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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
83/99

北の地へ








 レイシアに雪は積もらないという。殆ど降りもしないのだという。

 青い空を見上げ、レグルスは手を空に伸ばす。太陽の光を掴むように握るが、その手の中には何もない。


(僕は、何ができるのでしょう?)


 帰国を前に、レグルスは自問する。

 小さな手は色々なものに手を伸ばすけれど、どれも大きすぎて掴めない。この手に残るのは欠片だけ。

 悔しさに顔が歪む。

 虚ろに思い出すのは、助けを呼んで狂ったように叫び、疲れて地を掻いた後に残った血の線。

 レグルスは手を下ろした。

 さっと脇をすり抜けたのは、冬の冷たい風。けれど祖国のそれよりずっと優しくて、レグルスは靡いた髪を手で押さえる。


(…取り戻すのでしょう?貴方の剣を)


 中から聞こえた声に、そっと苦笑を零す。空を見上げ、太陽の眩しさに目を細める。


「はい」


 しっかりと答えた。

 室内からレグルスを呼ぶ声がする。きっとルオーだ。


「はぁい。すぐ戻りまぁす!」


 そう叫んで、走り出そうとする。だが服を引っ張られ、首が軽く絞まった。


「ふぐっ!?」


 驚いて振り返れば、見知らぬ少年がいる。レグルスより幾つか年上だろう。ただ成人まではいかない。

 少年は泣きそうな顔をしていた。

 レグルスは首を傾げる。


「何か御用ですか?」


 少年がハッとしたように目を見開き、何か伝えようと口を開け閉めする。それからワタワタとズボンのポケットを探り、一枚の紙片を取り出した。


「にゃ、お、おにゃみゃあ……」

「おにゃみゃー?」


 レグルスは傾げた首を反対方向に傾けた。顎に手を当てる。

 少年は通じないことに焦り、何か書いてある紙を握りしめる。目がレグルスと髪を忙しなく行き来する。

 レグルスは少年の手に触れた。びくりと跳ねたが気にせず、少年の手を下げさせる。紙を覗き込んだが、公用語の綴りが並んでいる。

 けれど、北方公用語もスフィア語も、起源は同じである。文字になればさらに似てくる。


「おにゃみゃー…お名前?名前ですか?」


 少年はこくこくと頷いた。

 レグルスはにっこりと笑う。そして少年に向かって手を差し出す。


「あなたのおなまえは?」


 ゆっくりと尋ねれば、少年は目を瞬いた。自分を指さすので、レグルスは頷く。

 パッと少年の頬が色付く。


『アンセル!僕の名前は「アンセル」です!!』


 勢い込んで言った少年に、レグルスは笑みを深くする。


「アンセル」


 名を呼べば、少年は嬉しそうに笑う。そして期待を込めた目で、こちらを見てくる。

 しかしレグルスには疑問しかない。会った記憶がないのだ。こんなにも傾倒される理由が解らない。

 少し考えた後、少年の表情が変わる前にふっと一つ、息を吐いた。


「レグルス、です。『レグルス・グランフェルノ』。リスヴィアの、公爵家の、三番目です」

「れぐるす、しゃみゃ……」


 滑舌が悪いのか、発音が悪いのか、単純に噛んでいるだけなのか。子猫の泣き声のような声に思わず笑ってしまう。

 真っ赤な顔をした少年を前にレグルスが和んでいると、突然後ろに引っ張られた。再び首が絞まる。


