年越しの宴~支度
レグルスが戻って来て、四か月余り。今年も一年が終わろうとしていた。
都市部では盛大に、地方でもささやかに年越しの祭りが行われる。
グランフェルノ家も例外ではない。例年は領地で過ごすが、今年は王都。王都本邸の使用人たちが対応にてんやわんやする事になった。
大広間に積まれた酒樽に、レグルスが半眼になった。
何か大きなものが運び込まれていると気付き、覗きに来たのが運のつき。上下左右だけでなく、奥行きもなかなかに積まれた酒樽たち。
グランフェルノ家の年越しの宴は、まさに無礼講だ。
レグルスは宴自体は大して覚えていない。覚えているのは翌日、使い物にならない使用人たちだ。
レグルスは額に手を当てた。ウチの使用人って、何人いたっけ?と。少なくとも、酒樽は人数を遙かに超えているように見える。客が来るにしても、こんなに飲む気か。
そっと扉を閉める。
「ぼくのジュースもたくさんあるといいのです」
「美味しいものもたくさん用意されますよ」
静かに控えていたマリスが言葉を添える。エミールも頷いた。
レグルスは二人を仰ぎ見た。ふっと視線を逸らせると、溜息を吐く。
「…何か、大事なものを失った気がします……」
「奇遇ですね。私もです」
翌日の業務に支障が出ないようにしよう。
小さな主の胡乱な視線を受け、ここにいる二人だけが固く心に誓った。
◆◇◆◇◆◇
王都の祭りでは、新年を告げる鐘の後、民衆に向けた国王の祝辞がある。王宮前の広場に人が一斉に集まる為、警備も厳重に行われる。
城下の治安は憲兵隊の、国王周辺の警護は近衛師団の管轄だ。だがこの時ばかりは彼らだけでは手に負えない。
浮かれた住民が騒ぎを起こし、その隙間を縫うように陰が蠢く。国王に凶刃が向けられる事はもってのほかだが、広場に集まった民衆に被害が及ぶ事も考えねばならない。
その為に出動するのは、王都に常駐する三つの騎士団だ。
青鷹騎士団
白鳳騎士団
赤燕騎士団
それぞれ創設の趣旨が違う為、大きな戦以外では任務が違う。
青鷹騎士団が一番規模が大きい。入隊した騎士たちの身分も様々だ。国防の要とも言われ、戦の実動部隊でもある。
白鳳騎士団はそれなりの人数がいるが、お飾り騎士団とも揶揄される。近衛師団に入れなかった貴族の子弟が多い為だ。見目も良い者が多く、儀典の際に近衛師団と共に王侯貴族の傍に控える事が多い。
赤燕騎士団は諜報活動を主とする、少数部隊だ。敵陣深くに切り込む事が多い為、精鋭部隊とされている。
ほぼ全員強制参加の年末年始だが、中には休暇を取る勇者もいる。
赤燕騎士団宿舎の食堂で、ハーヴェイは仲間たちの冷たい視線に晒されていた。
ぽり…と頬を掻く。
「…却下…されると、思ったんだけど……」
「めっちゃ通ってんじゃねーかよぉ!」
「何なの!?デミトリィだけ、特別待遇じゃん!!」
「オレだって…オレだって休みたかったー!!」
男たちのむさ苦しい悲鳴が響き渡る。
「しかも!」
苦悶に打ち震える猛者共の一人が声を上げた。
「理由が家族全員で過ごす為だあ!?ふざけやがって!!」
「どうせ、本音は女だろう!」
「そんなわけあるか!」
「ふふふ……」
陰鬱な笑い声が聞こえた。その場にいた全員が一瞬、身を竦ませた。
リスヴィアでは珍しい黒髪の青年は、不気味に微笑んでいる。顔を隠す様に前髪を伸ばし、騎士というより魔術師の風貌だ。事実、魔法にも長けている。
ロラン・ジュノー。年は二十二。隠密行動に長け、勿論剣も全く同僚たちに引けを取らない。
そしてハーヴェイの所属する小隊の隊長である。
「…デミトリィも休むんだね……?」
うっそりと笑って、ロランは小首を傾げる。
同じ動作を弟がやるが、表情が違うとこうも印象が違うのか。何となく、怖い。
ロランの手がハーヴェイの肩を掴んだ。
「家族の為とか言って、女性と過ごすんじゃないだろうね?」
敵意のある視線が一斉に集まった。
ハーヴェイは慌てて首を左右に振る。肩を掴むロランの手を引き剥がし、小声で抗議をする。
「何言ってんですかっ。隊長、うちの事情知ってるでしょう!?」
「勿論、解っているよ。可愛いあの子の為だろう?溺愛しているものね?」
周りに聞こえるように返された。殺気が増す。
背に冷たいものが流れる。
「僕も会いたいな」
