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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
66/99

家出少年と兄2

文字数多め。







 冬のリスヴィアでは、魔獣が人を襲う。

 餌が減り、山を下り森を出た魔獣は、山村を、街道を行く旅人たちに牙を剥く。特に群れを成す魔獣は厄介である。

 そして人を襲うことを覚えた魔獣は、春になり餌が豊富になっても人を襲い続ける。


 だからその前に退治しなくてはいけない。




 ようやく動く魔獣がいなくなった頃、赤燕騎士団の面々も動けなくなっていた。

 負傷したものもちらほら見えるが、それ以上に疲労で。

 デミトリィ卿ハーヴェイ・グランフェルノも例外ではない。隣には同じように剣を支えに膝をつく隊長のロラン・ジュノーもいる。

 周囲には魔犬の屍骸が山積みになっている。


「終わったようだな!片づけて撤収するぞ!!」


 何故か一人元気な副団長が声を張り上げる。先陣を切り、魔犬の群れに突っ込み誰よりも暴れまわった副団長だが、今も誰よりも元気だ。

 ロランが長い前髪の奥から、胡乱な目を向けた。


「なんであの人、動けるの……」

「いやもう、流石としか」


 苦笑いをこぼしながら、ハーヴェイはよろよろと立ち上がる。重い足取りで、屍骸回収を始めた。流石に街道沿いに屍骸を転がしておくわけにはいかない。


「この辺は俺がやるんで、隊長はもう少し休んでいてください」

「そういうわけにはいかない…」

「隊長、魔力もすっからかんでしょう」


 図星を指されて、ロランは押し黙る。魔力は使い過ぎれば、強烈な眠気に襲われる。それに肉体的疲労も重なって、ロランは今非常に眠い。

 ハーヴェイが屍骸を引き摺って、用意してあった荷車に乗せていく。他の騎士たちも疲労を隠せない様子でズルズルと屍骸を引き摺る中、副団長だけが豪快に担いで投げている。

 ロランは今にも閉じそうな瞼と闘っていると、不意に体が持ち上げられた。


「…副団長、生きてますよ……」

「うむ!何よりだ!!」

「……荷物でもないですよ………」

「荷物以下だな!!」


 反論できないのが痛い。一人で歩くこともままならない今、役立たずにも程がある。

 担ぎ上げられて、荷車の隅に下された。ロランは顔を顰める。


「大活躍したでしょう…?」

「うむ!だから運んでやった。宿舎まで連れ帰ってやるから、安心しろ!!」


 副団長は豪快に笑うが、隣に絶命したばかりの魔犬の屍骸があっては、安心しきれない。背中がほんのり暖かいのも気になる。

 屍骸と一緒に森の中に捨てていくと言われなかったのが幸いか。

 ロランは小さく息を吐く。このまま馬に乗っても、途中で落馬する自信があるので、大人しく血生臭い荷車に収まった。

 魔獣の屍骸を途中の森に捨て、広くなった荷車でロランは膝を抱えて丸くなる。後ろからは愛馬が付いてきている。


「…隊長?寝ちゃいました?」

「起きているよ…なに……?」


 顔を上げれば、荷車に並ぶハーヴェイがいた。


「いや…その荷車でよく寝れるなぁと」

「そんなわけないだろう…?生臭くて仕方ない……」

「ですよねぇ。ところで、王都では馬に乗り換えますか?」


 怪我をしたわけでもないのに、このまま荷車で運ばれるのは騎士の沽券に関わる。

 声に出さずに頷く。


「じゃあ、外壁が見えてきたら、声かけますね」

「ああ……」

「本当に寝ないでくださいね?」


 今日はまだ暖かい方だが、それでも氷点下である。寝たら死ぬ。

 ロランが軽く手を振るのを確認して、ハーヴェイは隊列に戻った。






   ◆◇◆◇◆◇






 セイルはご機嫌で、レグルスの腰にしがみついている。


「にいに、おうたうたってぇ」

「はぁい。何のお歌にしましょうねぇ?」

「にいにのおうた~」


 せがまれるがままに、歌いだす。塔の中で彼が歌ってくれた歌を。

 セイルはレグルスを「にいに」と呼ぶ。様は要らない、呼び捨てでいいと言ったのだが、セイルには理解できなかったようだ。「レグルス様」で一つの名前だと思っているのかもしれない。

