表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
73/99

南の王国 3






 レグルスはふいっとそっぽを向いた。ユリアナの手を引き、空いている椅子に座らせる。それからふと気付き、外套を留めていた装飾を外すと、先程シーツを譲ってくれた少女に渡した。

 それはユリアナには小さいが、まだ未成年の少女が肩にかけるには問題ない。

 しかし、少女はすぐに受け取らなかった。高価な生地を使っているのが一目瞭然だったからだ。少女は汚れていて、触れて汚してしまってはと手が出せない。

 躊躇う彼女の肩に、レグルスはそれをかけた。


「どうぞ」

「あっ、でもっ……」

「羽織っていてください」


 少女の服は酷くみすぼらしい。それを隠すようにクルリと巻くと、レグルスはユリアナの元に戻る。

 ユリアナが手を伸ばした。近付けば、良い子良い子というように頭を撫でる。

 レグルスは息を吐いた。


「会長さん、ユリアナの喉を見てあげてくださいな」

「いいよ」


 診察の為に、レグルスが場所を譲る。

 ノクターンは彼女の顔を上げ、口を大きく開けさせた。極小さな光の球が揺らめいた。暫く覗き込んで、頬に当てていた手を放す。


「…うん。これはもう無理だね……ごめんね」


 ユリアナは首を左右に振る。覚悟していたのだろう。

 諦めきれないのはレグルスの方だ。


「ダメですか?もう治りませんか?」

「治癒の魔法は、飽く迄、傷の回復だ。自己治癒しているものを、はこれ以上治せない」

「だって、声、治ってないです……」

「直後であれば、切断された手もくっつける事は出来るよ……遅かったんだ」


 レグルスは俯いた。ノクターンが頭を撫でる。


「…いいわねぇ、守ってくれる王子様がいる方は」


 嘲る言葉が掛かった。

 レグルスは顔を上げる。そして僅かに首を傾けた。

 言ったのはユリアナと同じくらいの年頃の少女。敵意に満ちた視線がこちらに向けられている。

 じっとレグルスが見つめていると、彼女はますます顔を歪めた。


「アンタの顔だったら、アイツらのいい玩具になったでしょうに。残念ね」

「お前っ…」


 ルオーが彼女の肩を掴んだ。彼女が悲鳴を上げて、ルオーの手を叩き落とす。


「触んないでよ!汚らしい!!」

「いい加減にしろよ!お前が一番不幸ってツラしやがって!!」

「ルオー!」


 レグルスが声を張り上げた。二人の間に割って入る。


「黙りなさい。それは今のお前が言っていい言葉ではありません」

「…レグルス……?」

「控えろ」


 ルオーの両肩に手を置いたのは、ティルだ。彼はそっとルオーを下がらせる。

 戸惑うルオーにレグルスは少しだけ困ったような笑みを浮かべ、それから人差し指を口元に当てた。ルオーは苦々し気に口を閉ざす。

 レグルスが彼女に向き合った。

 悲鳴を上げた時に一瞬だけ見せた怯えた様子はない。挑むように、蔑むように、嘲笑を持ってレグルスを睨んでいる。


「ふん。こんな時にも善人気取れんだから、よっぽど苦労知らずなのね。いいわよねぇ、貴族って」

「貴方もそうでしょう?」


