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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
幼年期
9/99

8.黄昏の塔






 日々は何事もなく進む。



 その日のヴェルディの執務は、書類仕事だった。父王から回ってきた事務仕事を、淡々とこなすだけ。内容はほぼ向こうで精査されているから、特に変更する必要性も疑問もなく、サインをして印を押す。

 だが単純な仕事だけに、飽きも早い。少しばかり気分転換しようと、立ち上がった。


「殿下?」

「少し休憩させてくれ。さすがに手が痛い」


 そう言って手を振ると、近侍は懐から懐中時計を取り出した。時間を確認して、頷く。


「お茶の用意をさせましょうか?」

「いや、いい。目に優しい風景が見たい」


 自分で窓を開け、息を吐き出す。


「ここから見ても、緑しかありませんよ?」

「文字よりマシだ」


 綺麗な花の咲く庭は少し遠い。この部屋の外は、整えられた灌木が並ぶばかりだ。

 侘しいとも言えなくない光景だが、文字が躍っているように見えた王太子の目には、整然と並ぶ灌木すら愛しく映った。

 父である国王はこの何倍もの仕事をこなしているという。いずれ自分が玉座に座れば、それを全て引き受けなくてはならない。正直ゾッとする。

 成人と共に、一部の公務を任されるようになった。少しずつ慣らしていけという父王の配慮は嬉しいが、慣れるのは当分先のようだ。


 ふとヴェルディの目に付いたのは、盆を持った侍女だった。何気ない様子だが、気になった。

 凝視していると、部下二人も彼の視線の先へと目を移した。


「殿下?彼女が何か?」

「…あの侍女、どこから戻ってきた?」


 盆に載っていたのは、空の皿。この先は特に建物はない筈だ。


「外で食事したとか?」

「一人で?城の従事者が食事できる美しい庭は、沢山あるというのに…こんな王族の政務室に近いような場所で?」

「聞いてきましょう。殿下は仕事をなさってください」


 シェリオンが身を翻す。こういう時、彼は行動が早い。無駄に時間をかけると、主人が勝手な行動をする、という理由もある。

 ヴェルディも彼に全てを任せると、机に戻る事にした。






 すぐに戻るかと思われたシェリオンがようやく戻ってきたのは、陽も傾いた頃だ。

 乱暴に扉が開かれたと思ったら、青銀の髪を乱して息を切らせた彼が現れた。


「どうした?」

「あの侍女の行き先は『黄昏の塔』でした」


 その名は勿論、ヴェルディも知っている。だが、知っているだけだ。あの塔が使われたという話はここ何十年と聞かない。

 ヴェルディは印章を押し、書類を片付けた。


「話せ」

「この侍女は先月、仕事を引き継いだばかりで、この仕事がいつ始まったものかは知りませんでした」


 塔の中に誰が幽閉されているのかも知らない。ただ、誰かがいることは確かなようだった。入り口の鍵を開けた先の、小さなホールに置いた食事は、翌日取りに行けば必ず空になっているという。