「レグルス!もう時間だって言ってんだろ!!」

「うぐ…ルオーは優しさが足りません……」


 襟元を直しながら、若干涙目でルオーを睨み付ける。

 ルオーは不機嫌そうだ。その視線はアンセルへと向けられている。

 少年はおどおどして、先程までの嬉しそうな表情はない。何か言おうと口を開きかけ、何も言えず、俯いて後ずさる。


『…ごめんなさい。僕なんかが話しかけて……』

「ルオー、苛めちゃダメです」

「いじめてねえ!」


 ルオーはダンッと地面を踏み鳴らした。

 後から来た公爵が、苦笑を漏らしながら、声をかける。


「レグルス、ルオー。そろそろ行くぞ」

「はぁい」


 レグルスはアンセルを振り返る。俯いた顔を覗き込めば、彼は驚いて体を仰け反らせた。


「また会いましょう」


 ひらひらと手を振る。そして父親のもとへと走った。

 はっと少年が我に返る。彼が叫ぶ。


『あ、ありがとう!止めてくれて、ありがとうございました!!』


 レグルスはきょとんとして、再び彼を振り返る。アンセルは深く頭を下げていて、こちらに気付かない。

 ルオーと顔を見合わせ、首を傾げた。そして父親を見上げる。

 息子たちの視線を受けた父親が通訳した。


「礼を言っているぞ。『止めてくれてありがとう』と。何をしたんだ?」

「…知らないのです。何かしましたっけ?」

「さぁ?」


 レグルスとルオーは首を傾げるばかりだ。



 レグルスたちに、あの日の記憶はほとんど残っていない。行為も当然のことをしただけで、記憶に残すほどの事でもなかった。

 けれどアンセルは違う。彼にとって、あれは衝撃的な行動だったのだ。魔力暴走を起こして、誰かが助けてくれることも、責められない事も、初めてだった。



 顔を上げたアンセルに、レグルスは再び手を振った。

 去っていく後ろ姿に、アンセルは込み上げてきたものを飲み込んだ。


 ついて行きたい。このまま北の大国へ、一緒に連れて行ってほしい。

 そう言ってしまえればどんなに楽か。絶対言ってはいけない言葉であることを知っているから、言わずに見送る。

 恩を恩とも感じていないだろう彼らに、返せるものは今の自分は持っていないから。

 けれど、いつか行こうと思っている。自分の足で。


 後ろから聞こえた足音に、彼は零れそうな涙を乱暴に拭った。


『アヴィレイ様、ありがとうございました』


 彼はここに連れてきてくれた魔術師に礼を言う。

 魔術師の手が頭の上に乗った。乱暴にかき回される。

 ポロリと零れた涙は、髪を引っ張られた痛みのせいにした。






   ◆◇◆◇◆◇






 耳の痛くなるような、硬質の甲高い音が遠くなる。一面真っ白な光に覆われていた世界が徐々に色を取り戻すが、白から灰色に移っただけだった。

 室内だというのに、体を刺すような凍てついた空気。

 レグルスはそろりそろりと空気を吸い込む。


「帰ってきました……」


 懐かしい空気。決して優しくないが、心が求めていたことに気付く。


「おかえりなさい」


 魔法陣の外からかけられた声に反射的に振り返れば、笑みを湛えた長兄がいた。堪らず、父の手を振り払い、兄に駆け寄る。


「兄様!シェル兄様!!」


 勢いよく兄にしがみ付けば、「ぐっ!」という呻き声が聞こえた。丁度みぞおちの辺りに頭が入ったとは知らない弟は、ぎゅうっと兄に張り付く。兄は己の矜持を持ってそれに耐えた。

