第6話 風使いと「夏休み」(7)
八月二十二日。
現在時刻、午前十一時。外は雨。
■ ■ ■
先ほど自分の部屋で目を覚ますと、熱は一晩ですっかり引いたようで――それと同時に、頭痛やらなんらやらも、昨日は何だったのかというくらいに、跡形もなくどこかへ消えていた。
どうせなら、記憶も一緒に飛んでいけばよかったのに……。
昨夜の僕といえば、夜中コンビニを徘徊し、強盗犯をのして、床をボコボコにして――それらを放ったらかしにしたまま帰宅して、シャワーを浴びたら、また電源が切れたように爆睡したのだった。
床の修理費は?
犯人は逮捕されたのか?
とか、色々と不安はある。それに、あの強盗の格好、僕とウリふたつだった。
あれ、僕、疑われない? 共犯者だと思われたりして。
警察に取り調べされたりして……余罪を追及されるのか? 僕の悪事が、とうとう司法の手によって裁かれる日が来るのか!?
まずい!
証人が多すぎて口封じが間に合わない!
……とかなんとか考えていたら、汗が吹き出していた。熱い。ああ、そういえば。暑いのなら、風を起こせばいいんだ。
昨夜、僕は『風使い』になった。
イメージするだけで風を自在に操れる――そんな存在だ。
扇風機いらず。やっほい。
自分でもよく分からないが、取りあえず便利だった。
窓の外も、風が強くなってきた。ほら、あのお姉様野郎が柄にもない事をするから、本当に嵐になったじゃないか。
「ねえ爽介! 電話!」
と、唐突に、ドアの向こうから姉さんの声。
「すみません! バチ当たりなことを考えて申し訳ありません! どうぞ僕のことを縛り上げて罵倒してください!」
条件反射が僕の口を動かす。
「……なに訳のわかんないこと口走ってんのよ。電話だっつってんでしょ」
ドアが開いて、ご主人様――もとい、お姉様登場。
「え、電話? 誰」
……家の電話に連絡って、もしかして警察か?
とうとう、恐れていた事が現実に――
「わたぴょんから」
と言って、姉さんは、手に持っていた電話の子機を、僕に差し出してきた。
「え? 誰?」
「わたぴょんは、わたぴょんでしょ。なに言ってんのよ」
お姉様は、怪訝な顔を浮かべる。
わたぴょん――新種のゆるキャラか? 警察のマスコット?
「……って、もしかしてワタルのこと!?」
「だから、言ってんでしょって。わたぴょんだって」
そんなあだ名、初めて聞いた。絶対、子供の頃はそんな風に呼んでなかったよ。あれ? ワタルと姉さんの、二人の間だけでしか通じないんじゃ……。
改めて、ワタルの魔の手が僕の家族に忍び寄ってくる恐怖を感じる……。
「ほら、さっさと出なさい。わたぴょん待たせてんじゃないわよ」
僕が電話を受け取ると、姉さんは、まったく、と言って一階に降りていった。
しかし、何だって家電の方に掛けてくるんだろうか。しかも、昨日の今日で。
「……もしもし?」
「おう、爽介、やっと出たか」
ワタルの声は、電話越しでもよく通った。
「へいへい、待たせてすまんね」
「いやお前、スマホの電池切れてない? 昨日から電話とかメッセージ送ってるけど、全然反応ねぇし。夜には『電波が届かない……』になってるし」
そういえば、丸一日くらい、携帯電話を放ったらかしている気がする。
ええっと、昨日ワタルの家から帰って……ああ、通学用のバッグに入れたままだ。
呼び出しが鳴ったとしてもバイブだし、僕は爆睡してたしで気づかなかったんだろう。もちろん充電もしてないから昨夜の内には電池が切れたはずだ。それで家電か――
「ああ、放置してた。わり」
それどころじゃなかったのだ。
色々と。
「まあとにかく、連絡ついて良かったわ」
「んで、何なんだよ」
「いやほら、昨日、結局話できなかっただろ」
「何だよ、篠宮のことか? 別に僕に言うことなんて……」
あれはあれで、僕の中ではもう終わっている。あとは篠宮とワタルの問題だ。基本的にワタルの女性問題に首を突っ込むつもりはないのだ。
「そうじゃなくて、話があるんだよ」
「ん、話? てかお前どこにいんの? 後ろが騒がしいけど……」
アナウンスのような声が、受話器から聞こえてくる。
――駅か?
