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蒼の巫女 黄昏の地  作者: 木之本 晶
第一章 喪失
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三 巫女の憂い

 妖魔の討伐隊が出発して、数日が経った。

 残った者達は乏しい食料や布、毛皮、薪と呼ぶには細い枝を集めて、冬に備えるため忙しく立ち回っていた。神力があるからいざとなれば精霊に力を貸してもらえるとはいえ、それにも限界がある。

 人並外れて高い神力を持って生まれたユーシェンにも同じことが言えた。

「ユーシェン……! ねぇってば、あんな提案、断られたからってそんなに拗ねるなよ!」

「拗ねてない」

 立ち枯れた木からの上で枝を落としながら、ユーシェンはむっつりと返した。どこがだよ、と背後に付き纏うエクリスが叫ぶ。

「あのさ、いくらユーシェンの神力がたくさんあっても、それにばっかり頼ってたらユーシェンが潰れるだろ? 正気の沙汰じゃないよ、冬の間中君一人で里の家全部を温かく保つのを引き受けるなんて」

「やってみないとわからないじゃないか」

「やってみなくても無理だってわかりきってるよ。流れてきた連中のも含めたら、一体いくつ家や天幕があると思ってるのさ」

 ユーシェンが落とした枝を拾い集めながら、エクリスは憤然と言い切った。

 現在の集落の戸数は百を越える。その全てをたった一人で一つ一つ火を灯して回り、絶やさぬよう管理することなどできるはずがないのだ。普通に考えれば馬鹿でもわかる。

 だが兄弟が馬鹿だったと認めたくなどないエクリスは、懇々と諭すことでその事実を無かったことにしようとしていた。

「ねえ、ユーシェンってば――」

「しつこいな。私だって少し無理があるってことくらい、わかってる」

 少しどころではないのだが、翳ったその表情にエクリスは更に湧き上がってきた言葉を飲み込んだ。

「……わかってるなら、いいけど」

 そうしてまた枝を拾おうと腰をかがめたエクリスだったが、ユーシェンが唐突に大声をあげたために、中途半端な姿勢でびくりと肩を震わせた。

 いきなり何なのか。文句を言おうと再び顔を上げると、そこには先程とは打って変わって晴れ晴れとして嬉しそうな表情のユーシェンがいた。

「どうしたの」

「リュエリだ。帰ってきた!」

 するすると木から下りたユーシェンは、貴重な刃物である鉈を放り出して駆け出した。慌ててエクリスは鉈の刃に覆いを被せ、後を追う。

 決してエクリスの足が遅いわけではないのだが、ユーシェンが目標を定めているのに対し、ただ追いかけるだけとなるとついていくのに精一杯になる。ともあれ、なぜユーシェンが仕事もそこそこに走り出したのか、その気持ちはわかるのでエクリスの中にも咎める気持ちは無かった。

 ユーシェンが叫んだ名の持ち主は、エクリスとて再会を楽しみにしていた人だったから。

「リュエリ!」

 枯れた木々の間を少数の供と一緒に歩いていたその人は、深く(かず)いていた頭巾を上げて振り返った。柔らかな茶色の髪が溢れるように零れ落ち、優しげな顔に笑みが宿る。

「リュエリ! おかえり」

 はい、と頷いた声は外見と同じか、それ以上に柔らかい。

「ユーシェンも、元気そうで」

「無事で何よりだ。帰ってきたってことは、もう一人前ってことだろう?」

 困ったようにその人――リュエリは微笑んだ。

「一応は……詳細は、長様に」

「父上なら五日前から妖魔の討伐に行ってていないぞ。兄上もな。だから私に教えてくれ」

「まあ」

 苦笑を深くしたリュエリは、性別を持ちながら高い巫覡の才を持つ珍しい少女だった。そしてこのたび、闇女神を奉じる一族(セレナイディアール)の中でも減ってしまった、数少ない巫女となった。新米、と頭に付きはするが、それでも一年間の厳しい修行を終えて帰還を許されたのだから、れっきとした巫女には違いない。