 痛みがいくばくか収まると、ゆっくりしがみ付く弟の頭を撫でる。


「無事で良かった。元気そうだね」

「はい!兄様のお陰なのです!!」

「うん?」

「兄様のかけてくれた魔法が助けてくれました!」


 不思議そうな兄に、弟は興奮して色々話そうとする。けれど兄は口元に指を当てて、それを制した。

 レグルスは口を閉ざす。

 シェリオンは帰ってきた面々に改めて向かう。


「お疲れ様でした、司祭様。父上、執務室で陛下がお待ちです」

「やれやれ…」


 公爵が溜息交じりに呟く。

 帰って来たのは子供たちのほか、公爵・司祭と、外交官が一人。交渉団の殆どはあちらに残り、まだ話し合い中だ。

 レグルスは兄にしがみ付いたまま、父を見上げる。


「父様、行っちゃうのですか?」

「……行きたくない」

「行ってください」


 父子の無言の睨み合いが始まる。

 レグルスがちょいちょいと兄の服を引っ張った。


「僕、父様と兄様と、一緒にお家に帰りたいです」

「すぐに戻る」

「はいはい。王子宮でお待ちしてますよ」


 颯爽と去っていく父公爵に、兄は犬でも追い払うように素っ気なく手を振った。

 この場には騎士も高官もいた。その全員がグランフェルノ公爵の印象を変えた。







 レグルスが生家に帰る事を決めたため、ルオーは司祭と共に先に孤児院に帰ることにした。

 王族がお忍び用で使う小型の馬車は、一見簡素だが頑丈で、内部は居心地の良い造りをされている。

 

「帰る前に寄りますね。セイルともお話ししたいですし」

「わかりました。お待ちしております」


 司祭が答え、ルオーは手を振って馬車に乗り込む。乗り込んだ後ルオーの興奮した声が聞こえてきたので、王家の馬車をお気に召してくれたようだ。

 侍従の手で扉が閉められ、御者が馬を走らせる。

 暫く見送った後、シェリオンは弟の背を軽く叩いた。


「さぁ、行こうか」

「はいっ」


 レグルスは兄に付いて、王子宮に向かった。




 王子宮にはヴェルディとハロンが待ち構えていて、手荒い歓迎を受けた。特にハロンに。

 向こうであった出来事を尋ねられ、彼のこと以外を隠し立てせずに話すうちに、レグルスはある単語を思い出した。


「ヴェル兄様。【どれいこく】って何ですか?」


 その場にいた全員が顔を顰める。

 レグルスは急に険悪になった空気に、へにょりと眉を下げる。


「…ごめんなさい」

「すまない。久々に聞いたのでな。誰かに言われたか?」

「さっきお話しした、魔法使いの女の子に言われたのです。どれいこくの成り上がりの分際で…って言われたのは僕じゃなくて、魔術協会の会長さんでした」

「なるほど」


 ヴェルディは難しい顔をしたまま、しばらく考え込んだ。

 レグルスはじっとヴェルディの顔を見つめ、言葉を待つ。

 やがてヴェルディが溜息を吐いた。


「こういうことは教師に聞いた方がいいのだろうが」


 そう前置きして、話始める。


「奴隷国というのは、リスヴィア、ドラグディール、フィッツエンドの三カ国を蔑んで呼ぶ言葉だ」

「どうして三つの国だけなのですか?」

「それは国の成り立ちまでに遡る」




 かつて西側諸国全土が大きな統一国家だった頃。

 神聖帝国と呼ばれたその国は、流刑というものがあった。その大半は国政に関わる犯罪者で、王都から遠く離れた地へ封ぜられた。その地が今の三カ国の辺りになる。


 複雑な海流の取り囲む孤島

 凶悪な竜の住む山岳地

 そして厳寒の北方


 死刑を免れた罪人たちは、いつか華やかな都に戻ることを夢見て、生活を始めた。もともとの先住の民たちと時に協力し、時に反発しながら。

 けれど罪人は罪人。そこに住まうのは罪人の子孫と、卑しい蛮族。

 神聖帝国は罪人こそ連れ戻すようなことをしなかったが、人狩りをし、奴隷として連行した。

 虐げられた人々は、神聖帝国に反発する。罪も犯していないのに、先祖が罪人だったというだけで理不尽な目に遭わされ続けることに、反抗したのだ。

 まずは孤島のフィッツエンドが、神聖帝国から独立宣言をした。彼の国は島というだけで、土地は肥沃で、精霊やエルフ族が長年住んでいる恵まれた場所だった。島に流された人間たちは長い時間をかけてエルフたちとも交流をし、さっさと国としての基礎を築いていた。独立した時にはもう、神聖帝国に十分対抗できる国力を供えていたという。

 次にドラグディール。あの国は建国の王がドラゴンと契約を交わし、使役できたというのが一番大きい。竜騎士団を擁したドラグディールの軍事力に、神聖帝国はあっけなく屈したという。

