年越しの宴~その前に 後編
支払いを済ませ、食堂を出る。
今度はもっと早い時間に来いと、店主に言われた。名物の料理があるという。次回の楽しみが出来たと喜んで、レグルスはまた連れてきてもらう約束を取り付けた。
レグルスの手を引き、公爵が歩き出す。
王都の大通り。王宮前の広場から、真っ直ぐ郊外へと延びる道。ちらほらと雪が残るが、通行に問題ない程に溶かされている。
不思議に思ったレグルスが、握った手を引っ張る。
「父様。つもった雪は、どこに行っちゃったのですか?」
庭にはあれほどうず高く積っているというのに、道には全く見られない。公爵家の前の道は雪かきされていたが、左右にどかされた雪が積まれていた。
「道を良く見て御覧」
足を止める。レグルスは足元から、ずっと先まで眺める。首を傾げ、少しずつ横に移動しながら、地面を観察する。更に体を傾ける。
「…?」
「ふっ…道の中央と左右、色が違うだろう?」
「あっ、はい!歩道と車道を分けているのではないのですか?」
「今ではそういう意味もあるが…中央には湧水が流れている。湯と呼ぶには低いが、温度の高い水でな。雪が降っても勝手に融かしてくれる。解けた雪は歩道にある排水溝に流れていくから、ここらはいつでも雪がない」
「は~…それはこの道だけなのですか?」
「他の道にまで流用するには、湧水の量が足りないからな」
「そうなのですか……」
レグルスは足元を見、中央を見た。
道の中央は馬車や荷車が通り、歩きの人々は左右に集まっている。走る馬車の合間を縫って、足早に徒歩の人が大通りを横切る。
再び歩き出した公爵に手をひかれ、レグルスは興味深げにそれらを眺めていた。だが、ふんわりと甘い香りが漂ってくれば、そちらに視線が映る。
「おかしやさん!」
パッと笑顔になる。
食堂で確か「おなかいっぱいです」と言っていた気がするのだが……公爵は小さく笑う。先を行こうとするレグルスを引き留める。
「菓子は荷物になるし、物によっては形が崩れる。最後にしよう」
「はい」
名残惜しそうにしながらも、素直に頷く。そして大通りの店を見て回った。
リスヴィアの冬は、陽が暮れるのが早い。
お土産を購入した店を出ると、辺りは暗くなっていた。まだ沢山の人は行き交っているが。
レグルスは上機嫌で、父の手を握る。
様々な店に連れて行ってもらった。色々な物を買って、いろんな物を食べた。試食もさせてもらった。
「楽しかったか?」
馬車の待合所へ向かいながら、公爵が訊ねた。レグルスは満面の笑みで頷く。
「はい!また連れてきてください」
「次は暖かくなってからだな。社交シーズンの前に来たいな」
「あったかく……」
不意にレグルスの笑顔が固まった。昼間、エミールに言われた事を思い出してしまったのだ。
しょんぼりと俯いたレグルスに、公爵は身を屈めた。
「どうした?」
「…あったかくなったら、おたんじょうびがきてしまうのです……」
「誕生日が嫌なのか?」
「だって、おたんじょうびは、おひろめ会なのでしょう?」
へにょりと眉を下げたレグルスは、力なくとぼとぼと歩く。先程までの楽しげな様子が嘘のようだ。
公爵が笑った。
「そこまで嫌か」
「だって…ジョルジュも来るでしょう?」
レグルスに暴力を振るった従弟だが、母の実家である伯爵家には招待状を出さないわけにはいかない。何しろ、レグルスにとって祖父にあたる人物が健在なのだ。良識ある伯爵は次男の出席に難を示すかもしれないが、妻と父に押し切られるだろう。
公爵はしっかりとレグルスの手を握り直した。
「悪意を恐れるな」
「……でも」
「相手はお前と同い年だ。逃げても良いが、対面する前から恐れるな」
守ってやるとは言えなかった。以前同じような事を行った際、早々に約束を反故にする羽目になったからだ。
真綿に包んで護る事は出来る。邸の奥に閉じ込めて、外部の接触を断てばいい。だが、それは許されない。
精神的には未だ五歳のまま、あの闇からも抜け出せないでいる幼子に、酷な事をさせると思う。けれど、早急に成長してもらわねばならない事態が発生している。
