罪と罰と恩赦
門扉が開かれ、玄関に横付けされる。従僕が馬車の扉を開くと、屋敷の主と継嗣が降りてくる。最後に末息子が…出てこない。
公爵が腰に手を当てる。馬車の扉に手をかけ、中を覗き込む。
「レグルス。いい加減覚悟を決めて、出てこい」
「やですぅ~」
中から聞こえるのは泣き声だ。
シェリオンが噴き出す。公爵は溜息を吐き、馬車に身を乗り入れると、奥で丸まっていた息子の腕を掴んで、引っ張り出した。
「やー!!」
「諦めろ。これも宿命だ」
「ひどいです~!!」
父公爵に肩に担がれ、レグルスは尚も暴れる。
玄関に手をかけた従僕が、困った様子でシェリオンを見ていたので、彼は小さく頷いた。
中では使用人たちが待ち構えている。
「「「おかえりなさいませ」」」
綺麗なお辞儀の波が生まれる。そして顔を上げた彼らはそれぞれ視線を泳がせた。
「あらあら…可愛いお尻」
おっとりとした声がして、レグルスはびくりと身を竦ませた。しかもツンっとつつかれた。
「可愛い坊や。お顔は見せてくれないの?」
「…母様」
渋々レグルスが上体を起こす。父親に降ろされると、振り向いた瞬間に顔が強張った。
そこには目を吊り上げた姉・アルティアが仁王立ちしていた。
レグルスに逃げる暇も与えず、アルティアの手が頬を掴む。
「ひゃう~!!」
「勝手に出てくなんて!どれだけ心配かければ気が済むの!?」
「ごえんなひゃ~い!!」
力任せに抓られ、伸ばされて、レグルスは泣きながら謝る。
すぐさま手は離れたが、頬は真っ赤になっていた。レグルスは母のドレスの影に逃げ、頬をさする。
「痛いのです。酷いのです」
「痛いで済めばいいでしょう?」
ツンっとアルティアは顎をあげる。母がころころと笑う。
「昨日まで泣きべそ掻いてた子とは思えないわねぇ」
「お母様!」
「貴方が帰って来なかったらどうしようって、そればっかりだったのよ」
「お母様、止めて!」
アルティアが両手で母の口を塞ごうとする。だが、その前に広げられた扇によって阻まれる。
レグルスは母のドレスにしがみ付いたまま、姉の様子を窺うように恐々と顔を覗かせる。
「ねえさま…ごめんなさい……」
顔を真っ赤に染めたアルティアは、プイっとそっぽを向いた。
レグルスが眉を下げる。そして母のドレスに顔を埋めた。
不意に後ろから掴まれて、持ち上げられる。
父かと思って顔を上げれば違った。二番目の兄だ。
「お帰り」
「…ただいまもどりました」
母のドレスから手を離し、ハーヴェイの肩に手を回す。
ハーヴェイは弟を抱きかかえ、ほっと息を吐く。
「ティアは心配した分、怒っているだけだ。ただの照れ隠しだから気にするな」
「嫌いになったのではないですか?」
「なるわけないじゃないの!」
アルティアが真っ赤な顔で叫んだ。怒っていたはずの顔が奇妙に歪む。
驚いたレグルスが目を真ん丸にしていると、ぶわっとアルティアの目に涙が溜まった。
「なったり、する、わけっ…ふぇっ……」
「あらあら。揶揄いすぎちゃったわね」
泣き出したアルティアを母が抱き寄せる。よしよしと頭を撫でて顔を寄せる。
アルティアは母にしがみ付いてぐずぐずと泣きながら、声を張る。
「勝手にいなくなっちゃ、駄目じゃないのぉ!」
「ごめんなさい」
「お母様もこれからは一緒って言ったじゃない!嘘吐きぃ!!」
「あら、ごめんなさい?」
「ばかぁっ!!!」
「…ごめんなさい……」
「謝られたいわけじゃないわよぉ!!」
レグルスは口を閉ざした。何とも言えない表情で、母の肩に顔を埋めるアルティアを見つめている。後ろの父と長兄が明後日の方向を向いているとは気づかない。
母はにっこりと笑った。
「落ち着かせてきますわ。そちらでお話もあるでしょうし。晩餐はその後に一緒に」
「畏まりました」
答えたのは執事だ。
未だ怒りと涙の治まらないアルティアを促し、邸の奥へと戻っていく。
姿が見えなくなると、レグルスがそろそろと息を吐きだした。
「やっぱり姉様は怖いのです」
噴出したハーヴェイは、笑いながら弟の背をポンポンと叩いた。もう一度ギュッと抱きしめてから床に下ろした。
頭の上に大きな手が置かれる。
「行くぞ」
「はぁい」
父に連れられ、息子たちが広間に移動する。
レグルスはきょとんとして、父を見上げた。広間には何もない。ただ数名の使用人が待つだけだ。
「父様?」
見上げた父は厳しい顔をしていた。不安になって手を引くと、父はその目のままレグルスを見下ろす。
そこに少し間の抜けた声が掛かる。
「主~、連れてきたヨ~」
「フォン!」
レグルスは振り返り、体を竦ませた。そこにいたのは、グランフェルノ家に仕える裏方たち。
