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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
42/99

揺らぐ心に巡る闇 1








 レグルスは眼を覚ました。

 辺りは真っ暗で、慌てて飛び起きる。すると、枕元のランプが反応して灯る。暗いうちに目を覚ますとパニックに陥るレグルスの為に、特殊な加工を施した魔具の灯りだ。

 レグルスはほっと息を吐くが、心臓はまだバクバクいっている。羊の枕を抱きしめた。

 時間は早朝というくらいなのだろう。外はまだ暗いが、動き始めている人の気配がする。

 侍従がそのうち起こしに来るだろうが、目はすっかり冴えてしまった。ベッドから抜け出す。

 魔具が部屋を適度な温度に保ってくれている為、寒くはない。寝間着のまま、庭へ出る事が出来る窓へと近づく。

 カーテンを僅かに開ければ、外は雪が積もっている。月明かりを反射して、闇に白さが際立っている。

 レグルスは窓を押しあけた。途端、外の冷気が入り込んでくる。身震いする。

 外の雪は、まだ降り続いていた。それに誘われて、外に出る。

 空を見上げれば、白い雪が次々と落ちてくる。それらは小さな光の粒のようだった。手を伸ばす。

 ざわめいた心が凪いでくる。

 レグルスは息を吐き出す。白い息が一瞬だけ空中に漂い、消えた。無表情だった顔に笑みが上る。

 レグルスは足元を見た。足が雪に埋もれている。何度か足踏みを繰り返した後、その場にしゃがみ込んだ。地面に積もった雪を集め、手の中で固める。


「♪」


 鼻歌を歌いながら雪を丸めて、まだ暗い庭で、一人遊び出した。






   ◆◇◆◇◆◇






「レグルス様!待ちなさい!!」

「や~ですよ~お」


 外から賑やかな声が聞こえる。窓から庭へ目を向ければ、白い雪を蹴立てて、末の弟が駆け回っている。追いかけるのは我が家の従僕たちだ。

 弟は灌木などを利用し、小回りを利かせて逃げ回る。奇声を上げ、楽しげにしているので問題はないが、従僕たちには早朝から苦労をかける。


「捕まえました!って、冷てぇ!!いつから外にいたんですか!!?」

「や~んっ」


 追いかけっこに終止符が打たれる。まだまだ体力の足りない弟はあっという間にへばり、動きが鈍ったところを首根っこを掴まれていた。尚も暴れて逃げようとするから、担ぎ上げられている。

 ブツブツと文句を言われながら、弟は私室へと連れ戻された。庭が静かになる。

 これは父との朝食に間に合わないだろうな。大分汚れていたから、今頃風呂に放り込まれているだろう。

 庭への窓を開ける。

 弟が駆け回った庭は、無数の足跡が残されている。その向こうに小さな雪だるま群。幾つ作ったのか。

 足跡は残るが、庭は深い雪に覆われている。ここ数年無かった大雪だ。

 …いや、ここ数年が暖冬だったのだ。積もる日数も少なかった。

 五年間、レグルスが生き延びたのは、暖冬も影響していたのかもしれない。何の暖房もないあの寒々しい塔では、凍死していてもおかしくなかった。

 雪を踏みわけ、雪だるまたちに近付く。本当に、一体何時に起きて、何体作ったのか。手のひらサイズの小さなものから、そこそこな大きさなものまで乱立している。


「ふふっ」


 思わず笑みが漏れる。

 小さな一つを手にとって、自室の傍へと持って帰った。






   ◆◇◆◇◆◇






 レグルスが食堂に現れた時、既に父と長兄は食事を終えていた。父に至っては、もうすぐ出勤の時間だ。

 父に抱えられたレグルスは、ようやく早朝の行為が軽率だったと気付く。しょんぼりと眉を下げた。

 父公爵がポンポンと背中を叩く。


「早く帰れるように努力しよう」

「夜はいっしょ、できますか?」

「…努力はする」


 父の言葉は、何とも心もとない。

 仕事で忙しい父に、我儘を言うのは憚られる。レグルスは父親に抱きつく事で、全ての返答にした。

 執事が呼びに来て、公爵は息子を下ろす。そして頭をクシャクシャと撫でた。レグルスはくすぐったそうに、首を竦める。


「行ってくる」

「いってらっしゃいませ」


 父公爵がちらりと共に朝食を取った長男を振り返る。シェリオンは僅かに眉を潜めた。


「朝議に遅れますよ」

「……ああ」


 何の攻防があったのか、父が少しばかり残念そうにしながら出ていった。

 レグルスが兄を見、首を傾げる。


「兄さまは、今日はお休みですか?」

「友人が来るんだ」


 シェリオンは微笑む。

 笑って誤魔化された気がして、レグルスはますます不思議そうな顔をした。だが、侍従に促されて食卓に付く。

 椅子に座れば、朝食が並べられる。今日のメインはジャガイモ入りのオムレツだ。卵料理の大好きなレグルスが、顔を綻ばせる。最近お気に入りの胡桃入りのパンに、温野菜のサラダが付け合わせに、同じ皿に載っている。