 食事の内容は地下の牢獄に閉じ込められている罪人と一緒。硬い黒パンと、殆ど具のない塩味のスープ。

 それまで勤めていた侍女は、結婚退職して王都を離れている為、すぐに話を聞けない。

 代わりにシェリオンが向かったのは、国王のもとである。黄昏の塔は王族専用の牢獄。ヘタな役人に訊くより、遙かに効率的。

 忙しい国王に急ぎの面会を求め、ようやく叶ったのはつい先刻。


「国王陛下も、塔に誰が幽閉されているのか、ご存じありませんでした」

「マジで!?」

「すぐに塔へ行って確かめる。鍵は?」

「陛下のご命令で、鍵番を呼んであります。塔へ来る手筈に」


 ヴェルディは執務室を出た。シェリオンとハロンが後を追いかける。


 塔の下には鍵束を持った兵士が待っていた。齢を重ねた老年の男だ。それに先程の侍女もいる。

 彼はヴェルディたちの姿を確認すると、恐縮したように頭を下げた。


「開けますが、よろしいでしょうか?」


 ヴェルディが頷く。彼は侍女へと目を向けた。

 侍女は真っ青な顔をしていた。今にも倒れそうだ。彼女は言われた職務を全うとしていたにすぎない。それがこんな事態になり、動揺しているのだろう。

 ヴェルディは表情を緩めた。


「君はここで待て。もし中で何か生じた場合…そうだな。一時間たっても誰も戻ってこなかったら、すぐに近衛に連絡してくれ」

「は、い…!」


 まだ年若い侍女は、身を竦ませながら答えた。目には涙が浮かんでいる。

 ふっと微笑みをみせる。殊更優しい声音で、言葉を重ねる。


「大丈夫。君はただの証人として呼ばれただけだ。罰したり、解雇になったりするようなことはない」


 途端、侍女の緊張が緩んだ。安堵の表情が広がる。

 鍵が開き、扉が軋んだ。

 ヴェルディは彼女に念を押す。


「先程言った事、忘れるなよ」

「はい」


 侍女は若干落ち着きを取り戻したように、深く頭を下げた。

 中に入れば、まずは小さな空間。奥にはもう一つ、鉄格子の扉がある。その奥に上へと続く狭い階段があった。

 床には昼間運ばれた食事。硬い黒パンがまだ半分ほど、塩味のスープに浸かっていた。後で食べようと思ったのか、食べている途中で扉が開かれそうになって逃げたのか。それは判断できない。

 兵士は慎重に鍵を選び出し、扉にかかった鍵を開いた。そして鉄格子を横へとスライドする。


「この上にある部屋は一つだけか?」


 ヴェルディが訊ねると、兵士は首を左右に振った。


「王族の方が問題なく過ごせるよう、浴室などもあるそうです。従者や見張りの騎士が一緒に入る場合もあったそうなので、控えの間なども」

「全て確認するのは大変そうだ」

「ですが、まずは最上階へ。何方かが幽閉されていらっしゃるのであれば、入り口の開いた今、最上階へ閉じ込められている筈ですので」


 兵士は淀みなく答えた。階段を登りながら、黄昏の塔について説明する。

 三人はこの塔のからくりを知らなかった。説明されて、顔を顰める。

 侍女が、此処に閉じ込められている人物と全く顔を合せなかった理由が、ようやく理解出来る。入り口に置いた食事がどうやって消えるかも。


 最上階が近づく。自然と皆、無口になった。彼らが発する音以外、何も聞こえない。


 螺旋階段を慎重に上がっていく。

 淀んだ空気に、無機質な足音だけが響く。登り切った先に、堅牢な扉が現れる。

 無言のまま、鍵を開けるように促す。ジャラリと重い音を鳴らし、兵士は鍵束から一つのカギを選びだした。乾いた音の後、扉が悲鳴と共に開かれた。

 長く閉ざされたままである筈の扉の奥から、すえた匂いが漂ってくる。


 何かがいる。


 入ろうとすれば、ハロンに押し留められる。彼はゆっくりと首を左右に振り、自身が先に立った。

 思わず苦笑が漏れ、ハロンの後に続いて部屋に足を踏み入れた。

 塔の最上階にある、狭い部屋。置いてあるのは小さなテーブルに椅子、粗末な寝台。それだけ。

 

