年越しの宴~終わった後は
なるほど。阿鼻叫喚地獄絵図だったのだろう。
いつもより少しだけ遅く起きたレグルスは、大広間にやってきた。大広間はまさしく惨状というのだろう。嵐が通り過ぎた後のようだった。
ここに来るまでも、まるで動く死人のような使用人たちとすれ違った。彼らがこうしたのだろうと想像できる。
訪れていた客人たちも、明け方にくらいにはほぼ帰っていったようである。まだ残っている者も若干いるようだが、殆ど引退した使用人だ。
客に挨拶も出来なかったのを残念に思いながら、レグルスは大広間の扉を閉じた。
飲めない、或いは飲まなかった使用人たちが忙しく働いている。後片付けも大変そうだ。
レグルスは父の執務室に向かった。重厚な扉を小さな手で叩けば、中から声が返ってくる。
「失礼します」
「……レグルスか」
扉を開けて中を覗き込めば、気だるげに椅子に凭れて座る父がいた。いつもかっちりと纏めてある髪は乱れ気味で、服もボタンが一番上まで留めていない。
「父様も二日酔いですか?」
「そこまではいっとらん…が、寝不足ではあるな」
目をしぱしぱさせる父は、確かに眠そうである。
これでは遊んでもらえそうにない。
そう判断したレグルスは、そっと扉を閉めようとした。慌てて父は呼び止める。
「待て待て。何か用があったのではないのか?」
「ううん。父様もゆっくりしてもらった方が良いのです」
「いや、大丈夫だぞ。充分元気だから」
「いいのです。おやすみなさい」
パタンと閉じた扉の向こうで、父ががっくりと肩を落とした事を、レグルスは知らない。
指折り数える。
(う~ん…シェル兄様は完全にダウンしているし、ヴィー兄様は騎士団に戻ってしまったし、母様と姉様はまだお休みだって言うし……皆忙しいから、お外に連れて行ってもらうのは無理だし……)
暇を持て余す。邸の中を無為にうろついても片付けの邪魔になるだけで、片付けを手伝おうとすればやんわりと断られる。
レグルスは口を尖らせた。このまま部屋に戻るのは癪なので、厩舎を見に行くことにする。
邸の外に出た。細い道を通って、厩舎へ向かう。武芸の訓練場の傍にある厩舎には、馬車用の馬から軍馬まで、常時十五頭ほどが待機している。
その前に厨房へ寄り、野菜を幾つかくすねてきた。手持ちのナイフで小さくカットする事も忘れない。
「お馬の爺や…も、今日はいないのですね」
厩舎の辺りに人気は無く、閑散としていた。
レグルスは自分で木戸を開け、中へ入った。馬の息遣いが暗がりに響く。
「バロン、エクスダス。今日はお外に出してもらえなかったのですか?」
木戸に近い場所にいた二頭に話しかける。二頭は小さなレグルスに顔を寄せ、不満そうに鼻を鳴らした。
体の大きな彼らは、普段馬車を引いているが、いざとなれば軍用にもなる頼もしい馬たちだ。元は軍用馬として訓練を受けたらしいのだが、問題があって買い手がつかなかったらしい。
レグルスはよしよしと首を撫でる。
「ぼくがお外に出してあげられればいいのですが、それをやると、後で叱られてしまうのです。ごめんなさい」
バロンが前足で軽く地面を蹴った。エクスダスも不満そうに、顔でレグルスを押す。
レグルスは困ったように眉を下げる。
「あう~…ぼくに怒られても困るのですよ……」
そういって、くすねた野菜を彼らに差し出す。
馬たちは不満げではあったが、出されたものは大人しく食す。野菜を全て食べ終えれば、もう用は無いとばかりにそっぽを向いた。
レグルスはむくれる。
「お前たちも冷たいのです」
レグルスが彼らの関心を引けるものはもうない。彼らの頭は遥か高くにあり、胴を叩いても反応さえしてくれなかった。
しょんぼりと厩舎を出る。ぶるると小さな息を吐く音が聞こえたが、振り向く事はしなかった。