レグルスは大きな溜息を吐く。
「体の大きな父様にはわからないのですよ。ブタに突進される恐怖は」
公爵は奇妙に顔を歪めた。笑いだすのを懸命に堪える顔だ。
俯きがちなレグルスはそれに気付かず、再度溜息を吐く。
「豚さんはおいしいし、意外とかわいいお顔ですけれど、あのブタはかわいくなければ、当然食べれるわけでもないですし……」
公爵が開いている片手で顔を覆った。腹筋に力を込める。
レグルスは相変わらず気付かない。可愛く口を尖らせる。
「豚さん以下のくせに、二足歩行できれいな服を着てるのですよ。ハダカでいられても、みにくいだけなのでやめて欲しいですけど」
「レグルス…それくらいにしておいてくれ……」
レグルスは頬を膨らませて、父を見上げた。手で顔を覆って明後日の方を向いている為、表情は解らない。
「父様は、ジョルジュをかばうのですか?」
「いや」
短い返答だけで、それ以上は何も言わない。というより、言えなかった。言葉を発してしまえば、怒る息子に水を差してしまいそうだったからだ。
待合所では既にリッティが待っていて、付かず離れずの距離で護衛をしていたマリスが馬車の扉を開けた。
レグルスはマリスにお土産の菓子を預け、枠に手を掛けて馬車に乗り込もうとする。いつも助けてくれる、父の手は借りない。
「ご機嫌ななめですね?どうされました?」
「おたんじょう日はおひろめ会で、嫌ないとこが来るからゆううつなのを思い出してしまっただけです」
「ですが、お誕生日を終えたらすぐに、シェリオン様とギネヴィア様の結婚式がございますよ?」
「……え?」
間の抜けた声が出た。ポカンとした顔で、マリスを見る。
マリスは僅かに首を傾けた。
「お二方の結婚式は、社交シーズンの前にというお話で進んでおりますから。ですからレグルス様のお披露目を先に済ませておきませんと。式とその後行われる披露宴で、大変な事になってしまいます」
「……なぜ?」
「レグルス様は上流階級の方々の間で今、最も注目されておられる方なのですよ。一目ご覧になりたいという方が大勢いらっしゃいます。式と披露宴に来られる人数は、お披露目会の比ではありません。耐えられますか?」
とっさに首を左右に振ったレグルスである。
筆頭貴族、第二の王家などと呼ばれるグランフェルノである。その継嗣の結婚式の規模が三男のお披露目会と同等など、あってはならない。
兄の結婚式である。当然レグルスも出席しなければならない。いや、ここだけは自ら進んで出たいと思う。だがそこで、異様な注目を浴びるのは勘弁願いたい。
花嫁より視線を集めるとか、何の拷問か。
マリスは更に言った。
「嫌な従弟君に関しても、先に伸しておいた方が今後の為かと」
「のす…ですか?」
「上流階級の喧嘩は頭脳戦です。聡明なレグルス様が、あのば……浅慮な従弟君に負けるはずございません」
「……買被りなのです………」
危うく口にしかけた暴言は流しておく。レグルスは席に座った。
公爵も乗り込み、扉が閉められる。公爵の顔からは、笑いの発作を抑える表情は消えていた。
「というわけだ」
「兄様のお式で、兄様より目立つわけにはいかないのです…」
諦めた様子で首を左右に振る。そして上体を倒し、隣に座る父の膝へと頭を乗せた。
公爵は息子の頭を撫でる。
「あのブタはコテンパンにしてやれ」
「…こてんぱん…悪口も、あんまり得意ではないのです……」
「案ずるな。お前は何気なく相手の傷口を抉るのが得意だ」
「そんなひどいこと、してないのです……」
流石に歩き疲れたのか、眠たげな声が返ってくる。
「品のない罵声だけが悪口ではない。いかに遠く回りくどく、婉曲的に相手を貶める事が出来るか。それが貴族の喧嘩だ」
返事はなかった。顔を覗きこめば既に目は閉じられて、寝息を立てている。
公爵は微笑み、そっと頭を撫で続けた。
「来年、お前に王位継承権が与えられると知ったら…お前はどういう反応をするのだろうな」
そしてそれを知らぬは本人ばかりで、議会の承認は既に通り、王宮では噂の的である。
