第11話 風使いと「生徒会」(2)【七不思議編】
廊下に不思議な物体があった。
下半分は人間のような形をしているが、肩から上は灰色の箱に収まっており、床に這いつくばってわなわなと震えている。
その隣で怯えて腰を抜かしている女子生徒からは、白い影がその不思議な物体を飛び越えて、階段を風のように下っていくのが見えた。
不思議な物体はくぐもった唸り声を上げると、下半分の人間の部分で体を起こし直立する。
灰色の箱――この学校ではゴミ箱と呼ばれる――が床に落ち、中からゴミにまみれた夏服の男子生徒が姿を表した。
「あいつ――絶っっ対に許さねぇ……」
ゴミ箱から登場した少年、風見 爽介は白い影を追って階段を駆け下りて行った。
■ ■ ■
「七不思議……」
その前日。
生徒会室を訪れていた風見は、パイプ椅子の硬い座面に腰を下ろして、目の前に並ぶ生徒会の役員たちを見ながらその言葉を繰り返した。
七不思議。
嵐谷高校のそれは、他校によくある怪談の類ではなく、実際に多くの生徒の目撃や体験が耐えないという、特殊であり特異なものばかりだ。
風見は一年半に満たない学生生活で、実際に直面したことこそないものの噂くらいは聞き及んでいた。
「ウワサの『七不思議』ですか」
「そうだ。我が校に伝わる七不思議の謎を解いて欲しい」
副会長の土岐司は断言する。
「色々と言いたいこと、っていうか聞きたいことがあるんですけど。まず何で僕が?」
土岐司の代わりに神宮院が答える。
「あなたが我が校始まって以来の問題児だということは聞き及んでおりますわ。わたくしたちとしては、そんなあなたの失点を取り返すお手伝いをして差し上げようと、そういうことなんですのよ」
はあ、と生返事を返す風見。
風紀委員の仕事の一環として平和な昼休みの時間を割いて来てみれば、待ち受けていたのは思いもしない展開だった。
失点を取り返すと言われても、メリットと呼べる程の魅力が生徒会からの提案にはなかった。
「いや別に僕はこのままで……」
「退学の話が出ております」
「うそっ!」
確かに暴言の数々を振りまいたような気がしないでもないが、退学扱いを受ける程のものではないと……たぶんそれ程ではないと思いながら返答に迷っていると、今度は土岐司が、
「退学の話はともかくとして、君も風紀委員の活動を通して、愛する我が校のために尽くそうという気持ちが芽生えているはずだろう」
と詰め寄ってくる。
風見が風紀委員を務めているのはクラス担任からの強い勧めによるもので、本人のモチベーションは決して高くはない。
引き受けたのだって、『服装検査で女子の体を触り放題だ』という担任の虚言を真に受けただけだった。
ある意味、校内の風紀を一番乱している張本人とも言える。
あえて言うなら、『風』って言葉が入っていて響きがいいなぁくらいにしか思っていない。
どうやら相手との間にはずいぶんな温度差があることに気づき、風見は話の流れを変えてみた。
「そもそも何で今さら七不思議なんですか」
「君も知っているように、我が校の七不思議は他とは少し違う。『挑む犬』という七不思議を聞いたことがあるか?」
「『挑む犬』? えっと……ああ、校内に犬が住み着いているとかそういう話でしたっけ」
そういえば一年の頃、クラスの誰だかが実際に会ったと騒いでいたなと、風見は記憶を辿る。
「ただ住み着いているだけではない。生徒や教師の前に現れては『相手の得意分野で勝負を挑んで来る』という珍妙な犬だ」
「……それ何となく聞いたことありますけど、そんな眉唾もののウワサ話を調査してくれって依頼なんですか」
「依頼じゃなく命令ですよ」
風見をパイプ椅子に座らせた一年生、天馬 空良が横から口を挟んでくる。
「命令? そんな大げさな……」
「天馬書記、確かに交渉はあなたにと言いましたが、今は少し下がっていなさい」
神宮院が釘を刺す。空良はすみませんと頭を下げて肩を落とす。
「天馬って、珍しい名字だけど、もしかして天馬の弟?」
「そうですよ、天馬 美津姫の弟、空良です。どうも、いつも姉がご迷惑をいただいてます」
刺のある言葉だったが、風見は気にしない。
「なんだ! 弟くんか。いや〜言われてみれば似てるかもなぁ。僕のことは気軽に『義兄さん』と呼んでくれていいぜ」
「呼ぶもんか! 誰が義兄さんだ」
「じゃあ兄貴? 兄上? 兄者さま? まさか『にぃにぃ☆』って呼びたいのか。さすがにまだその距離感はちょっと……」
「だから、あなたのことを兄だなんて思うことはないって言ってんですよ!」
風見の態度に耐え切れず、パイプ椅子を倒して立ち上がる空良。
「天馬書記、その辺にしたまえ」
神宮寺が諌めようとする前に、今まで黙っていた那名崎が口を開いた。重く、人の注意を引くような不思議な声だった。
