揺らぐ心に巡る闇 3
ハロンに促されるまま、レグルスは玩具箱の蓋を開ける。この中は五歳の時から変わっておらず、彼らと遊べるようなものはない。
「うっわ。懐かしい感じだな!」
ハロンは玩具を取り出し、目を輝かせる。
レグルスは不安げにハロンを見上げる。
「こわさないでくださいね?」
「分かってるって」
どれほど解っているのか判らないが、ハロンは玩具を取り出して床に並べていく。あまり遊んでいないものも多く、状態は綺麗だ。
積み木やパズルの他、車輪の付いたアヒル、何かの型抜き道具、ままごと道具一式……等々。種類は豊富だ。
レグルスは振ると音が鳴る玩具を取った。振ると左右に丸い木片の付いた棒が動き、中をくりぬいた木筒が音を立てる。それだけ。
かこかこかこかこ……
小さい頃、とにかくこれを一生懸命振っていた記憶がある。振っていると誰かが来てくれたから、それが嬉しかったのかもしれない。
かこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかこかかかかか……
「落ち着け」
何故か必死で振り続けていたら、手が押さえられた。ハッと我に返る。
仰ぎ見れば、呆れ顔のヴェルディがいる。ハロンが笑う。
「音が鳴るものって、何でか鳴らし続けちゃうんだよな」
「そうか?」
「そうそう。で、煩いって怒られんの」
言われてみれば、ヴェルディにもシェリオンにも覚えがある。
他に音の鳴る玩具は鈴が付いたものもあったが、こちらは響きがあまり良くない。レグルスは木製のものに戻る。そしてかこかこと鳴らす。
並べられた玩具を、シェリオンは感慨深く眺める。
「レグルスは室内で遊ぶことが多かったから、綺麗なまま残ってるんだよね」
「お前のは?」
「一年もたずに捨てられた」
「そんなモンじゃねぇの?」
外を駆け回っていたシェリオンやハーヴェイの玩具は、あっという間に欠けたり剥げたりして、もう残っていない。ぬいぐるみなど、数日で頭や腕がもげていた。
アルティアは、室内用と室外用に分けていたので、室内用の玩具は比較的残っている。が、外用はやはり全滅だ。
ままごと道具が一揃い残っているのは、幼くして行方不明になっただけではない。兄姉たちは、毎年買い替えられていたのだから。
レグルスは玩具を鳴らしながら、箱を覗き込む。箱の中は小さな玩具が、まばらに残るだけになっていた。その中から、小さなボールを取り出す。
その際、音が止んだ。シェリオン達の視線が集まる。
ボールを片手に、再びかこかこと音が鳴らし始める。
年長者たちはその様子に、顔を見合せて笑った。先程のような事にならなければ、それでいい。
「レグルス、それは?」
「おぼえてないのです。こんなの、もっていましたっけ?」
レグルスは首を傾げる。
色鮮やかな糸を張り巡らせた、小さなボール。毬というのだったか。
片手を振りながら考え込むが、どうしても思い出せない。その手が、そっとシェリオンに抑えられた。再びハッとする。
「東の方の国の特産品に似てるけど……」
「ん~…?もらったきおくがないです……」
「紛れたかな?後で父上たちに聞いておこう」
「はい」
レグルスは兄に毬を渡す。片手にはしっかりと、音の鳴る玩具を握りしめたまま。
「もっててもいいなら、ほしいです」
「父上が良いって仰ったらね」
「はい」
レグルスは素直に頷いた。そして兄たちを見回す。
「これで、どうやってあそぶのですか?」
レグルスでさえもう遊ばない玩具たちだ。戻ってきた最初の頃は、懐かしさで幾つか出したが、それきりになっている。最近は勉強の忙しさもある。
ハロンが積み木を取った。
「とりあえず、積むか!」
爽やかに彼は言い切った。
ひたすら高く積むだけの積み木。交代で一つずつ積んでいき、崩した者が負け。
極限の積み木は、意外と盛り上がった。
◆◇◆◇◆◇
昼食を食べた後、兄達は訓練場に出るという。剣の鍛錬をするそうだ。
ヴェルディ達の来訪の目的もそこにある。
「グランフェルノ家の私設騎士団は、実力者ぞろいだからなっ」
声を弾ませたハロンが言った。
見学を望んだレグルスは、彼らに付いて歩きながら首を傾げる。
