揺らぐ心に巡る闇 2
来客を告げられ、シェリオンは玄関ホールに降りた。
「いらっしゃい。ヴェル、ハロン」
「邪魔するぞ」
「外、すっげ寒い!凍るかと思った!!」
幼馴染たちは鼻の頭を真っ赤にして叫ぶ。
シェリオンは呆れた様子で、腰に手を当てる。
「馬で来たのか?そりゃ、寒いに決まってる」
「下手に馬車を使うと、身動き出来なくなりそうだったんだよ」
「今朝方まで、結構降ったからね。大通りは除雪されているだろうけれど……」
「憲兵隊の連中が必死だったぞ」
執事に先導してもらい、彼らを暖かい応接室に通す。すぐさま、飲み物が運ばれてくる。
暖かな湯気を立てたそれに、彼らは顔を綻ばせる。早速カップに手を伸ばした。一口飲んで、それぞれがほっと息を吐く。
シェリオンは思わず噴き出しそうになり、慌てて笑いを噛み殺した。
ソファにだらけて座っているが、今日は小言は言わない決まりだ。
ハロンがあっという間に中身を飲み干した。
「寒い時は、妙に甘いものが美味いんだよな~」
「体が脂肪を蓄えようとしてるんだよ」
「「それは困る!」」
二人の声が唱和して、シェリオンは口元を押さえた。視線を逸らす。
ヴェルディが片眉を上げた。
「お前も太れ。結婚して、盛大に肥えろ」
「嫌だよ。バジュリ―ルの従弟みたいにはなりたくない」
「従弟って…エルネストは別に太ってないだろ?」
「長男じゃないよ。次男の方」
ふっと、シェリオンは溜息を吐く。表情が険しくなる。
幼馴染たちは顔を見合わせた。
「エルネスト殿に弟君がいるのか?」
シェリオンは頷く。まだ幼い次男は、社交界に出ているわけではない。知らずとも仕方ない。
レグルスが傷付けられた件は、シェリオンも聞いている。血縁である以上これからも付き合っていかねばならないだろうし、頭が痛い問題だと認識している。
母方の親戚は、別に嫌いではない。伯父である伯爵は人柄も能力も尊敬できる人だし、祖父も、現役時代は国王の側近として政務に携わったような人だ。若くして公爵家を継ぐ事になった父も、当時は随分助けられたと聞く。
従弟も、長男のエルネストは伯爵家の跡取りとして、将来を有望出来る人物だ。
問題は、伯爵夫人と次男のジョルジュ。そしてジョルジュが係わる時の祖父だ。
伯爵夫人は、何故あれほど人品優れた伯爵があんな女と結婚したのかと、周囲に眉を潜められる程の愚妻である。いや、正しく貴族の女ではあるのだが。高慢で浪費家。外見ばかりを気にし、貴族の貴族である所以を知ろうともしない。
その夫人に溺愛されて育った次男が、まともであるわけがない。そんな次男を可愛がる祖父も。
そんな中でよく、エルネストがまともに育ってくれたものだと、シェリオンは秘かに感心している。
ひらりと目の前を掠めたものがあり、シェリオンは我に返った。目の前でハロンが手を振っている。
「お~い?シェル~?」
「あっ、ああ……ごめん。少し、考え事を……」
「そんな遠い目をするほどなのか?」
まだ話はバジュリ―ル家の次男のようだ。
シェリオンは肩を落とす。
「我が家では、あの次男は白豚で通じる」
「白豚……」
「それはまた……」
二人が絶句する。
あの体格なら納得だが、運動どころか、出歩く事もほとんどしない。だから、色白だ。髪は美しいプラチナブロンドというのも原因かもしれない。
エルネストも同じ髪色で、やはり肌は白い方なのだが、こちらは白金の貴公子という呼び名が相応しい。
「レグルスと同い年なんだけど、見事なくらい、ぶくぶくと丸くて…見るたびに大きくなってるんだよね。縦にも横にも、前後にも」
子供なのだから成長するのが当たり前なのだが、同じ年頃の子供と比べても大きすぎた。平均的な体格の子供が後ろに立つと、すっぽり隠れてしまう。
シェリオンは額に手を当てる。
「同い年の孫同士、仲良くさせたいって言う祖父の気持ちは分からなくもないけれど、無理なんだよ。レグルスとは徹底的に反りが合わない」