「ままならないものです」
折角のお休みなのに。誰かに遊んで欲しい時に、誰も傍にいてくれない。
仕方なく、とぼとぼと部屋に戻る。部屋はしんと静まり返っていた。
ちょこんとソファに腰掛ける。ぽすんと横に倒れる。
人の気配はする。けれど、酷く遠い。
このまま寝てしまおうかと思ったとたん、扉を叩く音がした。レグルスは体を起こす。
「どうぞ」
入ってきたのはマリスだった。彼はワゴンを押して入ってきた。
「昼食のお時間ですが…召し上がられますか?」
「頂くのです」
レグルスは座り直した。その前にマリスが皿を並べる。
今日の昼食はリゾットだ。恐らく、二日酔いの面々に配慮した結果である。加えて、厨房の料理人たちの状況も。
コンソメで味付けされたリゾットは、あっさりしておいしい。だが育ち盛りのレグルスには少し物足りない。
あっという間に食べ終えて、お行儀悪くスプーンを銜えていると、マリスが果物の盛り合わせを出してきた。すかさずスプーンからフォークに持ち替える。
「レグルス様、この後のご予定は?」
「……嫌味ですか」
果物を頬張りながら、レグルスはマリスを睨む。授業も無い今日、何も出来る事がないのはマリスが一番よく知っているはずだ。
マリスはゆるりと首を振る。
「とんでもない。お食事がすみましたら、外へ散歩にお誘いしようかと思いまして」
「…お庭の散歩なら、今日もしましたよ」
レグルスが溜息交じりに応える。
マリスが再び首を左右に振る。
「庭ではなく、外へ。ご近所の散策は如何ですか?」
きょとんとするレグルスに、マリスは微笑みかけた。
防寒用のコートはやはり白である。やたらもこもこしているが、これにフードは付いていない。代わりにと被せられたのも、もこもこ帽子だ。左右にくるんと巻いた飾りが付いている。それに揃いの手袋。手の部分は茶色だが、手首を覆う辺りが帽子と同じでもこもこしている。
姿見で確認したレグルスは、暫く唖然とした。
誰だ、こんなの発注したのは。父か、兄か。はたまたここにいる…マリスはあり得ないから、執事か。
玄関ホールに見送りに来た女中たちが歓声を上げる。
「きゃー!羊仕様~!!」
「レグルス様、お可愛らしいです~」
もこもこのレグルスは、更にもこもこの襟巻を巻かれた。一回り大きくなった気がする。前後左右に。
「それでは参りましょうか」
隣のマリスが黒のコートでシュッとしている分、自分がコロコロしているのが目立つ。羊は好きだが、羊になりたいわけじゃない。
少しだけ不機嫌になったレグルスだが、外への誘惑には勝てなかった。大人しくマリスの手を取って外に出た。
馬車用の大きな正門ではなく、隣の通用口を通るのも初めてだ。今日の門番はメルトとバジルで、門を開けてくれる。
「行ってらっしゃいませ」
「お気をつけて」
グランフェルノ家の騎士団長と王都本邸の警備責任者は、特に変調の様子も無く、笑いながら送り出してくれた。
邸の前には雪が残り、場所によっては高く積っている。
マリスはレグルスの手を引き、レグルスの歩調に合わせてゆっくり歩く。レグルスはレグルスで、生来ののんびりとした気質が相まって、歩くのが非常に遅い。
「静かですねぇ」
「この辺りは高貴な方々のお住まいが集まっておりますから」
「皆、ご領地へお戻りなのですね」
「はい。使用人が数名残っているだけのお邸が多いですね。勿論、王宮で役職をお持ちの方がいらっしゃるお家もございますが」
「うちみたいなのは珍しいですか?」
「非常に」
他愛のない会話を交わしながら、ぽてぽてとレグルスが歩く。
行けども行けども、邸を囲う柵ばかり。豪邸が多過ぎて、面白みがない。
ある場所で、マリスが立ち止まった。
「レグルス様、ここはどなたのお屋敷でしょうか?」
「そんなの判るわけ……」
