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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
87/99

厄災の霧と邪視の瞳 2






 姉が離してくれないので、レグルスは姉の部屋で一緒に眠った。あとで両親に怒られることまで覚悟の上だ。

 朝、起こしに来たのは姉の側付の女中たちである。ベッドの上に座り、ぼんやりとする。

 辺りを見回せば、室内に何か黒いものが漂っている。見間違いかと目をこするが、それらが消えることはない。


(…けむり?)


 レグルスはそれを振り払おうとする。

 黒い煙のようなものはゆらりと揺らめくが、消えるどころか薄まることもない。


「レグルス?どうしたの?」


 姉の声にレグルスが振り返ると、そこは黒いものに囲まれた姉がいた。

 レグルスは驚きと恐ろしさで顔を歪めた。心配して伸ばされた姉の手を振り払い、泣きながら逃げ出した。


(なんでっ?なんでなんでなんで!?)


 混乱したまま自室まで逃げ帰る。勢い良く部屋の扉を開けたところで、短い悲鳴を上げる。

 室内は黒いもので充満していた。慌てて扉を閉じる。


「レグルス様!どうっ……!?」


 側付の声にも反応できず、レグルスは再び走り出す。


「とうさまっ…父様ぁ!どこぉ!?」


 レグルスは父を探して、泣きながら走る。

 困惑しながらも、側付はどこに行くかもわからないレグルスを的確に誘導する。


「旦那様なら、そろそろご出仕のお時間です!」

「どこぉ!?」

「まだいらっしゃるなら玄関に」

「うわあぁん!!」


 理解できないままだが、何かが起きているという事だけ承知して、マリスはレグルスの後を追う。様子からして、下手に触れることは憚られた。

 レグルスは自分が何をしているかもわからないまま、玄関まで走った。そして探す父の姿を見つけた。


「とうっ…とーしゃっ、まぁ~」


 駆け寄ろうとして、思いとどまる。その場に縫い留められるように、足が止まる。進まない足の代わりに涙が出た。


「父様も黒いぃ!なんでぇ!?」


 せっかく探し出した父はやはり黒いものですっかり包まれていた。自分を呼ぶ声はするのに、近付くことは出来ない。

 黒いものが傍にやって来る。気付くのが遅れたせいで、逃げ出せなかった。 

 黒いものが自分を呼ぶ。


「レグルス?」

「やだぁ!どーして真っ黒なのぉ!?」


 それを叩き落とそうと、父を叩く。けれど黒いものは全く無くなってくれない。

 必死に剥がそうとしていると、黒い塊に手を取られた。


「レグルス、落ち着け」


 父の声がする。黒いものに囲まれているのに、大きな手は暖かくて優しい。

 もどかしさに、レグルスは足を踏み鳴らす。


「落ち着いて、目を閉じろ」


 レグルスは鼻を啜る。父の顔があるだろう辺りを見る。


「目…?」

「そうだ。しっかり閉じていろ」


 言われるがまま、レグルスは目を閉じた。灯りの光さえ届かないほどしっかりと。

 大きな手が頭の後ろに伸び、肩口に顔を埋めるように抱えられた。レグルスはしゃくりあげながら、父の肩に額を押し付ける。

 父の声が聞こえる。


「シェル。閃光の魔法を」

「閃光、ですか…?」

「そうだ。全員目を閉じろ」


 父を探すことだけに必死で、上の兄がいた事にも気付かなかった。

 視界がしっかりと塞がれていたので、兄がいつ魔法を使ったのかも分からなかった。

 ただ頭を押さえていた父の手が離れ、頬に暖かいものが移動する。


「開けてもいいぞ」


 許可が出たので、恐々と開ける。黒いものはすっかり消えていた。父の姿もはっきり見える。

 父が笑う。


「どうだ?まだ黒いか?」


 レグルスは首を左右に振った。安心から自然と笑顔になる。


「父様すごいです!」

「…黒いものを見たら、灯りの魔法で払ってやるといい」


 頭を撫でられた。けれどレグルスは不満げに口を尖らせる。


「僕、魔法は使えません……」

「光球にしなければ、発動は出来るだろう?その状態で、埃を払うように払ってやれ」


 くしゃくしゃと頭を掻きまわされ、頭がぼさぼさになる。

 何故父は悲しそうなのだろう。頭に手を置いたまま髪を直すのも忘れ、キョトンと父の顔を見つめる。


「レグルス。見えたものの事は、屋敷の外の者に知られてはいけない」

「…父様?」

「屋敷の中の者にも、出来るだけ知られるな。いいな?」


 レグルスはこくりと頷いた。何故か聞き返せなかった。

 公爵はそれを確認して、踵を返す。

 レグルスはその後を追いかけようとした。だが突然体が宙に浮いた。昨日に引き続き、ハーヴェイに抱き上げられる。

 執事の開けた扉から父と兄が出ていく。


「いってらっしゃい」


 下の兄や執事たちと声をかければ、父は振り返って微笑んでくれた。

 玄関の扉が閉じられる。

 そのまま扉を見つめていると、マリスに呼ばれた。


「レグルス様、お着替えを」

「…お部屋は嫌です」


 レグルスは顔を顰める。ギュッと兄の肩にしがみ付く。

 ハーヴェイとマリスが顔を見合わせ、困ったようにレグルスを見る。

 助け舟を出したのは執事だ。


「マリスは閃光の魔法は使えましたか?」

「それくらいならば」

「ならば先に戻り、レグルス様のお部屋で使いなさい。ハーヴェイ様。レグルス様をお部屋までお願いできますでしょうか?」

