年越しの宴~はじまり
このお話はフィクションです。
日本において、未成年の飲酒は法律で禁じられています。
お酒は二十歳になってから!
日が傾き、使用人たちがそわそわし始める。客人たちも続々と到着している。
バロッグ達も、そちらへ移動してしまった。マリスも手伝いに向かわせてしまった為、レグルスは一人で暇を持て余していた。
どんな人が来るのだろうか。若干の酒臭さを我慢して玄関へと向かう。勿論、白いフード付きのローブも忘れない。しっかりとフードを被った。玄関ホールでは、警戒して柱の陰から様子を窺う。
いつも静かなホールがざわついている。迎える使用人が何人か立っているが、特にもてなすという雰囲気はない。ただ案内をするだけだ。
客人たちは早々に広間へ向かう者たちがいる一方、玄関に留まって知り合いと話しこんでいる者たちもいる。
見たところ、公爵の部下が多いようだ。年配の者たちの中には古い使用人と親しげに話すものもあり、引退した使用人たちだと窺える。
「お。こんな所にちっこいのが」
後ろから声が降ってきた。驚いて振り向けば、大分老齢の男性が立っていた。慌ててレグルスは柱の反対側に回る。
老人は目を瞠った。だがすぐに笑みへと変わる。
「リスみてぇだな。裏の子か?」
「…おじいちゃまはここにお仕えして下さっていた方ですか?」
老人が訝しむような顔になった。身を屈め、レグルスの顔を覗き込もうとする。
客人だ。公爵が認めた人だ。だが条件反射のように体が逃げる。
老人は眉を顰めた。
失礼な態度だったと、レグルスは眉を下げる。
「ごめんなさい…知らない人に見られるのは、まだ苦手なのです……」
フードをしっかり握って、顔を隠す。
細身で儚げな雰囲気はあるが、もう化物と呼ばれる事はないだろう。だが、苦手なものは苦手で、なかなか慣れそうにない。
けれど好奇心は旺盛で、どんな人が来ているのか確認しにここまで来てしまう。
何て迷惑な存在だろうと思う。けれど、それが今のレグルスだった。過去の記憶を切り離せば、ただの面倒な子供。
どうしていいかわからず、フードを握ったまま立ち尽くしていると、頭の上に手が乗った。
「そりゃあ失礼したな、孫坊ちゃん」
「え…?」
「俺ぁ、タナトスだ。初めまして」
タナトスと名乗った老人は、腰を屈めてレグルスと視線の高さを合わせた。目を細める。
「孫坊ちゃんどころか、今の公爵がちび坊ちゃんだった頃に引退したからな。知らねぇだろ?」
「…失礼ですが、お幾つですか?」
恐る恐る訊ねれば、タナトスは喉の奥で笑った。
「九十六だ」
「きゅっ…!?」
レグルスの口があんぐりと開けられた。
矍鑠とした老人だ。顔や手は皺くちゃだが、腰はピンと伸び、動きも鈍い所は少しも見られない。執事と同じくらいの年頃だと思っていた。
ポカンとしたまま見上げるレグルスに、タナトスは愉しげに笑い続けた。
そんな姿を見つけたのは執事のクリストフだ。タナトスを見上げたまま動かないレグルスを不思議に思い、音も無く近付いた。
「お久しぶりです、タナトスさん…というより、まだ生きてたんですか」
「相変わらず失礼な奴だな、クリス。お前さんも元気そうで何よりだよ」
「レグルス坊ちゃま?どうされました?」
「…おじいちゃまが想像以上のおじいちゃまだったのです……」
なるほど。クリストフは頷いた。
タナトスはグランフェルノ家に仕えた使用人の中でも、最年長だ。暫く姿を見せなかったから、レグルスが知る筈もない。使用人の中でも生きる伝説となりつつある。
しわしわで枯れ木のような手がレグルスの頭を撫でる。
「先代と先々代に、いい土産話が出来たなぁ」
感慨深げに呟く老人を、レグルスは黙って見上げていた。
やがて老人は執事に促されて大広間へ向かい、レグルスが一人残される。まだ続々と人は集まっている。執事と話をしていたから、注目もされているようだ。
部屋に戻ろうと、レグルスは廊下へ入った。
途中で姉と出会い、「お酒臭くて嫌ぁね」と言い合いながら奥広間へと向かった。
木製のジョッキがいき渡る。
主催の公爵から、毎年恒例となった訓示が伝えられる。
「人としての尊厳だけは捨てるな。以上、乾杯」
「「「かんぱーい!!!」」」
わっと盛り上がる。