「諦めが早いですよ」
マリスは柵の上部を差す。
レグルスは顔を上げた。良く見れば、柵ではなく門である。門の上部には家紋がある。
「鳥さん…鳥さんの紋章は……」
顎に両手を当て、うんうんと唸る。
家紋を覚えるのも貴族の常識だ。特に位が高ければ高いほど、それが重要になる。
鳥と言っても、様々な種類がある。兄嫁となるギネヴィアの実家であるオーゴット伯爵家も、羽を広げた鷲だ。
「アレは鳩ですよ」
「鳩さん…咥えているのは月桂樹ですか?」
「そうです」
「じゃあ、伯爵様ですね。えーっと…フェアルーデ伯爵様?」
「はい。正解です」
マリスはにっこりと笑って、再び歩き出す。レグルスも付いて歩く。
門の隙間から白い花が咲いているのが見えた。
「お花が咲いてました!」
「雪華ですね。この北の地で、こんな寒い時期咲く、根性逞しい花ですよ」
言い方があんまりだ。
レグルスはがっくりと肩を落とした。
「…きれいなお花だったのに……」
「毒花ですよ。見かけても触ってはいけません」
「毒があるのですか!?」
驚いて顔を上げる。
マリスは若干渋い表情で頷いた。
「触れるだけでかぶれますからね。しかも触れた部分だけではなく、全身」
「かゆいのは嫌です」
「ええ。ですから本来、人が通る所に植えるような花ではないのですが……」
しかし、こんな寒い時期に咲いてくれる貴重な植物である。見た目の為、意外と植えている家は少なくない。
レグルスも顔を顰めた。
「ご当主はお客様が嫌なのですね」
そういう捉え方も出来るか。マリスは頷いた。
現フェアルーデ伯爵は偏屈で有名だ。年はまだ二十代だが、怪しげな研究に没頭しているらしい。
暫く歩いて、今度は別の屋敷の門まで来た。ここは門番がいた。
少し離れた場所で、マリスはもう一度先程と同じ質問をする。
「百合のお花は有名なのです。メイフィア公爵様なのです」
「はい正解。レグルス様、意外と良く覚えておられますね」
「失礼です!」
レグルスは頬を膨らませた。
「公爵家は今、四つしかないのです。それくらい、覚えられるのです」
「おや。ではグランフェルノ家の家紋は覚えておられますか?」
「本当に失礼ですね!お家の家紋は『交錯する剣と蛇の絡みついた杖』です!」
「それでは、他二つの公爵家の御名と家紋をどうぞ」
マリスはすまして問題を出す。
レグルスは口をとがらせながら答えた。
「一つはビクスビー家。家紋は『狼と三日月』です。もう一つはレオンハーティス家。家紋は『咆哮する獅子の横顔』。ちゃんと覚えてます!」
「はい。では王家の紋章は?」
「『飛翔する白き大鳳』です!!」
「はい。では、シェリオン様の印章は?」
「『蛇の絡みついた杖と茨』っ」
「バジュリ―ル伯爵家は?」
「『天を貫く弓矢』っ」
「ココノエ侯爵家は?」
「『交錯する双剣』っ」
怒りながら、次々と答えていく。答えに淀みも迷いも無い。
マリスもレグルスが確実に答えられそうな、身近な貴族から訊ねているのだが。合間に門扉に付いた家紋を訊ねるが、それも全て答えていた。
レグルスはもこもこの襟巻を外した。ずっと歩いて来て、熱くなってきた。マリスに手渡す。
寒さに強いのか、レグルスは比較的薄着でも寒いとは言わない。寝間着で早朝の庭で遊ぶ辺り、あまり寒さを感じていないのかもしれない。
だとすれば、この格好は少しやりすぎたかもしれない。
マリスはレグルスの帽子を取った。
「熱くありませんか?大丈夫ですか?」
「頭は平気なのです。お帽子、返してください」
羊の角付き帽子を、蹄を模した手袋を嵌めた手で被り直す。その下の髪は今日、三つ編みにして纏めている。毛先はコートの中にしまっているので、帽子を被ってしまえば髪色は解らない。
