7話
その次の日、今日こそはと、私は朝から意気込む。直接家に行っても伝えることは出来るだろうが、私には勇気が足りなかった。出会った時にさりげなく言うのが定石だと思う。
予想はしていたけど、今日の朝もヒロ君は一緒に登校する気はないのか、今までのように家に来ることはなかった。ならばもう、学校に着いてからが勝負だった。
けれど、学校に来てみても会うことも叶わない。ホール―ムになっても、授業が始まっても、ヒロ君が姿を見せることはなかった。
もしかしたら嫌われただろうか。ヒロ君からしてみれば、それも仕方ないかもしれない。私は自分のことばかりだったから。放課後になったら、今日こそは直接家に行ってみようか。
考えをまとめていると、次の授業が始まる手前、教室が急にざわついた。
「……ぇ!?」
顔を上げるとすぐに原因がわかる。扉を開けて教室にヒロ君が立っていた。いつもと違い、顔に怪我を負ったていた。大きな湿布を貼っていて、酷いものだった。
「どうしたのそれ、大丈夫?」
クラスの女の子たちがすぐに集まり始める。ヒロ君を取り囲んでいた。
「大丈夫。ちょっとね。今は一人にさせてほしい」
そう言ってヒロ君は席につく。取り巻いていた女の子たちは、意を汲み取ったようで追求は諦めたようだ。けど、朝はタイミングを図ろうとしていた私が、今はそんなの考えられなかった。
「ど、どうしたの。その怪我」
私は直球で問いただす。
「別に。何でもないよ。階段で転んだだけ」
ハハ……と乾いた笑いを漏らす。私はその姿を見て頭にきた。さっきまで謝ろうとしていたことなど、忘れてしまったのだ。
「嘘でしょ! 私分かるの!」
我をも忘れてしまったようで、机をおもいっきり叩き声を荒げた。クラスの視線の的となった。
「じゃあ、ついてきて」
と、冷静に徹しているヒロ君が席を立つ。あまり公言はしたくないようだ。私も同意する。おとなしく着いて行くと、向かったのは屋上だった。
「どうして怒ってるの?」
屋上の中央あたりまで歩くときびすを返してきた。チャイムの音が鳴り響く。授業が始まってしまったらしい。
「治ってなかったね。誤魔化すときの独特な笑み」
思い出したんだ。何かを隠している時、言いたいことを抑えこんでる時に溢す乾いた笑い声。
「うん確かに。まだ治ってないみたい」
「それはいいの。何で隠すの? ……約束、したよね」
そうだ。自分で言って思い出す。約束したんだ。幼い頃、ケンカが弱くていじめられてたヒロ君が、争いを避けていつも乾いたように笑ってた。私はそれが気に入らなくて、意味もなくヘラヘラしてるのに憤りを感じて。
「うわぁ! 鬼がきたぞぉ!」
「こら待ちなさい!」
数人の男の子がクモの子のように散っていく。集まっていたところには、小さな男の子がいた。確か名前は……何だったっけ。その時は、まだ覚えていなかった。
「男の子でしょ! 何でやり返さないの!」
「……ぇ!? でも……」
「あんたがヘラヘラ笑ってるから、あいつらがいい気になるの!」
「でも……」
「嫌なんでしょ! せめて嫌だって言わないと」
すると、男の子はむ~と唸り始めた。あいつらが怖いと言うよりも、争い事が嫌いなんだなと思った。
「よし、じゃあ私が強くしてあげる」
「え?」
小さな男の子は酷く呆れたような、驚いた顔をしてた。
「ほら早く」
「う……うん」
世話好きな性分からだたと思う。嬉しくなった私は強く手を引いた。それに、半ば無理矢理ながらも、その男の子はついてきた。それが段々、当たり前になっていったんだ。
「ヒロ君ってさ。嘘ついてる時にも笑って誤魔化すよね」
「う~ん、そうかな」
「絶対そう。私は誤魔化せないよ。だから私に隠し事はなし。絶対だよ。約束だからね」
指切りをしようと、小指を差し出すと、嬉しそうに幼かったヒロ君も小指を出してきた。それから、ずっと一緒に遊んでいた。
「まいったな。ハルちゃんけっこう覚えてるじゃん」
「ヒロ君が思い出させてくれたの。私に隠し事はきかないから。それで、そのケガどうしたの?」
「ごめんね。これだけは言えない」
眉をひそめて困ったようにヒロ君は笑う。ここまで頑なになることが珍しくて、本当に何があったんだろうと、ますます気になってしまう。
「約束破る気?」
「幼い頃の話だよ。それに、これだけは譲れない」
それ以上動かなかった。やっぱり変わったところもあるんだと思う。昔の雰囲気は多少あるものの、随分と頑固になったと感じてしまう。
「それってつまり、私に逆らうの?」
「え?」
「忘れたの? アレのこと」
ヒロ君の顔が面白いほど変化し始めた。冷や汗をかいて、少し青いかもしれない。
「思い出した?」
「いや、それは、何ていうか……」
「久々だしね。張り切ってやろうかな」
満面の笑顔で言ってやった。すると、ヒロ君は素早く立ち上がって屋上の扉に逃げてしまう。
なんて俊敏だろうか。まだ切り札は残してあったというのに、ヒロ君は一目散に屋上から降りていく。私も後を追ったが、二段、三段飛ばしで降りていったようで、もう姿は見えなくなってしまった。まさかとは思ったけど。
「やっぱりトラウマだったんだ……」