 レグルスは両手を合わせて「いただきます」と頭を下げる。そしてフォークを取った。オムレツに突き刺す。

 家族が揃う夕餐ではテーブルマナーも厳しく指摘されるが、朝昼は細かく言わない。オムレツもナイフで切ってからなどと、小言は控える。


 何しろ救出された直後のレグルスは、匙を握るくらいしか出来なかった。最初の食事で、おもむろにパンを千切りはじめたかと思ったら、それを全てスープの中に浸し始めた時は、シェリオンはただ驚くしかなかった。

 塔で出されていたパンは硬く、そのままでは到底食べられるものではないと知ったのは、この時が初めてだ。薄い塩水のようなスープに長時間浸して、初めて食べられるようになるのだと。

 後日、王太子と共に囚人の食事を試食したが、人の食べ物ではなかった。


 レグルスがくるみのパンを千切りながら、傍の侍従に訊ねる。


「姉さまと母さまも、もうたべちゃったですか?」

「奥様とお嬢様は、お部屋でご一緒されるそうです」

「二人だけで?」


 レグルスの眉が力なく下がった。千切ったパンを悲しげに見つめる。

 侍従が困った様子で、レグルスの顔を窺う。


「女性には女性同士で過ごす時も大事なのですよ。レグルス様を蔑ろにしているわけではありませんから」

「レグルスは、俺と一緒は嫌?」


 シェリオンが訊ねると、レグルスは慌てて首を左右に振った。

 女中がシェリオンに食後のお茶を持ってきた。彼はこのままレグルスの食事に付き合ってくれるようだ。

 レグルスはパンを口に放り込む。咀嚼して、飲み込むと同時に気持ちを切り替える。


「シェル兄さまといっしょするのも、ひさしぶりで、うれしいです」

「ふ…ありがとう」


 シェリオンは父より早く出る事が多い。レグルスがどんなに急いでも、朝は見送るだけだ。

 レグルスがニンジンにフォークを刺した。大きめのそれを一口で口に入れる。暫くもごもごと噛んでいたが、その顔に笑みが上る。頬に手を当てた。


「にんじん、おいしいです」

「レグルスは野菜が好きだね」

「おにくもおさかなも、大すきです」

「嫌いな物はあるの?」


 質問をすれば、レグルスは次の野菜を口に運びながら、首を傾げる。

 基本的に、レグルスは好き嫌いがないようだ。あまり食が進まないのは、辛い料理くらいだろうか。

 レグルスはオムレツにフォークを差す。柔らかいそれは、あっさりと崩れる。


「かたいパン?」


 思わぬ答えに、シェリオンの顔が強張った。胸の奥に湧き上がった苦いものを、お茶で流し込む。

 レグルスはオムレツをパンの上に乗せた。一口で頬張り、顔を綻ばせる。


「そのパンは美味しい?」

「はい!とっても」


 レグルスがにっこり笑う。シェリオンもつられた。

 食事の時は出来るだけお話をしながら、ゆっくりと食べましょう。

 食べ過ぎる傾向のあったレグルスにそう助言したのは、孤児院の司祭だ。元はそんなに食べる速度は速くなかった筈だと、彼は言った。助けられた直後の柔らかい食事で、早食いの傾向が出来てしまったのだろうと。満腹を感じる前に多く食べてしまうのだ。

