竜の住まう里~後編
それは、ドラグディール王国建国と竜騎士の誕生の物語から始まる。
ドラグディールはもともと竜の住処だった険しい山岳地帯だ。流刑にされた人々は竜の餌となっていたのは比喩でも何でもない。彼らにとって人間は、非常に簡単な狩りで得られる餌だった。
けれど住んでいたのは本当に竜だけだったわけではない。僅かながら、彼らを神と崇める原住民がいたのだ。彼らは竜と交信し、時に仲間を生贄に捧げながら細々と暮らしていた。
そんな彼らの住まいに一部の流刑者たちが合流し、彼らと共に生きるうちに、更に特殊な力を持つ者たちが生まれた。
それが今の竜騎士の源流となる能力者たちだ。今のドラグディールでは【感応力】と呼ばれている。
彼らは竜と話し、気が合えばという前提の下、竜を完全に従え騎乗する事を許された。暴れる竜を完全に支配下に置く者も現れた。初めて完全支配した者は女性だった為、竜は婚約者――後の建国王――に託されたという。
人と共存するうちに、竜たちの方も人を餌とする認識は薄れていった。今ではもう過去の悪習となっている。当時も狩るのが容易なだけで、それ程好んで食べるものではなかった…らしい。
やがて帝国の支配を逃れ、独立し、王と王妃の傍らに竜が寄り添う姿が当然となり、竜は王家の象徴としてもてはやされるようになった。そして竜騎士は王家以外の血筋にも表れるようになり、数を増やしていったのだ。
時代は変わる。
男性を支え、契約した竜を伴侶に託す女性の能力者たちとそうやって竜騎士となった者たちは、いつしか蔑視の対象となっていた。自身の力で契約できた竜騎士のみが神の竜騎士という風潮が生まれたのは、貴族たちの選民意識からだ。
けれどそんな風潮を変える力は竜たちにもなかった。感能力を持っていても女というだけで疎まれ、彼女たちはいつしか力を隠してひっそりと生きるようになっていった。
その中で王家に生まれた一人の女児は、建国王を支えた妃の再来と呼ばれるほどに強い感応力を持っていた。あまりに強い力で、生まれた時から竜たちが自ら寄って来たので、隠すことも出来なかった。
それが父王の不興を買った。王女は不遇の中育ち、やがて国外へ嫁に出された。
幸い夫となった人物は好青年で、子宝にも恵まれ、幸せな結婚生活を送ったようだが。
だがそれ以降、ドラグディールでは強い力を持つ竜騎士は誕生しなくなっていった。理由はわからない。同時に、契約をして竜を世界に連れだしてしまう流浪の冒険者が増えた。
今の王も王太子も、竜騎士ではないという話は知っている。竜騎士団も名ばかりで、数名いるだけという話も。
つっと、ハーヴェイの背に冷たいものが流れた。
「我らとの交流も保護も続いているから、我らが王家を見放すことはないがな…今のところ」
エインセラーズはハーヴェイの緊張に気付いていないのか、敢えて気付かないふりをしているのか。哀れっぽく、ほうと溜息を吐く。
ハーヴェイが隣に視線を移すと、レグルスの眉が下がっている。
嫌な予感は的中しそうだと思いながらも、聞かざるを得ない。
「王女の嫁ぎ先は、このリスヴィア王国ですか?」
「うむ。当時の王太子だ」
王女から王太子妃、そして王妃となった彼女には三人の子供がいたが、いずれも男子だ。その子らに竜騎士の資格があったのか、今ではもう確かめようがない。
けれど連綿と続く血統を調べることは今からでもできる。だが、今も王家に近い血統の中で女子は一人だけだ。
これはまた厄介なことになっている。ハーヴェイは額に手を当てた。
そうこうしている内に、馬車は本宮に到着してしまっていた。
馬車の乗り入れ口では長兄が待っていて、先に降りたハーヴェイに目を丸くして驚いていた。
この人も表情豊かになったものだ。
ハーヴェイはくすりと笑い、あとから降りてこようとするレグルスから、幼竜を受け取る。その肩にエインセラーズも飛び乗る。
