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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
80/99

魔術協会~街歩き 1







 魔術協会はマイオール王国にある。といっても、王国の支配は受けていない。

 協会本部のある街・グレイシアは学園都市とも呼ばれ、目的の異なる様々な教育機関や研究所などが集まっている場所だ。王国への人材や研究成果の提供を前提に自治を認められた、自由都市である。

 魔術協会は王国に代わり、ここで都市の管理をしている。


 学園都市と呼ばれるだけあって、街中には学生相手の店が多い。後は魔術関連の道具を扱う店。

 

 初めての国外の都市に、幼い二人は落ち着かない。何を目にしても珍しそうに、きょろきょろと視線を動かす。

 後ろからぽんぽんと、二人の頭に手が置かれた。


「あまりよそ見をしていると、人とぶつかるぞ」

「「はぁい」」


 子供たちは顔を上げ、嬉しそうに笑う。グランフェルノ公爵も目を細めた。

 まだ昼寝は必要だが、朝は普通に起きられるようになった子供たちを連れ、街に降りていた。

 目立つ髪はレグルスはフードの奥に完全に隠し、ルオーは頭に布を巻いて出来るだけ隠した。公爵もつばのない帽子を被っている。

 平日の朝である。地元の子供たちや下宿暮らしの若者たちとすれ違う。

 レグルスが通り過ぎた彼らを振り返る。


「同じ格好した子がいますね」

「学校の制服だ。あの服で、どの学校の生徒か大体わかる。この街には用途に応じて、沢山の学校があるからな」

「可愛いお洋服です」


 レグルスはくすくすと笑う。隣りでルオーが顔を顰める。


「そうか?なんだか堅苦しくて、オレは嫌だな」

「学生さんですよ。遊ぶものじゃないのです」

「そうだけどさ…皆一緒で、なんか気持ち悪い」

「そんなこと言ったら、うちの使用人たちも皆一緒です。王宮の騎士様も、憲兵さん達だって制服じゃないですか」

「仕事の服はいいんだよ」

「学生さんは学ぶことが仕事ですー」

「……大人はいいんだよ」


 何とか言い返したが、ルオーの負けのようである。すっかり拗ねてしまう。レグルスは顔を背けて更に笑う。

 それでも手を離さないままなのだから、仲の良い事だ。

 公爵は苦笑した。

 レグルスが振り返る。


「父様。これからどこに行きますか?」

「まずは食堂、だな」


 二人が一瞬、呆気にとられた顔をする。それがすぐさま赤くなっていくのを、面白そうに公爵は眺める。

 もちろん、外出する前に朝食はしっかり摂った。が、それ以上によく食べる育ち盛りの子供たちだ。


 人が行き交う市場に向かう。行先は地元の名物を出してくれるという庶民向けの食堂。大人向けの大盛り料理を子供たちは二人だけでぺろりと完食した。

 そこでレグルスが従業員の狐の獣人の尻尾に釘付けになっていた。帰り際、ふかふかの尻尾を撫でたいレグルスと、己の尻尾を抱えて断固拒否の姿勢を示した狐の獣人の間に奇妙な緊張感が漂い、女将の大爆笑が店内に響き渡った。

