看破したってのか、那名崎会長。僕の嘘はともかく、夏目と虎走、どちらが土岐司を好きなのかを、だ。驚く僕たちに、
「なに、消去法だよ。そちらの虎走君は同学年の為末君と付き合っているはずだ。二股をかけようという人間が他人を巻き込んで聴きこみはすまい。……風見君が男色の気があるなら話は変わってくるが……」
と僕を一瞥する会長。すげぇ、校内の情報を知り尽くしている。
「えっ? 風見先輩ってそうなんですか? セクハラはカモフラージュですか」
「そんな風見さんでも……受け止めてあげますよ?」
だがしかし、あらぬ疑いは晴らしておくべきだろう。僕は男好きではないのだ。
「いや、それはない。女子が好きだ。貧乳は大好きだけど男の胸は嫌いだ。ちなみに、守備範囲はAからGまで。Hは持て余す」
「先輩……そこまで聞いてません」
と突っ込む虎走と、
「あ、アンナは守備範囲内ですね。中間くらいです」
と夏目。えっと……うん。数えてみたが、いい感じやで。でーやで。
ただまあ、こんな後輩たちにも正面から取り合ってくれるあたり、那名崎会長は人間が出来ている。よし、『先輩アワード 憧れの先輩部門』で僕に次ぐ二位の称号を与えてあげましょう。
「風見君。面倒見がいいのは良いことだが、本人の居ないところであまり嗅ぎまわるものではないぞ。土岐司副会長は少々融通が効かないところがあるが、人の好意を無下に扱う男でもない」
静かに叱られた。
「う……そうっすね、すみませんでした。出直します」
「私に謝ることはないさ。また何かあったら言ってくれ給え。できる範囲ならば協力は惜しまんよ」
「ありがとうございます」
器でかいな。惚れるぜ、こりゃ。
おっと。せっかく晴らした疑いが再燃しないうちに、僕たちは生徒会室を辞した。
■ ■ ■
「ん~、やっぱ本人のとこに行くのが早いけど、どうする夏目?」
廊下を歩きながら、後輩に訊いてみる。
「うーん、勇気がいりますね……さすがに」
そりゃそうだ。直接行けるんなら僕のとこに相談には来ないだろ。
「この勢いで行くって手もあるぜ? 一人ならともかく、三人でなら話せるかもよ? 告白しなくても、まずは友達からってのもありじゃねえの」
「……そうですよね、別に告らなくてもいいんですよね」
夏目はしばらくもじもじしていたが、
「……行きます! 先輩、紹介してもらえますか?」
意を決して彼女は、瞳に情熱の色を灯す。
「おし。んじゃ、このまま行ってみっか!」
恋愛ハンティングトリオは、とうとうボスモンスターを目掛けて突き進んだ。
■ ■ ■
「よ。トッキー」
僕はひょいっと片手を上げる。後輩二人は渡り廊下に残してきた。土岐司を夏目の元まで連れて行くのが当面の任務だ。
教室の自席で読書に耽っていた土岐司は、一旦顔を上げたが、親の仇でも見るような殺気を発して、そして無言で視線を戻した。
「つーれないなー、トッキー、僕だぜ僕。お話しよーぜ」
フランクな感じで話しかける僕に土岐司は、
「知っている。だから無視してるんだ。何がトッキーだ。馴れ馴れしい」
「まあまあ、君と僕の仲じゃないか」
「だからこそ、こういう態度を取っているんだ。君との間には深い溝があるんだ」
「そうおっしゃらずにさ――」
そもそもこいつが僕の言うことを聞くとは思えなかったので、実力行使に出た。
「なっ、なにをする――!」
椅子ごとひょいっと抱えて、僕は教室を出る。この程度、風使いの僕には軽い軽い。上下で気圧差を作り出して、手は添えるだけ。ちょっと手荒だが、昼休みは短いのだ。
そうして、恐慌状態の土岐司を渡り廊下までデリバリーした。
「君は! 本当に非常識な……」
「まあまあトッキーちゃん。ちょっと話があってさ」
「君と話すことなどない!」
「いや、僕じゃなくて、後輩がさ」
「後輩……?」
そこでようやく土岐司は夏目たちの存在に気づく。ガチガチに緊張した夏目の表情を見て、土岐司はぎゃあぎゃあと無駄口を叩くのをやめた。こいつはこいつで会長ほどではないにしろ頭の回転の早い奴だ。何かを感じ取ったのだろう。
「話とは何だ。風見に関係しないことなら聞くぞ」
感じわるー。駄目だわ、こいつ感じ悪いわ。
とはいえ、後輩から頼られておいて放り出すわけにもいかない。紹介まではきっちり任務を遂行しよう。
「すまん、土岐司。ムリヤリ連れて来て。今回は僕のこと抜きに話を聞いてやってくれ。頼む」
「……む、まあだから、それはいいんだが」
「こっちは一年の夏目杏南。んで……土岐司の紹介はいいよな?」
夏目がこくこくと首を縦に振り、
「はいっ。あの、一年B組の夏目杏南です。演劇部です。突然すみません!」
「いや、大丈夫だよ。僕は二年D組の土岐司翔馬だ。生徒会副会長をしている」
「…………」
「…………」
話がパタリと途切れる。うーん、夏目にはまだ荷が重かったか?
