第8話 風使いと「スリッパ」(4)
そこからの攻防は、一進一退になった。
僕のサーブをカットで返す天馬、僕はその回転を殺しきれず失点。
天馬は更にサーブで引き離しに掛かるが、返す僕。
「やあっ!」
「はあぁっ!」
それすらも彼女を崩すには至らなかったが、必死に喰らいつき、一点を取り返す僕。
そこから、二連取して、四対四。
「お前がここまで熱い女だとは思わなかったぜ!」
「私は思ってたわ、爽介くんは誰にも屈しない男だって……!」
「そうかよ。でもお前には膝を折ってもらうぜ、メイド服に身を包んでな!」
「ダメよ、聖なる衣装に包まれた爽介くんを私が可愛がってあげるんだから!」
五―六、七―六、と、目まぐるしくシーソーゲームは続けられていく。
体力の限界など、とうに超えていた。二人とも相手に、そして己に打ち克つという精神力のみに支えられて対峙している。
そして、お互いがお互いの潜在能力を引き出し際限なく高め合っていく。
「な、なんて戦いだよ、これがホントにスリッパ卓球かよ?!」
審判をしている柏谷も思わず漏らす。
「先輩、私、涙が止まりませんっ!」
「ずっと、……オレずっと見ていたい、この二人の戦いを……!!」
「この場所を守り続けてきてよかった……。きっとこれまでの歴史は、今日この日のためにあったんだ」
スリ卓の他のメンバーも口々に感動の言葉を漏らす。
――まだだぜ、まだ最高潮はこれからだ。
僕が勝って終わる、それで初めてこの一戦は伝説になる……!
「うおりゃあ!」
気合一閃、僕のスマッシュが決まり、十対十。
とうとう、僕たちの戦いは最終局面を迎えた。
■ ■ ■
「さて、僕はこのサーブで終止符を打つぜ。悪いな、天馬」
デュースなしのこの試合、現在互いに十点なので、泣いても笑ってもこの一球が最後の決着となる。
「もう勝った気でいるの? 随分と気が早いのね。私なんてようやく体が温まってきたくらいなのに。スロースターターって嫌になるよね」
「へっ、言ってろ。暑いんなら下着にでもなってろよ」
お互い既に肩で息をしていた。Tシャツ一枚とはいえ、僕は汗だくだ。
正直なところ、この一発を決めた後、立っていられる自信がない。
僕は霞みそうになる視界をぶんぶんと頭を振って正常に戻し、天馬に言う。
「決着の前に言っとくぜ。――ありがとうよ、天馬!」
全力を尽くし戦ってくれた好敵手に礼を言った僕は、最後のサーブ、左手に持った球を宙に浮かべ、渾身の一振りを繰り出す。
「いくぜっ!『二者択一の死箱』!」
「――なっ!?」
最後の最後まで取っておいた無回転のサーブ。
天馬のコートにワンバウンドしたそれは、ブレながら『もう一本』の球筋の幻影を作り出す。
右に跳ねる球と左に跳ねる球。分身と本体。
さあ天馬、どっちを選ぶ!!?
「――どちらも、叩くっ!」
天馬の一喝。
――これまであり得ない光景が目の前で繰り広げられてきたが、今僕が目にしているのは、一番あり得ない!
天馬は、同速度の二つの球を、同時に打ち返す!どうやってスリッパに当てたのか、目で追うことすらできなかった!
そして、本体の方、僕から見て左に跳ねたその球が、僕のコートに打ち返される。
しかし、先ほどまでの球速と比べれば随分と遅い。これをドライブで返して、天馬を沈める!
「球筋が、乱れてるぜっ!」
腰を落とし、後ろに開いた右足にグッと力を溜める。
僕のコートにボールが落ちる。溜めに溜めた力を開放して、ぶつける。
と、ボールは机と机の段差に当たり、僕の予測点から大きく右に逸れる。
――イレギュラーバウンド!!
「しまっ……!」
いつの間にか大竹先輩のアドバイスが頭から抜けていた。予測に頼るなというその助言が。
予測外のバウンドに対し、一撃で決めようとしていた僕の体勢が崩れる。
必死で右に横っ飛び、手を伸ばすが届かない。
まさか天馬、これを狙ったのか!? 天馬の顔を視界の端で捉える。口元には、微笑。
大竹先輩が叫ぶのが聞こえた。
「終わったっ! どうやっても届かない!」
そうだ、確かに届かない。
だが、終わりじゃあない。
僕は、右手に握ったスリッパを『投げる』!