フォンはずるりと大きな塊を引っ張ってきた。それを無造作に放り投げる。
レグルスは悲鳴を飲み込んだ。眉を寄せる。ボロボロになったフェティエだ。
「…怪我を……」
「どうする?」
手を伸ばしかけ、長兄に制された。父の短い問いかけに、レグルスは首を傾げる。
父の目は鋭い。レグルスは怯んで、無意識に後退りをしようとした。けれど長兄に阻まれる。長兄を見る。
「アレはグランフェルノに刃を向けた、裏切り者だ」
「裏切る?」
「当主が認めたものを信じない駒は必要ない」
兄の冷徹な声に、レグルスは顔を顰めた。
下の兄が堪らず口を挟んだ。
「父上、兄上。レグルスだって疲れてるだろうし、こんなのは後でも……」
「黙れ、ハーヴェイ」
父の一言に、次兄は言葉を飲んだ。気遣わし気にレグルスを見たが、何も言わなかった。
代わりに長兄が続ける。
「使えない駒は処分しなければならない。お前もグランフェルノなら、その覚悟を持て」
厳しい言葉に、レグルスは疑問を覚える。
フェティエを見、フォンたち裏方を見、兄たちを見て、父に視線を戻す。そして首を左右に振った。
「必要ありません。罰ならもう、フォンたちが与えてしまったでしょう?」
「それでは示しがつかない」
「違います。フェティエを許すわけじゃありません」
レグルスは視線を伏せる。両手を顎に当て、考え込む。
公爵は末息子の言葉を待つ。
やがて顔を上げたレグルスは、裏方たちの一団に視線を向けた。
「フェティエだけじゃないでしょう?」
彼らの長であるフォンは、艶やかに笑う。
「何のコト?」
「たまたま行動に移したのがフェティエだったっていうだけで、お前たちは皆、僕を本物とは思っていなかったでしょう?」
レグルスに怒りの表情が浮かぶ。いつもの拗ねるような甘えを含んだ顔ではない。
場に緊張感が生まれる。
レグルスは父を見上げる。
「父様、彼らを全員処分できますか?」
父は首を左右に振る。
そんな事をすれば、グランフェルノ家の機能そのものを瓦解させることになる。それは家を潰すのと同じだ。
レグルスも理解している。
「僕を認めてくれたのは、マリスとクレオだけです。自分から僕に会い来てくれたのは、クレオだけです」
裏方たちの後ろの方には、クレオも控えている。彼は人の中に紛れるように少しだけ身を屈めた。
裏方たちは、誰もレグルスに会いに来なかった。後ろめたい気持ちがなかったとは言わないが、それ以上に警戒していた。主に本物と認められた少年が、ある日突然仇なす存在へと変わる事へ。
その考えをレグルスは諫めることが出来ない。それはレグルスが一番恐れている事だ。けれどその行為がレグルスを追い詰める一端を担ったことも事実だ。
レグルスは手を固く握る。
「フェティエ一人に罪を被せて、何事もなかったように振る舞う彼らを、僕は信頼しなければいけないのですか?」
気を抜けば気圧されてしまう。レグルスは足を踏ん張る。
グランフェルノ公爵の視線が動く。息子から、裏方たちへと。彼らが一斉に膝をついた。
「…どうする?」
「どうぞ恩赦を。全ての罰はこの身一つに」
主に問われたフォンは、長い髪が床に着くのも構わず、深く頭を垂れた。
公爵は再び末息子に目を戻す。
その度にレグルスの肩が揺れるのは、仕方ない事だ。
「だそうだ」
「……」
レグルスの目が揺れる。フォンはレグルスのお気に入りだ。それを傷つけることは、レグルスには出来ない。
自分の腹に全て納めるか、それとも最初の予定通りフェティエにすべての罪を押し付けるか。
レグルスは唇を噛みしめる。
ここでいつもの自分に戻ってしまえば、きっとそれまでだ。公爵家の中でレグルスは永遠に守られるだけの子供になってしまう。籠の中で大切に飼われる小鳥のように。
精一杯思考を巡らせる。
静寂の中、一つの考えを導き出す。
「…罰は、与えません……」
何とか声を絞り出した。父の目が眇められた気がする。後ろから兄が溜息を吐く微かな音が聞こえた。
このまま逃げ出してしまいたい気持ちを抑え、キッとフェティエを見た。その場に座り込んだままのフェティエは、こちらを見もしない。
レグルスはわざと足音を立て、フェティエに近づいた。すぐ前で足を止める。
フェティエがのろのろと顔を上げる。
「お前に一つだけ、命令します」
「…なんなりと」
掠れた声が返って来た。逆らう気力のない虚ろな目がレグルスを捕らえる。
レグルスはふっと息を吐きだす。
「僕がこの家の仇になると判断したら、今度は迷わず僕を殺しなさい」
微かなざわめきが起こった。フェティエも目を見開く。