給仕はいない。酒樽があちこちに置かれ、各自でジョッキに注ぐ。テーブルにはつまみも用意されている。が、追加はされないし、この大広間ではあまり見向きもされない。
ここにいるのはうわばみの使用人たちに、政務省の役人たちだ。それに公爵と二人の息子たち。
和気あいあいと酒を酌み交わす彼らを眺めながら、公爵はジョッキを傾ける。隣にはクリストフが座っている。
「年々、人が増えますね」
クリストフが苦笑交じりに言えば、公爵も僅かに頬を緩める。
最初はこの執事との差し飲みから始まった。父の死からまだ立ち直れず、それでも公爵として毅然と立っていなければならなかった頃だ。
それを知った使用人たちが次々と加わり、大臣となった時何気なく側近の部下を誘ったら噂になり、結婚を機に更に大規模になった。
妻は最初こそ顔を顰めたが、今では苦笑いで収めてくれている。
今年は成人した息子たちも加わっている。
「…楽しいな」
公爵がぼそりと呟く。執事も深く頷いた。
「ええ。楽しいですね……今は」
「……毎年、苦労をかける」
「いいえ。私も楽しんだ結果ですから、お気になさらず」
執事がジョッキを呷る。手近な酒樽から新たに注ぐ。頬に赤みが増している。
「お前も年なんだから、少し気を付けろよ」
「何、この程度でくたばりませんよ。どこぞの老いぼれに負けるつもりはありません」
それが誰の事かはすぐに理解する。
タナトスが部屋の隅でちびちびとカップを傾けている。流石に大きなジョッキは要らないと、断った為だ。バロッグを始めとする裏の連中が集まって、何か話をしている。
アレと張り合うのか…公爵は無言でつまみに手を伸ばす。
「父上、飲んでます?あんまり減ってないじゃないですか」
「…シェリオン。何をしている?」
巨大な酒瓶を抱えた長男が、減っていない父のジョッキに新たな酒をなみなみと注ぐ。
シェリオンはにこりと笑う。
「酌をして回っています」
「お前自らか」
「こういう時でもないと、なかなか出来ないでしょう?クリストフも注ごうか?」
「お願いします」
いつの間にか空にしたジョッキを、クリストフはにこやかに差し出した。シェリオンはそれこそ縁ギリギリまで注ぐ。
「ところで、シェリオン様はあまり飲んでおられないようにお見受けしますが」
「そんなことないよ。返杯なら受けるけど?」
そう言って、腰に下げたジョッキを取る。ベルトにフックを付け、そこに引っかけているらしい。なかなか周到な事だ。
クリストフは近くの酒樽から柄杓を取ると、丁寧にシェリオンのジョッキへと注いだ。
シェリオンは近くの椅子を引っ張って来て、一時腰を落ち着ける。一気とは言わないが、八分目ほどまで減らす。
「はー…うま~……」
「年寄り臭いぞ」
「本当の年寄の飲み方しているのは、父上でしょう。何をちびちびと」
「お前は味わう事を覚えろ」
「味わってますよ。今年の出来は大分いいですよね~、ワインもエールも」
「ああ。ハジェンで豊作だったらしい」
「父上、ウチの領では葡萄を作らないんですか?」
「先代が試したらしいが、根付かなかったようだな。冬の寒さが厳し過ぎる」
「え~…残念ですねぇ」
酔ってきたのか、口調が拙くなってくる。なるほどレグルスの兄である。
最後の二分を飲み干して、シェリオンは席を立った。ジョッキをフックに引っかけ、酒瓶を抱えなおす。小さなテーブルからチーズを摘まんだ。
「ご馳走様です。他を回ってきます」
公爵がひらりと手を振って、息子を追い返す。シェリオンは苦笑いで去っていった。
暫く目で追っていたが、あちこちで使用人たちに絡まれては、酒を注いで回っている。そのうち囲まれて見えなくなって、視線を全体に戻した。
幾つが塊が出来ている。宴まで時間はあったから、使用人と役人で意気投合した者たちでかたまっているようだ。酒樽を囲んで座る者たちがあれば、壁に向かって何やら密談する様子も見える。アレは大抵下世話な話をしているだけだから放置だ。
そういえばと、ある事を思い出した。
何の奇跡か、休暇の取れた騎士団所属の次男が、直属の上司を連れてくると言っていた。息子の休暇は事情を知る騎士団長の配慮だろうが、小隊長の参加はどういう事なのだろうか。
ずっと広間を見回し、次男と見知らぬ姿を見つける。お抱え魔術師のエミールも一緒にいる。
公爵は席を立った。