「はあ……っ、やっと追いついた。ユーシェン、ちょっと待ってくれたっていいじゃないか」

「お前が遅いんだろ」

「ユーシェンが突進してるだけだよ。リュエリ、おかえり」

 リュエリは再び微笑んで頷いた。

「これから里に戻るんだろう? 先に行っていてくれ。私達も薪を集めたら追いかけるよ」

「途中だったのですか?」

「ユーシェンが、木の上からリュエリ達が帰ってくるのを見つけて急に走り出したんだ。だから全部そのまんまだよ」

 呆れが含まれた声が、供の者からも上がった。

「リュエリ様のお帰りを歓迎するのは良いですが、仕事を放り出してはいけません」

「だから戻るって言ってる。リュエリ、また後で」

 手を振って嵐のように去っていく子供達に手を振り返し、リュエリは苦笑した。

「本当に、いつも元気ですね。あの子達は」

「はい。もう少し落ち着きがあっても良いと思いますが」

「ユーシェンはまだ十二で、エクリスもやっと(とお)になったばかりですもの」

 かく言うリュエリとて十七の娘である。これを「まだ」とするか「もう」とするかは微妙なところだった。侍者兼護衛を務めている者は「まだ」としたいところだろう。

「それにしても、妖魔討伐ですか……」

 沈んだ声を発したリュエリに、侍者は怪訝な顔をした。

「いかがされました」

「いいえ……最近、増えましたね。修行中も耳にはしていましたが、長が自ら討伐隊を率いるほど出ているなんて」

「ああ……」

 妖魔は本来、そう頻繁に人里には下りてこないし、人を襲うことも珍しいことではないが日常的でもない。

「何か、良くないことが起こる前触れでなければ良いのですが」

 不安げに空を見上げたリュエリに、侍者は首を振った。

「リュエリ様、お言葉ですが、巫女たる貴女がそのようなことを口にされるのは」

 巫覡の才を持つ者の言葉には力が宿る。少なくとも、そう信じられている。個々の差はあるが予見を得意とする者もいるから、予言と取られることも多い。だからこそ侍者は、不用意な発言は彼女自身のためにならぬと知っていた。

 そしてそれは、リュエリ自身もよく知っているはずだった。それでも彼女は首を横に振った。

「杞憂であれば、それで良いと思っただけです」

 里に着くと、リュエリ一行は熱烈な歓迎を受けた。

「おお、よくぞ戻られた。道中、障りなどありませんでしたか」

「リュエリ様、おかえりなさい」

「今宵は宴じゃ。大したことはできぬが、皆、リュエリの無事の帰りを祝おうぞ」

 里に暮らす一族に長らく不在であった巫女の存在が復活したとあって、特に古老達の喜びは大きかった。

大婆(おおばば)様もあんな山奥になど引っ込まず、里で暮らして頂けぬものか」

 嘆くのは古老の一人、ゲルト翁である。横で頷くのは同じく古老の一人に数えられる、アルマ嫗だ。

「私もそのように申し上げましたけれど、里は騒がしいからと」

「確かに逃れてきた者達は増えたが……」

 セレナイディアールの一族は元々神祇の一族であったこともあり、周辺の力無き者から「特別な人々」として認知されていた。他と比べて精霊の子(リアネージェ)が生まれる確率も高く、また巫覡の才を持つ者も多いことで何かと頼りにされてきた経緯もある。その甲斐あってというべきか、神力を得るようになった後もさほど厳しい目は向けられていなかった。

 それを聞きつけた他所の力持つ者が身を寄せるようになったのはここ三十年ほどの話だ。セレナイディアールの一族としても着の身着のまま逃れてきた者を追い返すこともできず、里の規模は年々増していた。