 結局最後まで触ることも許されず、獣人にバイバイと手を振ったレグルスは、かなり残念そうだった。

 再び手を繋いだルオーは、すっかり呆れていた。


「狐の獣人くらい、リスヴィアにだって沢山いるだろ?」

「あの尻尾は秀逸です」

「目がヤバい人になってるから」 

「もっふもふ・ふっかふかは正義ですよ!」

「違う。もうヤバい人だった」


 どうしよう?とルオーが公爵を仰ぎ見る。

 公爵は己のこめかみに手を当てていた。そして首を左右に振る。

 ルオーが溜息を吐く。


「お前の将来が心配だ」

「失礼な。僕は弱者に優しいのです」

「ソレ違う。絶対違う。お前のは下心込みだ。第一、家の威光がなけりゃ、お前も弱者だろうが」

「それは言っちゃダメなのです…美味しそうな匂いがします!」


 唐突に話を切り上げ、レグルスが視線を巡らせた。

 市場にはきちんとした店舗のほかに、露店も多い。匂いは食べ物を扱う露店から流れてきたものだ。ふんわりと甘い香りを漂わせるのは、細長い揚げ物を売る店だった。

 二人がそこで足を止める。


「食べるか?」


 二人は勢いよく頷いた。先ほど沢山食べたはずなのだが、やはり甘いものは別腹という事だろうか。

 公爵は苦笑しつつ、主人に二つ頼んだ。

 仕上げに粉砂糖をまぶし、持ち手を油紙に包めば完成する簡単なもの。公爵家の料理人が作る菓子には遠く及ばない。

 けれど、受け取ったレグルスはそれを頬張り、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「おいしい!」

「ん~!サクサクです」


 まだ仄かに暖かいそれは外はカリッと、中はしっとりとしていて、二人は夢中で頬張る。

 公爵は別の露店で飲み物を買っていた。昔の経験で知っている。これはしっとりしているようで、かなり口の中の水分を持っていかれるのだ。

 あっという間に食べ終わった二人に、飲み物を渡す。案の定、口の中がカラカラになったようで、勢いよく果実水を飲んでいた。

 飲み終われば二人が露店に器を返しに行く。覚えたての公用語で『ありがとう』と伝えれば、露店の店主は『どういたしまして!』と笑顔で返していた。


 長閑な光景だ。公爵の気も緩みそうになる。

 するりと手首の辺りで蠢くものに、もう片方の手を添える。


「わかっている」


 グレイシアの治安はかなり良い。世界中から学びを求める子供たちを集めるのだ。都市を預かる魔術協会の沽券にも関わる。

 けれど、学校に通える子供というのは、それなりに資産のある家という事でもある。外国からとなれば尚の事。実家は一般家庭という生徒も、留学となれば背後に貴族の支援がある。

 純粋に勉学に励む学生たちは、醜悪な輩にとってよい金蔓なのである。


 今の二人は、周囲にどう映っているのか。


 無粋な視線を感じながら、公爵は戻って来た子供たちの手を取った。表面上は穏やかに微笑みながら。


「次はどこへ行こうか」

「んと…孤児院の皆に、お土産を買いたいです」

「司祭様にも!」

「そうかそうか。さて、何が喜ばれるかな……」


 子供たちを促しながら振り返れば、路地に影が入っていく。

 内心忌々しいものを感じながら、公爵は子供たちの希望に沿うべく、土産物の並ぶ一角へと向かった。






 孤児院で一番喜ばれるのは、やはり食べ物だ。甘いお菓子なら尚良い。

 けれどここは遠い異国の地で、転移の魔法で帰るとはいえ、あと何日かかるか判らない。

 日持ちする色とりどりな飴を数種類購入し、個人には雑貨を買う事にした。当然支払いはグランフェルノ公爵である。


「リスヴィアでは買えないようなものが良いですね」

「この辺の柄って、ちょっと変わってるよな」


 試食で貰った飴を口の中で転がしながら、レグルスとルオーは並ぶ品を眺める。

 今二人が見ているのは、装飾品だ。リボンや髪留め、ブローチが並ぶ。特に宝石などを使ったものではないので、価格も手頃なものである。公爵を通して店員に話を聞けば、魔除けの刺繍を施してあるのだという。