グランフェルノ家の騎士団は、本隊は領地に置いている。だから王都の屋敷にいるのは少数だが、その中でも精鋭部隊だと聞く。だが王宮には、騎士団も近衛師団もある。私設騎士団とは規模が違う。わざわざ訓練に来る必要があるのだろうか。
騎士たちの訓練場には、既に騎士たちが集まっていた。連絡を受けていたのだろう。騎士団長メルト・ジョウルがこちらにやってくるのが見えた。彼らの前に来ると一礼をする。
「ようこそお越しくださいました」
「堅苦しいのは抜きだ。その為に来てるのだからな」
「承知しております」
メルトは苦笑を洩らす。そして彼らを訓練場へ先導する。
レグルスは途中までで、少し離れた場所へ作られた見学場所へ連れていかれた。そこで侍従と並んで座る。
半月前からようやく素振りを始めたレグルスは、彼らの訓練の足手まといにしかならない。ただ、見て学ぶものもあるだろうと、見学は許された。
侍従のマリスがレグルスに顔を寄せる。
「ハロン様は近衛師団の中でも、実力派の騎士です。ヴェルディ様も、最近ではココノエ侯爵様が手を焼くほどの腕前とか」
「シェル兄さまは?」
「……シェリオン様は、魔法を得手とする方ですから」
マリスの笑顔が張り付いたものになった。レグルスは不思議そうにマリスを見、中央に目を戻す。
レグルスはまだ、兄達の実力を知らない。長兄より次兄の方が強いらしい、くらいしか知らない。
中央ではヴェルディが、グランフェルノ家の年若い騎士と向かい合っていた。どうやら試合形式の訓練を行うようで、双方共に刃を潰した剣を持っている。審判はメルトだ。
切っ先が軽く交差する。
「はじめ!」
メルトの鋭い声が飛んだ。同時に二人の距離が縮む。金属音が響いた。
「わ」
レグルスが短い歓声を上げる。
若い騎士がヴェルディの剣を弾き、鋭い突きを繰り出す。弾き飛ばされる事を辛うじて堪えたヴェルディは、騎士の剣を横飛びでかわした。さらに距離を取って、体勢を整える。
ヴェルディが顰め面を作る。
「本当に容赦がないな!」
「それがお望みでしょう?」
騎士が苦笑いで応えた。彼も剣を構えなおす。
ヴェルディが反撃を試みるべく、踏みこんでいった。
レグルスはマリスを見上げる。
「すごいのです。バジルのこうげき、止めてしまったのです!」
興奮したのか、頬が紅潮している。
騎士バジルは、若いがこの邸の警備責任者でもある。頭も切れるが、実力も相当だ。バジルが他の騎士たちを軽くいなしているのも見たことがある。
「あれくらいは防いでもらわないと」
マリスは事もなげに言った。レグルスが驚いて目を瞠れば、マリスは殊更ににっこりと笑う。
「ヴェルディ様は身分あるお立場です。いかに近衛師団でも…いえ、近衛師団の方々だからこそ、周囲の目を気にして、初手からあんな攻撃は出来ません」
「…レリックおじさまも?」
「ココノエ侯爵ほどになれば、全く気にされないでしょうが…あの方は国王陛下の近衛騎士でしょう?なかなかお時間が取れないのでは?」
レグルスは納得した様子で頷く。それからハッとしたように目を見開いた。
「グランフェルノのきしさまたちは、ふけいもののあつまりですか!?」
「違います!」
すかさずマリスが否定したが、小さな主のとんでもない発言は、僅かに静かになっていた訓練場に響き渡っていた。騎士たちが一斉に噴き出す。そして笑いが起きた。
試合の手も止まり、バジルが視線をこちらに向けた。
「レグルス様ぁ。それはあんまりです~」
泣き言が飛んでくる。レグルスは慌てて手で口を覆った。マリスが「めっ」と軽く頭を押さえる。
ヴェルディが袖で汗を拭った。
「まあ…それくらいでないと、わざわざここに来る意味はないんだが……」
「だからって不敬って!不敬者の集まりって!!」
「……否定出来ん部分もある………」
「「「だんちょお!!」」」
レグルスは椅子から飛び降りた。そして深々と頭を下げる。
「ごめんなさい」
「謝る必要はないぞ。事実だ」
騎士たちが慌てふためく前に、ヴェルディがサラリと言った。
レグルスが目を瞠る。
すっかり中断された試合を再開させるべく、ヴェルディが軽く顎をしゃくる。バジルが我に返った。
「不敬結構。傅き、垂れた頭の下で舌を出されるよりマシだ」
バジルの口元に笑みが上る。次の瞬間、斬戟がヴェルディを襲っていた。