 そしてセイルはレグルスの歌が大好きだ。夜眠るときに歌ってからというもの、毎日歌わされている。歌っている間、セイルはご機嫌だ。

 そろそろ一曲終えようかという頃、外から悲鳴が聞こえてきた。歌も止まる。下から金切り声と、怒声が届く。


「皆、二階へ!!」

「セイル、いらっしゃい」


 下から子供たちが駆けあがってくる。レグルスはセイルの手を引き、皆と一緒に大部屋に駆けこんだ。セイルをベッドに座らせる。

 逃げてきた子の中には怪我をしている姿も見える。

 レグルスはベッドの下から、家出したときに持ち出したポシェットを引っ張り出した。中には金貨と、幾つかの魔具が入っている。

 レグルスたちと一緒に二階にいた子が、逃げてきた子に状況を尋ねている。


「いぬっ…犬が……!」

「犬?野良犬?庭に入って来たのか?」

「コート・シスレーが、庭にたくさんっ……」


 コートはよくレグルスの髪を引っ張ってくるガキ大将だ。

 レグルスは眉を顰めながらも、魔具を発動させた。泣きじゃくる子供たちの中でも怪我をしている者たちに定め、淡い光で傷を包む。

 突然の光に驚いたのは、怪我をした子供ばかりではない。宥めていた子供たちも、驚いて辺りを見回す。

 原因がレグルスにあると知り、ほっと息を吐く。そして傷が治っていく様に更に安堵する。

 引いた痛みに、僅かながら表情が緩んだ。その時である。

 廊下に犬の吠え声が響いた。扉を引っかくような音もする。

 一部の子供は悲鳴を上げ、奥に固まる。


「カギは!?」

「そんなモン付いてるわけないだろ!」

「何かつっかえるもの…!」


 パニックに陥る中で、レグルスは落ち着いて室内を見回した。


「扉は外開きです。犬にはドアノブを回せません」


 レグルスが言った。年長の子供たちがいくらか落ち着きを取り戻す。

 丸いドアノブは犬の手に余る。時に人間でも手を滑らせて回らない。

 ただ、扉が薄いのが問題だ。現に犬はノブを回すのではなく、扉を引っ掻いている。


「全員、窓の側へ。破られたときは、窓から逃げましょう」

「今すぐじゃないの?」

「外から大人が来ていないのに、逃げ出すのは危険です」


 室内に犬が入り込み、司祭が助けに来ない。下手に逃げ出せば、更なる危険に晒される可能性が高い。

 ポシェットを探って別の魔具を取り出すと、鎖をドアノブに引っ掛ける。発動させれば、扉に薄い膜が張られる。


「これで飛び込んできても、皆が逃げだす時間くらい稼げるはずです」


 護身用に貴族から平民まで、幅広く用いられている魔具だ。強力な攻撃は一・二撃程度しか防げないが、攻撃がなければ長時間保つ。

 皆防寒具を羽織り、窓は開けておく。外は雪が高く積もり、飛び降りても怪我はないだろう。

 レグルスも皆と一緒に固まれば、セイルが飛びついてくる。


「にいに…」

「大丈夫ですよ」


 怯えるセイルにレグルスは微笑みかけた。

 窓の近くに集まり、息を顰める。扉の向こうからは荒い唸り声と扉を引っ掻く音が続いていた。







   ◆◇◆◇◆◇






 ルオーは走っていた。前に一人、後ろに二人。一緒に逃げている。



 原因はコート・シスレーだ。最近、レグルスに絡んでいる典型的ないじめっ子だ。

 そのコートが、孤児院の庭に猟犬を三頭も放ったのである。父親が趣味の狩猟用に飼っている犬で、普段は番犬として使われている。そんな犬が庭で遊んでいた子供たちに襲い掛かって来たのである。