与えられる継承順位は二位。王太子に次ぐ。何故そんな事になったかといえば、現在継承権を持つ王族が一人しかいない事に起因する。
もともと、万が一に備え外戚に継承権をという議論は長年されていた。そして一番王家に近い血筋がグランフェルノであった為、その中からという話も持ち上がった。ただ、その為にグランフェルノ家が喪われるのも問題だった。幸い子供は複数いたが、肝心の公爵が拒否し続け、周囲も強くは言えずに常に議論は結論までたどり着けなかったのだ。
だが今回は違った。丁度良いのではないかと、強く押し出されてしまったのだ。「何が丁度良いのか」と凄んではみたが、大意には逆らえきれなかった。
公爵は苦々しげに顔を歪める。
周りは『万が一』を強調した。だが、その万が一が起こる可能性が充分あり得る事を、公爵は知っている。だからこそ、議会は複数の王位継承者の存在を望み、一人しかいないという現状に不安を覚えているのだから。
あの疫病の蔓延さえなければ……
世界規模で起こった奇病。多くの人が死に、リスヴィアでは当時の王も犠牲になった。留学中の王太子が急遽呼び戻されたが、有力貴族の当主も次々と倒れ、政治経済は混乱を極めた。
先代公爵夫妻も病気で死んだ。現公爵はまだ十八だった。若過ぎる当主を支える者は無く、父親と同じ働きをすることを求められた。グランフェルノ家の優秀な執事と家令がいなければ、あの一年を乗り越えられたかは解らない。
最初に病を止めたのは、名もなき地方の薬剤師だった。生みだされたのは、軽度で尚且つ体力も充分ある大人に限って有効という、非常に効果が限定された薬だった。それでも世界に一筋の希望の光が差したのは言うまでもない。
治療薬が開発されたのは、それから半年後だ。開発者はその後すぐ、過労死してしまった。
疫病の流行ったのは三年間。国内の人口は三分の二まで落ち込んだ。
現在国政を支える者たちは、あの時の恐怖を知っている。国王が倒れ、王太子が戻るまで、皆生きた心地がしなかった。
リガールでさえ例外ではない。
だから、彼らの無理は十分理解出来る。出来てしまう。
王位継承権を王太子しか持たない恐怖。万が一王太子を喪った時の、国内の混乱と国外の脅威を。
馬車が止まる。
深く沈んでいた公爵の思考が浮上する。扉が開かれた。
膝の上のレグルスは、すっかり寝入っている。肩を叩いて起こせば、不満そうな顔をされた。寝惚け眼で、両手を伸ばしてくる。
「とうさま、だっこぉ」
「うんうん。わかったから、ちょっと待て」
公爵はレグルスをよく抱えるが、流石に抱えたまま馬車を降りるのは辛い。先に降りて、外から手を伸ばした。
(うん。順調、順調)
増える重みに、笑みが零れる。初めて抱えた時は、余りの軽さに泣きそうになった。まるで骨がらを担ぐような感触にも。
執事の出迎えを受け、再び眠りそうなレグルスを揺すって起こして呻られる。
「今眠ると、夜眠れなくなりますよ」
執事に窘められ、レグルスは目をしょぼしょぼとさせた。口を尖らせる。
こういうところはまだ幼さが残る。
後どれくらい、この子はこうやって甘えて来てくれるだろう。そして後どれくらい、自分はその甘えに応える事を許してやれるだろう。
「…父様……?」
我知らず、抱える手に力がこもっていた。レグルスが怪訝そうに首を傾げる。
内心を押し隠し、微笑んで見せる。
「明日は年越しだな」
「はい」
「夕方から無礼講だから、お前は母と共に奥にいなさい。最初はともかく夜が更けるほどに…まあ、大人の時間になるからな」
レグルスの目が半眼になった。ジトっと父を見下ろす。
「父様、一言申し上げます」
「ん?どうした、改まって」
「リスヴィア王国筆頭貴族、公爵グランフェルノ家の威厳を失わぬ程度にお願いいたします」
「…………注進いたみいる………………」
公爵が真面目な顔で応えれば、後ろの控えていた執事と数名の使用人たちも神妙に頭を下げるのであった。
誤字脱字の指摘、お願いします。
もうここじゃなくてもいいんじゃないかって話だけど、時間の流れの都合上ここじゃないと……orz