 レグルスは彼女の悪意に正面から向かい合う。


「貴方がリスヴィアで変わらぬ日常を送っていた頃から、他人を思いやる心がなかったとは思っていません」

「…アンタに何がわかるの?」

「『衣食住足りて、礼節を知る』という言葉があります。ここにいる者たちが満ちているとは思えません」

「アンタも、自分一人だけ大変だったわけじゃないって言うんでしょ。もう聞きたくないわ!そんな話!!」

「不幸を量り天秤にかけて、何の意味があるんです?」


 耳を塞ごうとする彼女に、レグルスはすいっと顔を近付けた。首を傾げてみせる。


「辛かったのでしょう?周りを恨んで、自分で自分を憐れまなければ、生きていけないほど」


 彼女は目を大きく見開いた。

 薄い水色の瞳は、驚く彼女を鮮明に映している。


「そうやって生き延びたのでしょう?ならいいじゃないですか。それがあなたの強さです」

「強い…?私が?…っ、人を見殺しにして生き延びた私が!?いい加減な事、言わないで!!」

「自分一人生かすことさえ困難な状況で、ただ生きることは罪ですか?」

「…っ!」

「貴方が死んで、誰が喜ぶんです?それとも、助かりたくなかったですか?死んでしまいたかったですか?」


 ぐっと彼女が言葉を詰まらせた。唇を噛む。

 レグルスが更に何か言葉を続けようと口を開きかけたところで、別のところから声が掛かった。


「生きてるだけでめっけもんだよ、お嬢さん」


 一斉に視線が向けられる。

 窓に男が乗っていた。頭からすっぽり布を被っている。

 ノクターンが位置を変え、レグルスの姿を隠すようにティルが立った。

 男は室内を見回し、ノクターンに視点を定めた。


「協会の魔術師様って、アンタか?」

「そうだ。お前は?」

「今はここで奴隷商のトコで働いている」


 男は室内に降りると、被っていた布を取った。栗色の髪が現れる。この国の人間には無い色だ。肌も白い。

 ノクターンが眉を寄せる。


「…奴隷商人が何の用だ」

「ひっでぇな。奴隷商っつったって、うちの主人は良心的な商売しかしてないぜ?」

「何の用だ?」


 警戒心も露わに再び問えば、男は肩を竦めた。


「ウチにさ、流通ルート不明な奴隷が何人かいるんだ」

「ルート?」

「あ~…奴隷ってもな、何も何でもかんでも売り買いするんわけじゃねぇのよ」


 男が言うには、奴隷とはいえ出身や名前などの情報は管理されるものらしい。売買に関わった仲介人や商人の名前も。

 そんな情報が一切ない奴隷が市場に出たのだという。しかも言葉も通じない。

 遠くから来た奴隷だと、その道中で簡単な言葉くらいは覚えるものだ。しかしその奴隷たちはドゥナム語は勿論、北の公用語も全く通じない。


「ようやく通じたのがスフィア語で、妙な魔法陣で一気にここまで連れてこられたっていうじゃん?もう商売にならんのよ。せっかく競り落としたっていうのにさ」

「何故?」

「罪人になりたかねぇもん。競り落とすまでなら『保護』で通用するだろ?」


 奴隷とはいえ、ある程度の生活水準は保証される。奴隷は財産でもある。給料は出ないが、多少の小遣いをくれる人の好い主もいる。有能だからという理由で、身の回りを一流品で固めてくれる場合もある。

