南の王国 1
王宮内が騒然としている。
当然と言えば当然だろう。五年もの行方不明からようやく戻った公爵子息が、再び攫われたのだから。
けれど自分に出来ることはない。国交もない遠い異国の地に、魔法で連れ去られた。ここは協力体制にある魔術協会と、リスヴィアが世界に誇る宮廷魔導士たちに任せるべきだろう。
だから、自分は自分が出来ることをする。戻ってくるあの子が、憂う事無く家族のもとに帰れるように。
辺りはまだ暗い。夜明けには大分時間があるだろう。
闇に乗じて、ヴェルディは厩舎に急いだ。辺りに人気のないことを確認し、中に入る。
彼の愛馬は真っ先に主に気付き、ぶるると鼻を鳴らした。
「よしよし。今日は遠駆けに行く。付き合ってくれ」
軽く首を叩けば、早く出せと言わんばかりに軽く地面を蹴る。素早く馬具を取り付け、厩舎から引き出した。
外では既に支度を整えた彼に近衛騎士が待っている。
「西門の衛兵と話を付けてきました。いつでもいけます」
「そうか。手間をかけさせた」
「いいえ、殿下の為ならば」
いつもの悪戯っぽい調子で返される。ヴェルディは軽く肩を竦めてみせる。
馬を連れて歩き出したヴェルディを、ハロンは追いかける。
「ですが、よろしかったんですか?」
「……何だ?」
「シェリオンに何も言わなくて」
今日城を抜け出すことも、行く先も何も伝えていない。言えば反対されるからではない。
ヴェルディは首を左右に振る。
仕事に落ち度があったわけではないが、どこか精彩を欠いていた近侍だ。今も弟が攫われ、気ばかり焦っているだろう。
冷静さを失った者を連れて行くわけにはいかない。
ハロンが苦笑いをする。
「後ですんげぇ怒られんでしょーねぇ……」
「仕方ない。一緒に怒られよう」
「うげぇ…」
最近見なくなったあの全てを凍てつかせるような視線で、一体何時間正座させられるのか。想像だけでげんなりする。
「先に怒られていきますか?」
冷ややかな声に、二人の肩が跳ね上がった。恐る恐る声の方向を見る。
ふわりと光の球が舞う。その光を受け、青銀色の髪が煌いた。
「しぇ、りお、ん……」
「この程度でよく私を欺けると思われましたね、殿下?」
氷のような視線に射抜かれて、全身が粟立った。久しぶりの感覚に、二人が戦慄する。そして完全に固まった。
本気で怒ったシェリオンは、本当に怖い。彼らは身をもって知っている。レグルスが見つかって以来すっかり穏やかになっていた為、忘れかけていた。
無言の睨み合い(?)の末、シェリオンが溜息を吐いた。
「このまま送り出せるわけないでしょう。近衛をお連れになれないのですから、当家の護衛をお連れ下さい」
「…怒らないのか?」
「帰ったらお説教です」
目が眇められ、ヴェルディはピッと姿勢を正した。馬の陰に隠れたハロンも同様である。
シェリオンにも解っている。これからヴェルディが何をしに行くのか。それに自分までついて行っては、王宮内で余計な混乱を招く。それはヴェルディに更なる危険を呼ぶ。
止められないのならば、留まらなければならない。それがグランフェルノだから。
シェリオンは視線を下げた。くるくると回っていた光の球が離れ、今度はヴェルディの周りを回り始める。
「護衛は外壁の外で待たせています。行ってらっしゃいませ」
「シェル。ごめん……」
子供のような謝罪が口を突いて出た。
シェリオンが僅かに表情を緩める。
「説教時間は減りませんよ?」
「う…覚悟してくる……」
「今日中に帰ってきてください。それが限界かと」
「…わかった。ありがとう」
ヴェルディはさっと顔を引き締めた。ハロンを連れて、西門へと急ぐ。
ハロンの視線が一瞬だけ、シェリオンと交わった。互いに頷き合う。
彼らを見送ったシェリオンは、再び溜息を吐いた。小さな笑い声が闇から聞こえ、僅かに眉を顰める。
「マリスとクレオを付けました」
「マリスを付けたなら、一人で十分じゃない?」
「念の為にです。諜報だけは一流ですからね」
笑いを含んだ声に、シェリオンは肩を竦める。それから顔を上げた。
「さて…俺も仕事しようかな」
「黒烏騎士団に承諾を取りました。今日は若様にも護衛を付けますよ」
「…嫌だなぁ。今日の俺の仕事、ひたすら謝る事なのに……」
思わずぼやきが漏れた。
◆◇◆◇◆◇