「そう駅。今、乗り換えの合間でさ。羽田空港に向かうとこ」
「羽田? 何で。こんな時期から旅行か?」
夏休みもあと十日を切っている。こんなタイミングで家族旅行? まあ、なくはないか。夏休みの思い出づくり。
「いやいや旅行じゃなくて、留学。タイに」
「ん?」
「いや、『ん?』じゃなくて。タイに行ってくるから、一年くらい」
しばらく、開いた口が塞がらなかったが、
「――お前、マジか? マジで言ってんの!?」
「マジマジ。いや、一応お前と杏果には、直接言っておこうと思ってな。昨日はそのために呼び出したんだけど……」
「もっと早く言えよ! 今日かよ!」
「ああ、オレのとこに話が来たのが三日前でさ。元々、留学する予定だった奴がダメになって――枠が余ってるからどうだって、学校から連絡あってな」
軽い調子で、ワタルは言う。
「んで、じゃあ行こうかなぁと思って」
「行こうかなぁと思って――じゃねぇよ! 部活を掛け持つのとは、訳が違うんだぞ。しかも三日前って……少しは悩めよ」
……いや、こいつにとっては変わらないのか。
部活を掛け持つような気持ちで、留学。
あれもこれも出来るから――じゃあ、あれもこれもやってしまおうという、強欲さと、自由奔放さ。
「しかしタイってまた、留学先としてはマイナーだな……いや、お前が選んだわけじゃないんだろうけど。っていうかお前、パスポート持ってたのかよ」
「ああ、まあな。家族旅行のときのが」
「んで、おじさんとおばさんは?」
「そりゃちゃんと話したぜ。膝を付き合わせて話し合って。んで説得した」
僕はため息をつきながら、
「……そ。金は? 留学って金掛かるんじゃねえの、知らねぇけど」
「バイトで貯めた金があるからな。足りない分は、親から借金」
確かに、バイトでそれなりに稼いでいる癖に、ワタルは、あまり贅沢をしているイメージがない。奢ってもくれないし。てっきり、女子に貢いでばかりいるのかと思ったらけれど――僕の幼なじみは、それなりに堅実派らしい。
「何で今日なんだよ」
「ちょうど譲ってもらえるチケットが今日でさ。なるべく安くあげたいだろ。善は急げとも言うし」
「英語? 英語なんだよな、現地は。喋れたっけ?」
「まぁ何とかなるだろ。それに、何とかすることを含めての留学だろ」
「そうかもしれないけどさ……」
まったく。
まったくこいつは。
何年付き合っても、こいつの事を理解できないし、ついて行けそうにない。それが出来るのは――やっぱり、篠宮くらいなんだろうな。
「……お前、やっぱ凄えよ。そういうところ、本当に嫌いだわ」
「はは、さんきゅー」
褒めてねぇんだって。
「あ、じゃあ、昨日、篠宮が泣いてたのって…………」
「ん、そう。ちょっとお前が来る前に話したんだけど、そしたら……泣かれちまった」
「そりゃそうだろ……。で、篠宮は何て?」
「オレは一年も待たせるから、一旦別れるか、って言ったんだけどさ、『待つに決まってんでしょ!バカ!』だってさ……」
ああ、それは駄目だ。
「本当にバカだなお前……それで篠宮、泣いてたんだな」
「そうだな。杏果にはバカって言われるし、お前には殴られるしな」
「全面的にお前が悪い。つーか、もっと殴っときゃよかったよ、こういう事ならな」
今日、日本を発つってんなら尚更だ。まあ、一発殴っただけで右手はボロボロなんだけど。
「しかしお前、女ったらしのくせに、女心は分かってねぇんだな」
「爽介に言われたくねぇよ……ってこともないか。お前、ある意味鋭いもんな。なんでモテねぇんだろうな」
「ほっとけ。はあ……。あれ? 篠宮は、じゃあ見送りには行ってんの?」
「いやあの後さ――お前に殴られた後、もう一度連絡取って、あいつの家まで行ったんだわ。んで、やっぱり待ってて欲しいって伝えてな」
ほほう、僕のパンチとヘッドバッドも、無意味じゃなかったみたいだ。
「それで、こう熱くハグして、今までで一番濃厚なキスを……」
「聞きたくないわ!」
昨日の僕と天と地の差じゃねぇか。
僕なんて強盗に床ドンだったんだぜ。
「まぁそんな感じでさ、湿っぽくなりたくなくて、お互い。見送りはナシでって事になってな」
「ああ、そうっすかそうっすか。……まあじゃあ行ってこい、どこへなりと」
呆れながら僕は言った。
「んだよ冷てぇな。確かにギリギリになったのは悪かったけどさ。旅立つ友人に、何か一言ぐらいあってもいいんじゃねぇか」
「ねぇよ……あ、報告ならある。ホットなやつ」
「お、何だよ」
「僕、『世界で唯一にして最強の風使い』になっちまった」
「何だそれ、お前の百個目の称号か?」
僕には九十九個の称号がある。
……っていうか、勝手に名乗っている。
「ま、そんなところ。どんな風でも、思いつくまま、思いのままにな。これでいつでも、学園異能バトルを始められるぜ」
「ふーん。でもお前のことだから、スカートめくりぐらいしか使い道ねぇんじゃねぇの?」
「……スカート!」
僕は思わず、受話器を持ったまま飛び上がった。
「そうか! その手があったか……確かに、理論上は可能か……うん、っていうかそれしかねぇよ。お前天才だな! さすが僕の幼なじみ! 好き好き! 大好き!」
「それこそ嬉しくねえよ……つーか、爽介さ、やっぱお前が一番凄ぇって」
ワタルが何か言っているが――
僕の頭の中は、スカートめくりでいっぱいだ。夢いっぱい。期待に膨らむ僕の胸。ひらめく女子のスカート。
「じゃあさ、早速、その『風使い』とやらに、お願いしてもいいか?」
「おう、何でも来い。ばっち来い!」
希望に満ち溢れる僕に、ワタルは言う。
「どうにかしてくんない、台風」
(第6話 風使いと「夏休み」(7) 終わり)




