南の王国 3
レグルスはふいっとそっぽを向いた。ユリアナの手を引き、空いている椅子に座らせる。それからふと気付き、外套を留めていた装飾を外すと、先程シーツを譲ってくれた少女に渡した。
それはユリアナには小さいが、まだ未成年の少女が肩にかけるには問題ない。
しかし、少女はすぐに受け取らなかった。高価な生地を使っているのが一目瞭然だったからだ。少女は汚れていて、触れて汚してしまってはと手が出せない。
躊躇う彼女の肩に、レグルスはそれをかけた。
「どうぞ」
「あっ、でもっ……」
「羽織っていてください」
少女の服は酷くみすぼらしい。それを隠すようにクルリと巻くと、レグルスはユリアナの元に戻る。
ユリアナが手を伸ばした。近付けば、良い子良い子というように頭を撫でる。
レグルスは息を吐いた。
「会長さん、ユリアナの喉を見てあげてくださいな」
「いいよ」
診察の為に、レグルスが場所を譲る。
ノクターンは彼女の顔を上げ、口を大きく開けさせた。極小さな光の球が揺らめいた。暫く覗き込んで、頬に当てていた手を放す。
「…うん。これはもう無理だね……ごめんね」
ユリアナは首を左右に振る。覚悟していたのだろう。
諦めきれないのはレグルスの方だ。
「ダメですか?もう治りませんか?」
「治癒の魔法は、飽く迄、傷の回復だ。自己治癒しているものを、はこれ以上治せない」
「だって、声、治ってないです……」
「直後であれば、切断された手もくっつける事は出来るよ……遅かったんだ」
レグルスは俯いた。ノクターンが頭を撫でる。
「…いいわねぇ、守ってくれる王子様がいる方は」
嘲る言葉が掛かった。
レグルスは顔を上げる。そして僅かに首を傾けた。
言ったのはユリアナと同じくらいの年頃の少女。敵意に満ちた視線がこちらに向けられている。
じっとレグルスが見つめていると、彼女はますます顔を歪めた。
「アンタの顔だったら、アイツらのいい玩具になったでしょうに。残念ね」
「お前っ…」
ルオーが彼女の肩を掴んだ。彼女が悲鳴を上げて、ルオーの手を叩き落とす。
「触んないでよ!汚らしい!!」
「いい加減にしろよ!お前が一番不幸ってツラしやがって!!」
「ルオー!」
レグルスが声を張り上げた。二人の間に割って入る。
「黙りなさい。それは今のお前が言っていい言葉ではありません」
「…レグルス……?」
「控えろ」
ルオーの両肩に手を置いたのは、ティルだ。彼はそっとルオーを下がらせる。
戸惑うルオーにレグルスは少しだけ困ったような笑みを浮かべ、それから人差し指を口元に当てた。ルオーは苦々し気に口を閉ざす。
レグルスが彼女に向き合った。
悲鳴を上げた時に一瞬だけ見せた怯えた様子はない。挑むように、蔑むように、嘲笑を持ってレグルスを睨んでいる。
「ふん。こんな時にも善人気取れんだから、よっぽど苦労知らずなのね。いいわよねぇ、貴族って」
「貴方もそうでしょう?」
レグルスは彼女の悪意に正面から向かい合う。
「貴方がリスヴィアで変わらぬ日常を送っていた頃から、他人を思いやる心がなかったとは思っていません」
「…アンタに何がわかるの?」
「『衣食住足りて、礼節を知る』という言葉があります。ここにいる者たちが満ちているとは思えません」
「アンタも、自分一人だけ大変だったわけじゃないって言うんでしょ。もう聞きたくないわ!そんな話!!」
「不幸を量り天秤にかけて、何の意味があるんです?」
耳を塞ごうとする彼女に、レグルスはすいっと顔を近付けた。首を傾げてみせる。
「辛かったのでしょう?周りを恨んで、自分で自分を憐れまなければ、生きていけないほど」
彼女は目を大きく見開いた。
薄い水色の瞳は、驚く彼女を鮮明に映している。
「そうやって生き延びたのでしょう?ならいいじゃないですか。それがあなたの強さです」
「強い…?私が?…っ、人を見殺しにして生き延びた私が!?いい加減な事、言わないで!!」
