厄災の霧と邪視の瞳 3
騎士も裏方も、戦闘用に配置される。
非戦闘員たちは皆建物の中に入らせ、馬には馬具を付けて玄関に回した。いざという時は王宮に使用人が走るだろう。
建物には、執事が非常用の結界の魔具を展開させている。用途に応じて幾つかあるのだが、全て発動させた。一番大きなものは、公爵邸全体を覆う。万が一でも騒動を外に出すわけにはいかない。
公爵と次男は、手に剣を持っている。長男は魔力を練り上げる。
「さて。片付けるか」
何の気負いもなく公爵が言った。子供たちをはじめ、騎士も裏方も、げんなりとした表情を浮かべる。
騎士団長が溜息を吐く。
「特別手当を要求します」
「考慮しよう。エミール」
お抱え魔術師は小さく笑いながら、遠巻きにした木箱の結界を解いた。
途端、内から木箱が爆発する。同時に上がるのは獣の咆哮。
「射てぇ!」
騎士団長の号令と共に、一斉に矢が射かけられる。だが大半が固い毛皮に跳ね返された。突き刺さったものは浄化の効果を持つ特殊な矢ばかりだ。
ぽっかりと空いた黒い眼窩に、恨みの赤い炎が揺らめく。その目が向けられたのは建物の屋根の上。弓を持つ騎士たちだ。
現れたのは巨大な四つ足の獣。裏方の長の言葉を信じるなら、犬。けれどこの姿は狼と言っていいだろう。牙を剥きだし、地の底から響くような唸り声を漏らしている。
「止めろ!」
上を気を取られた獣に、剣を構えた騎士たちが襲い掛かる。けれどこれまた硬質な毛皮に弾き返された。騎士たちが目を瞠る。
「避けろ!」
驚きでわずかに足が鈍った騎士たちに、獣の爪が迫った。その前に黒い影が走り、銀の一閃が走る。
獣が悲鳴を上げる。獣の前足からどろりとした黒いものが流れた。
痛みに怒り狂い襲い来る牙や爪を躱しながら、マリスは短剣を振るう。騎士たちの剣を弾いた毛皮をやすやすとすり抜け、本体に傷をつける。しかし致命傷までにはいたらない。
公爵はシェリオンを見た。練り上げた魔力が光を纏っている。けれどまだ時間がかかる。
「フォン、行け」
「アンデッド、くさいヨ~!」
泣き言を言いながら、フォンは姿を変える。一筋の黒い線が入った巨大な白蛇が、獣に巻き付いた。そのまま締め上げる。
獣が振り払おうと暴れるが、足も絡めとられて、その場に倒れる。
「フォン。ガンバッテ」
『後でオマエも絞めるー!!』
マリスが笑いながら短剣を振るった。鋭い一閃で獣の前足が一本、切り落とされる。
猛る獣の悲鳴を含んだ叫びが建物も揺るがす。
それに勢いづいた騎士たちが、再度攻撃に加わる。だが再び弾かれた。
「何で切れた!?」
「流石人外を超えた人間」
「お前が化け物か!」
散々な言われようだが、マリスはどこ吹く風だ。
裏方とはいえ、使用人に負けていられない。騎士たちは固い毛皮を普通の剣でも攻略しようと、がんがんと叩きつける。もはやハンマーである。
後で修復にどれだけ費用が掛かるのか。公爵と騎士団長の頭が痛くなり始めた時だ。
「父上っ!」
シェリオンが顔を上げた。公爵が声を張り上げる。
「全員下がれ!!」
獣に対峙していた者たちが一斉に飛びのく。フォンも姿を戻す。マリスが距離を取る前に、暴れる獣に足をやられた騎士を一人、仲間の方に放り投げる。
シェリオンは高位の光魔法を使える、数少ない魔法使いだ。高位の光魔法は死霊系の魔物や魔獣に効果が高いが、面倒臭い上にごっそり魔力を持っていく。使い勝手の悪さから、きちんと使える者は少ない。
解き放たれた光魔法が獣を包む。
体の崩れる苦しみからか、獣は天に向かって吠えた。己の身に降りかかった理不尽を嘆くような、恨むような、痛切な叫びだった。
細かな灰となり、獣は姿を消した。その灰も仄かな空気の流れに乗って、散っていく。
歓喜の声が上がる一方で、ふらりと倒れる者もいる。倒れずとも顔色の悪い者もいる。
「…毒」
ポツリと呟いたシェリオンが、彼の斜め前で膝をついたマリスに声をかける。
「息苦しい?吐き気はある?」
うまく喋れない彼から、首を振るだけで答えられる質問をする。一通り訊ねてから、解毒の魔法をかける。解毒の魔法も幾つか種類があり、正確にかけないとただの魔力の浪費になる。
