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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
41/99

閑話 待ち人の約束






 誰もいない筈の部屋の扉が薄く開いていた。明かりも漏れている。そこから聞こえる、男女の声。

 執事は僅かに顔を顰めた。気配を消し、そっと扉に近付く。

 声が鮮明になる。女の方は泣いているようだ。


「…大丈夫。レグルス様もきっと祝福してくれるさ」


 この声は、シェリオン付の侍従だ。まだ年若いが、熟練者並みに仕事が出来る。両親共にこの邸に仕える使用人だった為、幼い頃から見習いとして出入りしていたせいだろう。

 女の方は、明日この屋敷を出ていく者か。王都から離れた街に拠点を構える商人のもとへ嫁ぐのだ。彼女の父もまた、この邸の主に仕える騎士だった。幼くして家族を亡くし、この邸で面倒をみるようになった。

 同じ使用人同士、仲は良かった。姉弟のような関係だった筈だ。


「だからセレン、幸せになりなよ?君の不幸を、この屋敷の誰も望んでないんだから」

「…ありがとう……でも、坊ちゃまは………」

「レグルス様が今どこでどうしてるかなんて、誰にも分からないんだ。それを気にしていたら、この屋敷の人間、誰も幸せになれないだろ?」


 後ろ向きな彼女を、彼は根気よく慰める。これではどちらが年上なのか、わからない。

 彼が言う。


「セレンが不幸になっていたら、レグルス様が悲しむよ」

「……」

「君が傍にいた間、レグルス様は確かに幸せだったと思う」

「…そうかな?」

「そうだよ。セレンはレグルス様の側にいて、不幸だった?あの時は、無かったら良かったと思う?」


 声は聞こえなかったが、恐らくは首を横に振ったのだろう。


「ほらね。じゃあ、幸せだったんだよ。だからいいんだよ。セレンは幸せになってもいいんだ」

「レグルス様が、今不幸だったとしても…?それでもそんな事、言える?」

「言うよ。だって、レグルス様が不幸な目に遭っているから、君が幸せになっちゃいけないなんて、旦那様も奥様も仰らないだろう?」

「そんなの、酷いわ!」

「酷いのは、セレンだよ」


 感情の起伏の激しい女に対し、彼は淡々としている。心がないと言わないが、どこか冷徹に聞こえた。


「セレンは、レグルス様が今、不幸に遭ってるって決めてる。違うかもしれないのに」

「そんな事……」

「じゃあ、どうして?俺はレグルス様が今、辛い思いをしているかもしれないなんて、考えたくもないよ」


 彼の声が微かに揺れた。

 室内に長い沈黙が下りる。




 この部屋の主がいなくなって三年。

 屋敷全体が沈みこむようになって、今もどこか重々しい。常に緊張感を抱かずにはいられず、それは使用人たちの間にも広がっていた。

 彼らはまた、特別だっただろう。

 幼い主の世話係だった彼女。そして成長に合わせ、傍仕えになるはずだった彼。

 彼女は奥方の側に控えるようになり、彼は鬱気味で取り扱いの難しくなった嫡男の傍仕えになった。

 新たな仕事に彼らが不満を口にするようなことはなかったが、心のどこかにわだかまりは抱えているだろう。




 微かな衣擦れの音がした。そして足音が続く。

 執事は闇の中に身を潜める。


「…もう、行くね。ごめんなさい、マリス」

「少しは、すっきりした?」

「うん。ありがとう」


 扉が開いて、女が出てくる。彼女は廊下に出ると、中を振り返った。


「マリス。レグルス坊ちゃまをお願いね?」

「え…?」

「きっと、無事にお戻りになられると思うから。その時は…ね?」


 彼女が首を傾けた。顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。


「分かった。約束する」

「レグルス坊ちゃまは大人しくて、手はかからないお子様だけれど……」

「俺が責任もって、護るよ。だからセレンは……」

「うん。幸せになるよ。優しい人だもの。きっといい旦那様になってくれるわ」


 彼女はふっきるように笑い、部屋から離れた。

 後から彼が出てくる。中の灯りが消され、手元に小さな明かりが灯る。

