黒き怨念と白き記憶
最初現れたユリアナの兄・リオンは、まだまともだった。見送りに出た侍女頭や仲間たち、そして文官たちにも礼儀正しく、頭を下げたのだ。
予めユリアナの状態は書状にして送ってあったとはいえ、それなりにショックはあった筈だ。
ユリアナの前にリオンが立つ。妹が微笑んだ。兄は眉根を寄せる。
「何やってんだ花嫁修業しに来たのに何嫁にいけない体になってんだしかも声も潰されてだから家で母さんの手伝いしてりゃあいいって言ったのに隣のおばさんに無理言って結局これかよあわよくばとか夢見てっからこんなことになるんだ本当に馬鹿な妹を持つと苦労する」
抑揚も息継ぎもなくまだ喋りそうな兄の口元に、ユリアナは人差し指を当てる。唇だけで「ごめんなさい」と告げる。
リオンはますます表情を険しくさせる。
「本当に喋れないんだな」
伸ばした手が、ユリアナの背に回される。
「こんの馬鹿がっ……」
抱きしめられた妹は大きく目を見開いた。その目にたちまち涙が浮かぶ。そのまま兄の胸へ顔を埋めた。
戻ってきてからも、未だ帰ってこれないレグルスを心配し、一度も泣くことをしなかった。今は掠れた泣き声が聞こえる。
泣いて気が抜けたのか立てなくなった妹を抱えて、彼らは故郷へ帰っていった。
その時の様子が見えるようで、エイルが苦笑する。
「あの独特の喋り方は、多分母親に口を挟ませないようにする為かと」
「お母さんはどんな方ですか?」
「大変ご陽気な方ですよ。話し出すと止まらなくて、人の相槌も待たずにひたすら話す方なので…リオンは自分の話を聞いて欲しくてそうなったのでしょう」
くすくすとレグルスは口元を両手で覆って、可愛らしく笑っている。
重苦しい話が終わった後、レグルスがエイルから差し出されたのは、魔術協会で別れたユリアナからの手紙だった。彼らが同郷、まして隣人だと知らないレグルスは、目を真ん丸にして手紙とエイルを何度も見直していた。
後で返事を送ることを約束して、レグルスはユリアナの今の様子を聞きたがった。
レグルスは彼女が元気に過ごしていることを知り、ほっとしたようだ。
ユリアナの兄が結婚間近で、兄嫁になる友人の手伝いに忙しいと伝えれば、今度は王太子が驚いた。
そしてユリアナを迎えに来たリオンの話を聞かされたのである。
「ユリアナのお兄さんは、頭の良い方なのですね」
「何故そうなる?」
「だって、間を入れないっていう事は、それだけ言うべきことを先に頭で考えられるって事でしょう?」
「考えるより先に口に出てるだけっていう事もあるよ」
「だって、僕には無理です。そんなに言葉出てきません。姉様と喧嘩すると、いっつも言葉が出てこなくなって負けちゃいます」
レグルスは話の後に用意されたお茶に手を伸ばす。少しぬるくなったそれをゆっくりと飲む。そして一つ息を吐いた。
「知識を持っていても、人に上手に教えられるとは限りません。沢山の言葉を知っていても、咄嗟に出てくるとは限りません」
「ふむ…」
レグルスの言う事には一理ある。
王太子は顎に手を当てた。
レグルスはカップを置くと、再び笑う。
「でも、少し不器用な方みたいです。喋ることに一生懸命で、感情が上手に出てこないのでしょうね」
「そうかもしれません…」
エイルは溜息交じりに答えた。
話が終わり、レグルスとエイル、それに王太子だけしかいない。あとはそれぞれ仕事に戻ったり、家に帰っていった。
王太子の近衛騎士は部屋の外での護衛、近侍は各所に謝罪回りだ。
レグルスはここで迎えを待っている。
王宮で姿を晒せない為、夜を待つエイルと共に。
「ユリアナも幸せになって欲しいです」
ポツリとレグルスが零す。目が細められる。
「きっと綺麗な花嫁さんになります」
「…そうですね」
エイルにはそう答えるのが精一杯だった。
声を失っても、ユリアナは良い妻になるだろう。けれどそうなれない事情もある。
割と自由な恋愛が認められているリスヴィアでも、女性の貞淑は重要視される。きちんとした家であればあるほど。