打球の方向へと放り投げられたスリッパは、空中でボールとランデブーする。
接触するその瞬間、『風使い』の能力を発動。イレギュラーバウンドのせいで威力の弱まった天馬の打球は、僕の風で回転を上乗せされ、打球を放った主の元へと帰る!
「残念だったな、天馬! 『舞い戻る閃光』!」
反射させたピンポン球が天馬のコートの深い部分に突き刺さる。
勝利を確信していた天馬は反応できない――はずなのに!
「信じてた。爽介くんなら、このくらいのピンチ乗り越えるって。だから――」
打球に回りこむ天馬は、僕に告げる。
「――これで終わりよ!」
横っ飛びで倒れかけた体を立て直したときには、既に天馬の打球が目の前に迫っていた。
返す、返せないの問題ではない。ラケットがなければ、スリッパ以外で打ち返せば失効、失点になる。
天馬の言うとおり、これで詰みだ。
――もう一本、ラケットが無かったなら。
僕は右手を背中へと回す。透き通るような青いTシャツの、その内側。
僕は、ズボンと下着の間に挟んでおいた『左足用のスリッパ』に手を伸ばす。
試合前、スリッパを脱ぎ靴下を脱いだ後、右足用のスリッパを持って試合に臨んだ僕と天馬。
では、もう一方のスリッパは?
天馬は靴下と一緒に揃えて置いて。僕は背中に『予備のラケット』として忍ばせた。それだけの違い。
いくら透き通るような青いTシャツとはいえ、そんな比喩は関係なく、対峙する天馬からこのラケットを隠すのには、いささかの支障もない。
「僕も信じてたぜ、お前なら僕をここまで追い詰めるだろうとな」
そして、当たり前のことを口にする。終わってしまうこの勝負への、そして、僕の力を引き出してくれた最愛の人への餞として。
「――天馬、勝負はテーブルに着く前から始まっている。そして、勝ったと油断した時こそが負け時たぜ」
この身に残された全てを込めて、スリッパを振りぬく。
「ぐっ――――!」
僕の打球は天馬のコートでワンバウンドし、勝利を確信し油断した彼女のラケットを爆散させ、スリッパとともに砕け散った。
天馬は、そのまま膝から崩れ落ちてしまった。
静寂に包まれた教室に、まだ半分放心状態にある審判の柏谷の声が響く。
「……マッチ、トゥ、風間」
風見だけどな、と言って、僕は勝利を受け入れた。
■ ■ ■
そんな事があったのが先週の金曜日。
今日は新しい週の始まり、月曜日だ。
楽しみにしていた昼休みが来ると、僕は天馬の待つ中庭へと向かった。
ベンチで待つ天馬は、僕を見つけると、今までに見たことのない、苦虫を十匹くらいまとめて口の中に放り込んで噛み砕いたような、または僕に足の指を一本一本舐め回されたかのような、苦悶の表情を浮かべた。
あの勝負の後、
「来週、作ってきます……でも、私、料理は本当に苦手で。食べれないことはないと思うけど、美味しくは、ないよ」
と意気消沈していた天馬だった。
ベンチの隣に座り、僕は言う。
「よっ。いや~天馬の手料理、楽しみだなぁ」
「はは……」
二人のテンションは対照的だ。この世の終わりみたいな顔をした天馬を見るのも楽しいが、早めにトドメを刺してやるか。
「じゃあ食べようぜ。言っておくけど僕は、お世辞とか言えないタイプだからな」
「……うん、知ってる。だから私、こんななんだけどね……」
よく見ると目の下にクマができている。あーあ、可哀想に。誰がこんなになるまで追い詰めたんだか。
「どうぞ……召し上がれ」
もう諦めたとばかりに、天馬が弁当箱を僕に寄越す。
鮮やかで黄色い布に包まれたそれを、僕は大事に受け取る。
「では、拝見拝見……」
うやうやしく布を開き、蓋を開ける。
中身はスタンダード。左半分に白ご飯、綺麗にゾーニングされた三色そぼろがかかっていて、右半分にはおかず。鶏の唐揚げ、ほうれん草のお浸し、玉子焼き、アスパラのベーコン巻き、野菜炒め。
