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蒼の巫女 黄昏の地  作者: 木之本 晶
第一章 喪失
3/7

二 彼等の矜持

 アスライは自分の頭に血が上っていることを自覚していた。怒りのままに目の前の子供に怒鳴っていることも自覚していた。その怒りが己の中にある感情に引きずられて起こった、正当な理由を説明し難いものであることも承知していた。

 しかし、その感情を自ら宥める、あるいは割り切ることができるほど、彼は冷静ではいられなかった。その感情は彼自身の苦い体験から来るものであったが故に、一層冷静であるには難しかった。

「アスライ殿! 我が兄弟へのそのような侮辱、到底看過できるものではない。謝罪していただきたい」

「フォルティス殿」

 振り返った先には、苦りきった顔の若者がいた。短く整えられた髪は栗色で、暗緑色の双眸には落胆に似た怒りが映っていた。この原初の女神を祀る一族(セレナイディアール)の次期族長、フォルティス=ジーンだ。

「我々は神力を持ったがゆえに故郷を追われた貴殿らを受け入れた。我等も似たような境遇、助け合うべきだと考えたからだ。恩に着せるつもりはないが、だが、共に歩もうと約したその舌の根も乾かぬうちに、我が同胞へそのような侮辱をするのが貴殿らの礼儀なのか」

 アスライはぐっと歯を噛み締めた。他に頼れる者がいればそちらを頼っていた。だが現実は無慈悲だった。

「最初に説明したはずだ。我が一族には、神々の意図によって性別を持たずに生まれた者がいると。承知したと貴殿が申されたこと、この耳で確かに聞いたぞ」

「それは……その通りだ。だがこの子供の無礼は俺とて看過できるものではなかった!」

 アスライは目の前の子供を指差した。子供はふんと嗤った。

「僕は事実を言っただけだ。大体、性別があったとしてもまだ子供の今の僕が『子供が作れない』ことがそんなに悪いのか。今日の食べ物にさえ事欠く今の僕らの状況で、闇雲に子供を増やすことが得策だと思うのか。それとも」

 十に届くか届かぬか。その辺りの年齢と思われる子供は、しかしその心だけ別にどこかで歳月を重ねたのか――はたまた、肉体だけ若返ってしまったのか。そう考えなければ説明がつかないほど歪な表情を見せた。それが笑いだとアスライが気づいたのは、数拍遅れてのことだった。

「自分自身が子作りと戦いしか能がないから、そんなに拘るのか?」

「エクリス、お前は黙っていろ」

「黙らないよ、兄上。こういうのは最初に叩き折っておかないと」

 あまりな言われようにアスライが再び激昂するより早く、静かな声がその場を両断した。

「どちらも悪い」

 騒ぎを聞いて増えていた野次馬の視線が動いた。フォルティスがぱっと後ろを振り向き、次いでエクリスも首を動かす。つられてアスライもそちらを見遣った。もう一人、子供がいた。

 美しい少女だった。

 長い髪を項でゆるく編み、野育ちであるはずが透き通るように白い肌。引き結ばれた唇は血色のままに紅く、華奢な手足とくれば一見少女にしか見えないが、その体は未発達で凹凸がなく、外見だけで性別を判じることを難しくさせた。それに。

 ――これほど強く静かな輝きを放つ双眸を、女が持ち得るものだろうか。

 脳裏に過ぎったアスライの疑念を読んだかのように、紅唇が開いて言葉を紡ぐ。

「私はそこなるフォルティスの小さき兄弟にしてエクリスの大きな兄弟で、ユーシェンという。私も無性体だ」

 初見で少女だ、と思ったアスライの心に衝撃を与えるに足りた一言だった。更に少女――性別がないと告げられても彼にはそのようにしか見えなかった――は言葉を続ける。

「エクリス、お前は新入りが性別のない者を嫌うと知っていただろう。こんなときに彼らの神経を逆撫でするな。喧嘩なら落ち着いてからやれ。アスライ殿とやら、貴方も貴方だ。子供の言うことと聞き流せばよかった。貴方は勇敢な戦士のようだが、交渉事には向いていないようだ」

 ちら、と少女の視線がアスライの左腕の古傷を掠めた。興味はないらしく、すぐに兄弟へとその目を向ける。

「エクリス、謝れ」

「でも、ユーシェン」

「謝れ。お前がアスライ殿を侮辱したのは事実だ」

「…………悪かったよ」

 言い捨てて、エクリスはくるりと背を向けてどこかへと走っていった。少女は躊躇わずその後を追う。

 しかしアスライはもはやそんなことに頓着していなかった。その余裕は少女が姿を見せたときに完全に失われていた。背後に連れていた、昔からの部下の一人が喘ぐように呟くのを遠く聞いた。

