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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
84/99

あるべき姿に







 連日続く体の重さに、マデリーンは目を閉じたまま、長椅子から殆ど動かなくなっていた。


 最初の頃はそれでも多少動こうと無理していたのだが、すぐに疲れてしまううえ、翌日は全く動けなくなる。ここ数日はもう必要最低限の移動以外、起きる気力さえ湧かない。

 王宮女官たちが心配そうにあれこれ世話を焼いてくれる。それに返事を返すことさえ億劫で、ほんの少しだけ首を横に振る。

 傍にいてくれた母がいない。父は出来る限り付いていてくれているが、国王の近衛騎士という立場がある。

 王宮は、マデリーンの為に可愛い部屋を用意してくれた。侯爵・近衛騎士という身分があっても、一家臣の娘の為に此処まで気を使わせるのも、異例の事態である。

 慣れない場所で心細いこともある。どんなに気丈に振る舞っても、幼子には限界がある。

 マデリーンはそんな限界をとうに越えていた。


 今日もただ無為にまどろんでいると、室内に大きな音が響いた。流石に驚くが、体はやはり動かない。


「マデリーン嬢!」


 無駄に元気な声が聞こえた。

 マデリーンは女官の手を借りて、上体を起こした。顔を上げる。

 誰かと確認する前に、それは目前にいた。大きな水色の瞳が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。驚きのあまり仰け反る。