「いいぞ」


 ハーヴェイはレグルスを下ろした。気乗りしないレグルスと手を繋ぐ。

 マリスが一礼し、先に奥へ戻っていく。


「影は光で消えますよ」


 レグルスはキョトンと執事を見上げる。執事は微笑むだけで、それ以上は何も言わなかった。

 兄に連れられ戻った部屋には、先程まで充満していた黒いものはなかった。けれど庭がやはり黒で塗りつぶされていた。

 涙目のレグルスを見かね、執事の頼みで、お抱え魔術師が邸中に閃光をかけて回ることになった。





   ◆◇◆◇◆◇






 ぽこん。ぽこん。ぽこん。


 レグルスは泣きながら、灯りの魔法のくっ付いた手で、定期的に雪に埋もれた地面を叩いている。

 ハーヴェイがその傍らにしゃがみ込み、弟の奇行を眺めている。

 帰ってきた父親は二人を見下ろす。


「いつからだ?」

「昼食ってから」

「止めなかったのか?」

「止めようとするとな…」


 ハーヴェイは立ち上がり、両手を脇に入れて持ち上げた。


「う゛あ゛ー!!!」


 耳を劈くような悲鳴が上がる。堪らずハーヴェイは弟を下ろした。下ろされたレグルスは、すぐさま地面叩きに戻る。

 ハーヴェイは眉根を寄せ、耳に手を添えた。


「これよ」

「理解した」


 公爵も眉間の皺を深くしている。次男に代わり、末っ子の傍らに膝をつく。


「ただいま、レグルス」

「う゛ぁ?」


 レグルスは父の姿を認めると、更にくしゃりと顔を歪めた。泣き過ぎて目が腫れ上がっている。


「どぉじゃあ゛~!」

「うん。ここが原因なんだな」


 「おいで」と、レグルスに両手を広げる。レグルスは立ち上がると父親に抱き着いた。何が見えているのか、しきりに後ろを気にしている。

 父親はレグルスを抱きあげた。


「誰か、この辺りを掘ってくれ」

「はい」


 既に庭師たちがスコップやつるはしを用意していた。それを使って、レグルスが叩いていた辺りを掘っていく。

 冬中積もった雪は下の方が氷となっていて、掘るのは難しい。お抱え魔術師が魔法で一気に溶かし、更にぬかるみになった地面から適度に水分を抜く。

 危険だからと庭師たちを遠ざけ、代わりに騎士たちが地面を掘る。一メートルほど掘り進んだところで、硬いものに当たった。


「う゛~…」


 レグルスが唸るので、宥めるように背を撫でる。

 騎士たちが出てきたものの周りを掘っていく。

 それを眺めている内に、シェリオンも帰ってきた。不思議そうな顔をしている。そして末弟の様子を見て、目を見開いた。


「美人が台無しに…」

「に゛ぃ……」

「声もすっかり枯れちゃって。一体何をしてたの?」


 呆れた様子で頭を撫でる。レグルスは父親の肩に額を押し付ける。

 その間に出てきたものが取り出された。それは木製の箱だった。船荷に使う、防水や防腐効果のある薬剤が塗られているような頑丈な木箱だ。

 公爵と長男の表情が険しくなる。


「主、若。お下がりくださいヨ~」

「フォン」


 公爵の上着のポケットから飛び出した白蛇が、地面に着く前に人の姿へと変わる。

 いつも人を食ったような笑みを浮かべる裏方の長からも、妙な緊張感が伝わってくる。


「…も~ヤダー。どう考えても、狗神が出るヨ~」

「いぬがみ?」

「ワンコのアンデッドだヨー」


 緊張感が増す。

 フォンは東方出身だ。この呪術の事はよく知っている。エミールに教えたのも彼だ。

 公爵はレグルスを抱えなおした。しっかりと視線を合わせる。


「レグルス。シェーナたちのところへ行っていろ」


 レグルスはしばらく父を見つめ、口を尖らせつつも頷いた。地面に降ろされる。

 控えていた使用人が付き添おうとすれば、レグルスは立ち止まった。鼻を啜りながら、首を振る。


「まぃしゅ。とおしゃまのおてぅだい、して」

「ですが…」

「ねえしゃま」


 レグルスが呼ぶ先に、アルティアがいた。青ざめた顔をしながらも、笑顔を作っている。

 姉と手を繋ぎ、屋敷に入る前にレグルスはもう一度振り返った。


「まいしゅ。おまえはたたかえるでしょ?」

「…はい」


 マリスは一礼して幼い主に背を向けた。

 レグルスは姉に手を引かれ、屋敷内に入る。

 そこでは母がお茶を飲みながら待っていた。庭から離れないレグルスを、ずっとここで見守っていたらしい。

 母はレグルスの顔を両手で包む。そしてくすくすと笑いだした。


「まあ、ぶちゃいく」

「…う~」


 泣き腫らして、目の周りは真っ赤になっている。レグルスは頬まで膨らませる。

 それでも可愛い息子には変わりない。優しい手つきで、レグルスの頬を撫でる。


「さあ、二人とも。応接室でお父様を待ちましょうね」


 子供たちを促し、奥棟から出る。女中たちも共にだ。

 けれど逃げることはしない。売られた喧嘩は買うのが、グランフェルノだ。

 ここの戦力で勝てなければ、どのみち王都に甚大な被害を出す。そんな事になろうものなら、グランフェルノ家であっても取り潰しを免れないだろう。


(ここで終わっても、この子に余計な悪評は立たずに済むわ)


 よしよしと息子の頭を撫でれば、レグルスは不思議そうな顔をして母を見上げる。

 母はただ優しく微笑んで、何も言わなかった。








誤字脱字の指摘、お願いします。

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