「黒い…………髪も、瞳も……もう一人、など」

 純粋な金、もしくは純粋な黒という色彩を纏うのは、原初神にして創造神たる光の神(セリオス)闇の女神(セレイア)とその子孫たる神々のみだ。少なくとも、そうであると人々は子供の頃から教えられてきた。

「あの子供……いえ、御子達は一体何者なのです? フォルティス殿」

 二人の子供が去っていった方向を見ながら、アスライは問うた。フォルティスは静かに首を横に振った。

「あの髪と瞳の色のことなら、私は何も知りません。ただ分かっているのは、ユーシェンとエクリスは精霊の子でありながら神力を持っているということだけです。それも、私や貴殿とは比べ物にならぬほど強大な」

「神力を?」

 ぎょっとした顔で振り返ったアスライに、フォルティスは深く頷いて見せた。

 性別を持たない者は、引き換えるように高い異能を持つことが多い。しかし神力や魔力を持つことはありえない――はずだった。

「女神が何を意図されたのかはわかりませんが……あの子達は、特別なのです」



「待て、エクリス!」

 兄弟の細い腕を掴むと、存外に無抵抗に立ち止まった。

「エクリス」

「いいよ、わかってる。ユーシェンが正しい」

 小さな肩が揺れる。

「神々を恨んだって仕方がないってことくらい、僕だってわかってるさ。でも、でも……」

 神々はよほど気が向かない限り人間に慈悲を施したりなどしない。彼等の役目は人間を庇護することではないからだ。仮に人間に慈悲をかけたとしても、他の生き物にも平等にそれは注がれる。人間だけが特別なわけではない。無いものねだりをしても応えてくれはしない。

 しかし、だからこそ、生まれつき「欠けて」いる者こそ、自分は特別だと思いたがるのだ。そしてエクリスとユーシェンは、性別が無い代わりに異能と巫覡の才を備えていた。

「僕達は精霊の子(リアネージェ)だ。予見ができるのは予見者だけじゃない、僕らの方が、星を読んだり、占いをしたり、もっとたくさんのことができるのに!」

「エクリス……」

 ユーシェンはそっと兄弟の肩に手を置いた。

 高い巫覡の才を持つが、性別が無いゆえに生物として不完全な精霊の子よりも、単なる予見者の方が重宝されるのは、この状況では仕方が無い。だがユーシェンは思うだけで言葉には出さなかった。言えば、自分で自分を否定することになる。誰に否定されても、自分だけは自分の生を肯定したいと思うのは当然ではないだろうか。

「お前の言う通りだ、エクリス。でもそれは、仲間を侮辱する理由にはならないよ」

「……わかってるさ」

 受け入れたからには、仲間だ。わざわざ険悪な雰囲気を作る必要は無い。

 乱暴に目尻に浮かぶ涙をふき取ったエクリスは、振り返ってユーシェンに抱きついた。この二人では、ユーシェンの方が背が高い。エクリスの旋毛をユーシェンが見下ろせる。

 小さな兄弟の背を軽く叩いて、ユーシェンは言った。

「父上に禍斗が出たことを報告したよ。近いうちに討伐隊が編成される」

「そう」

「一族の戦士は少なくなっている。逃れてきた者達の中からも、志願者を募らなければいけない。あまり派手に喧嘩をしてくれるなよ」

 エクリスがふっと笑う気配がした。

「絶対に喧嘩をするな、じゃないんだ」

「言っても無理だろう。それにやり方は悪いが、お前があちこちで皆の不満をああやって多少なりとも解消してくれるのはありがたい」

 おかげで小生意気な無性体よとあちらこちらから睨まれてはいるが、まだ子供である上に闇女神を奉じる一族(セレナイディアール)の長の子であるエクリス相手に実力行使に出るような馬鹿はいないことも事実だった。

「……そんなつもりじゃないよ」

「そうか」

 頭を撫でる手が心地よくて、エクリスはユーシェンにぎゅっとしがみついた。



 それから数日は比較的平穏に過ぎた、と言えただろう。

 東から逃れてきた一団は徐々に集落に馴染んでいったし、妖魔の襲撃もなかった。

 時に若い者達は力無き者達の住む町や村を妖魔から守るために巡回に出ることもあったが、そのほとんどが不発か、出ても小物ということで大事には至らなかった。

 何故、という声もある。力ある者達の多くは、力無き同胞に故郷を追われてきた。ここまで来て何故その力無き者を助けねばならぬのかと。

「だからといって彼らと完全に決別はできぬ。奇妙な縁で我々はこのような力を持ち、それによって辛酸を舐めた者もいるだろう。だがそれでも、同じ『人』の窮地を見て見ぬ振りはできぬ」

「しかし、長殿」

「それをしてしまえば、今度こそ我々は彼等から追われることに何の言い訳もできなくなる。魔に染まってしまった者達は大方殺したが、それでも生き残りはまだ残っている。奴らと同じく言われるようなことだけはしてはならぬ。これから生まれ来る子供達のためにも」