 けれどそうでない主と、そういった者と取引をする悪質な奴隷商も、多く存在するのだ。

 男が口角を吊り上げた。


「別にいいけど?アンタらに引き取る気がねぇってなら、最初の目的通り、売り飛ばすだけだし」

「ダメです。やめてください」


 レグルスがティルを押しのけて、前に出た。顔を顰めている。

 ノクターンを見上げる。


「確認してきてください。誘拐された子なら、リスヴィアは取り戻す義務があります」

「…っ、わかった」


 ノクターンは渋々といった様子で頷き、男に視線を戻した。途端、不思議そうな顔をする。

 レグルスもそちらに目を向ける。そして首を傾けた。

 男はレグルスを見つめ、口をあんぐりと開けていた。完全に固まっている。


「どうかしましたか?」


 訊ねれば、男はハッと我に返った。だがレグルスを指さし、口を開け閉めするばかりで、言葉が出てこない様子だ。

 この人大丈夫かなと不安になったところで、ティルに体を抑えられた。


「やたらと前に出るな」

「でも…」

「お前さんは白金貨で売買されるくらいの高額商品になり得るんだ。下手に晒すな」

「このおじさんも変態の仲間ですか?」

「違うっ!!」


 男が大声を上げた。途端、いくつもの悲鳴が上がる。男は慌てて口を閉ざす。「違うんだ」と、小さな声で言いなおす。

 レグルスはバツの悪そうな男をしばらく見上げ、それから笑って見せた。


「貴方は僕を知っている人ですか?」


 男は目を瞠った。それから眉を寄せる。

 険しくなった表情に、レグルスは首を傾げた。


「お名前は?」

「…ジル」

「ジル?ジルは……」


 顎に指を当て、しばらく考え込む。やがて一つ頷くと、満面の笑みを浮かべた。


「よく屋根から落っこちてきた、ジル?」

「っ違います、落ちてません。落とされたんです……」


 そう言いながら、男は力なくその場にへたり込んだ。両手で顔を覆う。

 レグルスはティルの手を払った。


「大丈夫です」

「…こんなところにまで人を送ってんのか、お前さんの家は」

「探すうちに此処までたどり着いた……」


 涙声が答える。ジルが鼻をすすった。泣きたいのか、笑いたいのか、顔が奇妙に歪んでいる。


「探したんですよ。そりゃあ必死で……」

「ごめんなさい。でも僕、ずっとお城の中にいたのです。黄昏の塔の中にいたのですよ」

「はは…そりゃ見つからねぇわけだ……」


 力なく笑い、項垂れる。膝の上に置かれた手が、固く握られる。その上に雫が落ちる。

 レグルスが彼の前に屈んだ。男の肩に両手を回す。


「ただいまです、ジル」

「…は、い…はい……っ!」


 俯いたまま、ジルは何度も頷く。

 レグルスはギュッと回した手に力を入れた。肩に顔をすり寄せる。

 暫くこのまま感動の再会を味わっていたいが、そうもいかない。レグルスは抱き着いたまま、ジルに言った。

 

「ジル、お願いがあるのです」

「…何なりと」


 ジルは涙を拭う。顔を上げるとレグルスの手を放し、少し気恥しそうに笑って立ち上がる。

 そんな彼に、レグルスはリスヴィアで起こっている誘拐事件の話をした。自分はそれに巻き込まれたことも。運良く魔術師たちの前で攫われて、すぐに助けが来たことも。

 ジルは黙って聞いていた。

 ノクターンの力も借りながら説明を終えると、レグルスは最後に告げる。


「行方不明の子はまだ沢山いるのです。その子たち全員を連れて帰らないと、王家の威信にも関わります。すでに不信感は広がりつつあります」

「承知しました。奴隷商に話を通しましょう」

「協力してくれますか?」

「悪事の片棒を担ぐのは死んでも御免という御仁です。素直に頷くかは別として、無視はしないかと」

「でも、商人さんでしょう?」


 レグルスの眉がへにょりと下がった。

 商売にならない協力要請を、いくら犯罪に関わっているからとはいえ、商売人が聞いてくれるものか。確信がない。

 ジルが笑う。


「いざとなったら、陛下に身請け金を国庫から出していただきましょう」

「…陛下は意外とケチですよ?」

「使いどころは弁えておられますよ」


 人を金で売買することに嫌悪感を覚えても、無事に戻ってくるというのなら惜しみはしない。

 レグルスは頷きかけ、慌てた様子で腰回りを探った。それから辺りを見回し、ノクターンに駆け寄る。


「会長さん、僕のポシェットはどこですか?」

「それなら……」


 ノクターンは手の上で空間を歪ませる。その中に手を突っ込んで、ポシェットを引っ張り出す。

 ポシェットを受け取ったレグルスは、中を探る。中には幾つかの金貨と魔具。こちらに連れてこられてた時と全く変わりなく収まっている。

 ほっと息を吐き、ジルのところに戻る。それを差し出した。

「これで前金くらいにはなりますか?」


 ジルが中を覗き込む。そして硬直した。


「レグルス様…これは……」

「足りませんか?」


 ジルは首を左右に振る。

 リスヴィアは魔法王国と呼ばれるほど、魔法・魔具が広く浸透している。当然出回る魔具の質も高く、庶民にも普及している。だからそれらが国外でどれほど高価で出回っているか、知らない。