 悲鳴を聞いた司祭が駆け付けたが、襲われた子供を庇って噛みつかれた。


「詰所に走れ!!」


 最年長の少年が叫んだ。門扉に一番近い場所にいた数人がすかさず走り出す。

 その中にルオーもいた。



 今、彼らは憲兵隊の詰所に走っている。

 ようやく大通りに出た。そこで騎馬隊を目にする。彼らは無我夢中で叫んだ。





「たすけて!!」





 騎馬の一団は、突然目の前に飛び出して来た子供たちに驚きつつも、馬を止めた。


「どうした!?」

「司祭様が死んじゃう!助けて!!」

「皆殺されちゃう!!」

「簡潔に話せ!!」


 馬の上から恫喝され、子供たちは体を竦ませた。

 とたん黙ってしまった子供たちに、隣にいた騎士が苦笑いを零す。


「副団長。子供、威圧してどうすんですか」

「…どうした?司祭とは、孤児院の院長か?」


 後方から声をかけたのは、新米騎士だ。馬を降り、子供たちの傍に来る。


「ハーヴェイ様!」

「うん。どうした?」


 見知った騎士に、子供たちの体が緩む。

 ハーヴェイは子供の頭を撫でた。


「分かりやすく教えてくれ」

「いつも俺らをいじめるヤツが、大きな犬を三匹も連れてきたんだ。それに襲われて…!」


 緊張の糸が少し緩んだのか少年は泣き出してしまう。

 ハーヴェイは後ろを振り返った。


「裏路地です!走ります!!」

「ジュノー、半数残す!」

「了解」


 冬の路地は馬で通ることは不可能だ。ハーヴェイが先頭に立ち、副団長たちが駆け去る。

 後を任された小隊長が、馬を降りる。


「…憲兵隊の詰所は、どこだったかな?」

「あ、案内します」

「そう…?一緒に行って、起こったこと全部ちゃんと説明できる……?」


 少年が頷く。胡乱な様子のロランに、少しばかり怯えているようだ。

 ロランは残された馬を纏めていた騎士の一人を呼んだ。


「マレ。この子を連れて、憲兵隊の詰所に行ってきてくれる?」

「はっ」

「もう少し先に、馬止めがあったはず…他はそこで待機」

「「「はいっ」」」

「君らも行こうか…」


 少年たちは小さく頷いた。固まって歩き出す。

 うつむいて歩いていた少年たちだが、不意に一人が声を上げた。騎士たちの視線が集まる。


「どうしよう!レグルスがいるのに」


 突然狼狽えだす少年に、もう一人が同調する。

 ロランは首を傾げる。同名の子供を知っているからだ。ただその子供は貴族階級で、今は実家で大事に囲われている筈だ。


「…大丈夫だろ」


 残る一人が静かに告げた。同名の子供と同じ青銀色の髪の少年だ。彼は僅かに騎士たちを気にする様子を見せながらも、慌てる二人に注意する。


「分かっていて、迎えに来てないんだし。せいぜい鉢合わせて気まずい思いするくらいだろ」

「それもどうなの?」

「しょうがないだろ?いろいろ面倒くさいヤツなんだから」


 小声で喋っているものの、聞こえないほどではない。

 ロランは考えを巡らせる。

 どうやら同名ではなく、本人のようだ。現在孤児院で生活しているらしい。だが、かの令息が放逐されたという話は聞かない。噂は聞いているが、それもかの家を妬む輩たちの悪意だろう。そんな噂であの父親が息子を放り出すとは思えない。