「はっ?」
「君のお姫様」
「弟は男の子です!」
思わず叫んでいた。
ぶふっと、誰ともなく噴き出した。食堂が爆笑が起こる。
唖然としていると、ロランが肩を揺らしていた。
「…そう。君の一番大事なものは、弟なんだね……」
「『そんなのはいません!』って言われたら、逆に疑うばっかだけどなぁ」
「はっきり弟って言われちゃあ、疑いようもねぇな」
ハーヴェイは顔に熱が集まるのを感じた。両手で顔を覆って、テーブルに伏せる。
誰かが頭を撫でまわした。肩も叩かれる。いいように遊ばれている。
隣に誰かが座った。
「ねぇ、デミトリィ?」
ロランの声だ。声だけ聞いたら、のんびりおっとりしたようにも聞こえる。だが、それに騙されてはいけない。
ハーヴェイは顔を上げないまま返事をする。
「…なんですか……?」
「僕も休暇申請が通ったんだ。だから会わせてよ」
両手の下で、顔が顰められた。恐る恐る、隣を見る。
ロランの陰鬱な笑みは変わらないままだったが、周囲の気配が変わった。殺気交じりの鋭いものだ。
「なぜ…」
「年越しの祭りで浮かれた男女を、邪魔してやろうと思って」
集まった騎士たちがざわめいた。
何て理由だ。まさか休暇申請にそのまま書いたわけではないだろうな。
そう思っていたら、ロランが頷いた。
「そのまま書いたら、何故か休みにしてくれたんだよね。団長」
食堂が凍りついたのは言うまでもない。
敢えて空気を読まないロランが、更に続ける。
「団長の奥方って今、里帰りしてるんだ」
「ああ…もうすぐ産み月だから……」
「一人で家にいるより、実家の方が家族がいる分、安心だもんな」
「初産だろ?団長の実家も遠いし、仕方ないっちゃあ、仕方ない……」
「ふふふ…頑張ってね。愛妻に逃げられて荒れてるから」
「逃げられてねぇ!!」
食堂の入口から怒鳴り声が響いた。振り返れば、騎士団長が仁王立ちしていた。握った拳がプルプルと震えている。
「ジュノー!勝手な事を言うな!!」
「おや…違いましたか?」
「違ぇよ!!」
団長の恫喝に、年若い平騎士たちは一様に身を竦ませる。ハーヴェイも同じだ。思わず腰が浮いた。
ロランを始めとする隊長格や、年長の騎士たちは肩を震わせている。
厳しい表情の団長を無視し、ロランは改めてハーヴェイを見た。
「ねぇ。僕が街中に出てあっちこっちで問題起こすのと、君の弟に会わせるの、どっちがいい?」
「…二択しかないんですか……」
「デミトリィ!こっちに余計な仕事を増やさせるな!!そいつを確保しとけ!!」
「……決定ですか………」
だったら休暇を与えないで下さいよ。ハーヴェイはがっくりと肩を落とした。
◆◇◆◇◆◇
グランフェルノ公爵夫人は、レースを編んでいた。
年を越せば、すぐに娘の誕生日だ。今年の贈り物は、暖かくなったら使えるレースのティペットにしようと、数日前から取り掛かっている。
そして雪が解け始める頃、今度は末息子の誕生日がくる。
「レグルスには、何を作ろうかしら」
夫人がそう呟けば、側付の女中たちが小さく笑いだす。
「奥様。それはまず、お嬢様への贈り物が出来あがってからになさいませ」
「そうそう。自分のものがおざなりだと、アルティア様が拗ねてしまわれますよ」
「それもそうね。気が早かったかしら?」
夫人も苦笑いを零した。
裁縫は彼女の最も得意とするところだ。夫や子供たちの誕生日には、毎年手作りの小物を贈っている。
夫は勿論、息子たちも成人して、可愛いレース編みは贈れなくなってきたのを寂しく感じていたところだ。
鉤針を器用に動かし、特に細いレース糸を複雑に編んでいく。
不意に手を止め、出来あがった部分をかざして、窓から入る陽光に透かした。
「飾りは真珠かしら?」
「レースが真っ白ですから、色味があっても良いかもしれませんよ?」
「そうねぇ…これ自体はシンプルに仕上げて、ブローチでアクセントを付けるのも良いわね」
「アレンジを楽しめますね」
「そうよね。あの子もお年頃ですもの。よし。これはレース編みだけにするわ」
方向性を決めたところで、夫人は再びレース編みに戻る。
側付の女中たちも、それぞれ刺繍や編み物に勤しんでいる。これらは年越しの祭りの際に、伴侶やパートナー、或いは意中の男性に渡す為のものだ。
