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蒼の巫女 黄昏の地  作者: 木之本 晶
第一章 喪失
2/7

一 精霊の子

『喪失は誰にとっても転機だが、一つの喪失が全てを狂わせることがある。それまでの調和した世界は、そのとき一瞬にして混沌に陥る』



*****



 乾いた風が砂を巻き上げて、空気が埃臭くなっていた。その中に、錆びた鉄に似た臭いが混じる。

 足元で痙攣する犬に似た妖魔を見下ろし、子供は弓につがえていた矢を収めた。代わりに腰に佩いていた短い剣を取り出し、一気にその喉笛を切り裂く。妖魔の痙攣が止まった。

 ただの肉塊となった妖魔を見下ろす目は、ひたすら無感動だった。手強い敵を屠ったことへの誇りなど微塵も見受けられない。

 顔にかかった返り血を無造作に手で拭い、子供は背後を振り返った。

「こんなものでも腹の足しにはなるだろう。持って帰ろう」

 子供の背後には、もう一人の子供がいた。妖魔を仕留めた子供より、いくらか幼げな。

 もう一人の子供は眉を寄せて返した。

「どうかな。怒られると思うけど」

「誰も食べないなら、私達が食べれば良い」

「ユーシェン」

 名を呼ばれた子供は、そこに込められた咎めの響きを無視して、短剣から血を拭い鞘に収める。

「手伝ってくれ、エクリス。私一人では持てない」

 エクリスと呼ばれた子供は、渋々という表情を隠しもせずに嫌そうに、それでも手を伸ばした。

「僕は嫌だよ、禍斗(かと)なんて。絶対食べないからね」

「お前はその食わず嫌いを直せ。そんなことを言って、この間の朱厭(しゅえん)だって食べなかったじゃないか」

「妖魔ばっかり狩ってくるからだよ。どうして皆、鳥とか鹿とか猪とか、普通の獣を狩らないの」

「いないものを狩ることはできない」

 あっさりと言い捨てた子供――ユーシェンは、妖魔を食すことに既に何の疑問も抱いてはいないようだった。エクリスはさらに口を尖らせる。

「神々もいい迷惑だよ。いつだって辻褄を合わせるのに犠牲を強いられるのは僕ら人間(ひと)なんだからさ」

 どう聞いても子供が口にする内容ではない。しかしそのことを指摘するべき者――大人がここにはいなかった。十を過ぎたばかりと思われる子供二人だけなのだ。

 ユーシェンは汗を搔いた頬に張り付く長い黒髪を邪魔そうに払った。一見するとその姿は少女のようだった。

「ずっと昔に過ぎたことを恨んでも仕方がない」

 その口調は、やはり年相応のものではなかった。

 ユーシェンとエクリスは両親を同じくする兄弟だ。神々の中でも最上位の神格を持つ原初二柱の片割れ、闇女神セレイアを祀る一族の長の子として生まれついた。

 数十年以上前に起こった神魔大戦により、世界は一度終焉を迎えるかに思われた。何が原因だったのか、地上に生きる人間達は知るすべもないが、とにかく神と魔が熾烈な激戦を繰り広げた時代があったのだ。

 神も魔も、それ自体は聖でも邪でもない。彼等の個々が司るものに対する印象により、人間達が勝手にそのように呼ぶだけだ。しかし神魔大戦はその常識を覆した戦だった。彼等は人間の呼び名に従って勢力を二分し、戦ったのだ。

 その終結は二人が生まれる五十年ほど前の話で、よく古老から聞かされるものだった。なぜ終わったのかは、やはり人間の中では誰も知らない。

「でもありえないよ、自分の力をばら撒くだけばら撒いて放置とか」

「だから、過ぎたことを言っても仕方がないだろうが」

 神魔大戦における衝突の際、その衝撃によって世界には様々な影響があったと言われている。多くが天変地異に代表される自然災害だったが、今ではその名残を見ることはできない。地震で隆起した大地は遮るもののない激しい風と雨に均され、旱魃や大洪水の後は砂に埋もれているからだ。

 それらとは別に世界の――人間の世界の在り方を変えたのが、神力を宿した者と魔力を宿した者だった。神と魔は世界各地でその身に宿る力を行使して戦いを繰り広げたが、無駄なくそれが衝突しあったかというと、そうではない。小さく砕けて周囲に拡散した部分があり、それが何かの偶然で人間の体に入ると、その人間は神力あるいは魔力を帯びるようになった。

 宿った力によって性情まで変化した多くは魔力を宿した者達だ。彼等が力無き者達を戯れに翻弄し始め、ついには「戯れ」によって街一つが消滅するに至って、もはや捨て置けぬと魔力を擁した者達を駆逐し始めたのが、ユーシェンとエクリスの祖父の代だった。一族の跡目が父に譲られた後は、父がその指揮を執っている。

