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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
48/99

年越しの宴~その前に  前編







 一年の終わりを明日に控えた日。

 レグルスはようやく、エミールから書き取りの及第点を貰っていた。約四カ月。ようやく人前で書いても恥を掻かない程度になった。


「もっとかかると思っておりましたが…よく頑張りました」


 エミールが優しく微笑む。レグルスもつられて返した。

 エミールは口には出さないが、レグルスの学習能力には舌を巻いていた。実技はさておき、基本的な学力は既に出来上がっていたのだ。算数の計算なら小数点も分数も問題なくこなし、リスヴィアの歴史も表面的な部分ならすらすらと答える。普段拙い言葉で話しているが、ほんの少し気合を入れるだけで、上流階級の子弟らしい言葉使いも出来る。

 天才と言って過言でもないが、それは決して言わない。レグルスが努力している姿も知っているからだ。


「書き取りの授業は来年からなくしますが、他の授業で取る記録の様子次第で、再開させますからね?」

「う…がんばるのです」


 レグルスが努力するのは、それが苦手だからだ。嫌いなものは早く終わらせたいから、集中的に頑張る。

 だが文字に関しては、それでは困る。

 ただ、もっと困る事態が迫ってもいる。


「年明けから春になるまで、マナーとダンスの授業が増えると思っていて下さい」

「春まで?」


 随分短い期間限定に、レグルスは首を傾げる。

 この二つは外部から別の先生を呼んで、授業を受けている。筋は良いと言われているし、問題があるとも聞いていない。

 エミールが表情を引き締めた。


「暖かくなる頃に、レグルス様の誕生日がございます。そこで、レグルス様の正式なお披露目を行います」


 レグルスの顔が強張る。

 エミールはそれを無視し、更に続ける。


「貴族のお子様方は、大抵五歳の誕生日にお披露目の会を設けます。他家のお子様方との交流も、本来ならここから始まるのですが…レグルス様の五歳の誕生日の時、公爵様が不在だったのを覚えていらっしゃいますか?」

「はい。フィッツエンド王国の新しい国王様の即位式に、陛下の名代で出席されたのです。お土産ががっかりだったのです」


 ぷっとエミールが噴き出した。小さく笑う。


「そこは公爵様にとって、忘れて欲しい部分でしょうが…はい、その通りです。その為、レグルス様のお披露目は、社交シーズンに行われるグランフェルノ家主催の夜会でと、延期されました。ですが、レグルス様はその前にいなくなってしまわれた……」