夫人の顔に、不意に笑みが上る。
若い女中が見つけて、手を止めた。
「奥様、楽しそうですね」
「あら?」
本人は笑っている自覚がなかったようだ。同じく手を止め、頬に手を当てる。
「いやだわ。つい、レグルスに何を作ろうか、考えてしまって……」
「まあ」
「でも、お気持ちは解りますわ」
クスクスと笑いあう。
「そういえば奥様。年越しの宴では、旦那様に何か贈られるのですか?」
「ええ。今回は基本に立ち返って、ハンカチーフにしたの」
濃紺のハンカチに、銀糸で彼女の好きな小花を刺繍した。
そう伝えれば、「素敵ですね」とにこにこ笑って返された。
穏やかな時間が続く。去年とは大違いだと、夫人は秘かに思う。
去年の年越しの宴は、夫人と娘は領地で、夫と息子たちは王都で、それぞれ別に過ごした。贈り物は執事に託して。
成人前は息子たちも領地に来ていた。末の子が生まれて暫くは、夫も無理矢理休みを作って、戻って来ていた。
今にして思えば、緩やかに崩壊を辿っていたように思う。娘もいずれ嫁ぎ、夫人は一人、冬の邸に取り残されただろう。
上の息子も、こんなに幸せな結婚をしてくれただろうか。下の息子は?娘は?どうなっていただろう。
想像するだけで、体が竦む。
思考が暗い方向にいってしまい、夫人は首を左右に振った。娘への贈り物を編んでいる途中で、悪い考えは良くない。
「奥様?どうかされました?」
いきなり激しく首を振った夫人を、女中たちが気遣うように窺う。
夫人はにっこりと笑った。
「陽が暖かくて、眠気が少し」
「お昼寝なさいますか?準備いたしますので……」
「いいえ。天気がいいうちに、仕上げてしまいたいの」
光に当てるとキラキラ光るレース糸は、昼間に編むのが楽しい。またいつ雪が降りだすとも判らない。
それに眠気は、女中たちを心配させないように言った嘘だ。本当は眠くなどない。
編み物を再開させる。
女中が思い出したように言った。
「そういえば、今日は宴で使うお酒が届いたようです」
「あらまぁ。では、レグルスに大広間に近付かないように、注意しておかなくては」
「ふふっ。樽に上ったお子様方は、大変なことになりましたものね」
それは上三人の子供たちの事。
酒樽を登って、ただ落ちたこと七回。酒樽と共に落ちたこと一回。酒樽の蓋を割り、中に落ちたこと二回。
上の子たちは、あれほど年末の大広間には入ってはいけないと言い含めたのに、大人たちの目を掻い潜り、遊び場にしていた。言いつけを守って決して入らなかったのは、末っ子だけだ。
その末っ子が既に広間を覗いて、若干の幻滅と共に扉を閉めた事を、この場の女性たちは知らない。
ふんわりとした空気が彼女たちを包んでいた。
◆◇◆◇◆◇
政務省の役人たちは、朝から浮き足立っていた。
忙しい政務省でも、年末年始は仕事がない。よほどの案件を抱えていない限り、二日の休みになるのだ。
家庭があれば家族サービスに勤しむだろうし、恋人があれば恋人と過ごすだろう。
だが、独り身の寂しい者たちは……
書類に向かっていた大臣であるグランフェルノ公爵が、顔を上げた。
「今年も邸で無礼講の宴をするんだが、来たい者は……」
「はいはーい!」
「お邪魔しまーっす!!」
「「「自分もー!!!」」」
公爵に最後まで言わせず、室内のあちこちから声が上がる。その声に反応したのか、扉の向こうからも何か聞こえた。
公爵は呆れた。
上司からの誘いなど迷惑と感じるのが普通だろうに、毎年毎年、よく来たがるものだ。
「お前たち…いい加減、一緒に年を越してくれる人を作れよ」
そう苦言を呈すれば、やはりあちこちから反論が飛んでくる。
「だったら紹介して下さい!」
「先日振られました!」
「恋人は酒です!!」
公爵が頭を抱えそうになっている隣で、ふぉっふぉっと副大臣のウォーテルが笑う。
「モテモテですのう、大臣」
「嬉しくない」
溜息を吐く。紙を用意させ、参加希望者に名を書かせるように指示を出した。あっという間に人だかりができ、隙間が埋まっていく。
年々酒樽が増える理由が、ここにある。
今年も酒樽が足りるかなと、少々不安になったことは心の内にしまっておくことにした。
誤字脱字の指摘、お願いします。
相変わらずPCが不安定です。
次はいつ更新出来るかな~……orz