公爵がお抱え魔術師を振り返る。エミールは解毒の魔法も不得手だ。出来るだけ周囲に被害が及ばないように建物に、人にと、幾重にもかけた結界の魔法で、酷く疲労もしている。
「エミール。この辺り一帯に風を送れるか?」
「それくらいでしたら…」
「恐らくは、あの灰に微弱な毒が含まれていたのだろう」
エミールは頷くと、下から上へ、渦を巻くように風を起こした。害する魔法ではない為、結界を通り抜けて四方へ散っていく。
「父上」
ハーヴェイに呼ばれてそちらを見れば、フォンと共に木箱のあった辺りに佇んでいる。
木箱はすっかり崩れてしまっていたが、あとに白いものが残されていた。
フォンがその中から一つ、掬い上げる。
「子供のものだネ。ちっちゃい子供」
それは頭蓋骨だった。傍には動物の頭蓋骨もある。こちらが先ほどの化け物の正体だろう。
子供の方は、ボロボロだが衣服も残っていた。残った生地から察するに、良い家の子息だったのだろう。何か身元を示すものがないかと衣服に触れれば、金属製の飾りボタンが落ちた。
ハーヴェイが拾い上げ、公爵に手渡す。
「父上。俺、その家知ってる」
「…ああ」
ボタンに刻まれていたのは家紋。
公爵は眉間の皺を深くした。
◆◇◆◇◆◇
ボタンに刻まれた家紋は、数年前までグランフェルノ家を支えた分家のものだった。王都での仕事も抱えている公爵に代わり、かなりの規模の領地の管理を任せていた家だ。レグルスと同い年の子供がいて、子供が生まれたその日に白い大型犬の子犬を飼い始めた。
今はもう無い。
レグルスが失踪する前年、屋敷が何者かに襲われ、当主一家は勿論、使用人までも惨殺された。当時は野盗の仕業とされ、辺りの盗賊集団を探したが、それらしい犯人には辿り着けなかった。
家には火が放たれ全焼し、一人息子の遺体は発見されなかった。攫われた可能性も考えられ捜索したが、犯人の目星も付かなかったために、火事で骨も残らなかったと最後は判断された。
急遽用意された棺は小さな体に合わない大きさで、隣には小さな木箱も並べられた。
幾ら骨ばかりになってしまったからといって、ボロボロの服のままでは可哀そう。
そう言って公爵夫人は子供たちが小さい頃着ていた服を持ってきて、骨を着替えさせた。最初に着ていた服は遺品として、布にくるんである。
レグルスは閉じられた棺の上に花を乗せる。
もし生きていたら、親しい友人になれたかもしれない少年。けれど会った事もない少年。
死者を弔う祈りの言葉を呟き、両手を組む。
(…来世で会いましょう)
レグルスは棺から離れた。
後ろには二人の兄がいて、レグルスを待っていた。レグルスはきょろきょろと周りを見る。
「シェル兄様。マリスは?」
「大丈夫だよ。でも解毒は本人の体力も奪うからね。今日はもうお休みだ」
レグルスの側付はかなり近い場所にいたせいか、獣の毒をかなり吸い込んでいた。魔法で解毒は済んだが、大事をとって休ませている。
レグルスが眉を下げる。
「レグルスがマリスを置いて行ってくれたから、助かったよ。死者も出なかったしね」
自分のせいでと思い込む前に、シェリオンが言った。
レグルスは兄たちを見上げ、暫く考えた後に小さく頷いた。上の兄を見る。
「シェル兄様は?お疲れではないのですか?」
今日はたくさんの魔法を使った長兄だ。弟の手前疲れた様子は全く見せないが、見た目通りではないはずだ。
シェリオンはにこりと笑う。
「大丈夫だよ。あれくらい、使ったうちにも入らない」
「でも、解毒の魔法の前に、大変な魔法も使ったと聞きました」
「…発動するまでがちょっと大変なだけで、使ってしまえば大したことないよ。少し休んだしね」
シェリオンは笑みを崩さない。
そんな長兄を見上げていると、次兄にポンと肩を叩かれる。
「ホラ、父上が待ってるぞ」
シェリオンの差し出した手を、レグルスは反射的に握る。しっかり握り返された手はほんのり暖かい。
協会の魔術師に、魔力が枯渇すると血行も悪くなって末端が冷たくなると聞いた。レグルスはほっとする。
そして兄たちに促されて、レグルスは棺の置かれた部屋を出た。
誤字脱字の指摘、お願いします。
短いですが、キリがいいので……