マリスは襟巻を腕に巻き付けた。そして再びレグルスが伸ばしてきた手を取る。
「それにしても、本当に人がいないのですねぇ」
「大通りに行けば、恐らく人がごった返していますよ」
「それは嫌ですねぇ」
「レグルス様は本当に人混みが苦手ですね」
「だって、知らない人ばかりの場所は、怖いのです」
知らずの内に、握る手に力がこもる。
マリスがそっと握り返せば、我に返った様子で大きく手を振り出した。照れ隠しだろうか。
「社交シーズンになれば、ここは馬車でごった返しますね」
「…それはそれで嫌ですねぇ……」
「その前にレグルス様のお誕生日会とシェリオン様の結婚式でごった返しそうですけれど」
「それは嫌ですねえぇ!」
レグルスの眉間に皺が寄った。
マリスは声を立てて笑う。
「その前にアルティア様のお誕生日もございます。社交シーズンには、久しぶりにグランフェルノ邸でも夜会が開かれるでしょう。王家主催の狩猟祭もあるかもしれませんね」
「あう~…やること、いっぱいなのですぅ~」
「はい。年越しの片付けが済んだら、次の支度ですね」
あまりにマリスの声が穏やかなので、レグルスは顔を上げた。マリスは真っ直ぐ前を向いている。
「今年はレグルス様がお戻りになられたので、催し物が盛り沢山です」
「……去年は違ったですか?」
恐る恐る訊ねれば、マリスは寂しげな笑みを浮かべた。
「去年だけでなく、レグルス様が行方不明になられてから」
レグルスは眉を下げた。視線を下げ、しっかりと手を握り直す。
ある屋敷の前で足が止まる。
「さて、ここはどなたのお家でしょう?」
「まだ続くですか!」
しんみりした気持ちを返せ!と思うレグルスの気持ちは、マリスに届かなかった。
辺りをぐるりと回って、家に帰ってきた。
歩き疲れたレグルスはお昼寝に入っている。基本的に寝付きの良いレグルスは、あっという間に夢の中だ。
マリスが辺りに脱ぎ散らかされたコートや上着を拾い集めていると、エミールがやってきた。
「どうでした?」
開口一番訊ねられ、マリスは溜息を吐く。
「優秀でしたよ。ですが、もう二度とやりませんからね」
「おや?何か問題がありましたか?」
すっとぼけた様子の魔術師を、若い侍従は睨みつけた。
「授業は明日の午後からと仰ったのは、貴方ご自身でしょう?」
「ええ。ですから今日は何もしていませんよ」
「外へ連れ出すなら家紋の復習をお願いしますって言ったの、誰ですか」
エミールは肩を竦める。
人当たりのいいエミールだが、裏はかなり狡猾である。そうでなければ、この家でお抱え魔術師などやっていられないのだろうが。
マリスは再び溜息を吐いた。
「勉強をするときは勉強させますが、遊んでもいい時はめいっぱい遊んで頂きたいんですよ、俺は」
「そこに訓練を混ぜるのは好かないと…甘いですねぇ、マリスは」
「好きなものならね」
今日の家紋云々は、どう見ても苦痛だっただろう。怒りながら答えていたし、帰ってきてもこの状況である。お昼寝というが、不貞寝に近い。
コートをクローゼットにしまい、帽子と手袋も専用の場所にしまう。上着やベルトは畳んで、テーブルに置く。
そしてエミールを部屋から押し出した。何か不満が聞こえた気がするが、気にしない。
帰ってすぐに眠ってしまった為、今日のおやつがワゴンに残っている。今日は干し果実やナッツの入ったパウンドケーキだ。
何を思ったのか、マリスはそれを小さく千切った。ベッドに持っていく。千切ったそれを、眠るレグルスの口元に寄せてみる。
するとどうだろう。レグルスが口を開けたのだ。
口の中に放り込めば、咀嚼して飲み込む。しかし起きた気配はない。
「…マジで?」
唖然とするマリスを置き去りに、レグルスはむにむにと口を動かしていた。
誤字脱字の指摘、お願いします。
何かぐだぐだ回でした!