 最後にリスヴィアだが、ここは当時、世界規模で非難された独立だった。リスヴィアの建国王は仲間を守るため、魔族と手を組んだのである。今でも忌み嫌われる事の多い魔族を、建国王は妻としたのだ。そしてその魔力を持って神聖帝国を追い払った。




 話が途切れ、レグルスはぱかんと開けていた口を閉じた。首を傾げる。


「魔族をお嫁さんにしたら、駄目ですか?」

「本人たちが愛し合って結婚したいという結論に達したなら、他人がどうこう言う事ではないだろう」

「今、王太子殿下が魔族をお妃様にしたいって言ったら、怒られますか?」

「む……」


 中々鋭い質問に、ヴェルディが眉を寄せて考え込む。

 レグルスは隣に座る兄を見上げた。シェリオンも苦笑いを漏らした。


「うーん…好意的に受け取られるかどうかは、微妙なところだね」

「魔族だから駄目というより、権力的な問題だろうな。彼らは寿命が長い」


 リスヴィアには現在、魔族の貴族はいない。諸外国にも当然いない。リスヴィアの北部、永久凍土の向こうに魔王の一族が住んでいるが、不可侵条約があって向こうが出てこない限りほぼ会うことはない。

 ヴェルディが生きている間はいいが、死んでからの待遇にも困るといったところか。

 レグルスは建国王の物語を思い出していた。

 確か、建国王の妃は、夫が亡くなるとすぐに後追い自殺をしている。王位は既に息子に移っていたが。

 レグルスは首を反対側に傾げた。


「でも、独立したのに、まだ奴隷国ですか?」

「独立したから、奴隷国と呼ばれるようになったんだ。あの国は罪人の国、あの国に住むのは奴隷たち。だから好き勝手してもいいとな」


 今でも、この三カ国では誘拐事件が後を絶たない。リスヴィアでは奴隷商そのものの入国を禁じているほどだ。奴隷を連れた貴族や商人も、許可がなければ入れない。

 だからと言って、人身売買を完全に否定しているわけではない。そうでなければ、花街という場所が成り立たない。人買いも娼館も国からの許可がいるが、審査が厳しいので、中々許可は下りない。しかも年に一度監査もある。

 締め付けを厳しくすれば、裏で暗躍する者が増えるのは道理である。無認可の娼館や闇の奴隷商は、どんなに取り締まっても後から後から湧いてくる。

 レグルスが顔を曇らせた。だがすぐにパンッと手を打つ。


「じゃあ、僕も魔族の血を引いてるのですね!」


 兄たちがきょとんとした。レグルスは無邪気に笑う。


「うふふっ。ちょっと嬉しくなってきました」

「嬉しいんだ?」

「はい!何だか物語の主人公みたいで、楽しいです」

「ああ、まあ…ありがちな話だな」


 子供向けの物語では、主人公が純粋な人間ではなかったりするものも多い。悪者の血を引いていたりして、時に悩み、葛藤しながら成長して、やがて勇者や英雄になっていく。

 そんなものがなくても、十分主人公になれる経験を、この年でしてると思うんだけどな…とは、誰も言わなかった。

 ヴェルディがカップを取る。


「奴隷国の話はこれくらいでいいか?」

「はい!お茶のお代わりを下さい。僕、今度はクルミのケーキが食べたいです!」


 テーブルの上には様々な菓子が並べられている。ヴェルディがレグルスの為に用意させたものだ。

 侍女がお茶のお代わりを注ぎ、取り皿にクルミの入ったパウンドケーキを乗せる。


「チョコレートのケーキもあるよ?フルーツのタルトもあるけど、いいの?」

「後で食べます。さっきクリームがいっぱい入ったのを食べたので、シンプルなのがいいです」


 レグルスは嬉しそうにクルミのケーキを頬張る。

 それを見つめながら、これ以上主人公にならなければいいと、年長者たちは切に願っていた。







誤字脱字の指摘、お願いします。


更新のたびに拍手、ありがとうございます。励みになります。

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