「大丈夫ですか?」


 見知らぬ少年に体が竦む。けれどよく見れば、知っている青銀色の髪が目に入った。

 少年が小首を傾げる。まるで悪戯をして、叱られるのを待つ子犬のようだ。

 ふっと体の強張りが解けた。

 だがマデリーンが口を開く前に、少年の体が後ろに引っ張られた。


「こらぁっ!待てって言っただろうが!!」

「レリック小父様がはっきりしないから悪いのです!」


 少年の首根っこを捕まえた父侯爵は、肩で息をしていた。少年がじたばたともがく。

 ココノエ侯爵は襟元を緩めると、呼吸を整えるように大きく息を吐きだした。


「翼を見事なまでに使いこなしやがって」

「簡単なのです~。使えない小父様が悪いのです~」

「生意気になったな!?」


 些か口の悪い父親に、マデリーンは目を瞬かせた。

 少年が口を尖らせる。腰に巻いた飾りをギュッと握りしめた。


「返しませんよ」

「そんなこと言わない……無い事も気付かなかったものだしな」


 苦虫を噛み潰したような侯爵に、少年は嬉しそうに笑う。

 勢いを削がれた侯爵は溜息を吐く。

 マデリーンは自分の口元が緩むのを感じた。そっと口元を手で覆う。

 その様子を窺いながら、女官は一つ、咳ばらいを零した。

 二人はハッとし、それから気まずそうに視線を泳がせる。


「…ごめんなさい……」


 少年と父侯爵が揃って頭を下げる。

 マデリーンは耐え切れず、噴き出してしまった。くすくすと笑いだす。

 女官は久しく見なかった侯爵令嬢の笑顔に、一瞬目を瞠った。溜息をもらす。


「お久しぶりです。レグルス様」


 怒っていないことを安堵したのか、グランフェルノ公爵家の末子はふにゃりと表情を緩ませた。まるで幼子のようだ。

 その姿に、彼の精神年齢が本当に年相応に育っていないのだと、マデリーンは実感する。

 微笑み返して、マデリーンは体の重さに負けた。椅子に深く座り込む。そして目を伏せた。


「マデリーン嬢?大丈夫ですか?」


 心配そうな声とともに、額に暖かい手が置かれる。マデリーンは目を開けた。


「はい…体調は何ともないのだと思います……」

「ならどうして…」


 レグルスは言いかけて、顔を顰めた。ふっと息を一つ吐き出し、マデリーンの腕に着けられた魔具をなぞる。


「…また、碌でもないものを……」

「仕方ありません。魔力の増加で死にたくはありませんもの」

「だからと言ってこんな物を着けていたら、良くなるものもなりません」


 レグルスがぴしゃりと言った。

 マデリーンが眉を下げる。何故が自分が怒られている気分にさせられる。

 けれどレグルスは気にした様子はなく、女官に紙とペンを用意させた。それらをテーブルに置き、レグルスはマデリーンの腕ごと魔具を握った。


「【解けろ】」


 言葉に魔力が乗っていた。

 彼が魔法を使うとは聞いたことのないマデリーンが不思議に思っていると、魔具からシュルシュルと光の筋が伸びた。魔具に込められた魔法陣だ。

 レグルスはじっとそれを見つめていた。

 邪魔をしてはいけないと、マデリーンはレグルスの横顔を眺めていた。

 おもむろに、レグルスはペンを取る。そして紙に何かを書きつけていく。

 皆でそれを覗き込むが、どうやら魔術式のようで、どういったものなのかはこの場の誰一人理解出来なかった。

 魔具から伸びた光が消える頃、レグルスの方も書き終えたようだった。ひらひらと紙を振った後、侯爵に渡す。


「その術式なら、生活に支障のない程度の魔力を残しつつ、増幅分だけ供給に回せます」

「……ファントム?」


 レグルスはふっと控えめな笑みを浮かべた。次の瞬間には目を瞬かせて、マデリーンの向き直る。


「またお見舞いに来ますね」

「…レグルス様?」

「今日はお家に帰らないと」


 レグルスが開けっ放しの扉に顔を向けた。いつからそこにいたのか、グランフェルノ公爵と継嗣が揃って立っている。

 マデリーンが何か言う前に、レグルスはひらひらと手を振って、家族の方へ駆けていく。

 まるで嵐のようだ。

 扉が閉められ、マデリーンは父を見上げた。


「お父様?お仕事に戻られなくて、いいの?」

「あっ!」


 父が我に返る。そしてマデリーンの頭を一撫ですると、こちらも慌ただしく部屋を出て行った。

 マデリーンは暫くポカンとしていたが、だんだんと顔が緩んでくる。やがて耐えられなくなり、くすくすと笑いながら再びソファに沈み込んだ。

 女官が呆れたような溜息を吐く。


「近衛騎士が、護衛を離れるなど、前代未聞でございましょう…」

「ふっ…ふふっ!あまり笑わせないで」


 マデリーンはソファの上で体を丸めて、文字通りお腹を抱えていた。







   ◆◇◆◇◆◇







 グランフェルノ家からの迎えの馬車は、主たちを乗せてとある馬車待合所に止まった。

 扉が開くと、レグルスが真っ先に飛び降りてくる。冷たい空気に思わず身を震わせる。


「寒いです!」

「これでも今日は暖かい方でございますよ」


 扉を開けた御者が苦笑で返す。

 振り返ったレグルスは満面の笑みを浮かべていた。


「分かっています。でも南の国は、もっと暖かかったのです!」


 厚手のローブのフードを被り、レグルスは空を見上げる。分厚い雲が蓋をし、陽も沈んだ今は真っ暗だ。外套と建物から漏れる灯りを、地面を覆う雪が反射してほんのりと明るい。

 吐きだす白い息が闇に溶けていくのを楽しんでいると、兄に呼ばれた。その先に父もいる。


「行くぞ」

「はぁい」


 レグルスは二人の後に続いた。

 大人の太ももほどまで降り積もった雪をかき分けて作られた細い道。そこを一列になって歩く。

 目的の場所の門扉には、庭を照らす灯りが付けたままになっていた。玄関の前に小さな人影がある。

 人影はレグルスたちの姿に気付くと、大きく手を振った。玄関から中に向かって叫んでいる。中からはわらわらと小さな影が出てくる。


「大層な出迎えだ」


 公爵は苦笑して、下の息子の背を押す。

 レグルスが顔を上げると、父公爵が頷いて見せる。パッと笑顔になって、建物の方へ駆け出す。


「ただいまでーす!」

「「「おかえり!!」」」


 子供たちの声が唱和する。囲まれて、影ではどれか判別できなくなった。

 さらに一つ、大きな影が現れる。司祭だろう。


「そんなところにいないで、中に入りなさい」


 彼は子供たちを中へと促す。ゆっくりと向かっていた公爵たちに深く頭を下げた。

 中からは子供たちの賑やかな声。それらを盛大な泣き声が飲み込む。


「セイルかな?」

「はい」


 司祭が苦笑を零す。中に入れば、喉を潰すのではないかという大音声で、セイルが泣いていた。そして怒っていた。


「めーでしょお!?どーしてかってにいなくなぅのお!!めーなのよぉ!?」

「ごめんなさい」

「にーに、うしょちゅきいぃ!!」

「ごめんなさい」

「ばかあ!!」


 食堂で、セイルはレグルスに抱き着いてわんわんと泣いている。その周りを子供たちが囲む

 セイルが何を言っても、レグルスは「ごめんなさい」というばかりだ。その内セイルはレグルスをバシバシと叩きだす。

 レグルスは叩かれるままだ。眉が寄っているので、それなりに痛いようだ。

 シェリオンが笑う。


「それくらいにしておあげ」

「う~、しぇるしゃー」


 セイルは鼻を啜りながら、シェリオンに対して両手を伸ばした。

 兄はレグルスがいない間、頻繁に孤児院を訪れていた。その間にセイルにも懐かれた。

 実は、シェリオンは孤児院の子供たちに怖がられていた。レグルスが行方不明になってからというもの、ろくに笑うことも出来なかったシェリオンはいつも無表情で、極まれに母の付き添いで訪れても子供たちは近付きもしなかったのだ。