ロランは別に騎士になりたかったわけではないし、魔法を使えるようになろうと思ったわけでもない。ただ生まれついて高い魔力を持ち、運動神経も悪くなかった為、後見人に「折角才能があるのだから」と、将来を見据えて鍛えられただけだ。
結果として、危険ではあるが安定した職に就けたのは、有り難く思っている。剣の修行も魔法の勉強も、嫌いではなかったのも幸いだっただろう。
だからハーヴェイの紹介を受けて、グランフェルノ家のお抱え魔術師と魔法談議になったのは、成り行き上仕方ない。
「ああ…そこまでの魔法は使えませんねぇ。流石に集中力が持たない」
「そうですか?シェリオン様がよく使う手なのですが……」
「宮廷魔道士並みの魔力をお持ちの方と一緒にされてはたまりませんよ」
「…そうでした。駄目ですね、どうも身近な人間を基準としてしまう」
ロランが苦笑いを返せば、エミールも溜息を吐く。
同じ魔法剣士。けれどロランは剣技を得意としている。魔法に重きを置くシェリオンとは、違うタイプなのだ。
「常に剣に魔力を纏わせておくなんて、そうそう出来る人間はいませんよ」
「…そういうもの?」
ぼそりとハーヴェイが呟く。ハーヴェイにとっても、魔法剣の基準は兄だ。
ロランは肩を竦めた。
「あのねぇ…程度があるんだよ。不老の魔術師程じゃないにしろ、お前の兄上も充分普通じゃない部類だよ。ここにいる人もね」
「エミールが?」
幼い頃から家に仕える魔術師は、仄かに苦い笑みを浮かべた。
ハーヴェイは更に問いかけようとしたが、けたたましい笑い声に遮られた。
笑い声の主に一斉に視線が集まる。
「…レグルス……?」
ご陽気な弟が使用人たちの間を飛び跳ねていた。軽やかに飛びあがり、中年の女中に抱きつく。恰幅の良い彼女はそのまま抱き上げ、頬ずりをする。ご機嫌なレグルスは彼女の頬に口付けた。彼女が豪快に笑う。
地に下ろされれば、今度は別に使用人に飛びついた。身を屈めた彼にギュッと抱きつく。
「……随分元気な子だねぇ?」
「元気…というか、あれは……」
「…確実に……」
ハーヴェイとエミールは顔を見合わせた。ローブは羽織っているが、フードを被っていない。客も多い邸内で素顔を晒すなど、考えられない光景だ。
使用人にくるりと回されて、奇声が上がる。レグルスは楽しそうにしていた。ありえないくらいのテンションで。
回された時に見つけたのだろう。下ろされたレグルスが、足元をふらつかせながらこちらを見た。そして満面の笑みを浮かべる。
「ヴィーにーしゃまー!!」
頼りない足取りで、とてとてと駆けてくる。とても嬉しそうだ。ついた勢いでハーヴェイに飛びつく。
「うふふ~。にーしゃま、抱っこぉ」
「あれ?酒臭くない…」
請われるがまま抱き上げたが、特に匂うものは無い。ムギュッと抱きつかれても、頬にチューされても。
「にーしゃま、だいしゅきよ~」
舌っ足らずな言葉が、また愛くるしい。
ハーヴェイがうっかりギュッと抱きしめ返すと、痛かったのかレグルスの手が突っ張った。
「うん。酔っ払いの言動そのものだねぇ」
「あい?おにーしゃんはだーれでーしゅか~?」
歌うようにリズムを取っても、言葉は覚束ない。
ロランは身を屈めた。顔を覗き込む。
「君の兄上の上司だよ」
「にーしゃまの…きししゃまでしゅか?」
「そうだよ。ロランって呼んで」
「ロランしゃま~。いらっしゃいましぇ~」
にこぉっと笑って、両手を伸ばす。兄の腕から移動すると、テンションそのままロランの頬にチュッとする。
ロランは苦笑を洩らした。
「この子はキス魔なの?」
「ええと…この状況が初めてで……」
ハーヴェイがしどろもどろになる。
レグルスは全く気にした様子も見せず、顔にかかるロランの前髪を掻きあげた。
「ありゃ~…ロランさまのおめめもオレンジ色なのですねぇ……」
ロランの目がすっと眇められた。レグルスの手を押し、髪から離させる。
「他に誰か、この色の人を知っているのかな?」
「あいっ。テュールしゃまとしはいにんしゃんでしゅ!」
レグルスが元気に応える。
ふっとロランが考え込むような素振りを見せた。
「支配人?どこのだ?」
ぼそりと呟けば、レグルスがロランの目を開かせるように上下に伸ばした。
「何するの?おやめ」
「しはいにんしゃんは、げきのしはいにんしゃんでしゅよ~」