レグルスが気にしなくても、周りはそれ程達観はしていないのだ。
「ヴェル兄様はフラれちゃいましたから」
「え…?」
「いざとなったらエイル様、貰ってあげてくださいな」
「余計な世話を焼くものじゃないぞ」
王太子が呆れる。レグルスは微笑むだけだ。
エイルだけが固まっている。
レグルスの首に巻き付いた蛇が鎌首をもたげた。
「おチビちゃん、伏せて」
レグルスがとっさに椅子から滑り落ちる。
次の瞬間、音もなく窓が消えた。開いたわけではない。そもそも、はめ込み式の窓は開かない。
黒い影が飛び込んでくる。それはレグルスのいた場所を正確に通り過ぎた。影は舌打ちを漏らし、追撃してこようとする。
「誰か!!」
ヴェルディの鋭い声が飛び、エイルも抜いた剣を影へと振る。影は俊敏に避け、開いた扉から近衛たちが飛び込んできた。
影が逃げようと窓枠に飛び乗った。その首にピタリと冷たいものが当てられる。
「まだお帰りになるには早いでしょう」
「マリス!」
フォンの鋭い声が飛び、マリスは咄嗟に影から飛びのいた。そこを黒いものが通り過ぎたが、見えたのはレグルスだけだ。
窓枠に乗った影がにたりと笑う。
レグルスが身を震わせた。大きく目を見開いて、影を見つめている。
「おチビちゃん。騎士のお兄サンを隠して」
「え…」
「魔具を使えばできるデショ?」
「は、はいっ」
レグルスは慌てて守護天使の翼を発動させる。光の粒がエイルに触れると、その姿が消えた。
しかしそれを見届けた影は、ひらりと窓の向こうに消えて行った。
「あっ…」
レグルスが窓に駆け寄る。逃げていく後ろ姿が木立の向こうに消えていく。
「追え!」
「ダメです!!」
騎士たちに指示を出した王太子に、レグルスはすぐさま反発した。窓枠から身を乗り出している。
「追ってはダメです。あれは…人の手に負えるモノでは……」
「レグルス!待て!!」
王太子の制止も効かず、レグルスが窓の向こうに飛び降りた。
見えるのは、黒い煙のようなもの。それがまるで風に靡くように、筋になって残っている。
あの男から垂れ流されたものだ。邪気を放つ人間など、この世界にはいないはずなのに。
走っても間に合わない。レグルスは転移を発動させる。出現先は逃げた影の真上。
「うぎゃっ」
影…醜い小男は、レグルスに押し潰されて悲鳴を上げた。
小汚く醜いが、普通の人間のように見える。邪気を放っていなければ、ただの人だろう。
レグルスは魔具で男を拘束する。
「…見事な青銀ですね……それにグランフェルノの守り神。珍しいものを拝見しました」
落ち着いた男の声がかけられた。
ぞわりとレグルスの全身が総毛立つ。反射的に飛びずさる。懐に隠した短剣を抜く。
そこにいたのは壮年の貴族の男だった。一見柔和そうな表情を浮かべている。
「クラルバーニュ…」
フォンの呟きが耳に届く。
年齢から、大公ではなく息子の方だろう。
つっと背に冷たいものが流れる。
レグルスの目は、男から黒い煙を映さなかった。けれどそれ以上に歪んだものが見えた。ぐるぐると渦を巻く、闇色の何か。到底レグルスの手に負えるモノではない。
ではどうするか。ここから逃げ出して、誰にこれの相手が務まるのか。
レグルスは一つ息を吐き、姿勢を正した。男に短剣の切っ先を向ける。
「これはお前の手引きですか?」
素知らぬふりをして、男に訊ねる。
男は小首を傾げた。
レグルスは顔を顰める。
「王太子殿下を狙った不届者を、この王宮に招き入れたのはお前の仕業ですね?」
「待ってください。私は偶然居合わせただけで……」
「近づかないでください」
天使の翼が発動する。男は足を止めた。
「お前、何者です?」
レグルスは男を知らない。フォンが知っていても、意味はない。
男が困ったように微笑む。それがどれだけレグルスに不気味に映っているか、まだ分かっていないだろう。
レグルスが結界を発動させた。
「その内に何を飼っているのです…!?」
