閑話 巡る闇の向かう先
本日二話目の更新です。
父の膝で眠ってしまったレグルスを侍従に預け、父はシェリオンに向き直った。
「父上?任せてよかったのですか?」
「偶にはよかろう。あれはあれで、レグルスが可愛くて仕方ないヤツだからな」
本人が聞いたらどう反応するのか。
公爵はからかうような笑みを浮かべている。シェリオンは肩を竦めた。
父は本来、こういう人だった。幼い頃は国王とココノエ侯爵、三人で周囲を振り回した悪童だったと、老いた隠居貴族がぼやいていたのを聞いたことがある。
疫病で両親を亡くし、若くして公爵家の当主となり、必然的に弁えるようになった。ただ、本来の性格はそう変わる事も出来ず、こうやって度々顔を覗かせる。
家族へ向ける愛情の深さも、生来のものなのだろう。きちんとした食事を取るようになり、大分肉付きも良くなってきたレグルスを変わらず抱き上げる。
「今日は不安定で、大変だったのではないか?」
「ご存知でしたか」
「暗いうちに目を覚ましたようだったからな。時間が悪かったのだろう」
シェリオンはようやく、今日の様子に納得した。
夜中目を覚ましたレグルスは、一日気持ちが乱高下する。今日は偶々来客があって、そちらに気を取られて、割と落ち着いていたのだろう。
シェリオンが父の視線に気付いた。何かを待っているようだ。ふっと笑みが漏れる。だが、次の瞬間には表情を引き締めた。
「父上。これがレグルスの部屋の玩具箱に入っていました」
そう言ってテーブルに乗せたのは、昼間見つけた小さな毬。
公爵は僅かに眉を寄せた。毬を手に取る。
「知らんな」
「レグルスが欲しがっていたのですが……」
「取り寄せてやろう。これは諦めさせろ」
そう言って公爵が懐から取り出したのは短剣。刃を毬に添わせる。僅かに走らせたところで、手を止めた。
「クリストフ、エミールを呼んでくれ」
「はい、旦那様」
邪魔をしないよう、隅に控えていた執事が部屋を出ていく。
シェリオンが訝しげに父を見る。
テーブルに短剣と毬を置いた父は、首を左右に振る。
「…中に何かいる」
低い呟きに、シェリオンは息をのむ。すぐに我に返り、口の中で言葉を紡ぐ。毬に簡単な結界を張る。
程なくしてエミールが来た。事情を説明して、中の様子を探らせる。
エミールは表情を曇らせた。
「生き物、のようですね」
「確かめられるか?」
「ここでは少し…恐らく蠱毒の一種かと」
思わずシェリオンが立ちあがった。
そんな危険なものがレグルスの部屋にあったというのか。しかも隠されるように。もしあの部屋で開いていたら……
シェリオンの顔から血の気が引く。
「落ち着け。シェル」
「父上……」
「エミール。危険を承知で頼む。中を確認したい」
「畏まりました」
エミールはシェリオンがかけた結界の上に、更に結界を重ねていく。
透明な結界だが、室内光を反射して僅かに光る。
「恐らく、中から出てくるのは、恐ろしい呪いの毒を持った蟲です。複数の結界を重ねてありますが、決して触れようとなさらないで下さい。それから万が一結界を破られた場合は、速やかにお逃げ下さい」
二人は頷く。念の為と、シェリオンが発動直前まで魔法を完成させておく。
エミールがそれを確認して、結界を張った毬を持ち上げた。結界の中に真空の刃を起こす。毬が真っ二つに割れる。
割れ目から黒い物体が出てきた。ずるりと長い体を這わせる。ムカデのようなそれは、突然飛びかかってきた。だが結界に阻まれ、呆気なく落ちる。結界内を忙しなく這いまわるが、それ以上は進めないようだ。
エミールはほっと息を吐く。
「蠱毒には間違いないようです。特に追加の呪術もかけられていないようですし、この結界で十分耐えられます」
「追加を掛けられていると、どうなる?」
「文献で読んだのみですが、結界を通す煙霧状の毒を吐いたり、巨大化したり…蟲自身が術を使う場合もあるそうです」
「これがそんな物でなかったことに感謝しよう」
公爵は真面目な顔で言った。
ムカデは相変わらず結界内を這い回っている。時折、結界に向けて何かを噴き出している。どろりとしたものが、見えない壁を流れ落ちる。
危険な呪術が掛けられていないとはいえ、レグルスの部屋にあのまま置かれていたらと考えるとぞっとする。今日、あの子が持っていた時に割れていたらどうなったのか。
シェリオンは目の前が暗くなりそうだった。
「術者は辿れるか?」
公爵の問いに、エミールは首を左右に振る。それが蠱毒の面倒な所だ。仕込んでしまえば、追跡が難しい。
ふうっと公爵が息を吐く。
「それから判るものはあるか?」
「何も。この程度ならば、数日中にお作り出来ますが?」
「作らんで…いや、いずれ作ってもらうかもな。今は要らん」
処分する様に命令する。
エミールはそのまま結界を収縮させ、中の蟲ごと消滅させた。一瞬の事だった。
ふと、公爵が顎に手を当てた。
「…外身は残しておいた方が良かったかな?」
「呪いが浸み込んでおります。お止めになられた方が宜しいかと」
エミールは首を振る。
糸を巻いた美しい毬。いかにもレグルスが好みそうなものだ。見つければ、必ず手に取るし、覚えがなくても欲しがるだろう。
何かを考え込んでいた公爵は、顔を上げた。静かに控えていた執事を振り返る。
「クリストフ。東からの工芸品を扱う出入り商人はいたか?」
「レブナント商会が扱っていたと記憶しております。問い合わせましょうか?」
「ああ。代わりになる毬があるといいのだが……」
御用商人を疑うのかと思ったが、そうではないらしい。執事の目が優しく和む。
「東からの工芸品は、レグルス様も殆どご覧になったことがないでしょう。毬でなくとも、美しい絹織物などもお喜びになられるかと」
「それなら、シェーナ達も見たがるだろう。シェル、お前も……」
言いかけて、顔色を失くした息子に気付いた。頬杖をつく。
「お前は些か、気の弱い所があるな。それではグランフェルノ家の当主は務まらんぞ」
「…申し訳……」
「弟妹を弱点にするな。これ以上気を使わせてどうする」
シェリオンは口を引き結んだ。一瞬だけ眉根を寄せ、顔を伏せる。次に顔を上げた時には、いつもの澄ました表情へと戻っていた。
父公爵の表情が僅かに緩んだ。
「それでいい。お前はいつでも毅然としていろ」
「はい、父上」
シェリオンは頷く。
筆頭貴族の役目は重い。一人で背負う事はないが、共に支えてくれる者たちが不安になるような顔はするな。
幼いころに聞いた父の言葉を、改めて胸に刻む。
商人がくる日は、家族で立ち会おうと約束し、公爵はお抱え魔術師に向き直った。
「さて、エミール。幾つか質問をしたい」
長い話になるのだろう。公爵がエミールに席を勧め、彼も素直に従った。
シェリオンは気を引き締め、父達の話に耳を傾けた。
誤字脱字の指摘、お願いします。
これと前話を足して、いつもの文字数。