「…誰もいない……?」


 更に後から入ってきたシェリオンが呟く。

 それにしては、時折鼻につく臭いが気になる。誰もいないというのなら、もう何十年も使われていない牢獄に漂うのはもっと乾いたものか、黴臭いものだろう。






「だあ・れ?」






 掠れた小さな声。とっさに腰の剣に手がいった。

 声の主を探すが見つからない。

 金属の擦れる音がする。音を頼りに探せば、壁から鎖が伸びていた。それは寝台の下へと続いている。

 シェリオンが覗き込むと、小さな物体がこちらを窺っている。


「出てきなさい」


 声をかけると、それは首を傾げるような仕草を見せた。そしてずるずると、体を引きずって寝台の下から這い出てくる。

 出てきたのは子供だった。頬はこけ、目は落ち窪み、手足は枯れ枝のようだ。身に纏う服もボロボロで、辛うじて体にひっついているような有様。

 そして何より目に付いたのは、左足に付けられた足枷。鉄輪が擦れて、周辺の皮膚の色が変色している。

 子供は伸び放題の髪の向こうから、ギョロリとした目で彼を見上げた。乾いた唇から、やはり掠れた声が漏れる。


「だぁ・しぃ・て、く・れぇ・る・の?」


 ゆっくりと、一つずつ区切るように言葉を発する。少しおかしい発音は、長く喋る相手がいなかったからか。

 ヴェルディが傍に寄ろうとするのを、ハロンに止められた。


「何故ここに居る。ここで何をしている。お前は…何者だ?」


 シェリオンが訊ねるが、子供はじっと彼を見上げるだけだ。無表情のまま。

 何を言われているのか、きっと理解できていない。この見た目のままの子供なら。


「お前、名前は?」


 ハロンが剣の柄に手をかけたまま、声をかける。子供の目がこちらに向いた。


「なぁ・ま・え?」

「そう。名前。オレはハロン。この人がヴェルディ。それはシェリオン」

「は・ろん。べぅ・でぃ?しぇ・り……?」


 子供がこてんと首を傾ける。

 そして、一番好意的といえる雰囲気ではないシェリオンへと、手を伸ばしたのである。






「しぇ・る・にい・さ・ま」





 それは全く予想しない呼びかけだった。

 この場にいた全員の思考が一瞬、完全停止した。子供を凝視する。

 子供の両手は、しばらくシェリオンへと向けられていた。だが反応しない彼に諦めたのか、ただ疲れただけなのか、糸が切れたように腕を下ろす。

 そこで僅かに頭が動き出す。


「お前に兄などと呼ばれる謂れはない」


 シェリオンの声は冷たかった。

 子供は俯く。ずるりと体を床に這わせ、ベッドの下に戻ろうとする。

 それを阻むように、シェリオンは髪を掴んだ。


「いぅっ」

「待て!乱暴は止めろ」


 子供の悲鳴に、ヴェルディが声を荒げた。

 シェリオンは顔を顰める。手を離すが、べっとりと手に汚れが付いた。

 子供は怯えた様子で、ベッドの下に潜り込んでしまう。小さな声が聞こえた。


「こぉ・ろ・すぅ・の?」


 シェリオンが僅かに表情を強張らせる。

 咎めるような視線を送れば、気まずそうに逸らされた。


「…誰かに殺すって言われたのか?」


 這いつくばってベッドの下を覗けば、子供はのろりと首を振る。


「でぇ・も・にい・さ・ま、ちぃ・がぁ・う・て。すぅ・て・らぁ・れ・たぁ・の」

「だからお前の兄では……」

「少し黙ってろ!」


 ヴェルディは怒鳴った。ベッドの下で、子供が身を竦ませる。

 一瞬の気迫に、シェリオンもハロンも唖然とさせられた。

 ある可能性に、シェリオンが気付いていない。ハロンを押しのけ、子供へと手を伸ばす。


「出ておいで。大丈夫、殺したりしない」

「お・うぅ・ち、かぁ・え・れぇ・る?」

「勿論。ちゃんと帰してやる。ご両親も待ってるぞ」


 鎖が音を立てた。再び頭が現れる。


「とお・さ・ま。かあ・さ・ま。あ・えぇ・る?」

「会えるぞ。だからおいで、レグルス」


 ヴェルディの呼びかけに応えるように、子供が這い出てくる。

 シェリオンを避け、ヴェルディの方へと近づこうとする。が、剣の柄に手をかけたハロンを前に、動きが止まる。

 シェリオンは茫然としたまま、その名を口にする。


「…レグルス……?」

「はぁ・い」


 小さな声ではっきりと、子供は応えたのである。

 シェリオンが素早く纏っていた上着を脱いだ。みすぼらしい姿の子供に被せる。


「ごめん、レグルス…!レグルス、ごめんね。ごめん、忘れていたわけじゃないんだ…!」


 しっかりと抱きしめて、何度も謝る。

 ハロンが困惑したようにヴェルディを見た。彼は首を左右に振る。

 子供の顔が歪む。


「シェリオン、弟を離せ。苦しそうだ」


 シェリオンははっとして、子供を抱きしめる力を緩めた。

 子供は息が上がっている。そして突っ張るように、両手でシェリオンの胸を押した。それは酷く弱い力だった。

 ヴェルディが指示を出す。


「医師の手配を。それと陛下に報告。足枷の鍵は?」


 兵士が慌てて鍵を探し出す間に、ハロンが階段を駆け下りていく。

 ヴェルディは、恐らく嫌がられているのに離そうとしないシェリオンの肩に手を置いた。


「早く出してやろう。ここはあまりに…寂しい」


 石造りの殺風景な部屋。牢であるのだから致し方ないが、この部屋にいたのは罪人では無い。

 シェリオンは流れる涙を拭い、枷の外された弟を慎重に抱き上げた。

 部屋を出る際、ヴェルディは兵士に念の為、他の部屋も全て確認するように頼んだ。貰い泣きか、涙ぐむ兵士は何度も頷いた。



 外に出れば、そこに待たせた侍女もいなくなっていた。何かをハロンに頼まれたのだろう。

 振り返れば、弟に視線を合わせて微笑む近侍がいる。弟の方は表情もなく、ただじっと兄を見つめている。怯えた様子はないから、このままで大丈夫そうだ。


(五年ぶりに笑ったな…)


 ヴェルディは心の内で、忘れかけていた友人の表情に安堵するのだった。






誤字脱字の指摘、お願いします。



ここでちょっとだけ、更新ストップです。

一か月以内には更新すると思います。いや、したいです。

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