魔術協会 2
タイトルに偽りあり
善良な一般市民が寝静まった時刻。辺りは闇と静寂に包まれている。
見回りの兵士たちにも気の緩みが出る。一人が盛大な欠伸を漏らした。
「今日は流石にもう何もないだろう」
そんな言葉が出たのも致し方ないだろう。
月のない暗い夜だが、人の気配もなく、彼らの足音だけが響いている。
昨日は朝から忙しかった。非番の兵士たちも駆り出され、正体不明の奴隷探しである。基準はドゥナム語と北方公用語ではない言語を話す、女子供。
そんな奴隷がどれほどいると思っているのか…下っ端たちは心のうちに不満を唱えながら、渋々と職務に当たった。
今も一部はその仕事をしている。
「何だってオレたちが、王族様の尻拭いをせにゃならんのか……」
思わず溜息を吐いてしまう。
真相は秘されているが、人の口に戸は立てられぬ。
とある王族が北方の色素の薄い民に憧れを抱いた。最初は純然たる憧れだった。それが変化したのは、遠縁の男が持っていた奴隷を見た瞬間。それは白銀の髪に紫の瞳を持った、美しい女だった。
本人は気付かなかったが、一目惚れをしたのだろう。遠縁の男に譲ってもらえるよう懇願するが、聞き入れられなかった。それどころか一目見ることも許さないというように、遠い領地へ連れて戻り、二度と王都に現れなかった。
とある王族は彼女を求め、次第に憧れは支配欲を伴った劣情へと変わった。周囲に悟られぬよう密かに人を送り、最北の王国の都に、魔力が溜まれば自動で人を送る転移陣を敷かせる。勿論出口はこの王城の中。
だがその王族は、結末を見る事なく死んでいる。計画を知った王家に暗殺されたのだ。そして計画そのものが王家に乗っ取られた。
首謀者が傍系の王族個人から王家に変わっても、やることに変わりはない。個人的に愉しむだけだったものが、王家の金儲けの道具にもなっただけだ。
この魔法陣を使って送られてきた異国の民は、王族たちの間で競りにかけられた。誰も手を出さなかったものに関しては、王家御用達の奴隷商に破格の値段で売られた。
それが、とうとう破綻した。
転移陣は連れてきてしまったのだ。他国であっても、決して手を出していけない領域の人間を。
兵士が呟いた。
「きれーな子だったけどなぁ」
白い肌に青銀色の髪がよく似合っていた。まだまだ幼さの残る、少女のような風貌の『少年』。
だが次の瞬間、兵士は身震いする。その後の戦闘を思い出したのだ。あの少年が操る光によって、彼らの同僚も亡くなっている。
あの時は無我夢中というか怒りが勝って、何とか切り伏せてやろうと思ったが、冷静になった今となっては、生きていて良かったと心から思う。
兵士は深い溜息を吐いた。相棒が軽く肩を叩く。
「今日はもう見回りも終わりにしよう」
「そうだな。この先は王族特区だし…誰もいないだろ」
兵士たちは廊下を曲がる。そして詰所へと戻っていったのである。
彼らが己の悪運の強さに気付くのは、ほんの数分後の事である。
夜のしじまに甲高い音が鳴り響く。やがてそれは地響きと轟音へと変わる。同時に王宮から太い光の柱が立ち上った。
驚いた平民たちが外に飛び出し、柱の残滓を指さしながら叫びあっている。
それらを眼下に見下ろしながら、ガイアス・イェーリはそっと笑いを噛み殺した。隣の男がそれを見咎め、苦い顔をする。けれどガイアスは構わない。
これは報復。そして警告。魔法王国の支配者を、本気で怒らせた報い。
最初の一撃は、これでも手心を加えているのだ。これでまだ四の五の言うようであれば、一方的な虐殺が始まる。
「ただのお伽話だと思っていた」
「筆頭貴族に仕える影がそんなんじゃいけないなぁ」
険しい表情のジルに、ガイアスはのんびりとした口調で答える。