 ユーシェン達の父である一族の長は、再三渋る新参者達をこのように宥めていた。

 彼らが『力』を得たのはもう一つ前の――ユーシェン達の祖父母にあたる代でのことだ。『力』はその子供や孫達に余すことなく受け継がれ、所謂『蛙の子は蛙』だということが判明していた。

「蛙、美味いよな」

 力無き者達の噂話を聞いて、ユーシェンなどはそう言ったが、大部分の力ある者達は力無き者たちへの心証を悪くしたことは否定できないし、咎めようが無かっただろう。

 不満が爆発しないのは、エクリスがとある席で言ったことがある。

「力を持たない奴らの僻みなんてどうでもいいじゃないか。あいつら、異能者まで恐れるようになって、だから逃れてきた奴もいる……僕達だって好きで力を持ったわけじゃない」

 それまでもエクリスは年に似合わぬ賢い子だと長老達からは可愛がられていたが、これが拍車をかけた。要は、力無き者達の噂話など気にするに足らぬ、と他者を満足させたのだ。本人が意図したことではなかったが、子供らしさを失わぬ傲慢さと無邪気さが混在した彼の在り様は、周囲の大人達に自制をもたらす効果もあった。

「エクリス、そうは言っても。町の者が私達を怖がるのは仕方が無いよ」

「誰だっていつも抜き身の剣を持っている奴に近づくのは怖いだろう」

 実のところ、急に授かった力を使いこなせていない者も多かったが、それはそれ、これはこれである。皆、わかってはいるのだ。恐れられることも仕方が無いと。ただ、割り切れないだけで。

 そういった微妙な空気の中、長ジェレノスがとうとう妖魔の討伐隊を編成すると発表した。

「腕に覚えのある者は参加して欲しい。これは力無き者達だけではなく、我々自身の自衛のためでもある。私とフォルティスとで指揮を執るが、良い作戦などあれば皆で検討し合っていこうと思う。無論、命の危険もあるゆえ、参加しなかったことで咎めがあることはない」

 一族や古参の力ある者達には慣れたこと、新参のアスライ一行には初めての経験だが、誰にも否やはないようで、かなりの人数が集まった。血気に逸った若者から、歴戦の戦士までが武器を取った。

 短期とはいえ旅になるから、荷物もそこそこある。父と兄のためのそれを準備しながら、ユーシェンは尋ねた。

「父上。私も行ってはだめだろうか。囮くらいなら役に立つと思う」

 すかさず兄から叱責が飛ぶ。

「馬鹿なことをいうものではない。それにお前まで行っては、誰が里を守るんだ」

「でも」

 ぐ、と荷が解けないよう紐を結びながら、ユーシェンは反論する。兄弟の母は既に亡くなって久しかったから、子供達は自然と家事を分担していた。

「新鮮な肉を兄上達だけで食べるなんて、ずるい」

「……あのな、年寄りのでかい妖魔の肉なんて、硬くて臭くて食えたもんじゃないぞ。すぐに焼く」

「直火で焼くと脂が落ちるじゃないか」

「そういう意味じゃない! まったく、お前の頭には食うことしかないのか」

「それ以外の何を考えろと言うのですか。一族を飢えさせないことが我々の務め」

 胸を張るユーシェンの言い分は、間違ってはいない。

「私やフォルティスにいつ何があるとも限らぬからな。ユーシェンには里に留まり、婆様や長老達を助けて皆を守ってほしい」

 兄弟のやり取りを微笑ましく見守っていた父ジェレノスは、まだ小さなユーシェンの頭をくしゃくしゃとかき回した。

「もちろん、エクリスも。ユーシェンだけでは食い物に釣られてふらふらどこかへ行って、迷子になるかもしれぬからな」

「わかってます、父上。ユーシェンは僕がしっかり見張っておきます」

 ああ、とジェレノスは頷いた。



「では婆様、留守を頼みます」

 うむ、と長の挨拶を受けて重々しく頷いたのは、枯れ木のような老婆だった。

「無事にお戻りあれ。イティスのご加護を」

 声も同様に枯れているが、重ねた齢が威を添えていた。

「兄上! 約束だぞ、肉の独り占めは無しだ!」

 大声を張るユーシェンに、どっと笑いが起きる。フォルティスも苦笑しながら手を振り返した。

「わかっているとも!」

「それと、リュエリが戻るまでにはお帰りをー!」

 そうだ、そうとも若長、と其処此処から声が上がる。頬に朱を上らせたフォルティスは、うるさい、わかっている、黙れと怒鳴り返す。騒ぎが自然に収まるのを待って、長ジェレノスは出立の号令をかけた。

 幾つもの影が、朝日を浴びて長く長く伸びていた。

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