魔術協会は西側大陸で強大な力を持っている。彼らの作る魔法道具は日常生活の必需品で、それに使う魔石も彼らが流通を管理しているからだ。
それはスランダード王国も例外ではない。
会長不在の協会で、実質トップである代行が直々に出張ってきた。その重大さは彼らにもすぐに理解できただろう。
誘拐の首謀者が割り出され、すぐに捕らえられた。王弟という男とその取り巻きが投獄されたが、当然納得は出来ない。
協会の魔術師たちは更なる尋問をしているという。
三人は王宮内に招かれた。
だがすぐにレグルスだけが別の場所に連れていかれた。会長代理という魔術師がついて行ったから、心配はないだろう。
ルオーはティルと共に身を清め、着替えをして、食事の席に着いた。
二人が見たこともないような食材が並んでいる。ルオーはあまり手を付ける気にならず、僅かに南国の果物を摘まむ。
対し、ティルは出された物全てを食べ尽くす勢いで、猛然と咀嚼している。
「…ちゃんと食わねぇと、大きくなれんぞ」
「美味しくない……」
良い素材を使っているのかもしれないが、郷土料理の独特な風味が食欲を削ぐ。
ティルは口の中の物を飲み込み、フォークでルオーを指す。
「それでも食え。いざって時に何も出来なくなるぞ」
「……」
「食える時に食う。休める時に休む。それが非常時の鉄則だ」
言いながら肉の塊にフォークを突き刺した。
ルオーはじっと目の前の料理を見つめた。
「…レグルスは、食べるのかな……?」
ポツリと呟く。
肉塊を喰い千切ったティルは、冷ややかにルオーを見た。口の中の物を飲み込むと、息を吐く。
「兄弟じゃなかったんだな、お前ら」
「オレはアイツの偽者だよ」
「影武者ってやつか?」
「違う…ただの偽者」
ティルは首を傾げたが、ルオーが果物を口に運ぶのでそれ以上は突っ込まない事にする。代わりに別の事を尋ねた。
「気にしてんのか」
「え?」
「人に剣を向けたこと」
ビクリとルオーの肩が揺れた。
ティルは僅かに目を細める。
「お前の反応は間違ってない。初めて人を殺そうとしたんだ。そんなもんだよ、皆」
「でもアイツは……」
「アレは貴族のお坊ちゃんだろ?最初から立ってる位置が違う」
一見だけは儚げな美少女。中身はちゃんと貴族の若君だ。
ティルはレグルスの正体までは知らない。けれど貴族に関しては知っていることがある。
「ちゃんと躾けられた貴族のお坊ちゃんだ。民を護るためなら、他を刈り取ることを厭わないし、躊躇わない」
「オレは守らなきゃって、思ってたんだ……」
「普段ならそれでいいんだろうさ。争うことが好きなわけじゃないだろ?ガキの喧嘩ならお前らが代わりにやってやればいい。アレはそういう場では我慢するだろうからな」
「何で?」
「己の力を正しく理解してるからさ。貴族の権力ってのは、些細なことで人を殺す。貴族と平民が対等に付き合えるなんてことは、あり得えねぇよ」
ルオーはポカンと口を開けていた。ティルの視線を受け、はっと我に返る。
「そんな事ない!だって…!」
「友情が成り立たないとは言わねぇ。互いが子供のうちは尚更。だけどな、お前は解ってなくても、向こうは知ってる。自分の一挙手一投足で、お前も殺せるってことを。望む望まぬに関わらず」
「レグルスはそんなことしない!公爵様だって…!」
「言っただろ、本人の意思なんて関係ないんだ。貴族社会は俺らが考えるほど甘くねぇぞ」
水差しからコップに水を入れ、ティルは一気に飲み干した。
ルオーは顔を顰めている。
言い返す言葉を探していると、突然扉が開かれた。
現れたのは協会の魔術師。腕に少女を抱え、ローブの裾に二人の少年が掴まっている。
「被害者だ。面倒見てくれ」
「了解」
ティルが立ち上がる。
少年少女は皆十歳前後で、平凡な見た目だが淡い色合いの髪をしていた。
魔術師は少女を長椅子に降ろし、少年二人にも座るように促す。彼らは身を寄せ合いながら浅く腰かけた。
ティルが魔術師と小声で話しているので、ルオーは彼らに近づいた。驚かせないように自分を認識させて正面に立ち、数歩離れた距離で膝をつく。
「オレ、ルオー。エルー地区の教会にあるフラメル孤児院に住んでるんだ」
「あ…そこの教会行ったこと、ある、かも……あなたの髪、見覚えある……」
