救いの手をもう一度 2
セイルが落ち着きなく、辺りを見回す。
「るおー、おほぉしゃま!」
闇の中に銀色の小さな光が無数に瞬いていて、星空の中にいるようだった。以前はこんなものなかったのに。
セイルは近くの光に手を伸ばし、星に触れた。ふるりと星が身震いしたように見えた。小さな手で光を包む。
「おほーしゃま、ちゅかまえた!」
「おー、すごいな~。壊れないように、そっと持ってるんだぞ」
セイルはにっこり笑うと、大事そうに手で包んだまま歩き出す。
目指すは先にある淡い光の放つ場所だ。それは遠いようで、近くにも感じられる。
星の間を通り、やがて人の姿が見えた。見知った人物だ。彼は闇の中に座り、何かを大事そうに抱えている。
「…癇癪持ちを迎えに来たぞ」
以前に聞いた青年の言葉を模倣する。彼は笑った。
「ご苦労様です」
「おにーしゃ、だぁれ~?」
セイルが場違いな質問をする。青年が何か答える前に、彼が抱えるものに気付いて、ぱっと顔を輝かせる。
「れぐぅしゅしゃま!」
それまで大事に持っていた星を捨て、青年に駆け寄る。
「れぐぅしゅしゃま…まだねんね?」
「そうです。そろそろ起きてほしいのですが…困ってしまいますね」
「おっきしない?」
「そうですねぇ。坊やたちが手伝ってくれたら、起きてくれるかもしれません」
「おてちゅだ?せーる、おてちゅだ、とくぅよ」
「そうですか。ではお願いしましょうか」
青年はふわりと笑って、自分の足元を見る。
「その光を拾ってもらえますか?」
「あーいっ」
元気良く返事をして、セイルは近くの星を捕まえた。青年に差し出す。
「あいっ」
「ありがとうございます。それをレグルスの上に置いてください」
「あーいっ」
言われるがまま星をレグルスの上に置けば、星はすうっと吸い込まれるように消えた。
セイルが目を瞬かせる。
「おほーしゃま、きえちゃー」
「このお星様は、全てレグルスの心の欠片なのですよ」
「こぉろ?」
「はい。レグルスは今とっても傷ついて、心がバラバラになってしまっているのです。あのお星さまは、ここにいる魂から剥がれた心なんです」
セイルはよく解らないというように、こてんと首を傾ける。
青年は優しく微笑んで、それでもいいと言うように頷いた。
「レグルスは心が壊れてしまって、そのせいで起きる事が出来ないのです。坊や、レグルスの心の欠片を全て、集めてもらえますか?」
「あーいっ、いーでしゅよぉ」
「全部集めたら、レグルスは絶対起きるのか?」
ルオーが訊ねた。
彼は一度視線を上げたが、悲しげに伏せる。
「ここでは取りあえず目を覚まします」
「現実は?」
「…貴方方次第、と言ったところでしょうか」
「そうか。なら頑張るか」
ルオーはセイルの頭に手を置いた。
「お前はこの近くの星を拾え。このお兄さんが見えるところまで、だ」
「え~」
「え~じゃない。遠くに行って、場所がわからなくなったら大変だろ」
「む~」
不満げではあるが、セイルは渋々近くの星を拾い始めた。一つ拾ったら手が一杯になってしまうので、効率は悪い。
ルオーは上を見て、下を見た。どこも星が綺麗に瞬いている。
「上は大丈夫ですが、下に行く際は気を付けて」
「何で?」
「…この下は私の記憶で、レグルスに見せたくないものが沈めてあります」
「わかった」
ルオーは深くは訊ねず、とりあえず上空から星を拾いに行った。
つくづく不思議な空間だと思う。上下の感覚はある。地面を歩くような感覚もある。なのに、そこには何もないのだ。足元に手を置こうとしても、地面は無くてすり抜けてしまう。
上に行こうとすれば坂道のような感覚が出来、下へは水に沈むような感覚で降りていける。青年曰く、飛ぶイメージが持てればもっと簡単に上にも行けるらしい。水に浮かぶような感覚でもいいらしいが。
ルオーにとって、それはどちらも難しかった。だから坂道を上る。
一つ、また一つと星を集め、腕一杯になったところでふわふわと下に降りる。ころりと零れた星は、下にいるセイルが拾う。
青年の腕の中に星を落とす。星は次々とレグルスの中に吸い込まれて消えた。
「下の方を拾いに行ってみようと思う」
「…そうですか。気を付けて」
青年は曖昧に笑う。
ルオーは両手を差し出した。
「アンタが下に行く?代わろうか?」
だが、彼は首を左右に振った。