 悲しげに瞳が揺れる。

 レグルスは笑顔を作った。


「でも、ちゃんと帰ってきたでしょう?」

「…はい。ですから、レグルス様のお披露目は、正式に行われた事はないのです」

「……うー…別に、やらなくたって……今更なのです……」


 ブツブツと言いながら、レグルスは嫌そうに足をぶらつかせた。お行儀が悪いと怒られるのは承知の上だ。

 エミールは首を左右に振る。


「公爵家としてはよろしくありません。無事発見されたと聞いた方々から、沢山の贈り物が届けられたでしょう?その御礼もせねばなりません」

「父様たちが、お礼のお手紙を出して下さったのではないのですか?」

「勿論。ですがそれは最低限の礼儀であって、レグルス様から皆様に直接お礼を申し上げなければ、品位にも関わるのです」


 へにょりとレグルスの眉が下げられた。上目遣いに、エミールを見る。


「……出なきゃ、ダメですか……?」

「レグルス様のお誕生日ですよ」

「あう~……」


 これだけ嫌そうな顔をするのも、初めてかもしれない。エミールは困った様子で、ほんの少し笑みを浮かべる。

 どうしようか悩んでいると、扉が叩かれた。返事をする前に扉が開かれる。


「レグルス」

「父様!?」


 今朝仕事へ行ったはずの父が、ひょっこり顔を出したのだ。

 レグルスは椅子から飛び降りた。父に飛びつく。

 飛びつかれた公爵は、いつものようにレグルスを抱きあげた。そしてエミールへと視線を移す。


「持っていっていいか?」

「公爵…レグルス様は物ではありませんよ」


 溜息をついて、それからエミールは片手を差し出す。


「どうぞ。次の授業は、二日の午後からです」


 パッとレグルスの顔が輝いた。


「ありがとうございます!」


 こんな嬉しそうな顔をされては、嫌味の一つも言えなくなるではないか。

 エミールは幼子のように父親にしがみ付くレグルスに、穏やかな微笑みを向けた。公爵に確認をする。


「お出かけですか?」

「うん。街が賑わってきたからな」

「護衛は……」

「マリスを連れていく」


 ならば大丈夫だろう。

 エミールは二人を送り出した。






 レグルスは街歩き用の服に、上から防寒用のフード付きのローブをはおっている。勿論フードはしっかり被る。手にはミトンの手袋だ。

 中心市街地まで馬車に揺られた後、待合所で降りる。公爵が後でまた迎えに来るように指示して、馬車は帰した。

 レグルスは物珍しそうに辺りを見回す。大通りには多くの人が行き交っている。ぽふんと頭を叩かれた。


「父様」

「行こう」


 並んで歩きだす。だが、余りの人の多さに、レグルスは父のコートを掴もうとした。つるりと滑る。

 背を撫でられた感覚に、父が立ち止まって振り返る。

 レグルスはもう一度コートを掴もうとして、同じようにコートに逃げられた。


「…掴めてないぞ」

「あう……」


 レグルスは眉を下げた。厚手のミトンを嵌めた手を、握ったり開いたりしている。

 公爵が苦笑と共に、皮手袋をはめた手をレグルスに差し出す。

 パッとレグルスが笑顔になった。父の手を握る。


「はぐれるなよ」

「父様と手をつないでたら、大丈夫です」


 ご機嫌で応える。

 公爵は小さく笑って、息子の手をしっかりと握り直した。




 年越しを前に、大通りには数多くの出店が並んでいた。元ある商店も、店舗の前にまで売り場を広げている。

 レグルスはきょろきょろと落ち着きなく、店を窺う。


「いい匂いがします」

「そうだな。だが、まず落ち着けるところで何か食おう」


 昼食もまだである。

 街歩きに慣れた者なら屋台の食べ歩きでもいいが、人混みに慣れないレグルスには無理だ。

 公爵は息子の手を引き、ある店を訪れた。大通りから一本引っ込んだ通りにある、古い食堂だ。扉を押し開けば、女将の威勢のいい声が飛んでくる。


「いらっしゃい!開いてる席にどうぞ!!」


 公爵が慣れた様子で、奥にある二人掛けの席を取った。手袋をはずし、コートを椅子の背もたれに掛ける。レグルスもそれに倣った。

 大きな食堂だが、昼から少し遅い時間である為か客は少ない。憲兵らしき二人組と、何かの職人らしき男が一人。以上だ。

 恰幅の良い女将がやってくる。


「何にしましょうか?」

「昼がまだなんだ。何が残ってるかな?おすすめはあるか?」

「今日は鹿肉のローストだね。こっちのお子さんにだったら、グラタンもお勧め」

「焼き立てパンは残ってる?」

「モチロン!サラダとスープも付くよ」

「じゃあそれで。レグルスはグラタンでいいか?」


 レグルスはこくりと頷いた。


「じゃあ、ちょっと待っておくれ!」


 大きな体を揺らし、女将が奥へと引っ込んでいく。

 見送ったレグルスは、正面へと目を戻した。


「よく来るのですか?」

「偶にな。王宮から近いから、宮仕えの文官や騎士たちにも人気の店だ。量があるのに、安くて美味い」

「ふうん……」


 レグルスは店を見回す。年季は入っているが、清潔な店だ。念入りに清掃しているのだろう。使いこまれた様子が、懐かしい雰囲気を漂わせる。居心地が良いのだ。

 夜は酒場にでもなるのだろう。カウンターの奥の棚には酒瓶が並び、樽が積まれている。

 公爵は物珍しそうに辺りを窺うレグルスを、微笑ましく眺めていた。


「街に出たら、何か見たいものはあるか?」

「…よくわからないです……」


 何があるのか、よくわからない。へにょりと眉を下げる。

 公爵は笑った。


「さて…お前が興味を示しそうなものは何かな。工芸品を扱う雑貨屋に、菓子屋もいいな。文具店も行ってみるか?」

「全部連れて行ってくれるのですか!?」

「勿論。時間はたっぷりある」

「わぁ……」


 レグルスの顔が綻んだ。両手を頬に当てる。


「楽しみです」


 ふんわりと笑うレグルスは、本当に性別が分からなくなってきた。

 公爵は息子に会わせて笑顔を作りながら、心配になってきている。

 もともと妻に似て、男児でありながら美少女と呼ばれる子だった。が、最近ますます美しくなってきたと言われる。それは本人の耳にも入っている。その度に顔を顰めるのだが、その姿も愛らしいと言われる始末だ。おっとりとした性格のせいもあるのだろう。笑う姿は可憐な少女、そのものだ。

 将来に不安を感じていると、料理が運ばれてきた。


「おまちどうさま!」


 女将の声を合図に、料理が並べられていく。湯気を立てたそれらは、食欲を誘ういい香りを放っている。

 レグルスは目の前に置かれたグラタンに、小さな歓声を上げた。


「熱いから、気をつけるんだよ。器にもね」

「はい。ありがとうございます」


 にっこり笑って、女将からフォークを受け取る。早速グラタンに突き刺した。

 グラタンの中身は芋で、チーズをたっぷりかけてある。息を吹きかけて冷ましながら、それを口に運んだ。


「ん~!おいしいのです」

「そりゃ良かった。ゆっくりお食べ」


 女将は満足そうに頷いて戻っていく。別の客が声をかけ、会計を済ませて出ていけば、また別の客が現れる。昼過ぎでも、閑古鳥が鳴く事はないようだ。

 レグルスが心底美味しそうに食べるのをしばし眺め、公爵もフォークとナイフを取った。鹿肉のローストは柔らかく、掛けられたソースとも良く合っていた。一切れを更に半分に切り、レグルスに差し出す。


