揺らぐ心に巡る闇 4
リスヴィアの冬は、日が沈むのが早い。
地獄の訓練を終えた三人は、侍従たちに傷の手当てをされた。それからもう暫く他愛のない話を楽しみ、二人は帰路につく。
シェリオンと共にレグルスも玄関に見送りに出る。
訓練の内容は刺激が強すぎたのか、レグルスはシェリオンの腹にしがみ付いている。シェリオンは笑っているが、随分歩き辛そうだ。
ヴェルディが身を屈め、頭を撫でる。
「またな」
「…つぎは、いつきますか?」
「来年の冬かな。これは年に一回の、息抜きだから」
少しだけ声に寂しげなものが混ざる。
毎年一度、一日だけ。王太子としての立場を忘れ、友人と共に王宮を出る。今年は天気が良くなさそうだというので、友人宅に遊びに来たが、例年なら街歩きだ。
屈むヴェルディに、ハロンがのしかかる。
「来年はレグルスも一緒に、外に遊びに行こうな!」
レグルスは首を左右に振る。
「来年は、りょうちにかえるのです」
「あ、そっか…残念だな」
今年はレグルスの体調を考慮して、王都から動かなかった。だが、来年には母や姉と共に戻るだろう。父と兄達は務めがあるので、王都に残るのだろうが。
ヴェルディは起き上がって、ハロンを弾き飛ばした。
「その時は、お前がウチに遊びにくればいいさ」
「あそびに行ってもいいですか?」
「ちゃんと父君の許可を貰うんだぞ?」
「はいっ」
レグルスが笑顔になる。両手が兄から離れる。
ヴェルディも笑い返した。そして踵を返す。
シェリオン達は扉の外まで見送りに出た。外は再び雪が降り始めていた。
二人は預けていた馬に跨る。軽く手を振った後、馬が歩きはじめる。
レグルスも手を振り返し、兄と共に彼らを見送った。
「さあ、中に入ろう」
促されて、邸に戻ろうとした。だが、足を止める。
閉ざされようとした門扉が動きを止めたのだ。振り返れば、門番が再び開こうとしている。
客人たちと入れ替わりに入ってきたのは、グランフェルノ家の紋章をつけた馬車。
レグルスの顔に満面の笑みが上る。その様子に、邸内から出てきた執事と共にシェリオンが苦笑した。
御者が器用に馬を操り、玄関前に馬車を横付けする。踏み台が用意され、扉が開かれる。
「おかえりなさい、父さま!」
「おや?ただいま」
馬車から下りた父公爵は、不思議そうな顔で息子達の出迎えを受けた。嬉しそうな末息子が飛びついてきて、そのまま抱き上げる。
「こんな所でどうした?待っていたわけではあるまい」
「丁度、友人たちを見送った所なんです」
「お帰りになられたのか。たまには一泊なさっても良ろしかろうに」
「お父上との約束ですから」
シェリオンは肩を竦める。
公爵はレグルスを抱えたまま、邸内に入った。シェリオンも続く。
一度レグルスを下ろし、外套を執事に渡す。そしてもう一度抱え上げた。
「父さま?重くないですか?」
「抱えられるのは嫌いか?」
「ううん。うれしいです。でも……」
「なら、いいじゃないか」
それ以上の異論を受けつけんと言わんばかりに、公爵は歩き出す。
レグルスは暫く父の顔を見つめていたが、ふにゃりと表情を緩めた。肩にしがみ付く。
「うふふ。父さま、大すきです」
「ん?どうした?」
父もどこか締りのない顔で訊ねれば、レグルスはご機嫌な様子で、肩に頬を擦り寄せる。
シェリオンがふっと息を吐いた。
「結局、父上が一番なんだもんなぁ……」
「何だ?」
足を止めて振り返れば、シェリオンは首を左右に振った。
「レグルスを落ち込ませるような事を一番言うのは父上だけど、簡単に喜ばせちゃうのも父上だってことです」
「羨ましいのか?」
「少し」
寂しさを滲ませて微笑めば、父公爵は顎に手を当てた。レグルスは首を傾げている。
「……でもなぁ…お前を抱っこするのは流石に……」
「そっちじゃない!」
すかさず突っ込んだ後、シェリオンは眉を吊り上げた。
その後ろで使用人たちが肩を震わせていた。
憤慨したシェリオンが、父を追い越す。
「何なんですか。天然ですか」
「くくっ…お前はからかって遊ぶと、本当に楽しいな」
「ワザとか!何て親だ……」
「ふん。今頃気付いたか」
父が意地悪く笑えば、シェリオンはがっくりと肩を落とした。
◆◇◆◇◆◇
父親と夕食を共にし、レグルスはご満悦の様子だった。食後も公爵の傍を離れず、絵本を片手に今日の出来事を一生懸命話していた。
だが、眠気には勝てない。
目がトロンとしてきたところで、部屋に戻るように促したのだが、レグルスは断固として頷かなかった。口を尖らせ、父公爵にしがみ付く。
公爵は苦笑しながらも、それを良しとした。
やがて公爵の服と絵本を握りしめたまま、公爵の膝で寝息を立て始めて、ようやく部屋に戻されることになった。
公爵からレグルスを預かったマリスは、慎重に抱え上げた。普段なら公爵自身で運ぶのだが、今日はシェリオンの方を優先させた様子だ。
そして寝入ったレグルスは、そう簡単に起きない。枕元で誰かが喋っていても、気にならないらしい。すれ違う使用人たちと言葉を交わしても、全く起きる気配を見せなかった。
マリスは途中で捕まえた女中に手伝ってもらい、抱えていたレグルスをベッドに寝かせた。湯たんぽで温めておいたから、布団はぬくぬくのはずだ。
布団をかけ、肩まで包む。
「ありがとう、ディアーヌ」
「扉を開けて、布団を捲っただけよ」
わざわざ仕事を中断して手伝ってくれたのだ。礼を言うのは当然だ。
だが彼女は気にした様子もなく、笑顔で軽く手を振って部屋を出ていった。
マリスは室内を見回した。変わった様子はない。巨大な羊のぬいぐるみが倒れていたので、起こしてやる。そしてその頭を軽く撫でた。
「後は頼むよ。メリー」
ぬいぐるみに声をかければ、その目が僅かに煌めく。
マリスも部屋を後にした後、レグルスが寝返りを打った。むにむにと口を動かす。それはやがて弧を描き、満足げな笑みへと変わっていた。
誤字脱字の指摘、お願いします。
ラスト手前の一シーンを抜いたら、大分短くなりました。