「他の者は、当主の判断が下るまで動けないでしょう。でも、お前は己の判断で動きなさい。僕はそれを赦します」
「…あなたは、ですか……?」
フェティエはレグルスの言葉を正確に読み取ったようだ。
レグルスは深く頷いた。
「はい。僕は赦します。でも僕だけです。グランフェルノ公爵も、次期公爵も、認めません」
「貴方を殺して、私も死ねと?」
「はい。出来るだけ苦しませて死なせてくださいね?」
その一言は後ろの裏方たちに向けて告げた言葉だ。全員が顔を強張らせた。
本当にレグルスが「レグルス・グランフェルノ」ではなかった場合。フェティエの行動は正しい。賞賛されていい事だ。
けれど当主の判断の前に殺してしまっては、主一家を害したと見做される。まずは捕らえ、牢に繋ぐのが筋である。
レグルスはそれをすっ飛ばして殺せという。そしてその後、本来なら庇うだろう裏方たちに、フェティエを始末しろと言っているのである。
フォンが主を窺う。公爵は苦々しい表情になりつつも、頷いた。
「仰せのままに」
応えにレグルスの表情が僅かに緩みかけた。慌てて引き締め、フェティエを冷ややかに見下ろす。
フェティエも居住まいを正した。同じように頭を下げる。
「御意」
フェティエの一言を受け、レグルスも頷き返す。
父のもとに戻ろうとして方向転換した瞬間、足元が崩れた。視界が回り、その場にへたり込んでしまう。
「はにゃ…?」
「レグルス!?」
「だから言ったのに!帰ってきた途端にやり過ぎなんだよ!!」
兄たちの慌てふためく声が聞こえ、体が浮いた。その温もりに縋って服を掴もうとすれば、上手く手が動かない。
「…はぇ?」
「ちょっと休もうな。疲れただろ」
レグルスを抱えたのは次兄だ。自分の体を支えられないレグルスを横抱きにして、足早に広間を出ようとする。
「父上と兄上は来たら駄目だからな!」
「ぐ…わかった……」
「俺も!?」
自分に何が起こったか理解できないレグルスは、されるがままに広間を運び出された。いつもの居間へと場所を移す。
ハーヴェイは長椅子に弟を下ろす。ちゃんと座れずに転びそうになるので、レグルスはそのまま横にされる。
「びー…さ……」
「無理して喋るな。お前は威圧に当てられたんだよ」
ハーヴェイは床に膝をつき、ゆっくりとレグルスの頭を撫でる。
レグルスが沢山の人間に囲まれるのが苦手なのは、気配に敏感なせいだ。普段はそれほどでもないが、視線が集まるところでは酷く緊張するせいか、人の気配と感情を過敏に読み取ってしまう。幼くて理解もしていないから、対応できる術もなく、すぐに具合を悪くする。
あんな殺気交じりの緊張感の中で、際どい判断を要求されれば、小さな体は耐え切れない。
「どうせティアの方も時間がかかるだろうから、少し目を閉じてろ。晩餐の前には起こすから」
「ねむくはないのです…だいじょうぶですよ、ヴィー兄様」
ハーヴェイの手に顔をすり寄せ、レグルスはふにゃりと表情を緩めた。震える小さな手をハーヴェイは包むように握る。
「父上も兄上も、優しいけれど…それじゃあ、この家を存続させていくことは出来ないから……ごめんな。うまく助けてやれなくて」
「ううん。わかってるのです」
父様は、嫌なことはさっさと済ませてしまおうとしただけです。
レグルスはそう呟いて、未だ震えの止まらない体を小さく丸めた。
しばらく兄に手を握られている内に、落ち着いてきた。手を離してもらい、上体を起こす。
キチンと椅子に座り直したが、やはり疲れてしまったようで、お行儀悪く沈み込む。
隣にハーヴェイが座り、体を支えてくれる。
「レグルス…さっきのヤツだけど……」
「撤回はしません」
「わかってるよ」
ハーヴェイは苦笑いを零す。レグルスの長い髪を手櫛で梳いて、僅かな乱れを直した。
「そんな事が起きなかったら?アイツらの懸念が、ただの杞憂に終わったら…お前どうするんだ?」
「それが解るのは、僕が死んだらでしょう?ずーっと気を張っていなければいけないのは、大変なのです」
弟が悪戯っぽく笑うのを見て、ハーヴェイは呆気にとられたような顔をした。それから肩を竦めてみせる。
「お前もグランフェルノだな」
「ん~…でも、こういうのは嫌です。しばらく父様もシェル兄様もいいです」
兄に寄りかかりながらそんなことを言う。
ハーヴェイは笑いながら、せっかく整えたレグルスの頭をまたグシャグシャにした。
父と長兄が次兄に許されたのは晩餐の直前で、レグルスは目の赤い姉にかかりきりで、何気に口を利かないまま長い一日が終わった……
誤字脱字の報告お願いします。
プロットって大事ですよねー。でも行き当たりばったりで書いてるんですよー(え?