ヴェルディは辛うじてそれを受け止めた。力押しされそうになるのを、気合で凌ぐ。
「いいですねぇ。そういう坊ちゃんを叩きのめすのも、悪くない」
「ホンットに容赦も敬意もないな!!」
ヴェルディは悪態をつきながら、相手の剣を滑らせるように流した。
再び打ち合いが始まる。
目をまん丸にしたレグルスが、侍従を振り返る。座るように促され、レグルスは席に戻った。
「彼らが仕えるのは王家ではなく、グランフェルノ公爵ですから。王太子殿下であっても、彼らを従えることは出来ません」
マリスが諭すように、レグルスに話しかける。
レグルスは顔を上げた。
「…でも、グランフェルノ家は王家のちゅうしんです」
「はい。間接的にはこの国の住まう者、全ては王家のものです。ですが、直接仕える主に比重が置かれるのは当然のことかと」
「……グランフェルノ家のきしさまたちは、王家より、父さまのほうがだいじですか?」
「そうでなければ、騎士は務まりません」
国王よりも、主たる公爵。
万が一、袂が別たれたとき、主を裏切るような事があってはならない。たとえ非が主にあっても。
マリスがそう伝えると、レグルスは首を左右に振った。
「それは、ダメなことです……」
「はい。本来なら我々はまず、お諌めしなければなりません。ですが、レグルス様。我々はそんな方にはお仕えいたしません」
ひと際高い音が響いた。ざわめきと歓声が続く。
そちらに目を向ければ、ヴェルディの喉元に剣が突き付けられいた。どうやら決着がついたらしい。
バジルが剣を引きながら、得意気な笑みを向ける。レグルスを振り返った。
「レグルス様~!勝ちましたよ~!!」
「はいっ。おめでとうごっ……」
言葉が最期まで続けられなかったのは、ヴェルディの殺気交じりの視線が突き刺さったからだ。
そんなヴェルディの後頭部が叩かれる。
「八つ当たりするな」
「八つ当たりじゃない。逆恨みだ」
「なお悪い!」
シェリオンはもう一度、思いっきり叩いた。
レグルスは侍従の腕の中だった。彼の手の中で煌めいたのは、小さな刃。見咎めて、レグルスはぽむぽむと侍従の手を叩く。彼は苦笑して、そっと袖の中に戻した。
レグルスは座り直す。
今度はハロンと、フェリクス。
フェリクスは三十代後半。強面だが、可愛い妻と娘がいる。普段は、若いバジルの補佐をしている。堅実な剣技で相手の体力を削り、疲労から来る隙を誘う。
フェリクスはハロンと向かい合う前、何故かレグルスの方を向いて一礼をした。
ハロンが乾いた笑いを零す。
「何か、趣旨が違ってきてねえ?」
「そんな事はない」
真面目なフェリクスはやはり真面目に答え、構えを取る。応じるように、ハロンも剣を構えた。
そこに恨みのこもった野次が飛ぶ。
「負けてしまえ」
「自分が負けたからって、酷くない!?」
「うるさい。主が負けたんだから、お前も付き合え」
「何、その接待試合!」
「自分から負けてくれると、こちらも助かる」
「待て、コラ!!」
どっと笑いが起きる。試合開始を告げるメルトも、何だか締まらない様子だった。
だが始まってしまえば、激しい打ち合いになった。ハロンの腕前はヴェルディより上である。フェリクスはそれをいなしながら、淡々と打ち合わせる。
白熱していく様子に、レグルスは両手を握る。
そこで、マリスが訊ねた。
「レグルス様。どちらを応援なさってますか?」
「もちろん、フェルです」
「では、声援を送ってはどうでしょうか?」
促されて、レグルスは素直に頷いた。
「フェルー!がんばってくださ~い!!」
声を張り上げた。途端、ハロンの型が崩れる。
当然、その隙をフェリクスが逃すはずもない。ハロンの剣を弾き上げ、体勢を崩させたところで剣の平で手の甲を叩いた。堪らず、ハロンが剣を落とす。
「そこまで!」
メルトの鋭い声が飛ぶ。
ハロンは悔しそうに顔を歪めた。
剣を拾い、互いに礼をする。フェリクスはレグルスにも一礼をした。
レグルスは惜しみない拍手を送る。ハロンの恨み節が飛ぶ。
「なんだよ~。オレは応援してくんないの~?」
「フェリクスはグランフェルノのきしさまですから」
レグルスが言えば、ハロンは頬を膨らませる。そしてキッと後ろを睨んだ。
「お前も負けろ。シェリオン」
「安心しろ。勝てる気は一切しない」