「そう?バザーの時かな?」
「ううん。従姉妹のお姉さんの結婚式で…綺麗なベールを貸してくれるからって。お姉さんのお家、おじさんが亡くなってあんまり裕福じゃなかったから」
「そうなんだ。ベールは司祭様はお手製なんだぜ。すごく器用な人なんだ」
少女が知っていたらしく、話をしてくれた。ルオーも合わせてお喋りをする。
少しだけ隣の少年たちの顔も緩んだ。
「腹減ってない?オレたちにって出された飯だけど、沢山あるから。あんまり美味しくないけど」
「うん…ごはん、まずい、よね……?」
「不味いよな!一緒に来た憲兵のおっさんが平気で食うんだけどさ…あ、果物もあるよ。こっちは美味しかった。食べる?」
三人は顔を見合わせ、恐る恐る頷いた。
ルオーは果物を取りにテーブルに戻る。皿に幾つか取り分けて、持って行った。どれも手掴みで食べれるようなものだ。
それをティルと魔術師が見ていた。
子供たちが果物を食べ始めたので、魔術師がほっと息を吐く。
「良かった…さっきまで幾ら話しかけても、返事なんてしなかったから」
「知っているものがあったのが良かったんでしょう」
「見つかった被害者はこの部屋に連れてくるようにしているから…頼むよ」
「了解」
魔術師が再び部屋を出ていく。
ティルは椅子を掴むと、壁際に寄った。入り口と彼らの座る長椅子から、出来るだけ距離を置いた場所に座る。
魔術師から、彼らの状況を聞いた。胸の悪くなる話だった。他の被害者たちも似たり寄ったりだろうと思われる。
そんな彼らに、体が大きく顔も厳つい方に入る自分は、恐怖の対象だろう。いざという時は手が届く距離で守ることが最善に思われた。
ルオーに世話をされながら食事をする子供たち。慣れているのか、ルオーはあれこれ質問しながら、テーブルの間を行ったり来たりしている。そのうち小さなサイドテーブルを引っ張り出してきて、その上に料理を置いた。子供たちは僅かだが打ち解けた様子も見せる。
そんな姿に、他の被害者も無事であるようにと、ティルは密かに祈った。
数時間後、今度はかなり乱暴に扉が開いた。
あれから救出された被害者も増え、中にはかなり酷い状態の少女もいた。
一斉に驚き、中にはすぐさま家具の陰に隠れようとした子もいた。
ルオーは険悪な表情で振り返る。が、ポカンとして固まった。
現れたのはレグルス。
別れた時とは異なる、煌びやかな衣装に身を包んでいた。まるで物語に出てくる王子様だ。
「……どした?」
険悪というより、全身の毛を逆立てた猫のようなレグルスに、ルオーは首を傾げた。それからレグルスが手を掴んで引っ張ってきた女性に目を向ける。
綺麗な女性だった。金茶色の髪に、薄紫色の瞳。肌が透けて見える薄絹を使った衣装に、思わず赤面してしまう。
ルオーが辺りを見回していると、最初にやって来た少女が自分が体に巻き付けていたシーツを外した。女性に駆け寄る。
「これ、使ってください」
「あ…りが、と」
掠れた声だった。声自体も出し辛そうで、それが一時的なものではないことがわかる。
けれど女性は少女に向かってにっこりと微笑むと、シーツを受け取った。それを羽織って体を隠すと、レグルスの前に回り込み、膝を折る。そして小首を傾げて見せた。
「…謝りません」
怒りの収まらないレグルスは、彼女にさえ厳しい姿勢を崩さない。
彼女は笑みを深め、ゆっくりと首を左右に振る。両膝を床に付き、レグルスの手を包むように握る。それから後ろを振り返った。
レグルスが顔を上げる。視線が彼らに集まっていることに、ようやく気付いたようだ。中には身を寄せ合って怯える様子が見える。
「……ごめんなさい………」
謝罪の声はひどく小さかった。
女性は頷くと、レグルスに手を伸ばした。されるがまま、レグルスは抱きしめられる。
「ああ、もう…冷静なんだか、怒り狂ってんのか。どっちかにしてくれよ」
会長代行が入ってきた。レグルスは振り返る。
彼は何とも言えない表情だ。
「スカッとはさせてもらったけど……」
「何か問題が?」
「……変態国王が」
すっと彼は視線を逸らした。
「王子に踏まれてタダの変態に」
「お前、何してきたの?」
ルオーが堪らず突っ込んだ。
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