「自分一人生かすことさえ困難な状況で、ただ生きることは罪ですか?」
「…っ!」
「貴方が死んで、誰が喜ぶんです?それとも、助かりたくなかったですか?死んでしまいたかったですか?」
ぐっと彼女が言葉を詰まらせた。唇を噛む。
レグルスが更に何か言葉を続けようと口を開きかけたところで、別のところから声が掛かった。
「生きてるだけでめっけもんだよ、お嬢さん」
一斉に視線が向けられる。
窓に男が乗っていた。頭からすっぽり布を被っている。
ノクターンが位置を変え、レグルスの姿を隠すようにティルが立った。
男は室内を見回し、ノクターンに視点を定めた。
「協会の魔術師様って、アンタか?」
「そうだ。お前は?」
「今はここで奴隷商のトコで働いている」
男は室内に降りると、被っていた布を取った。栗色の髪が現れる。この国の人間には無い色だ。肌も白い。
ノクターンが眉を寄せる。
「…奴隷商人が何の用だ」
「ひっでぇな。奴隷商っつったって、うちの主人は良心的な商売しかしてないぜ?」
「何の用だ?」
警戒心も露わに再び問えば、男は肩を竦めた。
「ウチにさ、流通ルート不明な奴隷が何人かいるんだ」
「ルート?」
「あ~…奴隷ってもな、何も何でもかんでも売り買いするんわけじゃねぇのよ」
男が言うには、奴隷とはいえ出身や名前などの情報は管理されるものらしい。売買に関わった仲介人や商人の名前も。
そんな情報が一切ない奴隷が市場に出たのだという。しかも言葉も通じない。
遠くから来た奴隷だと、その道中で簡単な言葉くらいは覚えるものだ。しかしその奴隷たちはドゥナム語は勿論、北の公用語も全く通じない。
「ようやく通じたのがスフィア語で、妙な魔法陣で一気にここまで連れてこられたっていうじゃん?もう商売にならんのよ。せっかく競り落としたっていうのにさ」
「何故?」
「罪人になりたかねぇもん。競り落とすまでなら『保護』で通用するだろ?」
奴隷とはいえ、ある程度の生活水準は保証される。奴隷は財産でもある。給料は出ないが、多少の小遣いをくれる人の好い主もいる。有能だからという理由で、身の回りを一流品で固めてくれる場合もある。
けれどそうでない主と、そういった者と取引をする悪質な奴隷商も、多く存在するのだ。
男が口角を吊り上げた。
「別にいいけど?アンタらに引き取る気がねぇってなら、最初の目的通り、売り飛ばすだけだし」
「ダメです。やめてください」
レグルスがティルを押しのけて、前に出た。顔を顰めている。
ノクターンを見上げる。
「確認してきてください。誘拐された子なら、リスヴィアは取り戻す義務があります」
「…っ、わかった」
ノクターンは渋々といった様子で頷き、男に視線を戻した。途端、不思議そうな顔をする。
レグルスもそちらに目を向ける。そして首を傾けた。
男はレグルスを見つめ、口をあんぐりと開けていた。完全に固まっている。
「どうかしましたか?」
訊ねれば、男はハッと我に返った。だがレグルスを指さし、口を開け閉めするばかりで、言葉が出てこない様子だ。
この人大丈夫かなと不安になったところで、ティルに体を抑えられた。
「やたらと前に出るな」
「でも…」
「お前さんは白金貨で売買されるくらいの高額商品になり得るんだ。下手に晒すな」
「このおじさんも変態の仲間ですか?」
「違うっ!!」
男が大声を上げた。途端、いくつもの悲鳴が上がる。男は慌てて口を閉ざす。「違うんだ」と、小さな声で言いなおす。
レグルスはバツの悪そうな男をしばらく見上げ、それから笑って見せた。
「貴方は僕を知っている人ですか?」
男は目を瞠った。それから眉を寄せる。
険しくなった表情に、レグルスは首を傾げた。
「お名前は?」
「…ジル」
「ジル?ジルは……」
顎に指を当て、しばらく考え込む。やがて一つ頷くと、満面の笑みを浮かべた。