レグルスは飛び跳ねるようにぴょんぴょんと馬車から降りた。ハーヴェイの脇をすり抜け、そのまま長兄に駆け寄る。
「シェル兄様!」
「はい。いらっしゃい」
兄は穏やかな笑みと共に、末の弟を抱きとめた。
「ヴィーも連れてきたんだね」
「ヴィー兄様が、送ってくださるって言ったのです」
「そう。ハーヴェイ、時間は?」
「大丈夫。多少遅くなっても、公爵の名前で何とかなる」
兄は少し顔を顰めたが、それでも頷いた。レグルスの手を取り、王宮内を進んでいく。ハーヴェイはその後に続く。
「ぴぎゃ…」
幼竜ラザローディアスが切なげに鳴く。途端、レグルスが足を止めた。シェリオンの手を払い、ハーヴェイのところまで駆け戻ってくる。
「おいで」
レグルスが両手を伸ばすと、ラザローディアスは手足をばたつかせる。ハーヴェイは落とさないように慎重にレグルスに渡した。
ラザローディアスを抱えたレグルスは、ギュッと抱きしめる。それからシェリオンの所に戻るが、レグルスの力では片手で抱えることは難しい。幼竜と兄を見比べ、オロオロとする。
シェリオンは苦笑する。そしてポンッとレグルスの背を叩いた。
「行こうか」
レグルスを促し、並んで歩く。レグルスはほっとしたように表情を緩めた。
シェリオンが後ろを歩くハーヴェイを振り返った。肩に止まるエインセラーズに目を向ける。それが酷く冷淡に見えて、ハーヴェイは首を傾げる。
「兄上」
「うん?何だ?」
ハーヴェイの呼びかけに、シェリオンは薄い笑みを見せる。知らずうちに背筋が伸びる。
エインセラーズが身を震わせる。
「おお、怖い怖い」
そう言いながら、声には笑いが含まれている。
ハーヴェイは内心溜息を吐きながら、表面は平静を装った。
「今日はどこへ?」
「陛下がお待ちだよ」
「あ~…やっぱりそうなるかぁ……」
面倒くさそうに、大仰に肩を落としてみせる。肩の竜がバランスを崩したのか、爪が肩に食い込んで微かな痛みが走る。それを手で支えて、先を行く兄の背に質問を投げる。
「でも、俺も行っていいの?」
「個人では呼ばれていないが、呼び出しはグランフェルノ家にかかっている。構わないだろう」
「うえぇ…」
げんなりするハーヴェイに、シェリオンが笑う。隣りのレグルスの頭を一撫でする。
「レグルスと同じ顔して嫌がる」
「さっきまで兄上と同じ眼をしたレグルスに怒られてました~」
「そうなの?」
「それはっ、ヴィー兄様がわけわかんないこと言いだすからです!」
レグルスがぷくっと頬を膨らませる。シェリオンが振り返ると、同じように不貞腐れた上の弟がいて、彼が噴き出すのは必然だった。
ドラグディールからの書状を受け取った国王は、一つ頷いた。
「あいわかった。幼竜が親離れの時を迎え竜王国に戻るまで、私の名でリスヴィア筆頭貴族グランフェルノ家が保護する」
「うむ。あとで書面にしたためていただきたい。ドラグディールの王に報告せねばならぬのだが、口約束だけでは煩い連中がいるのでな」
「無論。よいな、公爵?」
「御意」
グランフェルノ公爵は重々しく頷いた。
母親認定されたのはレグルスだが、実際面倒見るのはグランフェルノ家の使用人たちになるだろう。守るのも。
幼竜は疲れてしまったのか、今はレグルスの膝の上で眠っている。
エインセラーズはゆっくりと羽をはばたかせる。それは飛ぶためのものでなく、話を変えるためのもの。彼は首を巡らせる。
「やれ、こうも見事に移ってしまうとは…」
かつてドラグディールを建国に至った力は、全てリスヴィア王家に受け継がれていた。稀に生まれる強い感応力を持つ女性は、決して国外に出してはいけなかったのだ。
国王と王太子は顔を見合わせる。そして肩を竦めた。
「どうする?」
国王は仄暗い笑みを浮かべた。
ドラグディール王国は先祖の犯した愚行が原因とはいえ、面白くないだろう。竜にとっても、遠い地に自分たちを支配する力があるのは脅威である筈だ。
エインセラーズは首を傾げた。
「どうもせぬよ」
「ほう?」