 微かな足音を立て、彼がこちらにやってくる。執事が息を潜めていると、彼がすぐ傍までやってきた。ふっと息を一つ吐きだす。


「悪趣味……」


 すれ違いざま、ぼそりと呟かれた。やはり気付いていたらしい。

 執事は仄かな笑みを浮かべたが、彼の姿が消えるまで動かずにいた。

 辺りが完全な闇に包まれる。


「さて…どうしましょうかね?」


 執事は愉しげに呟くのだった。





 翌日、真っ白なドレスに身を包んだ彼女は、王都の神殿で式を上げ、夫となった者と共に邸を去っていった。

 式には参列しなかったものの、彼は邸から馬車に乗り込む彼女を手伝い、笑って見送ったのだった。






   ◆◇◆◇◆◇






 夜、執事はシェリオンの部屋の扉を叩いた。返事があって、扉を開く。


「失礼します」

「クリストフ。どうした?」


 領地からの書類に目を通していたシェリオンは、少しだけ驚いた様子だった。

 クリストフは一礼する。


「マリスの件は……」

「ああ。うん、シードルに聞いたよ」


 傍にいたシードルが小さく頭を下げる。クリストフは頷いた。

 昼間、階段から飛び降りたレグルスを庇い、背中を強かに打ちつけたという。医師から数日安静が望ましいと言われ、しばらく休ませることになった。

 シェリオンが苦笑いを零す。


「弟がすまない」

「いいえ。お元気で何よりでございます」


 クリストフも笑顔で応えた。そして本題に入る。


「そのマリスなのですが、レグルス様の側付に置きたいと考えております」


 シェリオンの眉が跳ね上がる。書類を置き、真っ直ぐにクリストフを見た。

 僅かに緊張した空気が流れる。

 やがて、ゆっくりとシェリオンが口を開いた。


「…理由を、聞いても?」

「もともと、マリスはレグルス様に付ける予定でおりました」


 シェリオンは知らなかったのだろう。目を瞠った。

 シードルも驚いている。

 クリストフはそれらを無視して、淡々と続ける。


「シェリオン様にはいずれ、乳兄弟でもあるクレオをと、旦那様も考えておりました。ですがあのような事になり……」

「クレオって、無理があるよね?」


 シェリオンが口を挟んだ。クリストフは頷く。


「今にして思えば、無謀が過ぎました」


 クレオはシェリオンの乳兄弟であり、マリスの弟でもある。紛う事無き兄弟で、瞳の色以外は瓜二つ。最近は双子に間違われることもしばしば。

 しかし、性格は正反対である。気さくで親しみやすいが、真面目な性格であるマリスに対し、自由奔放の一言に尽きるクレオ。

 結局クレオは侍従にはならず、密偵をしている。今もどこかをふらふらしている筈だ。


「ですが、シェリオン様が拾われたシードルが、立派に育ってくれました」


 思いもかけず褒められたシードルは、気恥ずかしそうに視線を伏せた。

 シェリオンも得意げに笑う。


「俺の目に間違いなかっただろう?」

「マリスが驚くほど、頑張ったお蔭です」


 あっさりと否定する。

 途端にシェリオンは不満そうに口を尖らせた。子供のように体を前後に揺する。

 実際そうなのだ。文字さえ読めなかったシードルに、根気良く教育を施した。たった二つしか年も変わらないのに。


「そのせいで、マリスがすっかり年寄り臭く…まだ二十歳なのに」


 年の割に落ち付いていると言えば聞こえはいいが、言う事がいちいち古臭い。

 シードルが気まずげに視線を下げ、シェリオンが首の辺りを掻く。


「それは、うん…なんか、ごめんなさい」

「申し訳ございません」

「シードルが謝る必要はありませんよ」


 クリストフの表情が和らぐ。祖父が孫を見るような目だ。


「シェリオン様の側付は、シードルが担ってくれますから。もう、マリスが傍にいなくても大丈夫でしょう?」


 まるで刷り込みされた雛鳥のように、マリスの後を追いかけていたのはほんの五年前。

 シードルは僅かに顔を赤らめながら、小さく頷いた。

 マリスがここにいたら「だからその表情は、変態共を誘うから止めなさい」と注意されただろう。中性的で見目麗しいシードルは、どうにも厄介な人物を集めてくる。幸いにここには、そんなものに引っ掛かる人間はいないが。たまに出入りする商人が、時折陥落されている。

