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第13話 風使いと「にわとり」

 我が家のリビングに奇跡が舞い降りた。

 ほおを紅潮させた女の子が、ソファにちょこんと座って、もじもじしている。

 言うまでもなく、メイド服に身を包んだマイ・スイート・ラブリー・エンジェル天馬(てんま) 美津姫(みつき)だ。

 もしかして彼女は僕のメイドになるために生まれて来たのかもしれない。

 そして僕は、彼女のご主人様になるために神様からこの肉体と魂を与えられたのかもしれなかった。


「なかなか似合ってるじゃないか」

「……はい」


 先日のスリッパ卓球で勝利したご褒美、そして天馬の手作り弁当を食べさせてもらったときに交わした約束の結果が、今のこの奇跡を生み出した。過去の自分を褒めてやりたい。

 ちなみに、彼女が着用しているミニスカートのメイド服とニーハイソックスは僕が吟味して用意した。部活をサボって買い出しに行った。

 ネット通販じゃダメだ。現物を見て生地の質にまでこだわって、天馬に似合う最上級のものを選んだ。

 衣装の購入資金もちろん自前だ。

 バイトはしていないので、小学生の頃から貯めていたお年玉、そして友達が『唐揚げ弁当(大)』を頼んでいる時に『(並)』で我慢して捻出してきた、なけなしの貯金を使い果たした。

 しかし後悔はない。


「ほら、こっちを向いてもう一度言いなさい」

「はい……ご主人様」


『ご主人様』というオーソドックスな呼び方もいい。しかし『旦那様』、いや『若旦那様』というのもどうだろうか。

 天馬の罰ゲームには『なりきる』という条件は付いていなかったが、僕の家でメイド服に着替えて彼女にも変なスイッチが入ったのか、照れながら(屈辱に身を震わせながら)もこうして付き合ってくれている。


 どうしよう、このまま押し倒しちゃおうか。

 だめだだめだ、設定を活かさずに結果だけを求めてはだめだ。しっかりとしたシチュエーションプレイを堪能して、(しか)る後に――


「ねぇ、早く料理を教えて――いただけませんか」

「? ああ、悪い悪い」


 どうやら残念なことに、天馬は当初の目的を忘れていなかったようだ。

 彼女は僕に料理を教わりに来ている。決して僕の慰み者になるためではない。


 ■ ■ ■


「テクニック的なことは十分だと思うんだよな」

「そうなの?」


 まずは下処理。台所に立った天馬は、慣れない作業ながらも、一緒にスーパーで買ってきた鶏肉の(あぶら)と筋を丹念に取っていく。

 人によってはあまり気持ちのいい作業ではないかもしれないけれど、さすがに医療職志望というべきか。特になんということもなく手を動かす天馬。

 僕は隣でその様子を眺めながら話しかける。


「天馬のことだからきちんとレシピどおりには作ってるんだろ」

「うん、それはもちろん。サイトとか見ながら、そのとおりに」

「あとは要所要所で味見をすること」

「え、この肉を舐めるの?」

「んなわけあるか。チキン南蛮だから、南蛮ダレとかタルタルソース作るときな」


 前回の天馬の弁当は決してまずいものではなかった。どうやら致命的なのは途中で味見をしないことくらい。

 もちろん味付けを軌道修正するタイミングを失っているのは大きな失点だろうから、まずはその点を指摘した。


「ほんと、手際を見る感じ危なっかしいところないもんな」

「そうなの? よかった。味見さえすればバッチリかな」

「あとはハートかな」

「ハートって……」

「いや大事なんだぜ、上手く作ろうとするんじゃなくて美味しく食べてもらおうっていうハートだ」

「はぁ――」


 納得の行っていない風な返事だったが、これはかなり重要なアドバイスだと僕は思っている。

 主に僕の料理の腕が上達したのは、家族に美味しく食べてもらおうという精神が根底にあったからだ。

 もっと正確に言うのなら、お姉様に美味しく食べていただけないと、次の瞬間には今度は僕が調理されてしまうので、料理の腕を上げずにはいられなかったという背景があったのだった。