「今回我が来たのは、この国で卵が拾われた事、卵が孵ってしまった事を確認し、親離れするまでの適切な育成方法を教える事。それだけだ」
リスヴィアの王族が竜騎士になる資格を持つかどうか調べることは任務に入っていないし、報告する義務もない。
エインセラーズはすいっと眠る幼竜に顔を近づける。
「それに王家もそれほど愚かではない。既にその可能性に気付いておるだろうよ」
「…王太子が度々訪問されるのは……」
「探っておるのだろう。それほどに竜騎士不足は深刻化しておる」
ドラグディールの象徴と言ってもいい竜と竜騎士。それが後残りわずかと聞けば、あちらがどれだけ焦っているかもわかる。
竜騎士の根幹となる素質がリスヴィア王家に移っていると公に知られれば、それもまた火種の一部となるだろう。
「陛下。発言をお許し頂けますでしょうか?」
凛とした声が響いた。国王は緩やかに笑みを浮かべる。
「公式の場ではない。以前のように話して構わないよ」
「ありがとうございます、ルー小父様。ですが今は……」
アルティアは僅かに視線を落としかけたが、毅然と顔を上げる。背筋をピンと伸ばして腰かける姿は、公爵令嬢として何の問題点もない。
無いことが、彼女の緊張をそのまま伝えてくる。
膝の上で重ねられた両手に微かに力がこもる。
「私は、ドラグディールに嫁ぐべきなのでしょうか?」
然るべくして出た質問に、国王は苦笑し、父公爵と兄弟たちは顔を顰める。
国王は公爵を見た。
「あの話はしていないのか?」
「必要がありませんでしたので」
素っ気ない答えにやれやれと国王は首を左右に振る。
「お前が『娘はやらん』というような親だとは思わなかった」
「里帰りもままならぬような場所とあっては、躊躇もするでしょう。普通の家庭の、まともな親ならば」
残念ながら、グランフェルノは普通の家庭ではない。否、家庭としては理想的かもしれないが、普通の家柄ではない。
アルティアは王族の血を最も濃く受け継ぐ女児だ。自由恋愛が許される立場ではない事は自覚している。王家から勅令が下れば、どこへでも嫁ぐ覚悟もあった。
「ティア姉様…ドラグディールにお嫁に行っちゃうのですか……?」
それまで黙って話を聞いていたレグルスが、か細い声を出した。隣に座る姉を不安げに見上げる。
「僕を置いて…?」
「まだずっと先の話よ?」
アルティアは表情を緩めた。弟の頭を撫でる。
「いつかは誰かのもとに嫁ぐわ。まさか一生独り身でいろなんて酷いこと、言わないわよね?」
レグルスはこくんと頷いた。膝に幼竜を乗せているので、あまり身動き出来ない。姉の袖を摘まむ。
「あんまり遠くに行っちゃ嫌です」
「そうね。私もそうしたいわ。貴方に会えなくなるのは辛いもの」
アルティアは僅かに腰を浮かせ、レグルスにぴったりとくっつくように座り直した。弟と腕を組む。
その様子を微笑ましく眺めながら、国王は公爵に視線を戻した。
「アルティア嬢の意志は確認できた…という事で良いか?」
公爵が険しい表情のまま頷く。
「ドラグディール王国より、リスヴィア王家を通じてグランフェルノ公爵家に王太子への婚約の打診はあったのは事実だ」
「それはいつ頃の話でしょうか?」
「昨年の秋。王太子が短期の留学に来た時だ」
リスヴィアは学校教育が根付いているわけではない。王立学院はあるが貴族ですら通学義務はなく、通うのは学識高い家庭教師を個人で雇うのが難しい中位~下位貴族や、裕福な家庭の子息たちである。そんな学院に外国の王族が留学など、正直疑問しかない。
婚約の話が出た時、そちらが本命かと理解はしたが、新たな疑問を作り出すだけだった。
リスヴィアとドラグディールの関係は良好だ。特に婚姻で結ばなければならないような案件はない。
王太子がどこかでアルティアと会い、恋に落ちた…というのならば、まあありえない訳でもないが、王太子はどんな娘かも知らなかった。
その時はアルティアがまだ未成年なことや、父公爵が国外に嫁がせることに難色を示していることを伝え、曖昧にしてしまったが。