 それ以来、レグルスには柔らかいものでもしっかり噛むようにさせている。今も一生懸命オムレツを咀嚼している。

 幸せそうな弟に、シェリオンは笑みを深める。

 食べ終わったレグルスは両手を合わせる。


「ごちそうさまです!」


 満足そうに笑うのだが、シェリオンには不思議に思う事がある。

 この作法は、誰が教えたのだろう。食事の前と後に、レグルスは必ず手を合わせる。発する言葉は食事に感謝するようなものだし、問題ないと放置しているのだが。

 レグルスが皿を下げる侍従を見上げる。


「ぼくにもおちゃをください」

「はい。すぐに」


 侍従からの合図に、女中が動く。テキパキと準備をし、あっという間にレグルスの前に湯気の上るカップが置かれる。

 レグルスは両手でカップを持つ。行儀が悪いが、片手で持つにはレグルスにとって、紅茶入りのカップは重いのだ。

 お茶を飲んで、レグルスはほっと息を吐く。そして再び侍従を見上げる。


「マリス。あとで弓のれんしゅうをしてもいいですか?」

「はい。準備をしておきます」

「今日は勉強はないの?」

「今日はお休みでいいですよって、エミール先生が言ってくれたのです」


 家庭教師は気を利かせてくれたらしい。

 思わず苦笑が漏れる。レグルスはキョトンとしていた。

 シェリオンは頬杖をつく。


「いつも一生懸命頑張っていると、聞いているよ」

「だって、がんばらないとおいつかないのです」


 褒めたつもりが、レグルスは眉を下げる。


「追いつかないって…誰に?」

「だれにというわけではないのですが…十さいにもなって、字も書けないなんて。はずかしいことなのでしょう?」

「…誰かにそんな事を言われたの?」

「だれもそんなことは言いません。おうちのみんなはやさしいのです」


 レグルスは知っている。家族も使用人も、皆が優しくて、弱い自分を守ってくれているという事を。

 そして、その優しさに寄りかかっていてはいけないのだと。


「ちゃんとしないと…おいだされてしまうかもしれないのです……」


 ぽそりと呟いたレグルスに、シェリオンは目を見開いた。


「そんな事しないよ。何でそんな事思ったの?」

「……」


 レグルスの眉は下がったままだ。

 シェリオンは、父親がまた何かを言ったのかと思った。が、すぐさまそれはないと否定する。たまに地雷は踏むが。

 レグルスはお茶を一気に飲み干した。椅子から飛び降りる。


「いいのです。がんばることは、わるいことではないはずです」

「レグルス?」


 小走りに扉へ向かう。まるで逃げるように、レグルスは食堂を出ていった。

 後に残されたシェリオンは眉を潜める。


「シードル。何かあったのか?」


 シェリオンは壁際に控えていた侍従に訊ねる。だが、彼は首を左右に振った。彼の表情もどことなく不安げだ。


「いいえ。何も訊いておりません」

「孤児院で何か言われたとか?」

「そこまでは分かりかねますが…あちらの子供たちが、レグルス様を傷付けるようなことを言うでしょうか?」


 子供は些細な事で喧嘩をする。その際に、取り返しのつかない悪口を言ってしまうものだ。

 だが、それであそこまで気にするとは思えない。

 シェリオンは思案しながら顔を歪めたが、考えても結果は出ない。小さく溜息を吐き、彼も席を立った。







 レグルスは庭に来ていた。侍従から弓を受け取る。

 浮かない表情のレグルスに、マリスは身を屈める。


「どうされました?シェリオン様と喧嘩でもされましたか?」


 レグルスは首を左右に振る。マリスを見上げ、泣きそうな顔をする。

 マリスはしゃがみ込んだ。


「…今日は練習、お休みしますか?」


 再びレグルスは首を横に振った。

 マリスは小さく息を吐く。微かに笑って、両手を伸ばした。レグルスの体を抱き込み、ポンポンと背を叩く。


「朝は元気一杯で、お庭を駆け回っていらしたのに…困った坊ちゃまですねぇ」

「……ごめんなさい……」


 小さな声が返ってくる。肩に頭が乗せられた。

 ただの侍従であるマリスが、幼いとはいえ貴族の息子であるレグルスに気安く触れることは、本来ならば許されない。けれど精神的に幼く、不安定なレグルスは、誰かに触れる事で落ち着きを取り戻すことが多い。家族が傍にいれば任せるが、この場にいるのはマリスだけだ。柄ではないが、役目はこなさねばならない。それ以上に、萎れたレグルスは見ていたくない。多少面倒でも、元気に走り回っていて欲しいと思う。


「大丈夫ですよ。何だかんだ言って、皆、レグルス様がここに居て下さるだけで嬉しいんですから」

「…ぼくが、にせものでも?」

「他に現れたら考えますけれど、レグルス様は今のところ、ここに一人いらっしゃる方だけですからねぇ」

「ほんものは、もっとすなおでかわいくて、字も書けて、弓だってもっとじょうずに使えるかもしれませんよ?」

「でも、そんな人いないでしょう?ここに居るのは貴方だけですから」

「ほんものは、もういないかもしれませんよ?」


 マリスは体を離し、にっこりと笑う。すっかり情けない顔をしているレグルスの頬を摘まんだ。


「偽者かもしれないという疑惑以上に、本物であるという確信を、この邸の誰もが持っております」


 レグルスが大きく目を見開いた。

 マリスが立ち上がる。そしてレグルスの体をくるりと回した。先には的が置いてある。


「さあさあ。今日も見事な腕前を披露して下さるのでしょう?」


 にこにこと笑いながら、レグルスに矢筒を渡す。

 それを腰のベルトに引っかけ、レグルスは再びマリスを見上げた。首を傾ける。

 何か言いたげな様子だったが、恐らく何も言うまいと、マリスは距離を取った。促す様に手を振る。

 レグルスが矢を取る。それを番える頃には、情けない表情は消えていた。






誤字脱字の指摘、お願いします。


やっと上がった……

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