僅かだが男の纏う空気が変わった。闇色の何かが渦を巻くのを止め、蠢きだす。
首元が動くのを感じて、レグルスは胴体を掴んだ。
「ぐえ!?」
「まだここに」
フォンは涙目でレグルスを見たが、レグルスは男から視線を外せない。シューという息だけ吐き出して、フォンはレグルスの首に戻る。
「君の目は、リンジェリン王女と同じだね?」
「訊ねた事にも答えられない者に質問されて、答えるとでも?」
「確かにね…けれど」
男の視線が鋭くなる。
「私が素直に答えて、君は教えてくれるのかな?」
レグルスは目を眇めた。無言のまま男と睨み合う。
男が一歩、前に足を踏み出す。
レグルスは退くことも進むことも出来ず、眉を寄せた。決して怯えを出してはいけないと分かっている。それが難しい事も。
光の粒が閃いた。幾つかの閃光が男の足元で炸裂する。男は忌々し気に顔を歪め、足を止めた。
「何故答えねばならぬのですか?大公子息とはいえ、お前は貴き者ではないでしょう?」
「…ふ。貴賤に拘らぬと豪語するグランフェルノ家の子息が、そのような……」
「貴賤は問わずとも、忠誠心は問います」
レグルスは短剣を構える。無手の男相手にと思うが、正直、勝てる気はしない。そもそも、武器がどうこうという話ではない。
蠢く闇がズルズルと広がり始めた。
レグルスはハッとする。
光の粒が一つ弾けたと思えば、地面に伏せたままの小男を自分の傍へと転移させた。
フォンが訝し気にレグルスを見る。
「お前、邪霊持ちですね?」
男がピクリと顔をひきつらせた。それからにたりと笑う。
レグルスが身を震わせる。
「それが解ったとして、君に何が出来る?私を祓うとでも?」
出来ない。レグルスにそんな力はない。見るだけとは、どれだけ歯痒いことか。
レグルスは顔を歪ませる。
足元小男が呻いた。
レグルスが意識を逸らされた。僅かな瞬間だった。
男との距離が縮まり、足元に闇が迫ってきた。
「おチビちゃん、お逃げ」
黒いものがふわりと舞い、視界を覆った。
「ダメです、フォン!」
人型に戻ったフォンが男に刃を振り下ろす。けれどそれは届かない。闇がフォンを取り込んだ。
只人の目には突然フォンが崩れ落ちたように見えただろう。
レグルスだけが、フォンの中に闇が入り込んだことを見ていた。
「グランフェルノの者に手を出すな!悪霊如きが!!」
「如き!ならばその悪霊如きに君は何が出来る!!」
邪霊を祓うことが出来るのは、神を降ろした神子だけ。レグルスは見えても、出来ることはない。
魔具に込められた閃光を放っても、邪気と違い邪霊は払うことが出来ない。
それでも諦められず、レグルスは闇の中に足を踏み入れる。
闇が体を這い上ってくる。まるで虫に体中を這い回られているようだ。
気持ちが悪いのを堪え、レグルスは男の足元に伏すフォンの前にしゃがむ。息はある。けれど目覚めた時、それはもうグランフェルノ家に忠実な裏方の長ではない。
「…僕の…グランフェルノに……」
闇がレグルスの中にも入ってこようとする。それをレグルスは振り払った。
「つまらぬ手出しをするな!!」
一喝と共にぶわっとレグルスの中から飛び出したのは、白い靄。それは闇へ覆いかぶさる。
「…っ!?」
今度飛びずさったのは男の方だった。闇が靄から逃げようと男のもとに収縮する。
但し、驚いたのはレグルスも同じだ。
(え…どうして?)
靄はゆらゆらと揺らめいて、レグルスの足元に漂っている。中を探れば、いつもの場所に揺らめく白いものはない。
これは「彼」だ。こんな風に表に出てこれるとは思いもしなかった。
靄に手を入れてみるが、いつものように記憶は探るような感覚だけしかない。「彼」の意識はそこになかった。
靄がフォンを覆っていく。浸透するように中に吸い込まれたと思ったら、内側から闇を引きずって出てきた。うねうねと動く闇を逃がさないように囲んでいる。
心配で見ていれば、闇はだんだんと薄れて行き、白い靄が濃くなっていく。
(え?喰べているのですか…?えぇえ!?喰べて平気なのですか!!?)