「それは本人たち次第だろう?」
「初対面で決定的な溝が出来てるよ。お蔭でレグルスは怪我もしたし、人見知りと貴族嫌いが定着したし」
「怪我?あの子に怪我をさせたのか、お前の従弟は!」
ヴェルディが立ちあがった。このままバジュリ―ル家に押しかけんばかりの勢いだ。
シェリオンはそれを渋い顔で押し留めた。
「子供の喧嘩だよ。俺たちが踏み入っていい事じゃない」
父に言われた言葉を、そのまま繰り返した。
ヴェルディが眉根を寄せる。レグルスは今や、ヴェルディにとっても弟のようなものである。
ハロンが肩を竦めた。
「自分で何とかするって踏んだんだろ。厳しいからな、公爵は」
今のが自分の言葉ではないとばれていた。シェリオンはじとりとハロンを睨む。
ハロンが視線を逸らす。
「その当人は?元気でやってんだろ?」
「…一応。今は庭にいる筈だけど」
今朝の姿を思い出し、シェリオンは少し表情を曇らせた。
ハロンが応接間を飛び出していく。何処の庭にいるか、わかっているのだろうか。
侍従に後を追わせ、ゆっくりと立ち上がったヴェルディを振り返る。
「この寒いのに、庭か。元気だな」
「弓の練習をしてるんですよ」
「公爵は弓の名手だったな」
「体力作りの一環だったんだけど、結構筋は良いみたいだよ」
連れだって廊下を歩く。
先を行っていたハロンとも、途中で合流した。やはりどこか分からなかったらしい。
レグルスはあまり奥から出てこない。部屋もそちらにある為だが、来客との鉢合せを恐れているのだ。だから、今いるのは奥庭だ。
廊下から無人の部屋を通って、庭に出る。
そこには矢を番えるレグルスがいた。傍にいた侍従がこちらに気付き、頭を下げる。
ぺいんっ――矢が放たれる。
ひょろろろろ~――矢が放物線を描き、飛んでいく。
かこんっ――矢が的に当たって跳ね返る。
五メートルほどの距離だが、あんな張りの弱い弓で良く当てる。
二人が感心している後ろで、シェリオンが生温い視線を送る。
ぺいんっ ひょろろろろ~ かこんっ
ぺいんっ ひょろろろろ~ かこんっ
ぺいんっ ひょろろろろ~ かこんっ
ぺいんっ ひょろろろろ~ かこんっ
レグルスが弓を下ろした。矢が尽きたようだ。落ちた矢を拾い集めに駆けていく。
一本一本拾い、丁寧に汚れを払って、矢筒に戻していく。そして元の立ち位置に戻ろうとして、固まった。
あんぐりと口を開け、こちらを凝視している。
こちらも、ポカンとしていた。
「な、んで……」
そう呟いたのはどちらだったのか、シェリオンには分からない。
「王子さ……」
「「何で当たるんだ!?」」
茫然としたレグルスの声は、二人の驚愕の叫びに打ち消された。びくりと肩を揺らす。
二人がすぐさま傍に行き、レグルスから弓を取り上げる。ハロンが軽く弾くが、玩具にしか思えない。
「こんなの、まず矢が飛ばないって」
「や~!ハロン、かえしてください~!」
レグルスがハロンの腕にとりすがる。
ハロンは僅かに目を見開き、すぐに弓を返した。ポンポンと頭を撫でる。
「ごめんごめん。無礼だったな」
武器を取り上げるのは、相手を屈服させるという意味を持つ。例え見せてもらうだけであっても、相手から正しく受け取らねばならない。
騎士であるハロンにとって、これは守らねばならない重要なしきたりであったはずだ。それだけ驚かされたという事だろうが。ばつの悪そうな顔は、流石に反省しきりというところか。
レグルスがしっかりと弓を抱える。
「どうしておうちにいるのですか?」
「あれ?シェリオンに聞いてない?」
「…兄さまは、お友だちがくると言っていたのです」
「そのお友達だよ」
兄の言葉に、レグルスは目を瞬かせる。
「王子さまが?」
「今日は王子様じゃないぞ。ただのヴェルディだ」
「……ヴェル兄さま?」