「威張って言う事じゃない……」
ハロンはがっくりと肩を落とし、ヴェルディに背を撫でられていた。
シェリオンは決して剣が得意ではない。並々ならぬ努力で、それなりに使えるようになっただけだ。だが、まるで教本のような動きは、時として騎士たちを唸らせる。
そんな彼の相手はユハだ。彼はリスヴィア北部で、未だ定住せず暮らす遊牧民の出身だ。国内ではいざという時に傭兵として招聘される、勇猛な騎馬民族だ。過去に受けた恩を返す為、一族を代表して公爵家に仕えてくれている。代表というだけあって、力押しと言われる騎馬民族の中で、相手の動きを見る戦い方をする。
ユハはシェリオンの前で、深く頭を下げた。
「手加減は無用だからね」
シェリオンの言葉に、小さく頷く。彼は刀身の反った、変わった剣を構える。
レグルスの視線に気づいたマリスが、言葉を添える。
「シミターです。南方で国軍にも採用されている剣です」
「どうしてユハがつかえるのですか?」
「御用商人が冗談半分で仕入れてきたものを、ユハが気に入りまして。以来、彼の愛剣です」
大きく反り返った剣は、慣れなければ扱い辛いだろう。それを気に入るとは、ユハもなかなかの物好きだ。
レグルスは見慣れない剣の動きに釘付けになった。
しかし、それ以上に目を瞠ったのは、兄の剣だ。刀身が魔力を帯び、炎を纏う。振るえば、刃と共に炎がユハに襲いかかる。
「ユハ!」
思わず叫んでいた。
ユハは僅かに顔を歪めただけで、襲いかかってきた剣を流した。炎も、まるで風に流れるようにかき消えていく。
レグルスの目がまん丸になる。隣を見上げれば、マリスがクスクスと笑っている。
「魔法剣は確かに厄介ですが、対処の仕方を知っていれば、恐れるものではありません」
「そうなのですか…びっくりしました」
レグルスが胸に手を当て、ほっと息を吐く。
但し、とマリスは心の中で付け加える。対処法を実際に出来るかどうかは、魔法剣の使い手と己の実力次第。そしてシェリオンの魔法剣の腕前は一流。それを流せる相手は、グランフェルノ家にも数えるほどしかいない。
それはいずれ知ればいい事と、今は黙っておくことにした。
悉く魔法を流され、シェリオンはあっさりと敗北した。剣を叩き落とされ、軽く肩を竦める。
「やっぱりユハは厳しいな」
剣を拾い互いに一礼をした後も、暫くユハは顔を上げなかった。
レグルスが手を叩く。惜しみない拍手を送る。
「すごいのです!三れんしょうです!!」
褒められて悪い気はしない。バジル・フェリクスは勿論、感情の判り辛いユハもふっと視線を逸らして、照れた様子を見せた。
ヴェルディは首を振り、ハロンは口を尖らせる。シェリオンは苦笑いを零すのみだ。
メルトが低く笑う。
「これからですよ。御三方、覚悟はよろしいか?」
さっと彼らの顔色が変わる。
レグルスはキョトンとしたが、その意味はすぐに理解することになった。
「そんなへなちょこな突きが当たるか!遅い!踏み込みが浅い!!腕力だけで押し切るな!!」
飛んだのは、騎士団長の怒号。
レグルスがあわあわと口や手を動かすのを、隣のマリスが楽しんでいた。
三人纏めて相手をしながら、メルトは次々と駄目出しをしていく。他の騎士たちもちょっかいを掛けてくるので、三人は気が抜けない。
必死な彼らと違い、レグルスはどんどん蒼白になっていく。
「…ぼくこんど、メルトにおしえてもらうのです……」
声が震えていた。
レグルスは怒られ慣れていない。日々厳しく躾けられていると言っても、静かに優しく、言い聞かせられるのみだ。周囲が気を使い過ぎている部分もあるが、それで十分となってしまうレグルスの性格もある。もう少しやんちゃであれば、そんな機会もあったのだろうが。
「大丈夫です。素振りを始めて間もないレグルス様に、あんな特訓されません」
「でもっでもっ!フェルはどなったり、しないのです」
「メルトさんだって、そう怒鳴りませんから!」
完全に怖気づいたレグルスに、マリスは頭を抱えそうになった。
そんな事に気付かない騎士たちの訓練は激しさを増し、最後には無表情になったレグルスがマリスに張り付くのだった。
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