リスヴィアの王宮奥深くには、魔力で打ち出す巨大な魔導砲というものがあるという。使用する魔力も膨大な為、建国の時代にしか使われた記録はない。
威力は今見た通りだが、欠点も大きい。
魔導砲と名付けられているが、原理は砲台と呼ばれるものとは全く違う。魔導砲は複数の魔法陣を使った魔法だ。簡単に言ってしまえば、強力な攻撃魔法を転移魔法陣で送るというもの。転移魔法陣は入口と出口が必要とされる。
ガイアスは魔術協会に気付かれぬよう、出口を王宮内に設置した。技術は誘拐事件で利用された、発動するまで隠蔽される魔法魔法陣からだ。
勿論、彼の勝手な行動ではない。これは命令されたことだ。国王直轄の影、黒烏騎士団の一員として。
破壊されたのは、玉座の間と周辺。王宮全てではない。多くのとは言わないが、骨の欠片さえ残さず消えた者もあるだろう。
ガイアスは手摺に凭れ掛かる
「勿論、陛下お一人の判断ではないよ。議会の承認は得ていないけれど」
「……国の決定に興味はない」
ジルの主はグランフェルノ公爵だ。主が決めたことに、異論を唱えるつもりはない。まして知らぬ相手にかける情もない。
ただ、ここにきて過ごした時間がある。王宮で仕事をする者の中に、親しくしている相手もいるのだ。
ジルは僅かに目を伏せた。
「オレは、レグルス様が無事に主のもとへお帰りなられたのであれば、それでいい」
「だから、わざわざ一日置いただろう?」
やろうと思えば、レグルスたちが転移した直後でも良かったのだ。丸一日開けたのは、王宮内に残るリスヴィア人の有無の確認と、昼夜の人の配置を探るためである。
今回の件に関係ない者を大量に巻き込むのも、世間体が良くない。
ジルは騒然とする街に背を向ける。
「レグルス様のお願いは、誘拐されたものを探し出すことだけだ。それ以上は介入しない」
素っ気なく言い放ち、ジルは室内に戻っていく。
ガイアスは小さく笑う。
「魔術師以外にはなかなか理解されないんだよなぁ。こんなにすごい魔術、めったに見れないのにさ」
まるで子供の用に、無邪気に喜んでいる。
それを後ろに聞き、ジルは静かに扉を閉めた。
◆◇◆◇◆◇
体を襲う妙な違和感に、マデリーンは目を覚ました。
辺りは仄かに明るい。起き上がり、床を覗き込めば案の定、魔力を吸い取るという魔法陣が発動している。
じんわりと目に涙が浮かぶ。
「お母さま、お父さま……」
ぐずぐずと両親を呼ぶ。だが、返ってくるのは魔法陣から放たれる硬質な音だけだ。
もうマデリーンにも解っている。
魔法陣が発動している間は、誰も傍に近づけない。まるで物語に出てくる生贄の祭壇のようなここが、自分の命を守ってくれる唯一の場所だとも。けれど物語とは違う。ここでわが身の不運を嘆いても、助けてくれる王子様も騎士も現れない。
解っていても、何もかも納得して飲み込むのは、子供のマデリーンには無理な事だった。
愛用のウサギのぬいぐるみを抱える。
「おかあさまぁ…どこぉ……?」
魔法陣からの音が小さくなる。光も収まり、辺りが暗闇が降りてきた。
マデリーンは不安に顔を歪める。
魔法陣の光が消え去る前に、扉が開いた。向こうから光が差し、影を写す。
「マディ。起きてしまったの」
「お母さま!」
マデリーンは祭壇から身を乗り出す。飛び降りないのは、降りないように言い含められているからだ。
ココノエ侯爵夫人はべそをかく娘に、困った様な微笑みを浮かべる。魔法陣の発動が完全に収まるのを待ち、娘の傍に行く。祭壇のベッドに腰かけると、すかさず娘がくっついてきた。寝起きで乱れた髪をそっと梳く。
マデリーンは母に頭を撫でてもらいながら、目を伏せる。
「…ごめんなさい」
ポツリと謝罪の言葉を呟けば、母は小首を傾げる。
「どうしたの?」
「私が王都に行きたいなんて言ったから…お母さまは領地でゆっくりしていたほうがいいのに……」