『流浪の民の品で、色鮮やかなのが特徴です。この辺だと、祭りの時に付けている人が多いですよ』


 流浪の民とは、定住をせずにあちこち移動しながら生活をする者たちの総称だ。南国からこの辺りを回る。流石に寒さ厳しいリスヴィアまでは、夏でもやって来ない。

 今の時期はもっと南に下っているという。


「可愛いです。女の子たちにはこの組紐にしましょうか?リボンに使ったら可愛いです」

「数はありそうか?」

「太さが違うのが何種類かあるので、大丈夫そうです。男の子たちにはこっちの革の飾りにしましょうか」


 どちらも魔除けの呪いをされた品だ。すべて手作業で作られているので、同じように見えて少しずつ違う。数を少し多めにして、帰ってから好きなのを選んでもらえばいいだろう。

 公爵が大量購入の旨を告げれば、店主は最初驚き、次に満面の笑みを浮かべた。

 大量に買いはしたが、小さな物なのでかさばることはない。店主がおまけでつけてくれた手提げ袋に、まとめて入った。

 司祭にも小さな手巾を買った。

 袋の中を覗き込んでいたルオーが、公爵を呼んだ。


「こう…リガール小父さん」

「どうした?何か足りなかったか?」


 公爵の問いに、ルオーは首を左右に振った。


「ううん。皆の分を買ってくれて、ありがとうございます」

「…どうしたしまして」


 土産を買いたいと言ったのはレグルスだ。だからルオーが遠慮をすることはない。

 くしゃりとルオーの頭を撫でれば、ルオーがはにかむように笑う。


「早く帰りたいなぁ。喜んでくれるといいな」

「その前に、皆に心配かけたと、怒られないといいな」

「怒ってるの!?」


 ばっと顔を上げる。公爵は苦笑する。


「無事は伝えたが、すぐに帰ってこれないとなれば不安になるだろう?それが旅行気分で観光して帰って来たとなれば、怒りもすると思うぞ」

「えぇ~…大変な目に遭ったんだから、少しくらい楽しい事があってもいいと思う……」

「何、心配した分の反動だ。本気で怒る者などいないさ。だが、多少は覚悟しておけという話だ」

「ええぇ~……」


 ルオーががっくりと肩を落とした。

 公爵がくしゃくしゃと頭を撫でまわし、レグルスがぽんぽんと背を叩く。

 ルオーが僅かに涙目で、レグルスを睨む。


「半分はお前が受け持てよ」

「うっ…わかりました……」

「逃げるなよ?」

「うぅっ…みんな怖いのです」


 しっかり手を握られて、今度はレグルスが顔を強張らせていた。



 買うものを買ったので、あとは街中を見て回ることにする。

 この国にやってくる旅人は、街中のあらゆる場所に設置された魔具製品に感動するという。けれどその類は、残念ながらリスヴィアでも普及している。

 鮮やかな外壁の街並みの方が、よほど二人の興味を引いた。怒られることは取りあえず後回しにしたらしい。

 辺りを見回しながら、中央広場までやってくる。そこでは大きな市が開かれていた。人がごった返している。


「父様!見て回りたいです!!」

「構わないぞ。はぐれても、広場から出ないで、中央の銅像のところで待て」

「はい!」


 青空市は整然と並んでいた。場所は一定の大きさで区切られ、買い物客や通行人の邪魔にならないよう通路が作られている。店を出す場所や広さはあらかじめ決められているようだ。

 形の歪な野菜や果物が並んでいたり、手製の飾り物が売られていたり…中には古着を売っている店もある。

 こうした大規模な市はリスヴィアでは開かれない。孤児院が周辺住民と協力してバザーを開く程度だ。

 レグルスは不定期のバザーや市に出る事さえ初めてだ。人の多さに辟易している様子は見られるが、売り物はどれも興味深そうに眺めている。


「この辺りは冬でも果物が採れるのですね」

「リスヴィアと比べてはならん。あそこはもともと、人の住まぬ極寒の地を開拓した国だ」

「庶民は、冬は生の果物なんか食べれないし、下手すると野菜も危ないぞ」

「…厳しいですね」


 レグルスの表情が険しくなる。

 今では寒冷地に強い作物の開発が進み、それなりの供給は出来るが、食物の輸入はかなりの額を占める。それでも畜産が可能なため、肉や乳製品の流通は安定して食糧危機は少ない。