 シェリオンもシェリオンでそれを自覚して、あまり訪問したことはない。

 今回の件で、毎日のようにおやつを持って訪れているうち、穏やかな表情になった彼に、ようやく子供たちも心を開いたようだ。

 シェリオンはセイルを抱き上げると、よしよしと背を撫でた。


「ねえ、セイル」

「うー?」

「レグルスを、グランフェルノの邸に連れて帰ってもいい?」


 セイルは顔を顰めた。一度レグルスを振り返り、シェリオンの肩口に顔を埋める。そしてシェリオンにだけしか聞こえないような小さな声で、答えた。

 シェリオンは微笑む。セイルを抱えなおし、軽く揺れる。


「ありがとう。セイルは良い子だね」


 セイルは顔を上げずに唸り声だけ上げた。

 レグルスはほっとした様子でそれを見ていたが、背中からの突然の衝撃に、驚いて振り返った。


「ウォーレン?」

「ごめん。オレが一緒にいなかったから…勝手に、離れたから」

「そういえば、ウォーレンも一緒にいたのでしたね」


 すっかり忘れていた。

 レグルスはぽんぽんと肩に置かれた手を叩く。


「忘れるとか…ひどくない?」

「だって色々と大変だったのですよ。逃げる方法考えたり、お家に帰るまで何年かかるんだろうとか…」

「…ごめんなさい……」

「いいえ。ウォーレンが巻き込まれなくて良かったです。ついでにそこの人も大人しくしてくれてたら良かったんですけどね」


 視線が巻き込まれたもう一人に集まる。

 ルオーはムッとして口をへの字に曲げた。


「何だよ」

「いいえ、何でも?あ、お土産、渡してくれました?」


 わざとらしく話題を変えても、子供たちは気にせずに食いついてきた。早速身に着けている子も多い。

 子供たちだけでワイワイと話していたが、やがて司祭が話に割って入ってきた。腕にはシェリオンから受け取ったセイルを抱えている。


「レグルス様はお帰りになる頃合ですよ」

「……はい」


 自然と道が出来る。

 貴族じゃないレグルスはこれで完全に終わりだ。また彼らとの間に距離が出来る。

 それを少し寂しく思いながら、レグルスは笑顔を作る。司祭に向かって頭を下げた。


「お世話になりました」

「またいつでも遊びに来ていらしてくださいね」


 司祭たちが見送りに玄関まで出る。抱えられたままのセイルは目をとろんとさせたまま、レグルスに手を振る。


「れぅるしゅしゃあ…ばいばいねぇ」

「はい…セイルはもう『にいに』とは呼んでくれないのですね……」

「いーのっ?」


 パッとセイルの目が見開かれた。

 レグルスはその勢いに僅かに驚いたものの、すぐに頷いた。セイルはふにゃっと表情を緩める。


「へへ~。にいに、またおうたうたってねぇ」


 セイルは眠そうな目をこすり、こてんと司祭の頭に己の頭を寄りかからせた。嬉しそうに目を細めているが、今にも閉じられそうだ。

 建物の外に出た後、ルオーがこっそりと教えてくれた。


「皆がもう呼んじゃいけないって教えてたらしい」

「そんなこと、気にしないのに……」

「でも、今まで通りにはいかないから」


 ルオーは首を左右に振る。

 レグルスは僅かに肩を落とす。無意識のうちにルオーの手を取っていた。

 ルオーが寂しげに笑う。


「一緒には行ってやれねぇぞ」

「あっ…」


 レグルスは慌てて手を離す。途方に暮れた様子でルオーを見る。


「一緒には行けないけど、オレはここにいるし。いつでも来ればいいよ」


 レグルスの目が不安に揺れている。ここにきて、再び自分の置かれた立場を思い出してしまったらしい。


「いつでも…逃げて来ればいいだろ?ここはお前の避難場所だ」

「ルオー」

「いつでも家出して来ればいいよ」

「…家出を推奨するな」


 ぽんぽんと、それぞれの頭の上に大きな手が乗る。二人は顔を上げ、苦い表情をした公爵を見ると、互いに顔を見合わせた。そして笑う。

 後ろでシェリオンも苦笑している。

 レグルスは父の手を取った。そしてルオーに手を振る。


「また来ますね」

「おう」


 ルオーも小さく振り返して。

 レグルスは父に手を引かれ、来た道を引き返していった。後ろから兄も続いてくる。


「ルオーは随分怒られたみたいですね」

「えっ?」

「そうだな」

「えっ?どうして?」

「目が赤くなっていた」


 そうだっただろうか。

 レグルスは口元に手を当てる。服が大分よれていた記憶しかない。

 くすくすと後ろから笑い声がする。


「今度はお前だよ」

「えっ」

「アルティアの説教があるからね」

「やです!姉様怖いです!!」


 その場に踏み止まろうとする末息子の手を、公爵はがっちり握り直した。後ろから兄が押してくる。

 抵抗空しく、レグルスは公爵家所有の馬車に押し込まれたのである。







誤字脱字の指摘、よろしくお願いします。

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