「可愛い娘が大変な時に、ゆっくりなんてできるわけないでしょう」
母は娘を抱き、俯く頭に頬を寄せる。
ココノエ侯爵領は、王都から大分南に下がる。田舎であるが温暖で、王都より過ごしやすい。体の弱い侯爵夫人には最良の静養地であるのだ。
マデリーンも、突然王都に行きたいと我儘を言ったわけではない。以前から約束していたのだ。当日、侯爵夫人は移動で疲れてしまい、外出には付き添えなかった。
母はゆっくりと娘の背を撫でる。
「明日にはお部屋を移れるそうだから、もう少し我慢してね」
「お屋敷に戻れるの?」
パッと顔を上げた娘に、母は申し訳なさそうに眉を下げる。
マデリーンは再び俯いてしまう。母に甘えるように、ぴったりとくっついた。
「女官たちが張り切って、可愛いお部屋を用意してくれているからね?」
娘は小さく頷く。母の膝に頭をのせると、柔らかな手が頭を撫でてくれた。ほっと息を吐く。同時に眠気も襲ってくる。
急激な魔力増加は、小さな体に負担が大き過ぎた。加えて、魔力を吸い取る魔法陣が体を害する分は勿論、留めて置ける分も根こそぎ奪っていく。マデリーンは常に魔力の枯渇状態を強いられている。
マデリーンがうとうとし始めると、母親は布団の中に入るように促した。ちゃんと眠れるように隣に横になる。肩に顔を埋めてくるので、優しく手を回して背を撫でる。
「お休みなさい。小さな天使さん」
「…みゃぁ……」
きっと返事をしようとして、睡魔に負けたのだろう。子猫の鳴き声が返ってきた。
小さく噴き出して、可愛い娘を抱きしめた。既に寝息に代わっている。
「…寝ちゃった?」
恐る恐るといった様子でココノエ侯爵が姿を見せる。夫人は体を起こすと、扉を振り返った。
「大丈夫。何も気付いていません」
ほっと侯爵は息を吐き、妻子の傍に行く。
国の威信、名誉。国王の近衛騎士として理解はできる。だが、娘を殺戮兵器の動力源としていることに対する後ろめたさは隠せない。まともに目を見る自信がなくて、妻にすべてを任せてしまった。
そんな夫の心情を悟ってか、夫人は何も言わない。非難する目さえ向けない。
ココノエ侯爵は眠る娘の傍にウサギのぬいぐるみを置き直した。それから妻の様子を窺う。
侯爵が手を差し出す。
「君ももう休んで」
「はい。ありがとうございます」
夫人は微笑み、侯爵の手を取って立ち上がった。その際に僅かだが足元をふらつかせる。侯爵はそれを支えると、身を屈めた。
「少し熱が出たね。屋敷に帰ったほうがいい」
「いいえ!マデリーンが戻るまで一緒にいます」
夫人がすかさず返したが、侯爵は首を横に振る。
ココノエ侯爵夫人は生まれつき体が弱い。どこが悪いというわけではなく、全体的に弱いのだ。
不安がる娘に付き添いたい気持ちはわかるが、これ以上王宮にいても気を張るばかりで休まらないだろう。勿論家にいたところで、娘が心配で休むどころではないのかもしれないが。
「夜が明けたら帰りなさい。マディは俺が見るから…アリスを頼むよ」
もう一人の娘の名を出されては、夫人は何も返せない。渋々といった様子で頷き、夫に促されるまま部屋を出る。
妻を朝まで休ませるために用意された部屋に戻し、ココノエ侯爵は再び娘の元へ戻る。
マデリーンは先程までと同じ体勢で眠っていた。
祭壇の端に浅く腰掛け、ココノエ侯爵は腕を組む。そして苦笑いを浮かべた。
「こんなこと、望んじゃいなかったのになぁ……」
子供たちが産まれた時の事を思い出す。
嬉しかったのは本当だ。けれど女児だったことで、がっかりした気持ちがなかったとは言えない。特に二人目のマデリーンの時は。妻に無理させて産んでもらった子なのに、心の底から望むものではなかったから。
言葉にしたことはない。どちらも可愛い我が子で、差別したこともない。
