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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
64/99

閑話 泡沫の現実






 

 初めて言葉を交わしたのは、二歳になった頃。

 主の腕の中でぐっすりと眠っていた。主と同じ、青銀色の髪しか見えない。

 報告をしていると、小さな体がもぞりと動いた。胸にうずまっていた顔が離れる。


「うん?起こしてしまったか?」


 主が笑顔になり、子の体を抱えなおす。

 幼子は小さな手で目元をこすり、顔を上げた。


「とーしゃ」

「目が覚めたか?よく寝ていたな」

「ん。も、おっき」


 まだどこか眠そうに、ふにゃりと笑う。

 主と同じ薄い水色の瞳。顔の作りは奥方に似て、酷薄な印象を受ける主と違い、大きな目はくりんとして愛らしい。 

 こちらを見て、こてんと首を傾ける。


「だぁえ?」


 主に訊ねるも、まだまだ舌足らずだ。そんな子供に主は顔を寄せて答える。


「フォン。フェティエ」


 幼子は父親を見上げる。


「ふぉう…ふぇ?」


 上手く発音できず、口をもにゅもにゅさせる。

 主は笑い、指さして名を繰り返す。


「フォン」

「ふぉお」

「フェティエ」

「ふぇえ!」

「フェ・ティ・エ」

「ふぇーいーえ!」


 何か違うと思いつつ、息子の方は「それでいいです」と答えた。

 幼子が笑う。


「ふぇいっ。ふぉう!」

「縮んだネ~」

「そのうちちゃんと呼べるようになるさ」


 憮然とした様子のフェティエに、大人たちは笑った。

 幼子は楽しそうに両手を伸ばす。


「ふぉー、だっこ」

「おっと。浮気か?」

「わきー」


 意味も解らず、父の言葉を繰り返す。が、その間も父の手を逃れてこちらに来ようと、体を捩じる。

 主が苦笑いをしたが、視線で呼んだ。落ちる前に受け取る。

 小さくて柔らかな体を抱き上げる。


「んふふー」


 顔を肩に乗せ、頬擦りをされる。懐かれて悪い気はしない。ギュッと抱きしめてみると、「ぎゅー」と言いながら抱き返してくれた。


「かわいいナ~。女の子だったら、お嫁に欲しかったネ」

「犯罪!」

「…でも、おチビちゃんなら男の子でもありカナ……?」

「変態!!」


 慌てて誰かが引っぺがした。冗談なのにと口を尖らせれば、皆して首を左右に振っていた。






 穏やかな時間だっだ。


 主の子供たちは皆、日頃殺伐とした世界に生きている裏の人間たちの癒しだった。











 長い黒髪が動きに合わせて揺れる。赤い唇は弧を描いているが、切れ長な瞳は冷たい光が宿っている。

 他にも、刺すような視線が幾つもこちらに向けられている。

 正直、嫌な場所に連れてこられたと思う。マリスは溜息を吐く。

 休んでいたマリスのもとに、クレオが駆け込んできた。いい年して泣きながら兄ちゃんの部屋に飛び込んでくるのはどうなのよと思いつつ、着替えて地下の訓練場に来た。

 彼の背後にはべそをかく弟と、虫の息のフェティエがいる。

 まだ息はある。しかし、このまま放置すればそのうちそれも止まるだろう。


「やり過ぎだろ」

「そう?」

「多少のオシオキは許されてるっス!」

「・・・・・」


 多少で半死人は出来ない。

 マリスは再び溜息を吐いた。

 一人であれば何とかなる。骨の何本かを覚悟すれば、相手がフォンでも。多分。しかし上位をこれだけの数同時に相手してでは、まず生き残れる気がしない。

 天を仰ぐ。あるのは薄汚い天井だが。


「……何であんな所に足跡」

「へ?」

「あ、ホントだ」

「マイペース!上位組が揃ってマイペース!!」


 後ろでクレオが嘆く。

 見つけてしまったものは仕方ないだろう。そして気になるのも仕方ないだろう。

 マリスが再び視線を前に戻した。

 フェティエが呻く。


「う…」

「フェティエ!」

「う、るさ、い…」

「お前もか!」

「喋れるなら、まだ大丈夫」


 いっそ楽しげにも聞こえる声に、クレオは身を竦めた。マリスの眉も微かに寄せられる。


「息子だろ?」

「らしいネ」

「らしいって…アンタがそう言って連れてきたんだろう」


 黒髪の青年は顎に指を当て、僅かに首を傾けた。


「ん~。馴染のオンナがそう言っただけだしネ~。ホントの所はよく解らないヨ」

「おい」

「髪や目はともかく、顔の作りがこっち寄りだったから、そうかナ~って」

「それで引き取ってきて、育てたと」

「ホントにワタシの子なら、それなりになるデショ?使えなかったらポイすればいいかナ~って思って」


 嫣然と微笑み、恐ろしい事を宣う。それに突っ込む輩もいない。

 マリス自身そうした環境で育ったためか、違和感はない。だからと言って、それを許容することもしない。この常識外れの長にポイされた子を、何度拾いに行ったことか。

 深い眠りについている幼い主も、きっと許さない。

 