首を傾げれば、ヴェルディが満面の笑みで頷く。
しかし、レグルスがへにょりと眉を下げた。
「ヴェル兄さま。かみのけはどこ行っちゃったのですか?」
「髪はあるぞ!?」
「あー、うん。髪はあるな」
「髪は勝手にどこかに行かないよ……」
慌てるヴェルディに対し、二人は笑いを堪えて言葉を足した。
しかし、長かった髪はバッサリと切られている。レグルスは悲しげだ。
「どうして切っちゃったですか?おそろいだったのに……」
「お揃いって…まぁ、それも悪くなかったが、あれは神との誓約の証だからな。神に捧げたよ」
「かみさま?」
レグルスが訊ねるが、ヴェルディは微笑むだけだ。
何か発音がおかしかったような気がするが、聞かなかった事にしよう。
「驚くよね。ウチでガーデンパーティやった翌日、仕事に行ったら見事に短くなってるんだから」
「本当はハロンくらい短くしてもらおうと思ったんだが……」
「「それはダメ」です」
シェリオンとレグルスの声が重なった。ヴェルディは肩を竦める。
自然な長さで整えられた金髪は、以前より光沢を増しているようにも見える。よく似合っているし、物語の王子さま像にも近い。おそらく、その隣を狙う女性たちの人気も跳ね上がっているだろう。
これ以上短くすれば、逆に落胆されるだろう。ハロンは精悍な顔立ちだから、この短さで映えるのだ。
ハロンが身を屈める。
「レグルスは切らないのか?」
「きりたいのです。でも、きってもらおうとすると、母さまが……」
口籠るレグルスに、ハロンは顔を上げた。視線をシェリオンに向ければ、肩を竦められる。
「その髪は母のお気に入りだからね。猛反対を喰らっている」
「女ってのは、どーしてそんなに髪に拘るかねぇ……」
ハロンにも姉と妹がいる。だから解る。
ドレスは勿論だが、髪にも異様に拘るのが女性だ。髪形がどうの、飾りがどうの…それだけだったら理解しないところもないが、日頃から艶がどうの長さがどうのと、煩い事この上ない。折角洗って綺麗にしたのに、わざわざ油やクリームを塗り込む意味も解らない。
レグルスの髪を摘まむ。邪魔にならないように、背中にかかる部分から三つ編みにされている。どんな手入れをされているのか、相変わらず艶やかで滑らかな手触りだ。
ハロンが侍従に目を向けた。
「これの髪も、油やら何やら、塗ったくってんの?」
「ええ、まあ…ご指示ですので……」
侍従は言葉を濁す。誰からとは言わないが、何となく察しはついた。
ハロンは溜息を吐く。
「大変だなぁ、お前も」
「なれてきたのです。それに、母さまがこれがいいとおっしゃるのなら、それでいいのです」
レグルスがはにかむように笑う。
年長者たちはその様子にほんわかとする。
ほのぼのとした空気が流れたところで、レグルスが盛大なくしゃみをした。
「まだ訓練の途中か?時間があるなら、お前とも遊ぼうと思ったんだが……」
「これは…えぇっと……じしゅれん?なのです。だから、あそんでください」
レグルスの表情がふにゃりと緩んだ。嬉しそうだ。
弓を片付けると言うので、ヴェルディ達は先に室内へと戻っていく。その前に、庭に乱立する雪だるまが目に付いた。
「あれは…?」
「レグルスの傑作たちです」
「一人で?」
「おそらく」
ヴェルディは小さく噴き出すと、大小様々な雪だるまを見渡した。
三段は難しかったのか、雪だるまたちは大半が二段だ。小さな物だけ三段もみられる。それも少し溶けてバランスを崩したのか、倒れてしまっているものもあった。目鼻は庭の樹木の葉を張り付けてある。
「よく作ったものだ」
微笑ましくそれらを眺めた後、室内に戻った。
武器の手入れは自分でするように言われている。だが、お客様を待たせてはいけないと侍従に言われ、最後の片付けは任せることにした。
廊下を急ぎ足で通り、彼らが待つ部屋に向かう。