 命が掛かっていたのだ。当然である。誰だって生きたまま捌かれて、煮られて、炒められて、盛りつけられたいとは思わないだろう。

 そう考えると、食材のみなさんいつもありがとう。


「ハート、こもってたと思うんだけどなぁ」


 と、(くだん)の手作り弁当を思い出しているのか、天馬がぼやく。


「それはありがたいことだけど、どっちかっていうと『失敗したくない』みたいな気持ちだったんじゃないか?」

「う、それはそうかも……」

「そこが『上手く』と『美味しく』の違いだと思うんだよな」


 精神論でしかないが、命を削って上達した僕の経験論でもある。なお、僕の料理は鬼気迫る味だと自分でも思う。


「そっか、よし。爽介くんに『美味しく』食べてもらうために頑張る!」


 そう言って健気な笑みを僕に向ける天馬。

 こんないい子にコスチュームプレイを要求している鬼畜な僕には、眩しすぎて直視できない笑顔だった。

 ――しかし、台所にメイドさんが立っているというのは、改めて見てもとんでもない違和感がある。僕の家に異世界が発生したらしい。

 今すぐに抱きしめたいというドキドキと、友達にこんな恥態を強要しているという罪悪感から来るドキドキ、そして何かの間違いで姉や両親が帰ってきてこの()を目撃したらどうなってしまうのかという、そんな三重(さんじゅう)のドキドキに、いま僕の胸は締め付けられている。

 

「天馬さん」

「なに?」

「ほっぺにチューしてもいいですか」

「私が包丁を持っているときなら、いいよ」

「――刺す気!?」 


 危ない危ない。一応、先に聞いておいてよかった。

 先ほどまでの従順な天馬はもういなかった。


「ん! こんな味、どうかな」


 南蛮ダレの味見を勧めてくる天馬。差し出されたスプーンを受け取り舐めてみる。


「いいんじゃね――でももうちょっと甘い方が好みかな」

「そっか、了解です」


 メイド服は抜きにしても幸せすぎるひとときだった。


 ■ ■ ■


 無事に鶏肉も揚げてしまって、並行して作っていたコンソメスープも香ばしい匂いをダイニングにまで届けていた。完成は間近だ。


「ご飯も……もう炊けたみたい。うん、ばっちり計算どおりだ。すごいね爽介くん」

「いやいや、プランニングは僕でも、全部天馬が作ったんじゃないか。手際がいいのは天馬だよ」


 時刻は正午になる少し前。完璧なタイミングだ。

 とはいえ実際、僕はアドバイスなんて大したことは言っていない。第三者が横で見ていれば言えるようなことばかりだ。


「家じゃひとりで作ってたのか。お母さんとかは?」

「この間の弁当? うんそうだよ。ひとりでやらなきゃ負けみたいな気がして」

「そりゃまた、自分に厳しいことで」

「爽介くんのお嫁さんになるなら、そのくらいやらなきゃね――なんて」


 おどけて言った冗談なのかもしれないが、僕のチキンなハートは早鐘を打つ(チキン南蛮だけに)。


「んじゃ盛り付け終わったやつからテーブルに運んでくぜ」

「うん、よろしく~」


 天馬との初めての共同作業。配膳をうきうき気分で進める僕の視界の端で、廊下から続くドアが開いた。リビング兼ダイニングキッチンに、お姉様がログインした。


 ■ ■ ■


「んーと、何してんの?」


 どうやら今の今まで寝ていたらしく、ぼんやりとした顔で訊いてくる僕の姉、美鳥(みどり)


「えっ……と、今日はおでかけではありませんでしたっけ?」

「質問に質問で返せって教えたっけ?」

「いいえそんなことはございません!」


 おかしい、今日の姉の予定は確か……昨夜の内から旅行に出かけているはず、だった。だから安心しきっていたのだけれど……気配を感じなかっただけでずっと部屋にいたのか。

 天馬との幸せな時間は、いつも何かに邪魔される運命らしい。どうしよう。本気でどうしよう。

 僕は天馬に、話を合わせるよう目配せだけで伝えた。


「あのさ、彼女は……雇われメイドなのさ!」


『なのさ』とか普段は言わないんだけどな、僕。それによく考えたら、雇われないメイドなんてのもいないと思う。野生のメイドってなんだよ。誰にも仕えないのかよ。ワイルドだな。