濃さが靄から霧になるのを、レグルスは驚愕と動揺と共に見つめていた。
「貴様こそ、内に何を飼っているっ!」
男が喚いた。先ほどまでの余裕のある様子はない。
そんなのはレグルスだって聞きたいが、落ち着いて振り返る。
「お前こそ、何が見えているんです……?」
男が言葉に詰まる。
形勢が逆転した。けれど時間がない。レグルスたちを追いかけてきただろう、騎士たちの声が近づいている。
レグルスはゆっくりと立ち上がった。フォンに憑りついた闇を食べ尽くした霧が、レグルスの動きに合わせて揺らめく。
「これ以上余計な真似をするというのなら、今すぐ消します」
白い影が闇に向かって動き出す。男が怯んだ。
レグルスはふいっと男から視線を外した。
「化物め…」
「それはお前でしょう?既に朽ちたものだというのに、いつまでも恨みがましく生者に憑りついて…一体何がしたいのです?」
男が舌打ちを漏らす。騎士たちの声が近くに聞こえ、素早く身を翻した。
遠ざかる足音に、安堵の息が漏れる。
レグルスはさらりとフォンの髪を撫でた。フォンが反応する。耳元に顔を寄せる。
「フォン。起きてください」
「…おチビちゃん…無理するネ……」
苦笑と共に目を開けたフォンは身を起こす。
レグルスは嬉しそうに笑って、フォンの頬に触れた。フォンがその手を取り、頬擦りする。
「一応ワタシも妖…魔族の一種だから、邪霊に完全に憑りつかれることはないヨ」
「そうなのですか?僕、余計な事しましたか?」
「否…助かったヨ~」
よっこいせと立ち上がる。そしてレグルスも立ち上がらせる。だが、すぐにぺたんとまた座り込んでしまう。
「おチビちゃん?」
「…腰が抜けました……」
「アラ~…」
フォンはレグルスを抱え上げた。人ではないフォンは細身に見えるが、意外と力もある。
レグルスは抱えられて顔を緩ませかけた。が、まだ終わっていない事を思い出す。
「フォン。彼の所に連れて行ってください」
「はいはい」
魔法で地面にはりつけにされた小男の傍に降ろしてもらう。
隣に座ったレグルスに、男は視線だけ向けてくる。濁った瞳が無感情にレグルスを見つめている。男に纏わりつくように、邪気が漂っている。
レグルスは男に触れた。
(…アレ?リョーヤ、どこ行っちゃいましたか?)
いつの間にか白い霧はレグルスの中に戻っている。内側に漂うそれをかき混ぜながら、表に出す方法を思い出そうとするが、解らない。
レグルスは焦る。
(えぇと…)
暫し悩んだ後、レグルスは白い靄に向かって呼びかけてみることにした。
「ごはんですよ~…」
霧が出てきた。男を覆っていく。
レグルスは両手を地面について項垂れた。
「おチビちゃん?どーしたの?」
「いえ、何でもありません。ありませんから!」
少し情けない気もしながら、レグルスは先ほどまでのことを思い起こす。
フォンにはこの白い霧は見ることは勿論、気配を感じることも出来ない。自分に入って来た時は何か感じたらしいが、それだけだ。邪霊は感じることが出来るが、邪眼ではないので見えない。
あの男、クロード・クラルバーニュには見えていた。もちろんレグルスにも見える。
なら彼と邪霊の本質は、同じものという事になる。
レグルスは若干蒼褪めつつ、彼が中に戻ってくるのを感じて小男に視線を戻す。
嫌な気配は消え、邪気も綺麗に片付いている。
小男の目には怯えの色が浮かんでいた。手が小刻みに震えている。
「拘束の魔法を解きます。逃げれば殺します。いいですね?」
魔法を解くと、小男はそのまま平伏の姿勢を取った。ぶるぶると全身を震わせている。
「ここにいる理由を覚えていますか?」
「…っ!!……!!」
小男が何か言おうとしたが声にならず、ただ必死で頭を横に振った。
「最後の記憶で、貴方は何をしていましたか?覚えていることを素直に話せば、ここから逃がすこともやぶさかではありません」
男はばっと顔を上げた。