「よく屋根から落っこちてきた、ジル?」
「っ違います、落ちてません。落とされたんです……」
そう言いながら、男は力なくその場にへたり込んだ。両手で顔を覆う。
レグルスはティルの手を払った。
「大丈夫です」
「…こんなところにまで人を送ってんのか、お前さんの家は」
「探すうちに此処までたどり着いた……」
涙声が答える。ジルが鼻をすすった。泣きたいのか、笑いたいのか、顔が奇妙に歪んでいる。
「探したんですよ。そりゃあ必死で……」
「ごめんなさい。でも僕、ずっとお城の中にいたのです。黄昏の塔の中にいたのですよ」
「はは…そりゃ見つからねぇわけだ……」
力なく笑い、項垂れる。膝の上に置かれた手が、固く握られる。その上に雫が落ちる。
レグルスが彼の前に屈んだ。男の肩に両手を回す。
「ただいまです、ジル」
「…は、い…はい……っ!」
俯いたまま、ジルは何度も頷く。
レグルスはギュッと回した手に力を入れた。肩に顔をすり寄せる。
暫くこのまま感動の再会を味わっていたいが、そうもいかない。レグルスは抱き着いたまま、ジルに言った。
「ジル、お願いがあるのです」
「…何なりと」
ジルは涙を拭う。顔を上げるとレグルスの手を放し、少し気恥しそうに笑って立ち上がる。
そんな彼に、レグルスはリスヴィアで起こっている誘拐事件の話をした。自分はそれに巻き込まれたことも。運良く魔術師たちの前で攫われて、すぐに助けが来たことも。
ジルは黙って聞いていた。
ノクターンの力も借りながら説明を終えると、レグルスは最後に告げる。
「行方不明の子はまだ沢山いるのです。その子たち全員を連れて帰らないと、王家の威信にも関わります。すでに不信感は広がりつつあります」
「承知しました。奴隷商に話を通しましょう」
「協力してくれますか?」
「悪事の片棒を担ぐのは死んでも御免という御仁です。素直に頷くかは別として、無視はしないかと」
「でも、商人さんでしょう?」
レグルスの眉がへにょりと下がった。
商売にならない協力要請を、いくら犯罪に関わっているからとはいえ、商売人が聞いてくれるものか。確信がない。
ジルが笑う。
「いざとなったら、陛下に身請け金を国庫から出していただきましょう」
「…陛下は意外とケチですよ?」
「使いどころは弁えておられますよ」
人を金で売買することに嫌悪感を覚えても、無事に戻ってくるというのなら惜しみはしない。
レグルスは頷きかけ、慌てた様子で腰回りを探った。それから辺りを見回し、ノクターンに駆け寄る。
「会長さん、僕のポシェットはどこですか?」
「それなら……」
ノクターンは手の上で空間を歪ませる。その中に手を突っ込んで、ポシェットを引っ張り出す。
ポシェットを受け取ったレグルスは、中を探る。中には幾つかの金貨と魔具。こちらに連れてこられてた時と全く変わりなく収まっている。
ほっと息を吐き、ジルのところに戻る。それを差し出した。
「これで前金くらいにはなりますか?」
ジルが中を覗き込む。そして硬直した。
「レグルス様…これは……」
「足りませんか?」
ジルは首を左右に振る。
リスヴィアは魔法王国と呼ばれるほど、魔法・魔具が広く浸透している。当然出回る魔具の質も高く、庶民にも普及している。だからそれらが国外でどれほど高価で出回っているか、知らない。
レグルスのポシェットに入っている魔具は最高級品だ。これだけで一生遊んで暮らせる上、子供に纏まった資産が残せる。
ジルは首を左右に振った。ポシェットから金貨だけ抜き出す。魔具は入れたまま、レグルスの首にかけて返す。
「取り敢えずこちらは頂いていきます。言葉だけで説得するより、効果が高いので」
「魔具はいいですか?父様からの贈り物なので、持って行っても大丈夫ですよ?」
「まあ…手付金という事で」
高額過ぎて受け取れないことなど、レグルスは知るはずもない。