「は、はい! 派遣メイドのミッキーです。お、おはようございますご主人様」

「んー……ん。おはよう。もう昼だけど」


 昼まで寝ていたのはお前だ。

 どこまで信じてくれているのかは分からないが、とりあえず挨拶を返してくれるお姉様。

 派遣メイドのミッキーこと天馬は、しどろもどろしながら、


「ちょ、ちょうどお昼も出来上がったところです。お姉様のお目覚めに合わさせていただきました」

「そ。んじゃ食べようかな」


 よし、いいぞ天馬。何とかこの場を乗り切るぞ。

 ……僕は乗り切った後のほうが怖いのだけれど。


「ん? 二人分しかなくない?」


 とお姉様の気づき。

 それはそうだ。本来は僕と天馬の二人きりの食卓だったのだから、三人分なんてあるはずない。


「え、っと……私はメイドですので、お二人の分だけですわ」


『ですわ』ってメイドっていうよりお嬢様口調じゃないかという余計なことを考えてしまう。目の前の現実から逃げようとする、防衛本能のなせるわざなのかもしれなかった。

 ところがお姉様は、『あんたはそれでいいの?』とでも言いたげな顔で、僕を見てくる。


「な、何を言っているんだいメイドさん。僕は――僕はお姉様の下僕だよ。清く正しく逆らわずがモットーの『正奴隷(せいどれい)』と呼ばれる男さ」


  正奴隷。口に出して発音すると危ない響きがある。


「メイドさんより下の、最下層の人間だからね! 匂いを嗅がせてもらえるだけで幸せなのです。ああ、もちろんイスになど座りません。フローリングの上に正座できるだけで嬉しくて震えるのです。あれお姉様、今日は針の床ではないんですね、お優しい!」


『お姉様の前バージョン』の僕だった。

 天馬はそんな僕を『営業先で頭を下げて愛想笑いを浮かべながら懸命に働く父親』を見るような、複雑な顔で見ていた。

 シチュエーションは逆だけど。内弁慶(うちべんけい)ならぬ外弁慶(そとべんけい)な僕だ。


「だってさ。メイドさん。こっち来て食べましょう」

「え、は、はい――」


 従うしかないメイド天馬は、お姉様と二人きりの食卓につく。

 僕は床からダイニングテーブルを見るだけの身になってしまったが、先ほどまでよりもずっと違和感だらけの映像だった。

 顔を右に向けると、我が家の暴君ことお姉様。左に向けると、マイエンジェル天馬がメイド服を着て、自分の作った料理に目を落として、汗をダラダラかいている。

 そして二人から見れば、正座した十六歳男性が、気味の悪い作り笑顔を浮かべ、目を泳がせているのだろう。

 うわお、地獄絵図。


「あ、あの――」


 と天馬がおずおずと口を開く。


「ん? なに」


 簡潔に応じるお姉様。


「わ、私も――奴隷です! お姉様の、奴隷です!」

「「はい?」」


 素朴な疑問符が姉弟(きょうだい)の口から同時に漏れた。


「あの、ですから爽介く……床に座っている奴隷と同じようなものでして……二人で分けて食べたいなと」

「へぇ、メイドの分際で口答えすんの」

「っ! ――はい」


 暴君から発せられる見えない圧力に負けず、天馬は強い瞳で正面を見据えた。


「ふーん。ま、いいわよ。ほらさっさと立ちなさい。イスに座れ。食え」

「はいっ!」


 ご主人様の許しを得て、僕はまるでバネ仕掛けの人形のように勢いよく立ち上がった。

 台所から箸をもう一膳、取って来ようとして――


「なにしてんの。座れっつてんでしょ」

「いやでも箸が――」

「あるじゃん、ちゃんと一膳。二人で一つでしょ」

「なんと!」


 肉親の、肉親による、肉親のための、メイドさんとの間接キスの強要だった。または、僕は手づかみで今日の昼食を食すことになるのかもしれなかった。

 いずれにしても、我が家に突如発生した異世界は、刻々とひどい方向へと向かうのだった。


 ■ ■ ■


「ん。美味しかった。ごちそうさま」


 僕の味の好みイコールお姉様の好みなので、どうやら満足いただけたようだった。ほっと胸を撫で下ろす僕と天馬。

 上機嫌の今のうち、さっさと片付けを終えて天馬を開放しよう。


「片付けはそっちの冴えない奴隷だけでいいから。ついでにお茶持ってきて」


 座ったまま命令を下すお姉様。


「メイドさん、一緒にお茶しましょう」

「うえ……は、い」


 明らかに表情が崩れたが、天馬はしぶしぶ席に戻った。

 さっき僕に『あーん』をしてくれたときと同じくらいの苦悶の表情だ。それもお姉様の命令だった。人生の初体験に嬉しい気持ちが一瞬生まれたが、姉の目の前での『あーん』は僕たちにとって苦行(くぎょう)以外の何物でもなかった。