「少しでも動けば、この子は一気に崩壊します」
「無理?」
「はい。だから気を付けて」
そこにセイルが危なっかしい足取りで走ってくる。大事に抱えていた星をレグルスの上に落とす。顔を覗き込み、まだ目を覚まさないことを確認して、再び星を拾いに行く。
ルオーは溜息を吐く。そして視線を下に向けた。
地面が消え、闇の中に落ちていく。水の中のように息が出来ないわけではないのに、なぜか息苦しいような感覚になる。
ある程度沈むと、足が付いた。底というわけではないだろうが、ここが星のある一番深い場所のようだ。
ルオーは辺りの星を拾う。体が重く感じる。闇がねっとりと纏わりついて、まるで本当に水の中にいるようだった。しかも泥水のような、重い水。
早く逃げ出そう。先ほどまでの半分程の量で、上に歩き始める。
抱えた星たちが、何故か震えているように感じて腕の中を見る。きゅっと囲い込めば、安心したようにルオーに身を寄せる。思わず苦笑いが漏れた。
「怖いならこんな所に来るなよ」
(…だって……)
「バカだな。逃げるにしたって、ここじゃないだろ」
闇を振り切り、レグルスの元まで戻って来た。星を落とす。
青年が顔を上げる。
「大丈夫でしたか?」
「しんどい」
「休みながら行きなさい」
「そうする」
ルオーは大きく息を吐いて、青年の隣に座り込んだ。改めて隣の青年を見上げる。
顔立ちもそうだが、服装も貴族とは思えない。白いシャツに黒いズボン。黒いインバネスは今、レグルスを包むのに使われている。
彼はルオーの視線に気付くと、首を傾げてみせた。
「どうしました?」
「アンタ、この国の人?」
「生まれは違います」
「どこの人?」
「遠い世界です」
「ふうん」
国ではなく、世界。
ルオーは暫く隣で座っていたが、一人往復するセイルを見て立ち上がった。
「…もう一度、行ってくる」
「はい。行ってらっしゃい」
青年に見送られて、再びトプリと闇に沈む。やはり重い空気が纏わりついてくる。
ルオーに彼の記憶を読むことは出来ない。ただ、酷い悲しみだけが伝わってくる。
スイッと星が一つ、自分からルオーに近づいてきた。肩に乗る。やはり震えているように感じた。
「こんな所に来るからだぞ」
手の中に収めると、星は手にすり寄ってくる。それを眺めていると、他の星たちも自分から近づいてきた。ひょいひょいと手の中に入ってきて、星が大きな光になる。
ルオーは口をあんぐりと開けた。
「お、おまっ…お前なあ!」
まさか長距離の自力移動ができるとは思っていなかったのだ。まして合体するとは。いや、もとは一つの同じものなのだから、出来て当たり前なのかもしれないが。
大きな灯りになったそれを抱え、なんだか釈然としないものを感じながら上に戻る。その間も星は一つ、また一つと集まってくる。
上に近づくと、大きな泣き声が聞こえてきた。見上げれば、セイルが彼の横に座って泣いている。
「うえぇ…れぐぅしゅしゃまあ~……」
「どうしたよ?」
「転んだ拍子に、持っていた欠片を落としてしまって……」
青年が下に目を向ける。星が一つ、深い闇に沈んでいくのが見えた。
セイルは大きくしゃくり上げると、青年の腕を掴んだ。抱えられたレグルスに引っ付こうとする。
「れぐぅしゅしゃまは、シェールのこと、きらいなのぉ…?」
「そんな事はありませんよ」
答えないレグルスに代わり、青年が答える。セイルは彼へと視線を移す。
「ほんとお?だって、おほしゃま、にげぅのよぉ?」
「恥ずかしいのですよ。自分より小さな子にまで心配されて」
「どおして?」
「貴方はレグルスが好きですか?」
尋ねられ、セイルは大きく頷いた。屈託のない笑みを浮かべる。
「だぁいしゅき~」
「どういうところが好きですか?」
「んとねぇ、やしゃしいのとこ。せーるをぎゅ~ってしてくれぅのよ」
「そうですか。でも、今のレグルスは、貴方に優しくできないのです。だから逃げちゃうんですよ」
「…どおして?」
「今のレグルスは、自分の事で手一杯なんです。貴方に優しくするどころか、八つ当たりして、怒鳴ってしまうかもしれません。そんなことになったら嫌われてしまう…だから逃げているんですよ」
セイルはキョトンとして、首を傾けた。レグルスを見、再び青年を見上げる。
「せーる、れぐぅしゅさま、きらいになんないもん。だいしゅきだもん」