何をして遊んでくれるのだろうか。少しだけ期待をしてしまう。自分より八つも年長だから、それほど楽しくもないのかもしれないが。
部屋の前で立ち止まり、扉を叩く。
「はい、どうぞ」
「しつれいします」
従者を伴わないレグルスは、中から聞こえた声に、自分で扉を開けた。
三人はそれぞれの位置に座っており、テーブルにはチェス盤が置かれている。駒が動かされているのを見ると、既に勝負は始まっているらしい。
レグルスは急いでテーブルに駆け寄る。
「ヴェル兄さまと、シェル兄さまですか?」
「連合軍と執事だよ」
真面目な声で兄が応える。レグルスは目を見開いた。隣を仰ぎ見る。
執事のクリストフは、にっこりと微笑んだ。座らないまま白い駒を取り、黒い駒を跳ね除ける。三人の顔が歪んだ。
レグルスは盤面に視線を戻す。
チェスが得意なわけではないが、父や兄が対戦するのを見て、状況を読む事くらいは出来る。既に黒がかなりの劣勢だ。
こんな短時間にどうして。レグルスは不思議に思うが、相手は執事である。
クリストフは本当に人間かと思うほど、有能である。父公爵の剣の師匠も、最終的には彼だというのだから、空いた口が塞がらない。
シェリオンは幼い頃「クリストフはできないことがあるの?」と訊ねた事がある。有能な執事はにっこりと微笑み「出産は出来ません」とのたまった。
三人で頭を寄せあい、次の一手を考えているが、これはどうも負けが決まっているように思う。レグルスは彼らを見る。
「投了しないのですか?」
「「「断る!」」」
「……あそんでくれるって、言ったのです……」
ぼそりとレグルスが呟けば、三人の動きが止まる。ぎぎぎっと立てつけの悪い戸のように、ぎこちなくレグルスに視線を移す。
拗ねているのかと思えば、レグルスは無表情だった。シェリオンが直感的に危険を悟る。
咄嗟に席を立ち、レグルスに視線を合わせる為、床に膝をついた。
「何して遊ぼうか?」
「……」
レグルスは首を左右に振る。シェリオンに向ける瞳に生気がない。
両手で顔を挟んで、額をつける。
「遊んでくれないの?もう嫌になっちゃった?」
レグルスは俯いてしまう。
シェリオンがなおも言葉を募ろうとすれば、レグルスが持ち上げられた。ハロンが父のやる様に抱き上げている。
後ろから執事の声がかかる。
「王手でございます」
「全く…手加減の一つもあっていいと思うんだがな」
「旦那様より、無粋な遠慮は不要と申しつけられております」
慇懃無礼な執事だと、ヴェルディは小さく呟いた。
チェスは終わりを告げ、抱き上げたレグルスの体から力が抜けるのを、ハロンは感じた。笑いかける。
「さて。とりあえずお前の部屋に行こうか」
「ぼくのおへや?」
「何か、遊び道具くらいあるだろ?」
「…ぼくのおへやには、おもちゃしかないですよ?」
「おもちゃがあれば充分だろ。行くぞ~!」
「お~?」
ハロンが片手を突き上げれば、レグルスも首を傾けながらそれに倣う。
レグルスを抱きあげたまま、ハロンは歩き出す。
「それにしても、重くなったなぁ」
「せいちょうしたと言ってください」
「にしては、相変わらず小さいなぁ」
「へいかと同じこと、言わないでください!」
声が遠ざかる。
シェリオンは安堵の息を吐き、立ち上がった。
「…随分と不安定だな」
背後から掛けられた声に、肩が跳ねた。落ち着かせようと、軽く目を閉じる。
「落ち着いていると思っていたんだけどね」
「…見た目では分からんな」
「本当に。振り回されてばかりだよ」
シェリオンは笑顔で振り返る。ヴェルディも、口元に皮肉な笑みを乗せる。
「心配するばかりではないのか」
「ここにいてくれるのなら、何でも受け入れるさ」
二人は改めて、ハロンたちの後を追いかけた。
誤字脱字の指摘、お願いします。
スマホで読み返していて、「誤字見っけ。後で直そ」と思うのですが、いざ直せる段階になると、どこだかわからないっていうね……orz