 レグルスが顔を上げた。


「父様。リスヴィアの特産品って、何ですか?」

「鉱物だな。金・銀・鉄は勿論、宝石の類も採れる。だが一番はやはり、魔具のもとになる魔石だろう」

「魔石…」


 レグルスは口元に手を当て、考え込む。その頭をポンと叩いて、公爵は思考を阻む。


公爵領うちも魔石の採掘地だ。領地に戻った時は鉱山にも連れて行ってやろう」

「楽しみです!」


 ぱっと表情を変える。

 領地で産まれたレグルスだが、そこに住んでいた頃は幼過ぎて、外に出たことがない。城の中で大人しく遊んでいただけだ。

 ルオーが公爵を振り返る。


「グラン…小父さんの領地は、どんな場所ですか?」

「山の中です!」


 レグルスが勢いよく答えた。

 同時に何かを派手に倒す音と、罵声が広場に響いた。レグルスの靴にも何かが当たり、ころりと地面に転がった。

 音の方向を見れば、辺りにネックレスやブローチなどの売り物が散らばっている。二十歳前後くらいだろう若い男が、成人して間もないくらいの女性店主に何か喚き散らしている。

 思わず足を踏み出そうとした子供たちを、公爵は襟首を掴んで止めた。見上げてくる視線に、ゆるりと首を振る。

 ここがリスヴィアなら公爵は止めた。王の民を徒に傷つける行為を、貴族として赦さない。だがここは遠い異国の地だ。通りすがりの彼らが手を出せば、恐らく魔術協会に迷惑が掛かる。

 子供たちも納得できずとも理解したのか、黙って威圧的に怒鳴る男を見つめた。言葉が解らないのが幸いか。罵声の中には酷く卑猥な言葉も含まれていた。

 一頻り怒鳴り、ひれ伏して謝罪の言葉を紡ぐしかできない店主を最後のとどめとばかりに手に持った杖で殴る。そして気が済んだのか、男は踵を返した。辺りが静まり返っていたことにも気づかない。それとも、敢えてだろうか。

 男が歩き去るのを眺め、レグルスは足元のブローチを拾った。貝殻を加工し、幾つも寄せ集めて花のように仕上げた、可愛らしいブローチだった。散らばったそれを拾い集めながら、蹲ったまま動けない店主のところまでやって来る。


「お姉さん、大丈夫ですか?」


 知らない言葉に、女店主はびくりと体を跳ねさせた。恐る恐る顔を上げる。

 レグルスはにこりと笑って、両手に持った装飾品を差し出した。


「はい、どうぞ」


 暫く放心していた女性だったが、レグルスの手に持っていたものを見て、慌てて受け取った。彼女が周りを見回せば、通行人や周辺の店主たちが商品を拾い集めている。慌てて立ち上がり、何かを叫んだ。

 レグルスは彼女の袖を引く。


「お姉さん、ええと…『チガう。ありがとう』…です」


 昨日習った単語を交えて言えば、彼女は最初目を瞬かせた。しばらく見つめた後、くしゃりと顔が歪む。目から涙が零れる。

 辺りからいくつかの言葉がかけられたが、早口だったのでレグルスには聞き取れなかった。

 彼女が深くお辞儀をした。


『ありがとう、ございます』


 歪ながらも笑顔が浮かぶ頃には、彼女の店は何とか見られるようになっていた。散らばった商品には、壊れて売り物にならないものもあったが、それらも大事そうに箱にしまう。


「お姉さん」


 レグルスは彼女を手招きした。彼女は目線を合わせるように身を屈める。レグルスは、小首を傾げた彼女の肩に手を触れた。


「いたいのいたいの、とんでいけ~」


 おまじないの言葉とともに、ポシェットの中の魔具を発動させる。リスヴィアで使い切ったこれも、誘拐の際に十分補充されている。ふわりと光り、服の下に着けられただろう彼女の傷を癒していく。

