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蒼の巫女 黄昏の地  作者: 木之本 晶
第一章 喪失
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五 思いの行き場

 葬儀の日の天気は、彼等の心情とは裏腹に晴れ渡っていた。

 掌に乗るほどの髪だけしか帰って来なかった長だが、それはまだいい方だった。衣類の切れ端しかなかったり、ひどければ何もなく、家に残っていた形見の品しか犠牲者を偲ぶものがないこともあった。

 それは彼等の慣習からすれば酷く奇妙な葬儀だった。悼み、祈りを捧げるべき対象の姿がない。それだけならまだやりようはあるが、燃料となる木が乏しくなった今ではそのまま埋葬するのが一般的で、無論のことその対象がない。とどのつまり何が問題かというと、何を指標にして墓を造るかという問題が持ち上がったのだ。

 墓などいらない、と泣き崩れたのは、犠牲となった者の妻であり母だった。

「今だって生まれる子供の数は年々減っているじゃありませんか! どうせ近いうちに里は滅びるんだわ。弔う者もいなくなるでしょうに、そんなものをわざわざ作ったって……!」

 夫も息子も一度に亡くした彼女に言葉をかけられる者は、すぐにはいなかった。

「落ち着いて。とにかく葬儀だけでもしなければ、魂が黄昏の門へ向かえませんよ」

 葬儀をすることで死と安寧の神を呼び寄せ、肉体を離れた魂に黄昏の門への道を示してもらうのだ。正しく道を辿れなかった魂は彷徨い、原初の母に再び抱かれることも無く、生まれ変わることも無く消滅してしまう。それだけならまだしも、時には悪霊となって生者を脅かすようになる。

 いっそう激しく泣き出した女を、同じ立場の女性達が慰めて立たせ、どうにか葬儀は始まった。

 穴を掘り、遺品があれば埋め、そこに大きな石を半分ほど埋める。真新しい墓の前で、彼らは歌った。古くから一族に伝わる唄は、彼らの生死と共にある。取り分けて母なる闇女神の御許に還るこのときに歌われることが圧倒的に多かった。



 始原にして終焉たる蒼き闇

 汝が祝福と共に生きる我等は ただ汝の御許に還るのみ


 暁の前に 白き門は開かれり

 名もなき星は狭間を駆ける

 往く風に吹かれ 定めを知りて旅立つ者よ

 嘆きを越えて 新たな光へ


 時の螺旋を廻りゆく 幾億数多の命

 其は蒼き闇より生まれし 無限なる輝き

 やがて星と還りて 幾何に散じたり

 全ては一時の泡沫なれば

 我等、この生死の狭間を歩むのみ


 黄昏の後に 蒼き門は開かれり

 名もなき星は墜ちて終えん

 (きた)る地に還り 儚き花を散らす者よ

 愁いを解いて 静寂(しじま)の闇へ


 千の輪廻を辿りゆく 幾億数多の命

 其は大いなる祝福の元 天翔ける光

 やがて星と還りて 幾何に散じたり

 全ては一時の夢、幻

 大いなる母よ ただ汝の御許に還るのみ



「あの唄、僕は嫌いだ」

 埋葬地から戻る道すがら、列の最後尾でエクリスが小さく呟いた。憮然としたその表情に、新たに族長となったフォルティスは黙ってその頭を掻き回した。

「生きる者も死した者も、その先へ進めるようにと願う唄だ。どんなに辛くても救いはある」

「僕にはどんなに生きてもどうせ死ぬって聞こえるよ」

 振り返った先には大きめの石がいくつもその半ばまでを地中に埋めていた。整然と並んでさえいなければ、誰もあれが墓標だとは気付かないだろう。新しくできたそれらのほとんどの下には、遺体は無い。

「死んだ後に安らぎがあるって分かってるだけでもいい。そう思おう、エクリス」

 むしろそう考えなければ、やりきれない感情に支配されてしまいそうだった。

 亡くなった者は妖魔に喰い散らかされて死んだという。その瞬間の苦痛はどれほどのものだっただろうか。足を止めたユーシェンはそっと目を伏せて、何度目かの哀悼を無言で捧げた。その肩に手を置いたフォルティスもまた、無言のままに墓標を見つめる。

「父上はもう、黄昏の門をくぐれただろうか……」

 長の一族として葬儀の間は必死に堪えていた。指導者やそれに近しい者が弱っている姿を見せるわけにはいかなかったからだ。人の目があるうちは耐えられたのに、堰を切ったように目頭が熱くなってくるのを感じて、ユーシェンは兄に抱きついた。エクリスも同じだったらしく、反対側でもぞもぞしている。