「こう増えるばかりでは、食い物がのう……」

 兎にも角にも、一番の問題はそれなのだった。人口が増えれば食料の消費は増える。考えるまでもない当然の流れだ。

「狩り尽くしてしまいはせぬか」

「何十人かを分けてどこぞへ移動させることも、長は考えておいでじゃったが」

「だがどこへ……」

 大人達の悩みは尽きない。その不安は子供達へも伝染し、セレナイディアールの子供と、後から逃れてきた者達の子供は何となく疎遠であった。悪くはないが良くもない、もっといえば必要以上に接触しないのだ。今日の生活のための仕事が有り余るほどあって、そんな暇がないという事情もあるが。

 ユーシェンとエクリスの幼馴染であるシオンもまた、日々の生活に追われる子供の一人だった。

「シオン、シオン! リュエリ様が帰ってきたって!」

「え、本当? 今、どこにいるの?」

「長様の家だよ。今、古老のじいさん達とユーシェンと、あとカルヴァスの兄貴が話してるから、会えるのは夜になるって」

「夜は宴だって!」

 常に飢えている同年の子供達は、宴で出されるであろういつもより豪勢な食事に興味が向けられている様子だったが、シオンの興味は違うところにあった。

(リュエリ様が帰ってきた……大婆様のところで学んだことを教えて下さるって約束、覚えているだろうか)

 シオンもまた巫覡の才を持つ精霊の子(リアネージェ)だった。巫覡として修行を終えた、いわば先達であるリュエリに教えを請うて才を役立てたいと願っても不思議ではない。両親はまだ幼い彼を、危険な『竜の背骨山脈』に居を構える老女の元へやりたがらなかったから。



「長らく無沙汰をしておりました、長老様方。このリュエリ、巫女として修行を終え、戻って参りました」

 深く腰を折って礼をした少女に、長老達は重々しく頷いた。

「無事で何よりじゃ、リュエリ殿」

 上座で答えたのは、あの枯れ木のような老婆だった。末席にいたユーシェンは、隣に座る青年にぼそりと呟く。

「リュエリが帰ってくるまでミーナ(ばば)が生きてたことの方が驚きだよな」

 青年はちら、と婆を見て頷いた。

「まあな」

 些か不謹慎な会話である。幸いだったのは近くの長老が見て見ぬふりをしてくれたことと、肝心のミーナ婆の視覚と聴覚が年齢相応に衰えていたことだろう。この小さなやり取りが咎められることはなかった。

「大巫女キーラ様はご健勝であられようか」

「最近足が弱ったと嘆いておられました。長く歩くことはお辛いようですが、それ以外はお元気でいらっしゃいます」

 そうか、とミーナは頷いた。

「近く何かお届け申し上げよう。山奥では何かと不便であろうて。そなたをこうして立派に鍛えて、我等の元へ戻して下さったお礼もある」

「はい」

 ユーシェンからはそのすっきりと伸びた背しか見えなかったが、確かに一年前、最後に見たときのリュエリとは何かが違っていたようだった。

(リュエリの周りだけ、空気の色が違うみたいだ)

 それが、彼女が一人前の巫女となった証左なのであろうか。ユーシェンには判別がつきかねたが、隣で顎をさする青年はまた違ったようである。

「何か、やっぱり違って見えるな」

「カルヴァス、お前もそう思うか」

「ああ。……フォルティスが帰ってきたらどんな反応するか、今から楽しみだよ」

 にや、と口の端を持ち上げて笑う青年は、リュエリを迎えに行くために里を離れていた。故に討伐隊の出発と行き違いになったのだが、本来一族きっての剣の使い手だ。だからこそ新たな巫女の護衛として派遣されたのだが、本人は討伐隊に加われなかったことが大層不満だったようである。

「さて、そこの若いのが先程からそわそわと落ち着かんのだが……リュエリ殿、戻ったばかりで悪いが、一つ占を頼まれてはくれぬか」

 リュエリは心得ていたらしく頷いた。

「妖魔のことでしょうか」

「まさしく。このところ多く出没しておる。何かの兆しか、はたまた、ただそうであるだけなのか判然とせぬでな」

「では早速。……ルイカ」

 呼ばれて、部屋の隅で待っていた少女が立ち上がった。しずしずと占いに必要な品を捧げ持って進み出る彼女は、巫女補佐とでも呼べば良いだろうか。巫女が行う祭祀の細々とした補佐を行う役割を担う、言ってしまえば雑用係のようなものだ。だが相応に専門の知識が必要となるため、それを授かるべく、やはりリュエリと共に一年を過ごして帰ってきた少女である。