 だとしたら、令息は自らの意志で家出中ということになる。


「…レグルスって、ハーヴェイの弟の……?」


 声をかければ、一斉に肩を震わせる。恐々とこちらの様子を窺い、顔を見合わせる。

 いつもの事だが、何とも失礼だ。これでも男の子たちの憧れの職業の騎士なのに。

 青銀色の髪の少年が、じっとこちらを見上げていた。瞳の色は令息よりずっと濃い色をしている。深い海のような色だ。

 答えを聞き出す前に、馬止めに着いてしまった。


 こんな時期である。馬止めは空だった。隣接する乗合馬車の待合所から管理人が出てくる。部下が所属証を見せれば、管理人が馬の数を数え、手持ちの紙にいろいろと書き込んだ。個人で利用すればここで料金を支払わねばならないが、騎士などが職務中に利用する場合は所属さえ提示すれば、今はただで使える。支払いは軍務局にいくのだ。


 馬を繋ぎ、待合所で仲間を待つ。流石にこの寒空の中、外で待つにはきつすぎる。

 子供たちもベンチの端っこに大人しく座った。

 その前にロランはしゃがんだ。


「…いつも、こんな事されているの……?」

「意地悪されるのは割と…」

「犬を嗾けられたのは?」


 彼らは首を左右に振る。


「何か、あった?」

「…多分、新しく来た子が気に入らなかったんだと思う」

「レグルスっていう子…?」


 彼らは一度顔を見合わせ、それから小さく頷いた。


「その子は、みんなに嫌われてるの?」

「まさか!」

「意地悪するのはコートとその取り巻きくらいだよ!!」

「…何で彼らはそこまで嫌うんだろうね?」


 少年たちは困った様子で、視線を交わす。そして青銀色の髪の少年に二人の目が向いた。ちょっと彼の目が半眼になる。

 溜息が漏れた。


「レグルス、綺麗な顔してるから」

「……はい?」

「男なのに、綺麗だから。弱そうってバカにしてるけど、多分…本音は違うと思う……」

「それ、は……」


 ロランは勿論、後ろで聞いていた騎士たちも絶句した。










 ハーヴェイたちは細い路地を走る。

 近付くにつれ、子供の甲高い鳴き声と共に、怒声も聞こえてきた。

 孤児院の庭には、庭で角材を振り回す女性たちがいた。犬たちは彼女たちの様子を窺いつつ、牙を剥いている。


「退けぃ!!」


 副団長の恫喝が響いた。犬たちが一瞬怯んだ。ついでに人間もびくっと体を跳ねさせた。

 騎士団の面々が孤児院に飛び込む。二人が剣を抜き、平で犬を打ち据えた。殺さずに昏倒させる。その間に残りの騎士たちが一般人の保護に入る。


「赤燕騎士団だ!無事か!?」

「建物の中に一匹…!」


 司祭が叫んだ。副団長が中に駆けこんでいく。

 ほどなくして、中から犬の悲鳴が聞こえた。次いで副団長の大声と、子供たちの元気な泣き声が司祭の耳に届く。安堵の息が漏れた。

 司祭は腕を抑える。袖が赤く染まっていた。


「大丈夫ですか?」

「…ハーヴェイ様?」


 視線を上げた司祭は、目を丸くした。だが驚いてばかりもいられない。


「私より、子供たちをお願いします」

「バカなこと言うんじゃありませんよ。司祭様が一番の重傷者です」


 角材を持った女性が、腰に手を当て仁王立ちしている。

 泣きべそをかく子供たちも怪我をしているが、殆どが擦り傷だ。噛みつかれた者もいるようだが、厚手の防寒具が守ってくれたようだ。

 ハーヴェイは苦笑いをしつつ、彼らを建物の中へと移動させようとした。が、すぐに固まる事になる。


「司祭様!」


 そこに走り出てきたのは中に避難していた子供たち。

 その中にレグルスがいた。

 視線が合うと、お互いそのまま立ち竦んだ。







 ガリガリという扉を引っ掻く音。低い唸り声。

 子供たちは身を寄せ合う。


「犬畜生が何をしておる!!」


 扉の向こうに大音声が響く。次いで犬の悲鳴。

 閉ざしていた扉が乱暴に開かれる。