「…優しくなくても?」
「いいもん。せーるがいいこいいこしてあげぅの!」
「ふっ……」
青年が笑った。体を丸め、セイルに顔を近づけた。こつんと額を付き合わせる。
「それほどに貴方が優しいから、この子は甘えて逃げちゃうんですよ」
「う?いいこ、ダメ?」
「時に叱ることも大事だということです。悪い事はきちんと叱ってあげないと」
「わぅいこと……」
「貴方とて、悪い事をしたら上の子たちに叱られるでしょう?」
セイルはしばし考えるようにレグルスを見つめ、そして徐に立ち上がった。大きく息を吸い込む。
「れぐぅしゅしゃまあ!いつまでねてぅの!?おっきしなしゃ~い!!」
それはルオーですら驚くほどの大音声だった。抱えたままの光がびくりと震える。
星が一つ、慌てた様子でセイルの前に落ちてきた。それは一つ、また一つと増えていく。中には恐る恐るといった様子で、ルオーの陰からこっそり覗くものもある。
セイルは腰に手を当て、集まって来る星たちに一生懸命の顰め面をしてみせる。
「れぐぅしゅしゃま、『めっ』よ」
ぷるりと星が震えた。クルクルとセイルの足元を回るのは、狼狽えているからだろうか。思わぬところから怒られて、相手の様子を伺っているのかもしれない。
セイルは星の一つを掬い上げると、本体へと落とした。
「はやくおっきしなぁと、おやつがなくなうのよぉ」
「……」
「せーる、れぐぅしゅしゃまとおやつたべうの。はやくおっきよ~」
セイルは次々と星を戻していく。
ルオーも大きな星の固まりをレグルスに戻した。そして辺りを見回す。
星はほとんど消えていた。だがまだ頑なに逃げ回っている星もある。
足元の星を拾ってはレグルスに戻すセイルを、ルオーは見下ろした。
「セイル」
「なぁに?」
「お前、下の方に星を拾いに行くか?」
「それはっ!」
「いーでしゅよお」
セイルはにっこり笑って立ち上がる。そして青年が止める暇もなく、一つ飛び跳ねると、暗い闇の中に勢いよく落ちていったのである。
途端、辺りに漂っていた星たちが勢いよく飛んできた。上層の星は下層へと迷いなく飛び込み、下層の星は浮上してくる。そしてセイルの周りに集まった星が合わさって、一つの大きな光になる。それはセイルを囲った。
沈んでいったはずのセイルが、ふわりふわり浮かんでくる。
「集まったぞ」
「……そうですね」
得意げなルオーに、若干呆れ気味に青年が応えた。
戻って来たセイルは嬉しそうに笑いながら、星の固まりをレグルスに押し込んだ。
「れぐぅしゅしゃま」
呼びかければ、ふるりと睫毛が震える。
開かれた瞳から、一筋の涙が零れた。
「どう、して……」
「れぐぅしゅしゃま!」
レグルスの状況など全く理解しないセイルが、満面の笑顔で飛びついてきた。青年に抱えられたままのレグルスに抱き付いて、肩に頬擦りをする。
「あのねっ、せーる、がんばったのよ。おほしゃま、いっぱいあつめたの!」
「…知っています」
「だかぁね、またせーるとあしょんでくだしゃーな?」
戸惑うばかりのレグルスに、セイルはにこおっと笑う。その笑顔につられて、レグルスがセイルの頭を撫でた。
「だぁいしゅきよ~」
舌足らずな言葉は、真っ直ぐに感情を伝えてくる。
未だそれを受け止めきれず、レグルスは顔を歪めた。セイルを抱きしめて、肩に顔を埋める。
レグルスの表情を知らないセイルは、嬉しそうにするばかりだ。
ルオーがレグルスの前にしゃがんだ。
「帰ろう」
「……」
「ここはその人の場所であって、お前が来ていいところじゃないだろう?」
レグルスが彼を見上げた。
青年は困った様子で微笑むだけで、何も言わない。
微かに首を振り、レグルスは視線を落とす。
ルオーは顔を顰めた。
「逃げたいなら、孤児院に来ればいいだろ」
「…え……?」
「家出してこいよ。こんな所に逃げ込んだら、更に大変になるだけだ」
「いえ、で…?」
レグルスが考えもしなかった言葉に、ルオーは頷く。
「そうだ、家出しよう」
「すぐに捕まっちゃいますよ…」
「だから孤児院に来いって。司祭様ならまず話を聞いてくれるし、教会とか神殿なら、公爵様でも無理は出来ないはずだから」
逃げる。家出をして。
レグルスの本心は、家を捨てたいわけではない。ただ、認められる何かが欲しいだけだ。レグルス自身が自分を立証できる何かが。