レグルスは出来るだけ冷淡な表情を作る。
「早くしなさい。騎士たちが追いつけば、引き渡さざるを得ません」
「はひっ!えぇと…ひ、人にこ、声を、かけられた、ような……?」
つっかえながらも、小男は話始める。それさえも朧気なのだろう。けれど必死で思い出そうと頭をひねる。
「き、貴族…ずず、ずいぶん、みな、身形の、よ、よいだん、なに、かねに、なるし、仕事を……」
「それを受けたのですか?」
「いいえ!…はぁ……いや?受けた……?」
その辺は既に記憶があやふやらしい。
レグルスはフォンを振り返る。
「彼は同業と見ますか?」
「ムリムリ。これが演技なら、うちで欲しいくらいだヨ~」
小男は再び頭を地面に擦り付けている。鼻を啜る音が聞こえた。
レグルスはゆっくりと立ち上がる。今度はちゃんと立てた。
「着いてきなさい。逃がします」
男が恐る恐る顔を上げた。レグルスはまだ頼りない足取りで、更に人気のない方へ歩いていく。それを支えるようにフォンが手を差し伸べた。
「早く来ないと、死ぬヨ?」
呆けていた男は慌てて立ち上がる。涙を拭いながら、ひょこひょこと後を着いてくる。ローブの裾から小動物の足が覗いている。
レグルスが来た先は、小さな小屋が立っていた。扉を開ければ、なんてことはない。庭師たちの使う道具が整然と置かれている。
レグルスは片隅に備え付けられた小さな暖炉に近づいた。コツコツと、幾つかの石を叩く。すると魔法の仕掛けが動き、暖炉の奥が開けた。小男を振り返る。
「距離はありますが、王都の外にまで続く一本道です。行きなさい」
男は暖炉の奥の通路と、レグルスを見比べる。
レグルスは目を眇めた。
「死にたいですか?」
「ひぇ!行きます行きます!!」
男は慌てて暖炉の奥を覗き込む。中は真っ暗だ。
恐る恐る足を踏み入れる様子に、レグルスは声をかけた。
「獣人なのですから、人より夜目が利くと思いますが…見えますか?」
「だ、だいじょうぶでさぁ!!」
「そうですか。でも、念のために」
レグルスは腰から灯りの魔具を外した。男の手を取り、それを握らせる。
「持っていきなさい。装飾が付いていますから、売ればそれなりになるでしょう。ここを出たらそれをお金に換えて、王都から逃げなさい」
「…なんで……」
小男が不思議そうにレグルスを見た。小男は自分が何をしたか、はっきり覚えていない。けれどとんでもない事をしでかしたのだとは想像に難くない。
目の前の綺麗な子供が何者かもわからないが、こんなに親切にしてもらう理由はもっとわからない。
レグルスは微笑む。
「貴方も守るべきリスヴィアの民です。ただ死なせることは、僕の意志に反します」
ポカンとする小男の肩を掴んで、通路へと向きなおらせる。
「行きなさい、そして生きなさい。例えどんなに辛い人生だったとしても、貴方の意志さえも人にいいように操られて、無様に殺されるよりましでしょう」
小男はレグルスを振り返る。けれどすぐに通路の中へ入っていった。
小男の姿が闇に溶けていくと、レグルスは隠し通路の扉を元に戻した。
フォンが苦笑と共に、白蛇に姿を変える。そして元の通りにレグルスの首に巻き付いた。
「父様に報告しますか?」
「私はグランフェルノ公爵にお仕えする影だからネ」
「そうですか…上手に報告してくださいね?」
レグルスはフォンを撫でて、小屋を出た。フォンがその頬にすり寄る。
「了解」
小屋から出て幾らもしないうちに、レグルスは追ってきた騎士に捕まった。
危険な行為をして逃げられて、レグルスは散々な説教を食らった。王太子と兄に散々怒られて、最後には隠し通路に姿を隠していたエイルが間に入って二人を宥めて事なきを得た。
ようやく屋敷に帰ってきたときにはすっかり目を腫らしていて、それを見咎めた姉に長兄が怒られたのは、また別の話である。
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