 シェリオンが息を吐く。


「そうだな…それなら、仕方ないか……」

「シェリオン様がお困りになるというのであれば、無理は言いませんが」

「いや。マリスの意思を優先してやってくれ」


 シェリオンが微笑む。


「俺なんかの傍仕えにさせられて、随分苦労しただろう。マリスが望むようにしてやってほしい」

「……かしこまりました」


 クリストフは一礼をした。

 そう言ったものの、マリスが自分から離れていくことを分かっているのだろう。視線をシードルへ向ける。


「シードル、これからよろしくね」

「はい」

「何かあったら今まで通り、マリスに尋ねるといいでしょう。レグルス様が単独で外出する事も、当分ありませんから」

「はい。お気遣い、ありがとうございます」


 シードルは丁寧に頭を下げた。

 クリストフは退出の挨拶をし、部屋を出た。そして自室で大人しくしているだろうマリスのもとへ向かったのだった。






   ◆◇◆◇◆◇






 朝。


 彼は扉を叩き、室内に入った。

 ベッドの上に座る小さな影に、彼は僅かに目を瞠った。


「おはようございます、レグルス様。もうお目覚めでしたか。遅くなり、申し訳ございません」


 のろりと影が動く。こちらを見て、首を傾げる。


「…おはよう・ござい・ます……?」


 寝惚けているのか、反応が鈍い。カーテンを開け、太陽の光を室内に入れる。眩しそうに目を眇めた。

 暫くして、もそもそと動き出す。ベッドから降りようと、端に移動している。

 彼は踏み台と室内履きを用意し、降りるレグルスに手を貸す。何とか降り立ったが、まだどこかぼんやりしている。


「本日から、このマリスがレグルス様の側付としてお世話させていただく事になりました」


 レグルスはマリスを見上げる。まだ眠いのか、焦点が定まっていない。


「私がいない場合は、クーとフェリトがお傍に控えさせていただきます。後ほど挨拶に参りますので、またその時に改めて紹介いたします」

「…マリス」

「はい」

「バロッグは、げんきですか?」


 今度こそマリスは本気で驚いた。目をまん丸にして、レグルスを見る。

 バロッグはマリスの父だ。レグルスが生まれた頃にはもう引退していたが、後進の育成で今も出入りしている。レグルスは彼の話が好きだった。若い頃、あちこちで無茶をしていた時の実体験の話が。

 だがもう五年も前の話だ。忘れられていると思っていた。自分との関係も。

 反応できずにいれば、レグルスが首を傾ける。


「マリス?」


 ハッと我に返る。何とか表情を取り繕う。


「ええ。元気ですよ。少々、鬱陶しいくらいに」

「…そうですか。また、おはなしを、きかせにきて・もらえま・すか?」


 そう言って目を細めるので、マリスも自然と笑顔になる。


「はい。伝えておきます。きっとすっ飛んできますよ」

「たのしみです」


 レグルスは頬に手を当てて笑った。






   ◆◇◆◇◆◇






 セレン。やっと約束が果たせるよ。

 だけどな。レグルス様、ちっとも大人しくないぞ。

 階段から飛ぶし、アルティア様と転げ回って遊ぶし。

 五年間で、何か変わったのかな?それとも、久しぶりに見るもの全てが、楽しくて仕方ないのかな?

 どちらにせよ、凄く元気だよ。

 だから心配しないで。

 それから、いつでも会いにおいで。ご家族も皆、君に会いたがってる。

 勿論、レグルス様が一番だけどね。

 あと、うちの両親も会いたがってた。めんどくさいけど、こっちに来たらついでに会ってやって。

 それから、もしクレオがそっちに行ったら、ぶっ飛ばしていいから。






 セレンは夫に体を寄せ、くすくすと笑う。


 春になったら、行きましょうね


 そう約束を取りつけながら。







誤字脱字の指摘、お願いします。


本編も頑張ってますよ。

書いては全消しを繰り返してるだけで……orz

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