5話
「ハルちゃん帰ろっか」
「うんいいけど」
放課後になってヒロ君が声をかけてくる。別に嫌ってわけじゃないんだけど、ここまでクラスの皆の前で堂々と言われると正直恥ずかしい。
「ハル、ハル」
「え?」
由佳里に呼ばれる。手招きしながら妙に小声で、何かあるのかと邪推してしまう。
「ごめん、先に行ってて」
「うん、門で待ってるよ」
臆面もなく、純粋に満ちた顔を向けてヒロ君が応える。それこそ私が行くまで何時間も待ってそうにふと思えた。
由佳里が机に座ってスタンバイしていたので、私も習って前の人の席を借りることにする。
「ハルってさ、香川君と付き合ってるの?」
「……え? ……え、えぇ!?」
由佳里が唐突にとんでもないことを訊いてくる。つい声を張り上げてしまった。周りの視線が痛く刺さる。
「驚きすぎ。だって香川君が転校してきていつも一緒にいるじゃん」
「いや、だからって。友達なだけだし」
「すっごく仲良く見えるよ?」
「そりゃ悪くはないけど」
「ハルさ。皆の意見知ってる?」
ここで急に由佳里がニコニコとし出す。笑顔には違いないが、ヒロ君のようなとはまた違い、何かありそうな感じだ。
「知らないけど」
「証言1、昔から知り合いらしいじゃん。実は幼いころに結婚の約束とかしてんじゃないか。証言2、香川君の昔知ってるなんて許せない。呪ってやる。証言3、あの二人ならけっこうお似合いだろ。証言4、あの女邪魔などなどエトセトラ」
「何それ」
「ん? アンケート調査。二人についてどう思うか。もちろん匿名でね。でも凄いよね。まだ数日なのに、公認の……」
と、一冊のノートを見せびらかす。が、そんなことは全く問題じゃない。待たずして私は言った。
「そうじゃないよ。何でそんなことになってるのかってこと」
だいたい明らかに公認じゃないし。特に女子と思われるコメントが。
「そりゃあいつも一緒にいるからでしょ」
あっさり答える由佳里。まぁ確かにそうだったかもしれないと思わないこともない。けどそこまで話が膨らんでいることに驚く。
「ふふ、まぁ人の恋愛は蜜の味って言うし」
「それ何か違うし」
楽しんでいるのか由佳里は気楽そうだった。
「でもさ、私は良い方向だと思うよ」
由佳里は伸びている茶髪の中に手を滑り込ませて肘をつく。そして今度は嬉しそうに笑う。
「何で?」
「あ~、自覚なし? この前は失恋したで泣いてたのに」
「いやあれは……」
言われてみればそうだった。その日からヒロ君が戻ってきて、何だかバタバタしてて忘れてた。
「思い出しても冷静なのは踏ん切りがついたってことでいいのかな」
「あ、うんそう……かな」
よく分からない。踏ん切りがついたというには至らないと思う。自覚してみればモヤモヤしたものが残っている気がした。
「よく、分かんないかな」
「はっきりしないねハル」
と、溜め息までつかれてしまった。そうはいってもよく分からないものはよく分からない。
「ヒロ君待ってるから行くね」
「あ、こら」
これ以上由佳里に言われても、うまく返せる自信がない。私は逃げることにした。
正校口を出ると、この学校はグランウンドを真っ直ぐ進めば正門に至る。皆が帰る中、ある程度まで門に近付くと、ヒロ君が壁を背にして待っていたのが目に入った。
「ごめん、待った?」
「いや、そんなに待ってないよ。帰ろうか」
帰る道を辿る。僅かにヒロ君の歩みが早い。思えばヒロ君が登下校ができるための付き添いで、私は一緒になっていた。ヒロ君も、もう一人で帰れる筈なのに不思議と一緒に帰っている。
「ハルちゃん、覚えてる?」
「え?」
「二人で遊んだときのこと」
「あ、うん」
朧気ではあった。でも、確かに二人で遊んでいたのは覚えている。幼稚園だったり近くの公園だったり。
「じゃあさ、あの約束も覚えてる?」
ヒロ君は私の前に立って訊いてくる。期待に満ちたような眼をしているのは、おそらく気のせいではないだろう。私は何の約束をしたのか。そこまでは覚えていない。幼い頃なら何でも約束してしまうし、何だっただろうと頭を巡らす。けれど、それらしいことは思い出せなかった。
「ごめん。覚えてない」
正直に答えた。申し訳ない気持ちではあったけど、誤魔化す方法が思い付くわけもない。
「……そっか、まぁかなり昔のことだからね」
てっきり落ち込むかと心配になった。でもヒロ君は笑顔を絶やさず仕方ないと言ってくれた。
「ごめんね」
「いいよ、気にしないで。変なこと言って僕こそごめんね」
逆にそう、謝られた。ヒロ君は、今度は違う話題で話しかけてくる。でも私は気付いてしまったんだ。微かな違いかもしれないけど、でもきっと大きい違い。多分、大事な約束だったんだと思った。