「へぇ、美味しそうな見た目じゃん。メニューもスタンダードで好きだぜ」
こういう場面で、奇をてらったメニューや、誰が作っても同じ味になるものに逃げず、手料理かつ男子向け。ほら、名前も分からないような多国籍料理とか、食べたって評しようがないんだもの。
レギュレーションに正面から挑み誇りを持って戦う、そんな天馬の性格を表しているようでに嬉しくなる。
「あ、あんまりジロジロ見ないで……。 恥ずかしい……早く、食べて?」
顔を赤らめておどおどしながら懇願する天馬に、ちょっとエッチなニュアンスを重ねあわせて興奮する思春期の僕。
「なんだよ、早く食べて欲しいのか? いやらしい女だな」
「ごめんなさい、私は我慢できない、いやらしい女の子です」
ノリがいつもと絶妙に違って、これはこれでいい。
「では、早速メインディシュから……」
いただきます、と言って、僕は好物の鶏の唐揚げをパクっと口に含み、ご飯をかきこむ。……ふむふむ。
「…………」
下を向き、無言で耐える天馬。僕は感想を言う前に、野菜炒め、玉子焼きなど、一口ずつ堪能していく。
「…………っ」
隣を見ると、今にも泣きそうな顔でこっちを窺う天馬。うるうるした瞳で僕を見上げる。
「ごめん、美味しくないよね?」
そんな表情をされると苦しくなるが、僕ははっきりと言わなければならない。彼女のためにも、僕のためにも。
「天馬、まずは作ってくれてありがとう。誠意が伝わったよ」
「はい……どうも……」
怯える天馬に僕は言う。
「味は……うん、中の下」
「……ですか」
素直な感想だった。まずい!ってことはない。そこそこ。
女の子が自分のために頑張って作った料理に『中の下』なんて言う男は紳士ではないかもしれないが、僕は友人として、天馬を愛するひとりとして、真摯に向き合いたい。
だから、こう続けた。
「天馬、今週、ウチに来い」
「……はい……って、え?」
「僕が料理を教えてやるよ。天馬の器用さがあれば、絶対に上手くなるさ。僕なんかあっという間に追いぬくと思うぜ。少なくとも、僕の好みの味は教えてやれる」
天馬のスペックが高いことはもう十分に分かっている。この弁当を作るに当たって、どこまで研究したのかは分からないが、相当なものだっただろうということは、味や見た目から分かる。
あとは何かきっかけがあれば、大化けするだろう。ショック療法だ。
「日曜はどうだ? ウチの家族、出払ってる予定だから、気にしなくていいぜ」
「う、ええ?! 行って、いいの? 爽介くんのおうち?」
「だから来いって。メイド服を用意して待ってるぜ」
「ええぇ! や、やっぱり? あーうん、でも……」
天馬の料理の腕も上がり、勝負の景品でもあったメイド服姿も拝める。一石二鳥の好手だ。
「じゃあ決まりな。ちょっと早いけど九時にスーパー集合。買い出しして、一緒に昼ごはん作って食べようぜ」
「ふぅう! うぅ、なんだろう、か、顔が熱い」
両手で顔を抑える可愛らしい天馬を見ながら、彼女の作った弁当を頬張る僕。
ふと、足元に目をやると、二人とも買い替えたばかりのスリッパ。
先の勝負で酷使しすぎてボロボロになったスリッパを、先週の内に小遣いをはたいてそれぞれ買い揃えていた。
天馬のスリッパには相変わらず花の絵、僕のスリッパには、天馬が描いたハートマーク。
これはこれで気恥ずかしい。
傍目を気にしない風使いの僕だが、スリッパにハートマークって。
さすがに気にするが、悪い気はしない。
ハートマークといえば、今の天馬の頭上からもポワポワと立ち上っていた。
錯覚のような、ハートマーク。
平和な昼休みだなぁと、噴水を見ながら思う僕だった。
(第8話 風使いと「スリッパ」(4) 終わり)
(「スリッパ」編 了)