 レグルスのポシェットに入っている魔具は最高級品だ。これだけで一生遊んで暮らせる上、子供に纏まった資産が残せる。

 ジルは首を左右に振った。ポシェットから金貨だけ抜き出す。魔具は入れたまま、レグルスの首にかけて返す。


「取り敢えずこちらは頂いていきます。言葉だけで説得するより、効果が高いので」

「魔具はいいですか?父様からの贈り物なので、持って行っても大丈夫ですよ?」

「まあ…手付金という事で」


 高額過ぎて受け取れないことなど、レグルスは知るはずもない。

 ジルは金貨をしまうと、盛大な溜息を吐いた。

 レグルスはポシェットの紐を握りしめ、不思議そうな顔をする。肩に手を置かれたので、上に視線を上げる。


「信頼できるのか?」

「ジルは代々家に仕えてくれている裏方です。侍従の仕事も出来るくらい、優秀…な、はず……?」


 侍従と裏方。両方勤めていた彼は、上位の使用人だったはずだ。それなのになぜよく落とされていたのか。

 ジルが視線を泳がせる。

 顎に手を当てて考え込むレグルスに、ノクターンがポンと頭に手を置いた。


「ならば頼もう。資金が必要ならこの国に支払わせる。一時的な肩代わりなら、協会でしよう」


 ジルが口笛を吹いた。ニッと笑う。


「いいねぇ。こっちが損しねぇなら、主人は文句言わねぇよ」

「部下を一人行かせる」

「承知。外で待つ」


 皆気付いていただろうが、こっそり忍び込んだ身だ。見つかればただで済まない。羽織っていた布を被り直す。彼らにはこの南の国の日差しは強すぎるのだ。

 再び窓から出て行こうとする彼を、レグルスが呼び止めた。


「ジル…僕は先にお家に帰ります」

「はい」

「早く帰ってきてくださいね?僕はお家で待ってますから」

「っ!はい!!」


 一瞬だけくしゃりと顔を歪めると、ジルは姿を消す。日差しに溶けるように。

 レグルスはふっと微笑むと、室内に意識を戻す。

 先ほどまで虚勢を張っていた少女が、まるで化け物を見るような目でレグルスを見ていた。

 レグルスはふわりと笑う。先程までジルに対していたような幼さを消して。


「どうかしましたか?」

「あんた…何なの……?」


 言葉の端々から見える、ただの貴族とは思えない言葉。いや、貴族には貴族なのだろうとは推測できる。しかし、彼らと接することの出来る貴族とは、何かが違った。

 レグルスは笑みを残したまま僅かに眉を下げた。

 ノクターンが溜息を吐く。困った様子のレグルスに代わり答える。


「この方は公爵グランフェルノ家当主の末子、レグルス・グランフェルノ殿だ」


 少女が顔を凍りつかせた。

 貴族と一口に言っても、その知名度は様々だ。大抵は自分が住んでいる土地の領主や、そこに屋敷を持つ家くらいしか知らない。

 誰もが知る家柄となれば、それは格が違う。筆頭貴族ともなれば、庶民にとって雲の上の人。王族とも変わりない。

 ガタガタと震えだす彼女に、レグルスはますます困ったような顔になる。


「最初に『王子様』と呼ばれたので、知っているのかと思っていました」

「ひっ…もうっ、申し訳……!!」

「謝罪は要りません」


 レグルスは片手を上げて制する。周囲を見回せば、他の反応も似たり寄ったりで、ティルでさえ顔色が悪い。思わず苦笑いになってしまう。


「ルオー」

「何だよ?」


 不機嫌そうな声に、レグルスは首を傾げる。


「怒ってるのですか?」

「怒ってはない」

「拗ねてるのですか?」

「拗ねてもない。気に入らないだけだ」

「何がです?」


 ルオーは体を強張らせる少女を睨み付け、ふいっと顔を逸らせた。

 もともと彼女の態度には腹を立てていた。レグルスに対するものも。だが、正体を知った途端態度を変えた事が、更に気に食わなかった。

 レグルスがふんわりと笑う。ますます不機嫌そうな顔になるので、とうとう声をたてて笑いだす。


「ルオーは変わらないですねぇ」

「知ってたからな」

「ルオーだけですよ?ずっと僕を呼び捨てにするのは」

「一人くらい、そういうのがいてもいいだろ?」

「貴重です」


 眩しいものを見るかのように、レグルスは目を細める。

 ルオーは不機嫌な顔のまま、レグルスに手を伸ばした。頭の飾りを取る。僅かに乱れた髪を手櫛で整えてやる。

 不意にレグルスの眉がへにょりと下がった。


「早く帰りたいです」

「うん」


 ルオーが頷くと、レグルスはルオーに抱き着いた。グリグリと頭を肩口に擦り付けてくるので、ルオーは宥めるように背を撫でてやった。







誤字脱字の指摘お願いします。


脱出ならず!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