ジルは金貨をしまうと、盛大な溜息を吐いた。
レグルスはポシェットの紐を握りしめ、不思議そうな顔をする。肩に手を置かれたので、上に視線を上げる。
「信頼できるのか?」
「ジルは代々家に仕えてくれている裏方です。侍従の仕事も出来るくらい、優秀…な、はず……?」
侍従と裏方。両方勤めていた彼は、上位の使用人だったはずだ。それなのになぜよく落とされていたのか。
ジルが視線を泳がせる。
顎に手を当てて考え込むレグルスに、ノクターンがポンと頭に手を置いた。
「ならば頼もう。資金が必要ならこの国に支払わせる。一時的な肩代わりなら、協会でしよう」
ジルが口笛を吹いた。ニッと笑う。
「いいねぇ。こっちが損しねぇなら、主人は文句言わねぇよ」
「部下を一人行かせる」
「承知。外で待つ」
皆気付いていただろうが、こっそり忍び込んだ身だ。見つかればただで済まない。羽織っていた布を被り直す。彼らにはこの南の国の日差しは強すぎるのだ。
再び窓から出て行こうとする彼を、レグルスが呼び止めた。
「ジル…僕は先にお家に帰ります」
「はい」
「早く帰ってきてくださいね?僕はお家で待ってますから」
「っ!はい!!」
一瞬だけくしゃりと顔を歪めると、ジルは姿を消す。日差しに溶けるように。
レグルスはふっと微笑むと、室内に意識を戻す。
先ほどまで虚勢を張っていた少女が、まるで化け物を見るような目でレグルスを見ていた。
レグルスはふわりと笑う。先程までジルに対していたような幼さを消して。
「どうかしましたか?」
「あんた…何なの……?」
言葉の端々から見える、ただの貴族とは思えない言葉。いや、貴族には貴族なのだろうとは推測できる。しかし、彼らと接することの出来る貴族とは、何かが違った。
レグルスは笑みを残したまま僅かに眉を下げた。
ノクターンが溜息を吐く。困った様子のレグルスに代わり答える。
「この方は公爵グランフェルノ家当主の末子、レグルス・グランフェルノ殿だ」
少女が顔を凍りつかせた。
貴族と一口に言っても、その知名度は様々だ。大抵は自分が住んでいる土地の領主や、そこに屋敷を持つ家くらいしか知らない。
誰もが知る家柄となれば、それは格が違う。筆頭貴族ともなれば、庶民にとって雲の上の人。王族とも変わりない。
ガタガタと震えだす彼女に、レグルスはますます困ったような顔になる。
「最初に『王子様』と呼ばれたので、知っているのかと思っていました」
「ひっ…もうっ、申し訳……!!」
「謝罪は要りません」
レグルスは片手を上げて制する。周囲を見回せば、他の反応も似たり寄ったりで、ティルでさえ顔色が悪い。思わず苦笑いになってしまう。
「ルオー」
「何だよ?」
不機嫌そうな声に、レグルスは首を傾げる。
「怒ってるのですか?」
「怒ってはない」
「拗ねてるのですか?」
「拗ねてもない。気に入らないだけだ」
「何がです?」
ルオーは体を強張らせる少女を睨み付け、ふいっと顔を逸らせた。
もともと彼女の態度には腹を立てていた。レグルスに対するものも。だが、正体を知った途端態度を変えた事が、更に気に食わなかった。
レグルスがふんわりと笑う。ますます不機嫌そうな顔になるので、とうとう声をたてて笑いだす。
「ルオーは変わらないですねぇ」
「知ってたからな」
「ルオーだけですよ?ずっと僕を呼び捨てにするのは」
「一人くらい、そういうのがいてもいいだろ?」
「貴重です」
眩しいものを見るかのように、レグルスは目を細める。
ルオーは不機嫌な顔のまま、レグルスに手を伸ばした。頭の飾りを取る。僅かに乱れた髪を手櫛で整えてやる。
不意にレグルスの眉がへにょりと下がった。
「早く帰りたいです」
「うん」
ルオーが頷くと、レグルスはルオーに抱き着いた。グリグリと頭を肩口に擦り付けてくるので、ルオーは宥めるように背を撫でてやった。
誤字脱字の指摘お願いします。
脱出ならず!