「そんなことよりも、そろそろここを離れないと。この間の(ちん)といい朱厭といい禍斗といい、妖魔が多くなってきてる」

「兄上がこの間、水虎を退けたって言ってたっけ」

「ああ。危なくなってきている」

 二人は狩ったばかりの妖魔を担いで、一族の里へと急いだ。

 昼を過ぎたばかりの空の高みには太陽が君臨している。降り注ぐ陽光は痛いほど熱かった。

 本来なら周囲に生える木々がその枝葉を伸ばして強い日差しを遮ってくれるものなのだろう。一族は大陸中央の深い森の中にその里を構えていたから、深い緑に抱かれたその光景を、年寄り達は今でも折に触れては、懐かしそうに語る。

 だが神魔大戦により大陸は荒野と化した。大地の女神は大戦においてその力を使い果たし、今は眠りについているのだ、と古老は言う。真偽は定かではない。神々に問おうにも、肝心の神々が人間からの呼び掛けに応えなくなったのだ。

 しかしユーシェンたちが生まれたときから、土地が痩せていることは事実だった。種を蒔いてもまともな実りは得られず、当然のように飢饉となった。森に分け入っても新芽すら出ていない。大部分の木は立ったまま枯れ、もう数十年そのままだった。木の皮はとうの昔に獣達が剥いで食べている。

 ここまで荒れていれば、飢えるのは人間ばかりではない。当然のように獣も飢えている。

 草食獣はまだ草の生える、大陸中央を北と南に分けるように走る『竜の背骨山脈』に大部分が移動した。人間には立ち入れない場所ならば、捕食者の数が減る分まだ狩られる可能性が低くなるからだ。大型の肉食獣もそれを追って移動したのか、姿を消して久しい。まだ平地を徘徊しているのは、大地から直接精気を吸い上げられる妖魔くらいなものだった。

 神力保持者達が大地に力を注げば土地がその息吹を吹き返す――それがわかってきたのは、ここ数年のこと。息吹を吹き返すといっても元のようになるのではない。得られるかどうか賭けだったものが、蒔いた分だけは実るという、それだけの進歩だった。しかもそこに至るまでに、数十年の月日を要している。

「精霊は実体を持たないから食べられないしな……」

「ユーシェン、風霊達が怯えてるからやめなよ」

 どこか虚ろな瞳で宙を見上げるユーシェンに、エクリスはうんざりしながら注意した。物心ついてから、一体何度このやり取りを繰り返したことか。ユーシェンは非常に食い意地の張った子供で、消化できるものなら何でも良く食べたが、逆にエクリスは「食事らしい食事」を好むという正反対の嗜好だった。そのため、エクリスのほうが幾分細い。

「わかってる。風霊達、力を貸してやるから、私達を里まで運んでくれ」

 ユーシェンが細い手を伸ばすと、指の先から金とも銀ともつかぬ色の光が柔らかく零れだした。さあっと周囲がざわつき、虚空だったそこが、あっという間に風の精霊達で埋め尽くされる。

 靡く陽光のような髪、蒼や紫、朱など、空の色の瞳をした風霊達は我先にとユーシェンが発する光に触れようとする。彼等とて飢えているのだ。腹を満たせるなら人間の神気でもいいと思うほどには。

 風霊達が巻き起こす風に乗って宙に舞い上がった二人は、それほど時を置かずに再び地上に足をつけた。降り立ったところからは、複数の天幕が見える。天幕からはさほど距離はない。

 獲物を担いで天幕へ近付く二人の子供に気付いたのは、数人の青年だった。

「お前ら……」

 怒りよりも呆れの響きが強い。

「また二人だけで狩りに行ったのか。ユーシェン、そんなに腹が減るなら俺達が獲ってきたものを遠慮せずに食えよ」

「少しでも多く食べたいのは皆同じだ。私だけ特別扱いする必要はない。こんなときだからこそ、ものは平等に分けられるべきだ」

「けど、子供だけじゃ危ないだろう。いくら精霊の子(リアネージェ)っていっても、お前らは十二になるにしては細いんだし」

「狩りに行ったんじゃない。たまたま出くわしたのをユーシェンが仕留めたんだ。僕は止めたよ」

 エクリスが憤然と言うと、青年の中の一人が笑ってその頭を撫でた。

「お目付け役、お疲れ様。これじゃどっちが上の兄弟なのかわからないなあ」

「私もそう思う」

 明るい笑い声がその場を満たす。ひとしきり笑い終えて周囲を見回したユーシェンは、朝出かけたときとは里の様子が違うことに気づいた。

「また増えたのか」

 朝にはなかった天幕が張られていた。そこから出入りする人々は、ユーシェンの知らない顔をしている。

 ああ、と青年の一人が答えた。

「東から逃れてきたらしい」

「東は迫害が厳しいと聞いている。……そうか。大変だったようだな」

「お前、もうちょい子供らしく喋れよ……。あの連中にはいくら同情してもお前とエクリスは近づかない方がいいぞ。精霊の子を無性体(シルグリアン)って呼ぶからな。着いて早々、長と一悶着してたよ」

 ユーシェンとエクリスは顔を見合わせた。

「それは……困るな」

 精霊の子(リアネージェ)とは、性別を持たない者のことである。頻繁に生まれるわけではないがそう珍しい存在でもない。生まれつき女性器も男性器も備えない彼等の多くは、寿命が長く巫覡の才や異能を持ち、穏やかな性質で、人が集まれば必ず纏め役か、その補佐になることが多かった。