けれどやはり、未来のココノエ侯爵となる男児が欲しかった本心はある。
今は大人しくしている帝国の皇帝が、いつ再び宣戦布告してくるかもしれないあの地を守るのは、女性には酷だろう。
戦える子供が欲しかった。アリステアもマデリーンも、ごく普通の娘だ。姉の方は幾らか勝気な性格とはいえ、貴族の令嬢の枠を出ない。
だからと言って、こんな状況を望んだわけではない。
「罰が当たったかなぁ…ごめんね」
そう呟いて、娘を頭を撫でる。
跡継ぎには婿を取ればいいなんて軽く言いながら、心のどこかで娘たちを軽んじていたのだろう。
マデリーンの眼もとに残っていた涙が、すうっと零れた。起こさないよう、そっと指先で拭う。
「これじゃあ、リガールのこと何にも言えないねぇ」
自嘲的な笑いを零しながら、侯爵は魔法陣が再び発動するまで、娘の寝顔を眺めていた。
◆◇◆◇◆◇
二人は一生懸命パンを口に運んでいた。時刻はもう日付が変わる頃だ。
山盛りのパンに、ソーセージや卵、潰した芋などを自分で挟む。たまにジャムやバターだけで食べる。
それに付き合っていたノクターンは、突然もたらされた報告に眉を顰めた。
「マジか」
「はい。王宮は半壊。死者行方不明者は数十名に及ぶかと」
ティーポットを手に、ノクターンは溜息を吐く。
予想以上にリスヴィアは怒っていた。挙兵してもおかしくないほどに。けれどそれは国の距離があり過ぎて、現実的ではなかったのだろう。
だからと言って、あの古代兵器を持ち出すとは。
「丁度良い魔力供給源がいたのが、仇になったか」
ぼそりと呟いて、空になったカップにお茶を注ぐ。
手が伸びて、カップを取った。半分程飲んで、またパンに戻る。
「ちゃんと噛んで食べろよ」
「かんでますよ~」
手を止めてふにゃりと笑う。
ノクターン達もつられて笑い返したが、それどころではない。
「貴族とはいえ、何も知らない子供に無理させるようなことはしないと思っていたのですが……」
「無理はさせてないだろう。ただ、何も知らせないだけで」
魔力を吸い取る魔法陣は、あの子の急激な魔力上昇による放出に反応しているだけだ。吸い取った魔力がどう使われるのか、小さな女の子は想像もしないだろう。聞いてみたところで、城の防衛や魔具に使われていると答えられたらそれまでだ。
ノクターンは顎に手を当てる。
「さて。スランダード側はどう出るか」
「…主だった王族が死んだらしいですしね」
「報復しようにも、向こうは手段がないしな」
「次を考えると、普通は大人しくなりますけどね」
「なるかな?」
「なりませんかね?」
「…ならないかもしれないな」
魔術師たちは顔を見合わせる。
大した技術も持たないくせに、プライドだけはやたらと高い。とにかく人を見下した国だ。やたらと難癖をつけるだろうし、賠償金を求めてくるかもしれない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
大人しくなる・ならないはさておき、これで確実に会談の場に出てくる。文句をつけるにも、人をよこす必要があるのだ。
リスヴィア王国がそこまで考えて撃ったのかはわからない。けれど、ある程度予見はしているだろう。
「国の格が違いますよね」
「あの国はもともと神聖帝国の流刑地から独立した国だからな。敵認識した相手には、容赦ないんだよ」
敵意のない相手にはどこまでも寛容だが、悪意ある敵は完膚なきまで叩きのめす。
魔術師が一心不乱に食事を続ける子供たちに視線を向ける。そして大きく頷いた。
「…容赦、ないですね……」
「いや、そうじゃない……」
そこには空になったカップを差し出す子供たちがいた。
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