土岐司は何というか『昭和の男』って感じの雰囲気だ。硬派ってやつだ。眼光が強いもんだから、夏目も怯んでるんだろう。いや、まあそれは憧れの相手だからかな。
しかしあれだな、こうして間に立ってるとつい左右の腕を交差させて、
「――ファイッ!」
「先輩、レフェリーじゃありませんからねっ! ていっ」
「あぶねっ!」
今度の後輩チョップは僕の眼球を狙って突いてきやがった。しかも指の先端を僕に向けて。あぶねぇよ。そこ人体の急所だよ?
「うおっほん。んじゃまあ僕が代わりに訊くけど……土岐司って彼女いんの?」
「彼女? 何で君にそんなことを言わなければいけない」
「……あ、あのっ! き、聞きたいです!」
夏目の必死な形相に、さすがの土岐司もたじろいだみたいだ。
「……いない。だが嫁はいる」
「嫁!?」
辛うじて声を出せたのは僕だけだ。夏目は目を見開いてフリーズしている。
「嫁って、学生結婚?」
居そうなんだよ、こいつの場合。奥さんに「おい、お茶」とか言ってそう。しかし土岐司は、
「違う。前世からの定めだ」
「何だよ、前世って……」
こいつはイタい奴だったのか?
それともスピリチュアル系?
「リズ様だ。リズ様が自分の嫁だ」
「リズ様?」
「『獣王無刀リバイスバール』における異世界アッシュバルの姫君、リズ=エインズワース様だ。可憐にして美麗。品行方正にして文武両道。文句の付けようのない女性だ」
拉致って来たままの姿の土岐司を見ると、左手には読みかけの小説が。ああそう、その小説ね。『獣王無刀リバイスバール』。読んだことないけど、確かアニメ化しているはずだ。僕も名前くらいは聞いたことがある。
「いや、えーと土岐司。そうじゃなくて現実のほうの――」
「現実だ! 彼女の存在は間違いなく現実だ。二次元の中に存在する真実だ」
「そっか……」
僕の中で土岐司のイメージが崩れていく。への字に結んだ口で、そんな風に熱弁されてもな。ちと怖いんだが。
「…………」
夏目は固まったままだ。これは……やっちゃったかな。
「えっと、三次元での好みは……どんなのなんだ」
「特に無い」
「…………」
取り付く島がねぇよ! どう処理すりゃいいんだよこの状況。夏目すまん……力になれそうにない。
「リズ様って……その表紙のお姫さまですか?」
声を絞り出す夏目。
「そうだ」
簡潔に答える土岐司。もっと愛想よくしろ、お前のイメージだだ下がり中だぞ。
「あの……その小説って、面白いですか?」
「言うまでもないな。読めば分かる」
「じゃあ、読みます」
夏目が言う。
「そして……なってみせます、リズ様に!」
夏目が突拍子もないことを言う。
「無理だ! 彼女になることなど誰にも。唯一無二の存在なのだ」
なにを熱くなってんだバカ副会長。バカ司。女子がここまで言ってくれてんだぞ。どこまで融通効かねえんだ朴念仁!
僕が間に入ろうとしたところで夏目が、
「コスプレでも、駄目ですか?」
「こ、コスプ……」
およよ、動揺の色が見えるぞ土岐司……
「演劇部なんで演技もバッチリです。お裁縫とか結構得意なんで、衣装も小道具も再現しますから」
「むぅ……」
「先輩の分……主人公の分も作りますよ?」
「……なんと…………」
怒涛のコンボ攻撃!
土岐司の牙城が崩されていく。
「その……まずはお友達から、コス友としてお願いします!」
夏目が頭を下げて手を差し出す。
「そ、そこまで言われては……仕方ないな……き、気は乗らないが、後輩の頼みは無下に出来ないな」
と言って、夏目の手を握る。
「ほ、ほんとですか!」
顔を上げてぱあっと歓喜の色を見せる夏目に土岐司は、
「まずはこの一巻から読むといい。気にするな、家にまだ保管用がある。好きなときに返してくれればいい」
「ありがとうございます! 早速読みますね」
くるっと僕の方を見て、
「風見さん! ありがとうございます。上手くいきました」
「ん、お、おう。まあ……良かったな」
そう言って、早速小説について質問しながら土岐司と歩いていった。取り残された虎走と僕。
「……本人たちが幸せならいいか」
「……そうですよ。それが一番です」
「なあ虎走」
「はい」
僕は夏目たちが去った方向を見たまま言う。
「恋愛って凄いな」
「そうですね……」
「恋愛相談……今後はちょっと控えてくれ。疲れた」
「そうですね……気をつけます」
こうして、僕の恋愛相談所の実績は二戦二勝、勝率十割をキープしたまま、しばらくは休業となったのだった。
(第18話 風使いと「衣装」 終わり)