「何にせよ、本人が望まぬ以上この話はこれで終いだ」
何かあればアルティアの意志を無視した婚姻も推し進めなければいけないが、今はそういう時ではない。
エインセラーズもこくりと頷いた。
「ならば我も口を閉ざそう。なれど姫君と末君には一度、我らが里へお越し頂きたいな」
まるで茶会にでも誘うように、エインセラーズは軽い調子で言った。
場に緊張が走る。
けれどエインセラーズは気にした様子もない。すいっとレグルスに顔を近づける。
「竜騎士が減っていることと関係あるかは未だ分からぬが、我ら竜も、数を減らしつつあるのだよ」
「何故ですか?」
「孵らぬ卵が増えておるのだ」
昔から、なかなか孵らない卵はあった。それが近年増えている。
竜の生態に詳しくない人間たちは、あまりピンとこない。それを悟ったエインセラーズは、説明する。
「竜は約一年の妊娠期間の後、一つか二つ卵を産む。卵は番が揃った状況ならば、二カ月ほどで孵る。親のない卵は孵り辛く、五十年かかった例もある」
「卵は死んでしまわないのですか?」
「殻が外から割られぬ限り、ほぼ死ぬという事はない」
生まれる前の竜の卵は、ちょっと落としたくらいの衝撃なら割れることはない。ただ竜の胎児は万能薬とも不死の妙薬ともなると昔から言い伝えられていて、人間が卵を奪って割った事例は数えきれないが。
レグルスが眠る幼竜を撫でる。
「だからこの子も生き延びていたのですね」
「うむ。だが、孵った経緯は見逃せぬ」
竜は親が大事に抱えて温め続けて、やっと孵化するのだ。そうしても孵らぬ卵が増えているのに、何故レグルスが見つけた卵はすぐに孵化したのか。理由がわからない。
レグルスに竜騎士の資格があるからなのか。それならば竜王国にわずかに残る竜騎士たちにも出来る筈だし、過去に遡りそういう事例が残っていてもおかしくない。伝わっていないという事は、その線はないと判断できる。
レグルスは首を傾けた。
「孵った経緯、は…ねえヴィー兄様……」
仰ぎ見た次兄には、思いっきり顔を逸らされた。頑なにこちらを見ようとしない。
話を聞いているほかの兄妹も同様だ。
エインセラーズはじっとレグルスを見つめている。
「……僕が美味しそうって言ったから?」
「…ほう」
エインセラーズが目を見開いた。
かつてハーヴェイが上司に話した内容とほぼ同じことを、レグルスが竜に話す。彼は目を白黒させていたが、怒りはしなかった。最後に溜息を吐かれたが。
「得体のしれぬものを食べようとするでない」
という説教と共に。
何はともあれ、いずれ機会があれば、竜の里に赴くことは了承した。
単なる偶然か、それとも他に理由があるのか。ラザローディアスを孵したのと同様に、他の卵を孵すことが出来るのかという実験もしたいという。
それならば卵を持ってこちらに来いというグランフェルノ公爵の横暴な発言を、エインセラーズは名案とばかりに受け入れたので、焦ったのは国王だ。エインセラーズのように小さな姿であれば目立たぬが、卵を持った本来の姿の竜が何頭もリスヴィアの王都に飛来すれば、大問題になる。
卵を孵す実験は、少なくともレグルスたちが王都にいる間は行わないという決定だけして、とりあえず解散となった。
赤燕騎士団の官舎まで送るという家族の申し出を拒み、ハーヴェイは徒歩で戻って来た。今更バレるも何もないが、これ以上目立つのも面倒くさい。弟のしょんぼりとした姿は若干良心に刺さったが、休日にはまた外へ遊びに連れて行く約束をしたので気にしないようにする。
当直の騎士に見つけられ、軽くなった頭部を見つめられた。
「寂しくなったな…」
「誤解を招く言動は慎んで頂きたい!」
そんなやり取りが何度となく繰り返された。
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早速報告してくださった方、ありがとうございます。