「無事か!?無事だな!!」


 無駄な大声で、つるっぱげの大男が入ってこようとした…が、薄い膜に阻まれる。

 大男は訝しそうに膜を撫でる。


「結界か」

「ごめんなさいっ」


 レグルスが慌ててドアノブに引っ掛けた魔具を外す。停止させれば、膜が消える。

 後ろで泣き声が上がった。それが伝染していく。


「おうおう。酷い怪我の子はおらんな。よしよし、たんと泣け。もう大丈夫だぞ」


 副団長は大股に歩いて子供を二人、軽々と抱き上げる。

 抱えられた子供は驚いて泣き止み、泣きべそをかく子供は不安げに副団長を見上げる。


「司祭様はぁ…?」

「おう、無事だぞ。ちょーっとばかりお怪我をされていらしたようだが、大人だからな。大事には至らん」

「行ってきます!」

「俺も行く!」


 レグルスがポシェットを持って飛び出せば、後から数人が続いた。後ろからセイルの泣き声も聞こえたが、今はそちらに構っていられなかった。

 大きく開け放たれた玄関から外へ出る。


「司祭様!」


 そして動きが止まった。司祭の有様からではない。その隣で司祭を支える者を見て、だ。

 向こうも同じだったようで、見つめ合ったまま動けなくなってしまった。

 ふっと司祭が笑う。


「中に入りましょう。取りあえず食堂へ」


 はたと我に返り、二人は視線を逸らせる。

 二階に逃げていた子供たちも、副団長と共に降りてきた。副団長が犬の屍骸を抱えていたので、皆顔を強張らせたが。

 食堂で司祭が腕をまくる。がっちり犬に噛まれた傷は、かなり深そうだ。

 レグルスの魔具で、他の子供たちごと傷を治す。だが、司祭の傷は治しきれなかった。途中で魔具の魔力が切れてしまったのだ。

 しょぼんと肩を落とすレグルスに、司祭は優しく微笑みかける。


「痛みもひきましたし、これくらいなら痕にもならないでしょう。ありがとうございます」


 頭を撫でれば、レグルスは微かに笑った。

 そうこうしているうちに憲兵隊が到着する。事情を話し引継ぎをして、王宮に戻るべく司祭に挨拶をした。

 引き上げる騎士団を、レグルスは追いかけた。前庭で憲兵たちと話しているところに走り込もうとして、足を止める。

 庭では生け捕りにされた二匹の犬がいた。が、それに止めが刺された。泥交じりの雪の中、赤が滲んでいく。

 レグルスは茫然とその様子を見つめていた。


「にいに!いっちゃやー!」


 レグルスの背に衝撃が走り、庭の視線がこちらに集まる。我に返り、セイルの視界を塞ぐ。


「セイル。すぐに戻りますから」

「やだぁ…」

「にぃ……ハーヴェイ様と少しお話しするだけですから。ね?」

「せーるもにいにとおはなししゅうぅ」

「後でお歌も歌ってあげますから。良い子にしててくださいな」

「やあぁ!」


 しがみ付いてわあわあと泣くセイルに、レグルスは困ってしまう。

 話はセイルがいて困ることはないが、凄惨な様子の残る庭に出したくない。

 一つ息を吐きだす。話をするのを諦めて、ギュッとセイルを抱きしめた。


「セイル、来い」

「うにゃっ」


 セイルが引き剥がされた。戻ってきたルオーたちがセイルを羽交い絞めにしている。セイルがじたばたと暴れる。


「はいは~い。セイルは家の中~」

「やー!!」

「我儘言わないのっ」


 手際良く担ぎ上げて、食堂へ戻っていく。ルオーが軽く手を振った。

 レグルスは苦笑いをし、向こう側に消えていく彼らを見送った。そして後ろを振り返る。

 憲兵隊も騎士団も、そのまま残っていた。

 話したいことはあるが、その前に訊かねばならないことがある。


「どうして、殺したのですか…?」


 無残な屍骸は運ばれている途中だった。だが後に残る赤は隠しようがない。

 動物が悪いわけではない。従順な彼らは、主に従っただけだろう。なのに、どうして殺されなければならなかったのか。

 答えたのは赤燕騎士団の副団長だ。