 彼女は目をぱちくりとさせていたが、光が消えると、ぎゅうっと抱きしめられた。何をされたのか分かったのだろう。

 レグルスはほんのりを頬を赤く染める。


「役得です~…が」

「レグルスっ!」


 ガンっという衝撃音が響いた。レグルスの肩に回されていた手が震える。

 レグルスはそっとその手を押し返した。離れる瞬間、ふわりと手をなぞる。ケープの裾を翻す。


「無粋な。わざわざ戻ってきてまで嫌がらせとは、小さい男です」


 先ほどの男が振りかぶった杖は、守護天使の翼の一枚に阻まれていた。男の顔は憎々しげに歪んでいる。

 男が何か言った。

 当然、レグルスには理解できない。フードの奥から冷やかな視線を送っていると、再び男は杖を振り上げた。


「全く。どうするかと思って見ていれば、ただの考えなしか」


 公爵が男の手を掴んだ。そのまま捻り上げれば、男が悲鳴を上げる。

 レグルスがにっこりと笑う。


「父様が助けてくれなかったら、自分でぼっこぼこにしてあげましたよ?」

「やめろ」


 公爵がげんなりと息を吐く。その下で男が喚いた。公爵が掴んだ手に力を籠める。


「煩いですね。父様、黙らせてくださいな」

「やれやれ…」


 可愛い仕草と声で、可愛くないお願いをする。

 公爵は肩を竦めると、男の襟首を掴んで引っ立てる。男は顔を真っ赤にしてがなり立てる。だが、公爵に何か言い返され、唐突に口を閉ざした。更に追い打ちをかけるように告げられた言葉に、男の顔が蒼褪めていく。その様子を見て、公爵が口元を歪めた。男の襟を掴んだまま歩きだす。男が悲鳴を上げる。


「父様?どこに行くのですか?」

「これを警備隊に引き渡してくる。露店を見て回るのはいいが、広場からは出るなよ?」

「はぁい」

『――、―――――…』


 公用語は、レグルスの後ろにいた女性に向けられていた。彼女はしっかり頷き、深々と頭を下げる。

 レグルスは手を振って父を見送る。そして隣に目を向けた。


「ルオー、大丈夫でしたか?」

「どこにオレが大丈夫じゃない理由があるんだよ」


 ルオーが口を尖らせる。

 レグルスは笑う。そしてハッとしたように真顔に戻る。


「お小遣いを貰っておけばよかったです!」

「……」


 ルオーは黙った。出かける前に何かあった時の為にと小銭を持たされている。

 レグルスに渡されなかったのは、その前に大金を使っているからだ。勿論、スランダードで奴隷商人へ渡すようにお願いした事ではない。

 貴族の家の子でも、無駄遣いはいけないらしい。

 ルオーは小銭の存在は知らせずにおくことにした。レグルスの手を取る。


「どうせ買っていけないんだから、見るだけだろう?」

「それはそうですけど…美味しいもの食べたいじゃないですか」

「戻ってきたらねだればいいだろ。ほら、目星を付けに行こう」


 そう言って引っ張れば、あっという間に機嫌を直しついてくる。

 きょろきょろしながら歩く彼らは、自分たちに視線が集まっていることに気付かない。あれが美味しそう、これは何だろうと、興味が尽きない。保護者不在の為、どこを見ても冷やかしにしかならないのだが、どこの露天商も好意的に売り物を見せてくれた。