 成人しているフォルティスは、小さな兄弟二人など容易に両の腕に抱くことができた。ぐす、と最初に音を立てたのは誰だっただろう。

 嗚咽を必死に押し殺して、彼等は泣いた。他の誰かに聞かれることがないように。

 静かな、静かな慟哭だった。



********



 それは葬儀から数日経ったある日、ユーシェンがカルヴァスに剣の稽古を付けてもらっている時だった。

 かん、といつも以上に容赦なく打ち込みを弾かれ、ついでに足も引っ掛けられて地面に転がされたユーシェンは、強かに背中を打って呻いた。

「この剣術馬鹿、少しは手加減しろ。こっちは十二の子供だぞ……」

「アホか。今手加減してやるのは簡単だが、実戦で子供だからと手加減してくれる敵は居ないぞ」

「それを免罪符にして堂々と八つ当たりするのはやめろ。何にそんなにイライラしてるんだ」

 ここ数日、機嫌が悪いことを指摘してやると、カルヴァスはちっと舌打ちした。

「気に入らない、あいつ」

 吐き捨てた同胞に、ユーシェンは眉を寄せた。

「カルヴァス? 誰のことを言ってる?」

 力を得たとは言っても使い方もままならぬ自分達は、頼られることはあるもののヒト全体の立場としては弱い。だからこそ助け合っていくべきなのに、一体何を言い出すのか。

「あの東の国の王太子だったとかいう奴。態度がなってない」

「そうか?」

 ユーシェンは首を傾げた。

 到着早々、悶着を起こしていた彼だが、その後は自ら積極的に働いていた。先の妖魔討伐隊にも志願していて、自らの命ばかりではなく数人の仲間の命も拾って帰ってきた。

「よく馴染んでると思うけど……」

「それも気に入らん。大体フォルティスもフォルティスだ。どうして俺がいない間に妖魔狩りになんか出たんだ」

「それは、放っておいたらどこかで取り返しのつかない被害が出たかもしれないから」

「だとしても、だよ!」

「うるさいぞ。二、三日ならともかく、五日もすれ違ってたんだし……小さい男だな」

「ち……ほおおぉぉお? そういう生意気なことを言うのはこの口かっ!?」

「わ、やめろ! ほほ()ひっはるにゃ(引っ張るな)!」

 ひとしきりじゃれた二人だが、ふとカルヴァスは真面目な顔になった。

「それはともかくとして、精霊の子(リアネージェ)だからってエクリスに喧嘩をふっかけた奴だろう? 警戒しておいて過ぎることは無い。ああいう手合いはそれこそ簡単に裏切る」

「裏切るって……仮にそうだったとしても、裏切った後どうするんだよ。彼らだけじゃ生きていけないだろ。それにあれから変な言いがかりは付けられてない。考え過ぎだ」

 出自のためか少しばかり矜持が高過ぎるだけだ。時世が厳しいことも、協力し合わなければ生き抜くことすら難しいことも、よくわかっている人だとユーシェンは見ていた。あれを追った東の王は馬鹿だと思う。

「さて、どうだかね」

 肩を竦めたカルヴァスは、それでも良くない印象を拭えないようだった。

「そんなに気になるなら一度手合わせしてみたらいいじゃないか。刃を交えれば二心の有無がわかるって、父上も言っていたし」

 そろそろうんざりし始めたユーシェンは適当に言ってみたのだが、これが意外にも彼の中のナニかの琴線に触れたらしい。

「――それだ!」

 ぱっと表情を明るくしたカルヴァスに、ユーシェンは嫌な予感を覚えた。

「勝負を付けてしまえば白黒はっきりするもんな。俺としたことがそんな簡単なことを思いつかなかったとは。問題はどう勝負に持っていくかだ……」

 もはや地面に転がるユーシェンのことなど視界に入っていないらしい。ぶつぶつ呟きながら歩き去っていく同胞の青年に、ユーシェンは飛び上がって抗議した。

「おい、カルヴァス! まだ稽古の途中だぞ! 勝ち逃げなんて卑怯だ!」

「いくらやったってお前の細腕で俺に勝てる日なんか来るもんか。悔しかったら男になって出直して来い」

「う……ぐ……っ! ……そ、そうだ、神力で勝負しよう! 溢れた分は土地に還るし、一石二鳥だ!」

「そんな誘いに誰が乗るかよ。神力勝負なら俺が黒焦げになるわ」

 同じ力ある者といえど、ユーシェンとカルヴァスではその『質』にも『容量』にも絶対的な差があった。ちょうど互いの腕力と反対な感じで。

 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら里の中心へと向かう二人を、多くの者が「またあの二人か」と苦笑しながら見送っていたが、二人は気付いていなかった。

「ユーシェンが女になってもう少し大きくなったら、カルヴァスと似合いの夫婦になるんじゃないかしらね」

「そうねぇ。今は男の子二人がじゃれてるように見えるけど」

「ユーシェンは美人だから、きっと花嫁衣裳が良く似合うわ」

 女性達の井戸端会議でそんな噂をされているとも知らず、二人は勝ち負けの是非について論じていた。

 真正面から苦言を呈したのは、ディクスという青年である。シオンの兄である彼は、シオンとよく似た怜悧な眼差しに呆れを顕わにした。

「何やってるんだ、二人とも。毎回毎回飽きないな」

「カルヴァスが勝ち逃げするのがいけない」

「ほう?」

 ディクスがいかにも切れ者らしく涼やかに切れ上がった目をさらに細くすると、耐性のない者はあることないこと全て白状したくなってしまう。カルヴァスは幼馴染の気安さゆえにそれほどでもなかったが、たじろいだのは誤魔化しようのない事実だった。