「あの犬は、魔獣とのあいの子だ」

「魔獣との?」

「そうだ。そして犬の主は魔獣使いではない。だから処分した」


 レグルスは眉を下げた。魔獣の習性はレグルスも知っているからだ。

 魔獣使いではなくても魔獣を飼い馴らすことは出来る。だが、習性を抑えることは魔獣使いにしかできない。間の子であったとしても。


「でも、襲わないかもしれなかったのに…」

「『かもしれない』で脅威を放っておくわけにはいかない」

「……そう、ですか」


 レグルスは視線を下げた。

 たとえ可能性だけだとしても、害のあるものは取り除かねばならない。起こってからでは遅い。


 理解できる。けれど、決心がつかない。


 俯いていると、上から影が落ちた。顔を上げれば、話をしようと思った人がいる。


「…にいさま……」


 ハーヴェイは苦笑した。身を屈めて、視線の高さを合わせる。


「元気そう…でもないか」

「ヴィー兄様も、お変わりなく」


 レグルスは泣きそうな顔で兄を見上げた。兄の手が軽く髪を撫でる。


「皆は元気ですか?母様は……」

「あ~…最近忙しくて帰ってないけど、元気だと思う」


 最近は魔獣討伐で休暇はほぼ返上である。末弟が倒れたまま一週間起きなかったことも、目覚めた後家出したことも、兄から伝え聞いた。

 気まずさから俯いてしまうレグルスの顔を挟んで、上を向かせた。多少強引だったせいで、頬が寄り、唇が突き出る。思わず笑ってしまえば、眉根まで寄せられて酷い顔になる。


「うっわ、ブッサイク」

「しちゅれーな!」


 レグルスは兄の手を叩いた。が、あまり効果がなさそうな音がした。さらに不機嫌そうな顔になる。

 くつくつとハーヴェイは笑い、手を離す。


「こっちは大丈夫だから、心配すんな」

「……」

「俺はお前の方が心配だよ」


 兄からは勿論、父からも事情は聞いている。そして出来るだけ関わるなとも。

 これは仕事中の事故と自分に言い訳をし、弟を抱きしめる。腕の中で息をのむ音が聞こえたが、それも気にしない。


「あんまり傍にいてやれないし、何かあってもすぐに来てやれないけど。俺はお前の兄貴だからな。心配くらいさせろ」

「……でもね、兄様………」

「言いたい奴には言わせておけ。兄上も俺も、ティアだって悪い噂の一つや二つ持ってる」

「違うのです!」


 レグルスが叫んだ。涙が出ていないことが不思議なほど顔を歪ませ、ハーヴェイを見上げていた。


「違うのです…兄様たちとは、ちがう……」

「レグルス?」

「僕、覚えてないのです」


 軍用コートを小さな手がしっかり掴む。固く握り過ぎて、関節が白くなっている。


「僕はあの塔の中でのことを、ほとんど覚えてないのです」


 塔の中で、レグルスがしっかり覚えているのは、最初の一週間だけだ。後は交代してしまったため、レグルスはどうやってあの中で生活していたのか分からない。



 深い意識に沈んだレグルスは、ずっと夢を見ていた。幸せだった過去の思い出を糧に、楽しい夢だけを。

 たまに意識が浮上するのだが、それは極短い時間だった。ほんの数秒空を見たり、食事をしたり。時に音に驚かされたり、何も見えないまま、また眠る。

 五年間でレグルスだった時は、合計しても一か月にも満たない。だからレグルスには五年前の記憶が鮮明に残っているのだ。

 それがレグルスが、自分を疑う要因となっている。彼を疑うわけではない。ただ、自分が信じられないのだ。

 もし、彼ごと作られた記憶だったら。確かに彼は自分だったのに、今では完全に分離して別のものとなっている。そんな風に作り変えられていたら。



 彼のことは言わず、ただ記憶が曖昧なことを伝えた。時々正気に戻り、後はほとんど覚えていないと。

 助け出された日も、ずっと眠っていたところを叩き起こされたせいか、本当は記憶は曖昧だったりする。夜中に目を覚ました際にふと我に返り、ちゃんと自分を取り戻したのは翌朝だ。