「あ~ん」

「あう」


 差し出されたレグルスは、何の迷いも無く口を開けた。ぱくりと食べる。そして、自分のグラタンを取った。


「父様も」

「ん」


 差し出された芋の欠片を食べる。ふっと顔を緩ませる。


「うちのホワイトソースより美味いかもな」

「鹿肉も柔らかくて、ソースがおいしいのです。料理長は、まだまだしょうじんが必要ですね」


 声を潜めてそんな事を言い合えば、自然と笑い声が漏れる。

 勿論、決して料理長の料理が未熟なわけではない。偶に食べるだけだから、庶民の食べ物が妙に美味しく感じてしまうのだ。

 食事も半分ほど終えた頃。食堂の扉が大きな音を立てて開かれた。


「おう!酒だ!!麦酒を持って来い!!」


 大声を張り上げたのは、三人組のいかつい男たちだ。入り口側の丸テーブルに陣取る。既に酔っているらしく、大声で会話し出す。内容は下品で、卑猥なものだった。

 レグルスは一瞥したが、すぐに食事へ戻る。正面を見れば、父が小さな嘆息を洩らした。他の客も似たような様子だ。憲兵の二人組は、会計を済ませて出て行った後である。

 女将が奥へ引っ込んだ。注文の品を持ってくるのかと思いきや、そうではなかった。奥から、更にいかつい男を引っ張ってきたのだ。店主である。店主は彼らの隣に立つ。


「…ここはメシ屋だ。騒ぎてぇなら酒場に行きな」

「あん?酒はねぇのかよ」

「空気読めよ。メシ屋でメシ頼まねぇヤツに出す酒はねぇ」


 三人組は一瞬いきり立ったが、何か言う事はなかった。店主の威圧感は、三人を超えていた。

 彼らは舌打ちを洩らし、口の中で何か呟いた。が、店主に睨まれ、そそくさと店を出ていく。

 レグルスはほっと息を吐いた。パンを千切り、余り気味のソースに付けて食べる。あまり好きでは無い黒パンだが、これはおいしいと思った。

 気を抜いていると、突然頭に衝撃が走った。痛みはなかったが、ドスンと重みがかかったのだ。


「あうっ!?」

「…久しぶりだな、リギィ」


 低い声が降ってきた。

 レグルスが無理矢理顔を上げれば、そこに店主がいた。肉厚で大きな手が頭の上に乗っているのだ。店主の目線は公爵に向けられている。


「お前の子か?」

「そうだ」

「似てないな」

「母親似だ」

「美人な嫁だな」


 ぐしゃぐしゃとレグルスの頭を掻きまわす。頭が振られる。


「おお~う。目が回るのです~」

「む。すまん」


 手が離れる。

 店主はレグルスを見下ろした。あまり感情の窺えない顔だ。作りが怖すぎる。


「細っこいな。ちゃんと食ってるか?」

「食べてます。これから大きくなるのです」

「それはすまん」


 何故か謝られて、レグルスは些かムッとする。言外に、体質的に大きくなるのは無理だと決めつけられた。むくれながら、グラタンをもりもり食べ始めた。

 公爵が苦笑する。


「このいかついおっさんが、そのおいしいグラタンを作ってるんだぞ」

「料理に罪はないのです」

「・・・」


 店主は無言で、再びレグルスの頭を掻き回した。レグルスは首を回され、「お~ぅ」と食事を中断させられた。

 女将が朗らかな笑い声を上げる。


「珍しい子だね!子供は皆、旦那を見て号泣するっていうのにさ」

「おいしい料理を作ってくれる人に、悪い人はいないのです」

「あはははは!確かにね!アンタ、良かったねぇ」


 勢い良く、店主の背を叩く。恰幅の良い女将の平手を受けても、ビクともしない。

 店主の手が離れ、レグルスはぐしゃぐしゃにされた髪を解いた。手櫛で梳けば、サラサラと流れていく。結び直そうとするが巧くいかない。

 悪戦苦闘していれば、女将が後ろに回った。髪を撫で、軽く纏めてくれる。ふくふくとした手が、器用に革紐を結び直す。


「綺麗な髪だねぇ。羨ましくなっちゃうわ」

「ありがとうございます」


 女将を振り返り、レグルスはにっこり笑って礼を言う。女将の手もまた、レグルスの頭を撫でた。但し、手つきは全く違ったが。

 新たに客が入って来て、女将たちは仕事に戻っていった。

 気付けば父は食べ終えていて、レグルスは慌てて残ったグラタンに取り掛かったのである。




スミマセン。思ったよりも長くなったので、二つに分けました。


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