「…レグルス様は、それを望まない」

「……あの方が知らなくていい世界だからネ」

「俺たちが知らない世界を、レグルス様は知っている」


 あれを世界と呼んでいいものかわからないが。閉ざされた小さな空間、自分の時間さえ止めて。


「その世界を俺たちが知る事を、レグルス様は望んでいない」


 彼らの知らない時間をレグルスは話さない。当時の事情を訊ねられて、ようやくポツリポツリと話す程度だ。それよりも、捕らわれる以前の話をする。

 楽しい過去が狭い世界の中で、どれだけ希望だったのか。彼らには解らない。

 マリスは視線を下げる。


「フェティエなんてどうなろうと、俺も知ったこっちゃねぇよ。ただ俺はあの方が目覚めた時、更に傷付くような事態にしたくないだけだ」

「フェティエがいれば、またおんなじことを繰り返すっス。バカだから!」

「お前もな」

「何でっすか!?何で皆して頷いてるっスか!!?」


 マリスよりはるかに年上だが、喋り方からしてあまり頭はよろしくない。フェティエもだが。

 騒ぐ彼らを無視して、マリスはフォンと向かい合う。


「フォン」

「おチビちゃんを疑うのは、ワタシも一緒」

「…知っている」

「でも、おチビちゃんは本物だろうと思ってるヨ」


 フォンの視線はマリスの後ろへと向けられている。騒いでいた者たちも、いつの間にか静かになっていた。


「それでも、ワタシは疑わなければいけない。それがワタシの仕事。助けられなかった負い目があってもネ」


 華やかなグランフェルノ家の影に潜む者たちの長なら、それは当然の事。

 ふわりとフォンが笑う。

 後ろでクレオが後ずさりをするのがわかった。周りも一斉に緊張が走る。マリスだけが変わらずに佇んでいる。


「次に余計なことしたら、ホントにポイするヨ。誰であろうとネ」


 くるりと向きを変えた。そして訓練場を出ていく。何名かがそれに続き、扉が閉まる。

 出ていっても、残った者たちは暫く動かなかった。沈黙が続く。

 やがてマリスが大きく息を吐く。


「手当てしてから独房に突っ込んどけ」

「うん。兄ちゃん、ありがと」


 涙目のクレオが鼻を啜る。


「ガキじゃねぇんだ。泣くな」

「うん」


 まだ幼さの残る一人が医療用の魔具と薬箱を持ってくる。強力な治癒術の入った魔具を使おうとするので、押し留めた。


「内臓と骨だけにしとけ。上が煩いぞ」

「でもっ」

「本気で殺してやりたいほど腸煮えくり返ってんのは、俺も同じだ」


 殺気を放ったわけでもないのに、辺りに緊張が走る。

 マリスは上位使用人である。表裏の仕事全てを請け負える。ここに残った裏の、それも底辺の仕事しか出来ない者たちとは一線を画する。

 青ざめた彼らに、マリスは小さく笑う。


「けど、レグルス坊ちゃまが望まないんだ」

「……」

「側付きが主を裏切るわけにはいかないだろ」


 手近な一人の頭を撫で、マリスも訓練場を出た。地上に続く階段で、先に出た筈の一人が待っていた。片手を上げた彼に、マリスは小さく肩を竦める。

 色々と常識外れな長の補佐をするアルナスは、まずマリスに謝罪した。


「悪かったな」

「そう思うなら止めてくれ」

「いやもう、止める暇もなくてなぁ…クレオを走らせるくらいしか、思いつかんかった」

「俺だって大怪我覚悟なんだぞ」

「すまない」


 マリスが顔を顰めてみせれば、アルナスは苦笑いを浮かべる。


「フェティエもなぁ…長の考えくらい、読んでくれたら良かったんだが」

「あの人の考えなんて読めるか」

「だよなぁ」


 警戒は長がする。だから他は以前通りに。

 読めなかったのはフェティエだけではない。読めても、後ろめたさが先立ち、同じようには振る舞えなかった。そんな皆の様子をフェティエは更に勘違いした。

 それが今回の件の全てだ。

 アルナスが視線を落とす。


「あんなに堪える言葉はなかったよ」

「……」

「オレたちに『死ね』と言ってくれた方が、どれだけ楽だったか」

「…あの方が言うもんか、そんな言葉」


 向けられる悪意にだって、すぐに正しく返すことは出来ないのに。過去に好意を向けられた相手に、どうして死を命令する言葉を言えると思うのか。

 使用人たちの居住区に戻ると、マリスは欠伸を漏らす。

 アルナスが笑う。


「この状況でよく眠くなるなぁ」

「心配してどうなるもんでもない」


 ただでさえ寝入りばなを叩き起こされたのだ。眠くて仕方ない。

 二度と目を覚まさなくても、そこで生きているのならお世話はマリスの仕事である。明日も朝は早い。

 アルナスと別れ部屋に戻り、さっさとベッドに潜り込む。

 そして夢を見た。











 そこはレグルスの部屋だった。暗い室内に、誰かが立っている。

 それはゆっくりと部屋を移動し、ベッドの傍らに来る。

 当然ベッドでは、レグルスが眠っている。

 彼はベッドに座り、眠るレグルスに手を伸ばす。髪を掬い、シーツの上に散らす。

 レグルスの髪を弄びながら、じっと眠る顔を見つめている。ふいに上体を倒し、顔を近づける。その顔には見たことのない、穏やかで優しい笑みが浮かべられていた。

 彼が体を起こした。ベッドから立ち上がると、音もなく部屋を出ていき、姿は闇に消えた。











 それだけの夢だった。

 









誤字脱字の指摘、お願いします。


直した結果、入れる場所ここじゃない!になった…orz

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