「ユーシェンの言いがかりだ。そんな目で見るな」

「年少者の相手をしてやるのもお前の務めだ」

 それは、とカルヴァスは言葉を失いかけて、しかし「お前の」という部分に引っ掛かった。

「……俺は子守係かよ!?」

「似たようなものだろうが」

 真顔で言うディクスの様子から、彼が心底そう思っていることが窺えた。カルヴァスは頬を引き攣らせるが、うまい反論が見つからない。

 ふと、ディクスの視線がユーシェンに向いた。ふむ、と顎に手を当てて考え込む仕草に、ユーシェンはむっとした。

「あのな、ディクス――」

「ユーシェン、お前、剣はまあ置いておくとして、弓矢をやってみたらどうだ?」

「はあ?」

 思いがけない提案にユーシェンは首を捻った。

「剣の修練をやめろとは言わない。だがお前の身体的な利点を考えた場合、遠距離での攻撃もできるようになった方がいい。力でのせめぎ合いになったら何合も持たないだろう。カルヴァス、お前弓矢もできただろ」

 カルヴァスは肩を竦めた。

「できないことはないが、お前の方が得意じゃなかったか」

「俺は忙しい」

 にべもなく言う彼の言葉は真実だった。

 先の討伐隊の遠征で死んだのは族長だけではない。その参謀役ともいうべきディクスとシオンの父を始め、何人もの里の重要人物が不帰の人となった。今の里はフォルティスを始め、その息子世代が古老の助言の下で治めている。カルヴァスとてその一人だったが、彼の父は討伐隊遠征よりもずっと前に、やはり妖魔との戦闘が原因で亡くなっている。

「それに剣は相手がいないと素振りしかできないが、弓矢なら的さえあれば何とかなる。それとカルヴァス、ちょうど良かった。これから寄り合いだ」

「聞いてないぞ」

「急ぎで決まったからな。父上達がいなくなった分、狩りの収獲が減っている。補填のためには効率的に狩りに出る必要があるが、それについてリュエリ様の占を仰ぐ」

 どこかむくれていたカルヴァスだったが、ディクスの言葉が終わる頃には表情を引き締めて頷いていた。

「わかった。ユーシェン、お前はどうする」

「もちろん聞くよ。兄上や皆が出るなら、里の守りは私の役目だ」

 留守役とはいっても、ただ胡坐をかいて待っているだけでは留守を守ることにはならない。いざとなれば外に出た者達と連絡を取れる体制がなければならないのだ。そのためには動きもある程度把握しておかねばならない。

 風霊を使って連絡を取ることも不可能ではないが、精霊と交感できる異能者は今のところ、巫女リュエリの他は精霊の子(リアネージェ)たるユーシェン、エクリス、シオンだけだ。この四人の誰を連れて行くにも無理がある。修行から戻ったばかりのリュエリは論外、エクリスやシオンを連れて行っても幼さゆえに足手纏いになるだけ。

 ではユーシェンが出るとなると、里の纏め役が本当に誰もいなくなってしまう。リュエリに任せることもできたが、それこそ戻ってきたばかりで勝手が違うことも出てきており、本人も戸惑っている。そんな中で更に纏め役ができるかと言われれば答えは否だろう。エクリスに任せては逆に色々と波風を立たせる気がしてならないし、シオンは人を纏めるには気が弱すぎるきらいがあった。

「では行こうか」

 里の会合場所は足腰の弱った古老の家と相場が決まっている。年寄りに無理はさせられないからだ。

 古老の中でも一際年寄りなのが、あのミーナ婆だった。婆の家が見えてくると、里の代表格の者が既に数人集まってきていた。その中にはアスライもいる。

「なぜあの坊ちゃんがいる?」

「彼が率いてきた者は優秀な戦士が多い」

 端的な答えである。

 け、と吐き捨てたカルヴァスは、先ほどの遣り取りを思い出したらしい。

「あの新参の坊ちゃん、どれくらいできる?」

「さて、本気で手合わせしたことが無いからな。遠征のときは俺は身を守るので精一杯だったから見ていない」

「ユーシェン達への態度も今一つだろう」

「取り繕える程度には」

 今でこそ余所者を多く受け入れているが、神祇を司るセレナイディアールはもとより閉鎖的な一族であり里である。神々に通じやすい力を持つ精霊の子(リアネージェ)を大切にする風習があったのに対し、それを忌避する者は白い目で見られても仕方が無い。

「一度、話を付ける必要があるだろう?」

 口元だけで皮肉げに笑う同胞に、ディクスは溜め息をついた。

「それは止めないが、まだ喪中だ。あまり騒ぎを大きくするなよ」

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