 その特異性から相談役として、時には指導者としても慕われることもあるのだが、性別を持っていないということは、次世代を残せないということに他ならない。そうした事情と、半陰陽の性を持つ者との混同から、子供を残すことで一族を繁栄させることができないと反感を持たれることもあった。無性体(シルグリアン)とは、半陰陽を含めた性別の定まらぬ彼等に対する蔑称である。

 ユーシェンもエクリスも、その精霊の子(リアネージェ)だった。

「でも僕らと一緒に動くなら、そのシルグリアンに頭を下げてもらわないとね」

 ふん、とエクリスは鼻を鳴らした。やめろ、とユーシェンが咎める。

「私達が性別を持たないことで父上や兄上が苦境に立たされることがあるのは事実だろう」

 精霊の子、と呼ばれる者は稀に性別が戻ることがある。生来持っていなかったものを戻ると表現するのはおかしな話だが、古くから馴染まれた言い方だから今更誰も変える気にならない。実のところユーシェンもエクリスもそうなることを望まれていた。男になれば戦士の一人として数えられるし、女になれば子供を産むことで、減ってしまった一族の数を回復する一助となるからだ。

「僕らが性別を持ってないのは僕らのせいじゃないし、どっちかに分化するのも僕らの思い通りになることじゃない」

 その通り、と周囲の青年達は賛同する。

「どっちかに分化してほしいのは確かだが、こればかりはな」

「あ、でも俺はユーシェンが女になったら嫁にしたいかなー」

「馬鹿野郎、そんなのフォルティスが許すかよ。『俺の屍を越えていけ!』とか言われるんだぜ」

「俺もユーシェンが女になったらアリだと思うけど、フォルティスに確実に負ける自信がある」

「そこ自信持つところなのか」

 馬鹿馬鹿しいことこの上ない会話に呆れたーシェンは、そっとその場を後にした。気づいたエクリスが数歩遅れてついてくる。

「それ、頼んだぞ」

 妖魔を捌くのを、ちゃっかり青年達に押し付けていくのは忘れなかった。



「父上、戻りました」

 声をかけると、入りなさい、と返される。家の戸を押し開けると、父と兄が地図を睨んでいた。双方共に顔に疲労が滲んでいる。

「どうした」

「また出ました。今度は禍斗です」

 父と兄は互いを見交わした。

 禍斗そのものは小物の妖魔だ。それこそ十二になったばかりのユーシェンでも、剣の心得があれば仕留められるほど。しかしこのところ妖魔が頻繁に出没している。どれも小物ではあったが、間隔が短くなっている。

「そろそろ、だな」

 いかなる仕組みか、小物の妖魔が高頻度で出没するようになった後、今度は大物の妖魔が出て来る。さすがにそうなると人間の力では対応できないことも多い。襲われる前に逃げるか、襲われる前に襲うか。この二択しかない。

「新しく加わったばかりの者達にも注意しておかなければな……できれば武芸の心得がある者は加わってほしいが」

 重く息をついた父に、ユーシェンは頷いた。

「ユーシェン、近々討伐隊を編成すると皆に伝えて回ってくれ」

「長老会に諮らないのですか」

「今更だ。ああ、新しい仲間にはわしから伝えておこう。彼等には今しばらく近づくな」

 ユーシェンは頷いた。

「聞いています。東から逃れてきたと」

「ああ。東の国の跡取りだったそうだ」

 軽く目を見開いて驚きを示すユーシェンに、族長は苦い表情を見せた。

「そういう時代だ。『力』があるだけで恐れられる」

「……はい」

 ユーシェンが悄然と項垂れたとき、天幕の外から怒号が聞こえてきた。

「今度は何だ?」

 兄がうんざりだという顔で入り口に向かい、戸を引く。強い陽光が一瞬目を射て、それから外の様子が見えてきた。

 怒鳴っているのはくすんだ金髪に日に焼けた肌の男だった。まだ若い。服装から到着したばかりだという東の神力持ちだと察せられた。

「エクリス」

 ユーシェンは思わず腰を浮かした。若い男を怒らせているのは兄弟だったのだ。

「生意気だぞ! 子供を作れない無性体(シルグリアン)のくせに!」

 エクリスは年齢に似合わぬ嘲笑を浮かべて男に言い返した。

「ただの無性体じゃない。ユーシェンと僕は異能持ちの精霊の子(リアネージェ)だ。口の利き方に気をつけろ、武器を振り回すしか能のない奴が」

「何……!」

「精霊に命じてお前の喉を掻き切ってやっても良いんだぞ。すぐに謝るなら許してやらないこともない」

 小さい兄弟が本気だと悟ったユーシェンは、とっさに兄を呼んだ。

「兄上」

「ああ。お前はここにいろ」

 足早に家を出て行く兄に、ユーシェンも続こうとしていたが、かけられた言葉で思いとどまった。確かに下手に相手を刺激しては逆効果だ。

 そして同時に思う。なぜ性別を持たない者が生まれるのだろう。せめて無性体だけでも存在しなければ、こんなくだらない、無用の争いは避けられただろうに、と。

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