 ぐるりと見て回った二人は、歩き疲れたのを感じて、中央の銅像の前にやって来た。近くのベンチは一杯だったので、銅像の下でしゃがみ込む。


「父様、まだですかね?」

「面倒臭そうな相手だったからな。手間もかかるだろ」

「ああいうのは嫌いです」

「…お前、嫌いな相手には容赦がなさすぎる」

「だって、嫌なものは嫌です」

「我慢して付き合わなきゃいけない相手だって、これから出てくるだろ?その時どうするんだよ」


 レグルスの表情が曇った。それはレグルスにとって間近に迫った問題でもある。

 ルオーが溜息を吐く。


「お前がオレらみたいのを守ってくれるのは嬉しいよ。でも、どうしようもない場合もあると思うんだ」

「……」

「そのどうしようもない時に無理にオレらを庇って、お前が怪我するのは嫌だよ」


 レグルスが隣を見た。ルオーはとても困ったような顔をしていた。レグルスの眉がへにょりと下がる。

 目を合わせたまま話を続ける。


「オレらはお前から見れば『守る相手』なのかもしれないけど、そんなに弱いわけじゃないんだぞ」

「…敵の血に怯えているような人に言われても、説得力ないです……」

「殴るぞ」


 レグルスの反論に、ルオーが拳骨を作る。咄嗟にレグルスは頭を庇って、首を左右に振った。

 仏頂面のまま、ルオーが立ち上がる。レグルスもそれにつられて立った。恐る恐るといった様子で隣を窺う。


「僕、ルオーはそのままでいてほしいです」

「あん?弱いままでいいってか?」

「そうじゃなくて…あうっ!?」


 背に結構な衝撃が掛かった。

 レグルスが慌てて振り返ると、キョトンとした小熊が一匹、こちらを見上げていた。もふもふの両手に挟んでいるのは、アイスを乗せて食べる土台部分。


「あ、アイスが背中にはりついてる」

「わー!?」


 レグルスは慌ててケーブを脱いだ。白いクリーム状のものがべったりくっ付いている。

 ケーブを両手で広げ、レグルスは途方に暮れる。


「僕の一張羅~……」

「家に帰れば大量に並んでるだろ」

「それでもお気に入りだったのですよ。一番使い勝手が良くて」


 洗えば落ちるかなと、レグルスは取りあえずついたアイスを落とそうとして…小熊と目が合った。

 小熊は視線を落とし、両手に持った土台部分を見る。その目が悲しげに揺らぐ。

 熊の獣人。かなり獣よりの姿をした小熊は、まるでぬいぐるみのようだ。

 可愛いぬいぐるみの目に涙が溜まるのを、レグルスが放っておけるわけもなく。


「ご、ごめんなさい。えっと、泣かないでくださいな~」


 ぽろんと零れた涙を拭おうと手を伸ばして、それは宙をかいた。小熊の体が思いっきり後ろに引かれたのだ。

 小熊は小柄な獣人の女性に抱き込まれていた。耳の形からして猫だろう。彼女はしっかり小熊を抱き、両膝を付いて何かをレグルスたちに叫んでいた。

 怒っているのか、謝っているのか。なんにせよ誤解を解きたいが、何を言っているのか全く分からない。

 レグルスはルオーと顔を見合わせた。


「どうしましょう…?」

「取り敢えずアイスを弁償したらいいんじゃないかな?」

「お金ないですよ」

「少しならある」


 ルオーは腰につけていたポーチから、小さな革袋を出した。辺りをぐるりと見まわして、それらしい店を見つける。

 レグルスがほっと息を吐いたのも束の間。


「人が目を離した隙に、何をやっている?」


 氷のような声が上から降ってきた。

 レグルスはたじろいだ。視線を泳がせて隣りを見ると、ルオーは蒼褪めて声さえ出せない状態だ。


「レグルス?」

「う…僕、よそ見をしてて、その…小熊ちゃんのアイスに、を、ダメにしてしまったのです……」 


 視線を下げ、しどろもどろになりながら答える。両手を組む。頭上からため息を吐く音が聞こえ、びくりと身を竦ませた。

 ぽふんと頭の上に手が乗る。


「では、あの女性が騒いでいるのは?」