「メイドさん……ミッキーはさ、あの奴隷のどこがいいの?」

「いえ別に……私は派遣メイドですので……」

「そ。じゃあ半日過ごして、雇い主をどう思った、って聞こうか」


 洗い物をしながらカウンターキッチンから眺めるその光景は、まるで刑事ドラマでよく見る取り調べのようだった。

 刑事はスエット姿で、被疑者はメイド姿だ。


「あの……その……いつもはふざけてるけど、優しい人だなって、思います」

「あっそ。ミッキーは彼氏いるの?」

「……いません」

「どんな男がタイプ? 年上でよければ紹介してやろっか」


 踏み込むな姉! 僕ですら聞いたことのない天馬のプライベートに踏み込むな!

 今すぐカマイタチで八つ裂きにしてやろうか!


「――キッチンからしょーもない殺気を感じるんだけど、やるの?」

「や、やる? 何をおっしゃってやがりますか僕は洗い物をやってますけれど!」


 逆らってはいけない。全力で本能が警鐘を鳴らす。ガンガン鳴らす。

 きっと僕が風使いの能力を使うより早く、彼女は僕を八つ裂きにできる。


「で?」


 取り調べの再開だ。


「わ、私は――同い年が、いいです」

「ふぅん。わたぴょんには彼女いるしなぁ。誰かいないかな」


 わたぴょん――僕の幼なじみの名前を姉はそう呼んだ。そして僕が教えた記憶はないのだが、彼に彼女がいることを知っている。胸がざわざわする。なんだろう、怖い。


「い、いえ、結構です」

「結構? なんで」

「彼氏――は、いませんけど、好きな人はいますから」


 お姉様の威圧に耐えながら、天馬はそう答えを絞り出した。いい逃げ方だ。ナイスプレー天馬!


「……そう。んじゃいいわ。余計なお節介しても悪いしね」


『悪いしね』? 悪い、死ね? その言葉、そっくり返してやるぜ!


「あん?」


 ぶんぶんと(かぶり)を振る僕。――弱っ。


「まぁ今日はありがとうね。美味しい料理を。――これからも、もし時間があったら構ってあげて。あんなバカだけど」


 そう言って、お姉様は右手を天馬に差し出した。

 しばらくぽかんとそれを見ていた天馬だったが、握手に応じた。


「はい、ありがとうございます」


 どうやら被疑者は、証拠不十分で不起訴に至りそうだ。


「じゃ、帰り道気をつけてね」

「はい。えっと、その前に着替えさせていただきたいんですけど――」


 と、着替えに手を伸ばそうとする天馬に、暴君は暴君らしい振る舞いを見せた。


「ん? いやいや、派遣メイドなんだからそのまま帰るんでしょ。家の中で着替えられたら興ざめじゃん。お疲れ様」

「――――!!」


 条件付き釈放だった。アンビリバボー。


 ■ ■ ■


 その夜、電話で天馬に聞くと、結局近くのコンビニまでメイド服のまま自転車に乗って行ったらしい。想像するだにシュールな姿だった。

 コンビニのトイレで私服に着替え、風のような早さで帰宅したとのこと。


「メイド服は……プレゼントするよ、せめて」

「あ、ありがとう? なのか、もはや私には分かりませんが、ありがとう」


 彼女はまだ戸惑いの中にいるようだ。そしてこう言った。


「……爽介くんの苦労が、少しだけ分かったかも」


 そりゃどうも。

 距離が近づいたような遠ざかったような、そんな休日だった。

 ちなみに、緊張と恐怖で料理の味は分からなかった。


(第13話 風使いと「にわとり」 終わり)

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