「……っ会長、……すみません」
「風見くん、君の言うとおりあくまで『依頼』だ。実のところ、我々『表のない黒幕』は手詰まりの状態でね」
風見は表のない黒幕という聞きなれない言葉に首をかしげる。
「私たち生徒会の知名度はなぜだかとても低くてね。生徒間はもちろん、教師の間でも。君だって正直よく知らなかっただろう」
「それは、まあ……」
生徒会なる組織があることも、年に一度、選挙で役員が選ばれることも知識としては頭に入っていたはずだったが、誰がどんなことをしているのか意識したことはなかった。
先日、とある事件がきっかけで、空き教室の利用申請を生徒会が受け付けていることを聞いて、ああそういえばと一瞬頭をよぎった程度だった。
「学園もののマンガだったら存在感すごいんだけどね。現実はこんなもんかな〜」
投げやりに言うのは書記の平だ。
「だから少々の自虐を込めて私たちは表のない黒幕と名乗っている」
「でもその名称も知られてないんですよね」
風見はけろっとした顔で那名崎の痛い部分を突く。
その暴言に空良が三度噛み付く。
「仕方ないでしょ! 大した権限もないし、何をやってもなぜだか知名度は上がらないし……。だから少しでも雰囲気を出そうと思ってカーテン閉めきってみたり、紅茶を用意してみたり……」
「て、天馬くん……」
国府村が止めようとするが空良の耳には入らない。
「那名崎会長なんて、学校にポットを持ち込むのは悪いからって、家からお湯持参なんだぞ! 微妙に冷めてるからいまいちティーパックも味が出ないし!」
風見が壁際の棚に目をやると、決して高級とは言えそうにない、スーパーで安売りされているような紅茶のティーパックと、隣に魔法瓶の水筒が置いてあるのが見えた。
こほんと咳払いをする那名崎。他の役員は気まずそうに下を向いている。
「んで、その表のない黒幕の皆さんが僕を使おうとしているのは? 僕のメリットは……まだ納得はしてないですけど内申を上げることだとして、皆さんには何の得が?」
ウワサ話の真相くらい自分たちで解明すればいいじゃないかと思いながら、なるべく断る方向に話を持って行こうと話の主導権を握る。
「それにはわたくしがお答えしますわ」
神宮院が言う。
「あなたには悪評とともに、高い評価を下している方も多くいらっしゃるのよ。『瞬発力』、いえ『爆発力』とでも言いましょうか。例えば大竹 広斗という三年生をご存知でしょう」
大竹と聞いてすぐには思い浮かばなかったが、件の空き教室で会った、スリッパ卓球をこよなく愛する先輩のことを風見は思い出した。
どうやらこの神宮院も大竹と同じ三年生らしい。
「ああ、大竹先輩。なんであの人が……それに瞬発力?陸上部だからですか」
「単に身体能力というだけではありませんわ。むしろその精神力。あなたは全校生徒にとって毒でありながらも、薬にもなり得るということですわ。生徒会役員の改選まであと二ヶ月。時間がありませんのよ」
生徒会としてすぐにでも結果を出さねば、と神宮院。
「生徒会の選挙って十一月でしたっけ。それまでに七不思議を解けと?」
風見の疑問に那名崎が答える。
「そう、もちろん君だけでなく我々も動くがね。七不思議の解明は、二十年以上前から、多くの先輩方も挑んできたが、誰一人として成し得なかった」
「まあただのウワサだし……」
「ともかく有り体に言えば、何一つ足跡を残せていない我々があと二ヶ月という限られた時間で七不思議を解く。更にはその知名度にあやかり売名しようということだ」
「えらいぶっちゃけましたね……」
かなり乱暴なまとめ方をした那名崎だったが、風見にも一応の目的は理解できた。そのモチベーションを共有することはできないが、少なくとも方向性だけは。
「ん〜でもなぁ……」
「もちろん、君にもより明確なメリットがあった方がいいだろう。すべての七不思議を解き明かした暁には、生徒会の権限の出来る限りをつかって君の望みを叶える」
「か、会長、そんな約束をしてよいんですの?」
慌てる神宮院だったが、時すでに遅し。風見は(主によこしまな)願いを頭の中でリストアップし始めていた。
「……でも、今の生徒会ってあまり力ないんですよね」
「いかにも。しかし先程も言ったとおり、OBの皆さんも未だにこの七不思議に興味を持っている方も多くてね。彼らの助力を得ることも場合によっては可能だ」
全面的な支援を約束しよう、と那名崎。
「えっとじゃあ――」
風見はおもむろに口を開き、
「僕を次の生徒会長にしてもらう、ってのはどうですか」
と言って不遜な笑みを浮かべた。
(第11話 風使いと「生徒会」(2)【七不思議編】 終わり)