「…ああ。ユリエルか……」
「しはいにんしゃんは、おめめがちーしゃくて、わかりぢゅらいのでしゅっ」
「ユーリは糸目だからねぇ。子供の頃のあだ名がシラスだったし」
「しらしゅっ」
シラスが何か分かっているのか。兄は軽く額を抑えた。
ご機嫌なレグルスは全く人見知りせず、寧ろどんどん懐いて行く。ロランが下ろそうとしても、しっかりしがみついて離れない。
エミールが代わろうとしても、離れないのだからどうしようもない。
救世主は別の所から現れた。
「レグルス。おいで」
「あー!とーしゃまぁ」
レグルスのテンションが更に上がった。パタパタと手を上下させている。
ほっとしたロランは、すぐさま公爵にレグルスを渡す。
公爵が抱えると、レグルスは肩に頭を乗せた。しばらくすりすりと懐いていたが、パタリと動きが止まる。
背を撫でていた公爵が手を止め、息子を抱えなおす。肩の辺りが規則正しく上下している。
ロランが唖然としてその様子を見つめていた。
「え…寝た……?この一瞬で寝たの?」
「これにとって、私は枕代わりだからな」
レグルスはむにむにと口を動かすが、全く起きる気配がない。幸せそうな顔をして眠っている。
ハッとロランは我に返る。深く頭を下げる。
「失礼しました、公爵閣下」
「いや。ハーヴェイの上司の方と伺っているが……」
「小隊長の、ロラン・ジュノー殿です」
ハーヴェイが紹介する。
公爵は小さく頷き、笑いかけた。
「ジュノー殿。末が迷惑をかけたな」
「いいえ。すっかり元気なご様子で何よりです」
流石のロランも神妙な様子である。
「今日は、騎士団は忙しいだろう?こんな所に来ていいのか?」
「団長に許可された休暇ですので、問題ないかと」
「赤燕の騎士団長は決してボンクラではないと思っていたのだが……」
「ボンクラではありませんが、現在、若干やさぐれております」
「…何かあったか?」
「奥方が里帰りなさっておいでだそうで」
「……二つ名が泣くぞ」
公爵が呆れた様子で言ったが、ロランは真面目なまま答えた。
「そういえば休暇が許可された日、涙目でプルプルされてました」
「本人が泣くのか……」
ロランは公爵が肩を落とすという、珍しい物を見た。
しばらく話をしていたのだが、バタバタと慌てたような足音が聞こえた。そちらに目を向ければ、侍従が一人、人混みをすり抜けてこちらに向かっている。
「旦那さま、ご歓談中失礼します!」
「お前か、マリス」
唸るような一言。慌てて侍従は首を左右に振る。
「とんでもない!アルティアお嬢様です」
「…アルティアが?」
「とはいえ、奥方様も私もお止めしなかったのですが……」
侍従が視線を逸らせる。
公爵が眉間に深い皺を刻んだ。僅かに視線を伏せ、感情を落ち着かせてから事情を訊く。
マリスの話は次のような事だった。
アルティアが悪戯で、レグルスに酒入りのリンゴジュースを勧めた。とはいえ、相手は幼い弟。酒も苦手な様子だったから、コップの底にちょっぴりだけで、あとはたっぷりジュースを注いだ。それを飲ませたのである。
入れた量は一口にも満たない。なのに、飲み終えた瞬間にこれである。妙にご機嫌になって、いつの間にか奥広間から消えていた。
マリスは奥棟を探し、使用人仲間の目撃情報に沿って、ここまで追ってきた。やっと見つけたと思ったら、既に公爵に保護された後だった。
公爵は深い溜息を吐いた。ハーヴェイとエミールは呆気にとられていて、ロランだけが笑いを堪えている。
公爵からレグルスを受け取ったマリスは、素早く大広間を後にした。既に大広間は混沌としてきている。
ふっと公爵から表情が消える。
「さて。ウチの部下どもがそろそろ暴れ出すか」
「暴れる…ですか?」
「ふっ…先に酔いつぶれていた方が幸せかもしれん」
公爵が自棄になったような呟きを洩らす。
ロランは騒ぐ文官たちの方を見つめ、騎士団の飲み会を思い出した。
「……残念ながら、仲間内の飲み比べでも潰れた事がございませんので………」
「そうか。苦労するぞ」
何に?とは聞けなかった。
酔った文官は、酔った無頼漢より性質が悪い。
ロランは絡んで来る文官を張り倒しながら思った。
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