だから、首を左右に振った。
ぽすんと頭の上に重みが増した。子供二人を抱えた青年が、レグルスの頭に顎をのっけたのだ。
「私はそれもいいと思いますよ?」
「リョーヤ…」
「家族と距離を置いて考えてみなさい。色んな人と話をしてみなさい。今貴方の身に起こっている事は、貴方一人の考えで解決出来るほど、貴方自身が成長していません」
青年は諭すように、レグルスに話しかける。
「貴方は少し勘違いをしているようです。私という人格を抱えて…それは仕方ない事なのですけれど」
寂しげに微笑めば、レグルスが僅かに首を傾けた。
「どうして……」
「貴方の本来の性格は、恐らく兄君たちとよく似ているのだと思います。それを私の記憶が捻じ曲げてしまった」
「そんな事…!」
「否定しないでください。その性質は確かにグランフェルノなんです。私が敬愛した方からも受け継がれているものなのですから」
レグルスは泣きそうに顔を歪める。
彼は目を細める。
「やんちゃで我儘。時に横暴ともいえるほど強引。けれどその全てが真っ直ぐで……成長すれば、正しく人を導く気質となる。それがグランフェルノの血筋です」
「…ぼくも、そうなるのですか……?」
「のんびり屋で何事も控えめ…と見せながら、裏でごちゃごちゃ考えるのは九重の家風ですよ。貴方ではありません。その証拠に、色々足りなくて貴方は動けなくなってしまったでしょう?」
うっとレグルスは言葉に詰まる。
彼が小さな笑い声を立てた。
「ふっ…貴方は堂々としていらっしゃい……とはいえ、今の貴方はそれで出来上がりつつあるので、変わるのは難しいでしょう。だから」
彼の視線が前に向けられる。つられて前を見れば、ルオーが立っている。
ルオーが手を伸ばせば、先に膝を降りたセイルが飛びつく。セイルが笑顔のまま振り返った。
「れぐぅしゅしゃま、かえろー!」
すぐには動けなかった。
彼に促され、彼が立つ動きに合わせて、渋々と立ち上がる。セイルが手を握ってくる。
ルオーを見れば、彼は首を傾けてみせる。
「家出、する?」
「しゅる?」
セイルも同じような動きをするので、思わず笑ってしまう。
「助けてくれますか…?」
「いいよ」
「あーい!」
セイルが勢い良く手を上げる。
レグルスは小さな声で礼を言い、セイルの手を握り返した。後ろを振り返る。
「…もし、どうしても、ダメだったら……」
「また交代しましょう。壊れる前にいらっしゃい」
レグルスに安堵の笑みが浮かぶ。
これは絶対に必要な最後の逃げ道なのは、彼も解っている。拒否はしない。
ルオーがレグルスの襟首をつかんだ。
「そしたらまた、迎えに来るけどな」
「ははっ。おちおち引き籠ることも出来ませんね」
楽しげに笑う青年に対し、レグルスは口を尖らせる。
「ルオーはおせっかいなのです…」
「ぁあん?お前が面倒くさい性格してるからだろーが」
「放っておけばいいじゃないですか」
「バカ言え。さびしん坊のくせに」
「そんなことありません!」
「あるだろ」
「ないです!!」
「あるって」
言い争いを始めた二人に、青年は苦笑しながら手を叩いて鎮めた。
「はいはい。もう戻りなさい。特にその小さい坊やは戻れなくなりますよ」
効果は覿面で、二人は慌ててセイルの手を引いて浮かび始めた。
――実際はそんな事はないのだが。若干、生身への負担が大きくなるだけで。
大きく手を振る子供たちに、彼もまた手を振り返した。
「完全に切り離した方が良いのでしょうね」
彼らが消えると、青年は一人呟いた。軽く目を伏せる。
「…消える前にもう一度お会いしたいのですが……あんの、大馬鹿師匠……」
全くもって彼らしくない低い呟きは、深い闇に融けていった。
◆◇◆◇◆◇
ルオーは目を覚ました。
同時に眠り王子も起きたようだ。薄い水色の瞳から涙が零れる。
「おはよう」
「……おはようございます」
なかなか間抜けな挨拶だと思うが、それ以外思い浮かばなかった。
レグルスが泣きそうに顔を歪める。
「…助けて、くれますか……?」
「うん、いいよ」
まだ何かに怯えているレグルスに、ルオーは安心させるように笑った。握った手に力を籠める。
「家出しよう」
誤字脱字の指摘、お願いします。
2015年の更新はこれで最後だと思います。
皆さん、良いお年を!