 黙って聞いているハーヴェイに、レグルスは首を振る。


「でも、もう僕が本物かどうかなんて、どうでもいいことなのです。僕は害を成すかもしれないものなのです。グランフェルノと王家を滅ぼすかもしれないものなのです」


 ハーヴェイは何も言わず、ただ聞いていた。ギュッと抱きしめる。


「兄様…脅威は放っておいちゃダメです」


 レグルスは泣きそうに笑って、兄を押しやろうとした。けれどハーヴェイは離さない。しっかりと抱き込む。


「お前は魔獣じゃない」

「もっと性質の悪いものです」

「…俺の弟が、そんなに悪いもののはずがないだろ?」


 ぽんぽんと背を叩いてから、体を離す。弟の肩を掴み、正面から見据える。


「本当に性質の悪いものは、お前を貶め、グランフェルノを陥れようとしているものだ。お前じゃない」


 レグルスは顔を歪めた。それから首を左右に振る。

 俯こうとする顔をまた持ち上げ、ハーヴェイは笑う。


「そんでもって、お前はちゃんと父上と話せ」


 こつんと額を突き合わせる。そのままおでこでグリグリされた。

 痛みに顔を顰めれば、ハーヴェイは悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。


「基本母上似なのに、どうしてそういうトコばっかり父上に似るんだ。父上といい兄上といい、お前まで言葉が足らないとか、俺に対する何の嫌がらせだ」

「…ヴィー兄様がお喋りなだけでは……」

「そんでお前は一言多い」


 ごつんと頭突きが降ってきた。一瞬目の前を星が散る。

 レグルスは額を抑える。


「い、いたい…兄様ひどい……」

「やかましいわ。父上の言いつけだから無理やり連れ帰ることはしないが、さっさと帰ってこい」

「や゛ー!!に゛ぃに゛ーー!!!」


 孤児院の中から耳を劈く悲鳴が響いてきた。豚の断末魔にも似ている。

 このままでは声を潰す。レグルスは兄と孤児院の奥の間で、視線を往復させた。

 ハーヴェイが苦笑いを零す。ひらりと手を振る。


「向こうが優先だな。行け」

「ごめんなさい!」


 廊下をかけていく弟を見送り、ハーヴェイもまた孤児院を後にした。

 レグルスが食堂に戻ると、顔を真っ赤にして泣き叫ぶセイルと、それを何とか宥めようとする司祭がいた。


「セイル。お歌を歌ってあげますから、いらっしゃい」

「にぃっ…」


 両手を広げれば、セイルは司祭の膝を降りて駆け寄ってきた。転がるように、レグルスに抱き着く。

 レグルスは近くの椅子に座り、セイルを膝に乗せた。


「さあ、何のお歌にしましょうか?」


 レグルスが微笑みかければ、セイルはしゃくりあげ、更に鼻をすする。


「っく…にいにの、おうたぁ……」

「はぁい」


 ゆったりとした口調で答え、レグルスは歌い始めた。歌に合わせて体を揺らし、セイルをあやす。

 セイルはぺったりとレグルスに張り付いて、眼をとろんとさせていた。何度も瞬きを繰り返し、必死で睡魔に反抗する。

 しかしそれも長くは続かず、瞼が閉じ、支える腕にかかる重みが増す。規則正しい寝息が聞こえるようになり、レグルスは歌を止めた。

 ゆっくりとセイルの背を撫でていると、上から影が落ちた。視線を上げる。


「セイルはすっかり『にいに』に懐いてしまいましたね」