「…わからないです。上着を見てたら小熊ちゃんが泣いてしまって…言葉が解らないから撫でようとしたら、女の人が飛び出てきて、この状況です」

「ふむ。ではあの女性の早合点か」


 くしゃりと頭を撫でられ、レグルスは父公爵の顔色を窺う。呆れたような表情がそこにあった。

 公爵はルオーの頭も軽く撫でる。


「それはしまっておけ」


 微かな笑みを浮かべた。

 小熊を抱えた女性は怯えていた。公爵が近づけば、何かを叫んで小熊をしっかりと抱きしめる。

 けれど公爵は気にせず、目を潤ませる小熊の手からアイスの土台を取り上げる。それを持ってアイスの露店へと行き、こちらを指さし話を始める。様子を見ていたアイス売りは笑顔で頷き、公爵が渡した土台に再びアイスを乗せた。支払いをして戻ってくる。

 

『――』


 公爵が小熊に一言声をかけた。

 キョトンとしていた小熊は、差し出されたアイスにパッと顔を輝かせる。ぬいぐるみのような両手でアイスを取る。ペロンとアイスを舐めて、にっこりと笑った。

 女性が唖然として、公爵を見上げる。公爵が困ったように笑う。


『―――――。―――――?』


 かけられた言葉に、女性は大慌てで首を振った。つっかえながら何かを言っている。

 当然だが、レグルスたちには何を言っているのかわからない。けれど父公爵に余計な手間を取らせたのはわかっているのでしょんぼりしていると、彼の声が聞こえた。


(…息子が失礼した。これで許してくれるだろうか?と言ったんですよ)

「リョーヤ?」


 レグルスは驚きのあまり思わず声に出してしまっていた。慌てて両手で口を塞ぐが、幸いにも聞いていたのは隣のルオーだけだ。ルオーは少しレグルスを見ただけで何も言わなかった。


(リョーヤ?どうしたのですか?)

(言葉が解らないままは辛いでしょう?)


 苦笑交じりの声が返ってきて、レグルスはますます困惑する。けれど彼は気にせずに続ける。


(母親は貴方に子供が酷い罰を受けさせられるのではないかと思ったようです。悪いのは自分だからこの子には何もしないでほしいと、必死で訴えていましたよ)

(僕、そんな事しません!)

(あれだけ獣部分が多いと、この辺りでも風当たりが強いでしょう。苦労していると思います)


 獣人は今でも差別対象だ。昔に比べれば大分緩くなったが、獣部分が多ければ多いほど、人は嫌悪を示す。

 公爵は自分たちが北からの旅行者だと告げた。息子はこちらの言葉が解らず、文化や風習も馴染みのないものが多い為、貴方の行動に戸惑っている、とも。

 母親は己の早とちりを恥じ、何度も詫びていた。そして母親が子供にも、アイスを買い直してくれた人にお礼を言うように促す。小熊は満面の笑みを浮かべた。


『おいちゃー、あんがとなぁ』


 あまりの愛くるしさに、公爵が撃墜されたのを子供たちは見た。


「…親子か……」


 隣りから聞こえた呟きも中から聞こえた笑い声も、レグルスは聞こえないふりをした。

 暫くあって、父親が戻ってくる。その前の奇行は誰もが理解できずに首を傾げるだけだった。


(また揉め事に巻き込まれて、後手に回るのは得策ではありません。表には出ませんが、暫く起きていることにしましょう)


 失礼なと言い返したかったが、言い返せない現状に、レグルスは口を尖らせる。

 息子の不満げな表情に公爵が何を感じ取ったのか、苦笑いを浮かべた。ぽんぽんと頭を撫でる。

 レグルスはバイバイと小熊たちに手を振る。小熊は嬉しそうに笑い、大きく手を振り返してきてくれた。隣りで母親が深々と頭を下げている。


「そろそろ協会に戻ろうか」


 時間は昼近い。昼食を食べたら、また昼寝が必要だろう。

 子供たちは素直に返事をして、魔術協会へ続く大通りへ戻った。








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