 まず一枚の生成りの布が広げられた。何の模様もない、どこにでもあるような布だ。

 次にルイカが取り出したのは無数の小石が載った盆だった。これはリュエリの右手側に置かれる。

 リュエリが何かを胸元から取り出した。ユーシェンからはそれが何かはよく見えなかったが、リュエリが布の上にそれを転がしたことで何なのか気付いた。

 混じりのない、透き通った水晶だった。水晶が転がされたのを皮切りに、リュエリは次々と小石を転がしていく。

 十数個ほど転がしただろうか、リュエリが姿勢を戻したとき、その一部がユーシェンにも見えた。――ぴり、と背筋が粟立つ感覚がした。

「……結果は」

 占を終えたと判断したのだろう。ミーナ婆が問いかける。

「妖魔の餌となる血肉が、減ったわけではないようです。原因は妖魔ではなく……我等の中に」

 何、と集った長老達がざわめいた。

「近く……我等に大いなる目覚めが訪れます。しかしそれは大きな喪失と引き換えるべきもの」

 リュエリは一旦そこで言葉を切った。言っても良いものか迷っている気配があったが、中途半端な結果が一族を惑わすよりは、と思ったのだろう。再び口を開いた。

「その目覚めは必然。喪失もまた、必然です。そして我等は選択と決断を迫られる」

「それは……どのような」

「そこまではわかりません。ただ、大きく厳しい選択だということだけ。いずれを選んでも茨の道となるでしょう」

 長老達は黙り込んだが、ユーシェンは疑問に耐え切れず声を上げた。

「リュエリ。それは、妖魔はただ前触れに過ぎないということだろうか。」

 リュエリは振り返って静かに頷いた。

「そのようです。大事を担う前に、それに値するかを見極めるための試練と考えて、相違ないかと」

「では誰か、妖魔を操っている存在がいるということか。何のために?」

「意図して操っている存在がいるわけではありません。大いなる目覚めを前に、彼等も勢いを得ているだけかと」

「では……」

 更にユーシェンが問いを重ねようとしたとき、横槍を入れた者がいた。ユーシェンの隣に座っていた青年――カルヴァスだ。

「それは、妖魔にとって、我々に訪れる大いなる目覚めとやらは阻止したいものだからでしょうか」

「……おそらくは、そうでしょう」

「では目覚めとは何か? 喪失とは? ――いって、ユーシェン、何するんだ」

 畳み掛けるように言葉を紡ぐカルヴァスの頭を叩いて、ユーシェンは立ち上がった。

「私が訊いていたんだ。お前は黙ってろ」

「お前の質問の仕方じゃ、めちゃくちゃだろうが。だから代わりに俺が」

「何がめちゃくちゃだ。私達にとってこの妖魔の出没は目覚めへの試練、妖魔側にとってはあらかじめ脅威を取り除いておきたいがための行動ってことだろ」

「それにしちゃ、様子がおかしい気がするんだよ。うちの里の近くにしか出ないみたいだし」

 これに反応したのは古老のゲルトだった。

「何じゃそれは。聞いておらぬぞ」

「あちこちの噂を合わせてみた結果ですから、正確とはいえないかもしれませんが」

「かまわん。どういうことじゃ」

 促されてカルヴァスが語ったことによれば、妖魔は確かにセレナイディアールの里周辺に多く出ているようだった。この周辺には人里が点在しているのだが、セレナイディアールの里から数日をかけなければならないような里には影も形もないという。

「あくまで噂ですよ。ですが妙だと思いませんか。うちよりも『竜の背骨山脈』に近い里はたくさんあるのに」

 肯定も否定も、その場で返す者はいなかった。そのどちらも、行うには判断のための情報が少なすぎたのだ。

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