 司祭はセイルを受け取る。残念ながら、レグルスには眠ったセイルを抱き上げるだけの力はない。


「セイルの美点は、寝つきの良さですね」


 くすくすと笑いながら、セイルを二階へと運んでいく。しっかりと抱えた様子から、腕に支障はないようだ。

 レグルスはほっと息を吐くと、後ろから衝撃が襲ってきた。


「にいに~、オレにもお歌うたって~」

「俺も~」

「ぼくも~」


 ドスンドスンと、少年たちが背中に積み重なっていく。


「重っ!重いです!!それから可愛くないから、歌いません!!」

「ひでぇ!」

「差別だ!!」

「仕方ないな。事実だし」

「ルオーがもっとひでぇ!!」

「私たちも、もう少しレグルスの歌、聞きたいな~…なんて」

「じゃあもう一曲だけ歌いましょうね」

「あからさまだな!?」

「女の子の可愛いお願いは断りません」

「お前の将来が心配になってきたよ!?」

「皆に言われます」


 食堂に明るい笑い声が満ちた。






 先に行った仲間に追いつくべく、ハーヴェイは大通りに戻った。連絡を受けていた馬止めに行くと、そこには二頭の馬がいた。

 首を傾げる。そして隣の待合所を覗いた。そして凍り付いた。

 中では座ったまま眠る小隊長ロランがいた。

 溜息と共に中に入る。


「隊長、起きてください。帰りますよ」

「……待っててあげたんだよ」

「違うでしょ。確実にいろいろ聞きたいんでしょ」


 呆れる部下に、ロランは薄く笑った。


 赤燕騎士団は軍務省の諜報員でもある。

 ロランも独自の情報網を持っている。それゆえの隊長職だ。

 グランフェルノ家末子の情報も、いろいろと入っている。


「家出中とは知らなかったけどね」

「隊長の情報網は偏っていますからね」

「…お前の知らない情報も持っているよ……」


 レグルスの様子を聞いたロランは、うっそりと笑った。顎に手を当て、僅かに考え込む。

 ハーヴェイは上司の横顔を見、再び前に視線を戻す。


「では、うちの弟がなぜあんなに卑屈なのかもご存じで?」

「さあね。でも家出の原因だけなら、多少の推測は出来るよ」


 ロランはレグルスに関するある噂を二つ、入手している。それらは全く別の場所から発生している噂で、結びつけて考えることはなかった。

 けれど、それを知らないレグルスが両方を知っていたら。

 ロランが溜息を吐く。


「そうだねぇ…十一、精神的には五歳の子が受け止めるには、重たすぎる。まだまだ甘えたい盛りの子に…それが許される環境にある子には、かなり厳しい状況だね……」


 ロランが隣を見た。


「お父上は何も言ってないの?」

「極秘事項をおいそれと話す人だとでも?」

「あり得ないねぇ…でも、あの子は知っている。だからこその状況。しかも公爵はお気づきではない、と……最悪だねぇ」


 ハーヴェイが眉を跳ね上げたが、ロランはどこか剣呑さを含む笑みを浮かべるだけだ。


「宜しくない…大変宜しくないなぁ……」


 独り言のように呟く上司に、ハーヴェイは何も聞かずに兵舎まで戻った。







誤字脱字の指摘、お願いします。


二つに分けるほどでもないと思ったので、少々長くなりました。

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