舞台は回る 2
レグルスは母を見上げた。
「でもね。ぼく、おうたのいみがわからなかったのです」
「あら?でもそうね。今日は古典劇だから、言い回しが古くて、難しいわね」
「今日は、どんなげきなのですか?」
貴族の姫君と騎士の青年の恋物語だというのは、何となくわかっている。ただ、状況が分からない。
母と姉に説明を受ける。
聞いてみれば王道の話。貴族の姫が、騎士の青年に恋をする。青年も徐々に姫に惹かれていくが、身分が釣り合わない。それどころか、姫には王子との結婚の話が持ち上がってしまう。青年は身を引こうとし、姫は叶わぬ恋に嘆き苦しむ…というのが先程まで見た前半の話。
後半は姫を忘れられない騎士の苦悩と、忘れて王子と向かい合おうとする姫のすれ違いの話だという。
「…ひれんだときいたのです」
「悲恋と言えば悲恋だけれど…どうかしら?最後まで観てから、ね」
母は悪戯っぽく笑って、口元に人差し指を当てる。
レグルスは不満そうに顔を顰めたが、辺りが暗くなったので再び手摺へとしがみついた。
相変わらず言い回しは古くて、レグルスにはなかなか理解できない。メロディーだけを追っていく。
姉お気に入りのユージェルという役者の声は、綺麗だが、やはり気に入るまでには至らない。姫役の声も華やかだが、それよりは侍女役の女性の声に惹かれた。傍仕えの騎士の低く響く声がやはり好みだが、それ以上に、後半から出てきた国王役の声が圧倒的だった。
そこでレグルスは気付く。自分はあまり高い声より、しっとりと落ち着きある声や、重低音の迫力ある声が好きなのだと。なる程、それでは姉と気が合わない。
劇は終幕に近づいていた。
隣国が攻め入って来て、騎士は戦へと赴く。姫の婚約者である王子も出征することとなり、結婚式は先延ばしになる。姫は王子の無事を祈りながら、こっそりと騎士に会う。そしてこれが最後と、無事を願い自分のスカーフを渡す。
ちなみに、今も戦場へ向かう夫や恋人に無事を願って、自ら刺繍を施したハンカチやスカーフを渡すという風習は残っている。
騎士はそれを胸に、過酷な戦場へ立ち向かう。だが混戦の中、旗印である王子を庇って死んでしまうのだ。そして王子は、愛する婚約者に想い人がいたことを知る。
幸いにも戦は勝ち、王子は無事に姫のもとへと戻る。既に騎士の死を知っていた姫は悲しみを押し隠し、王子の無事を喜んだ。そこで王子は彼女が騎士に与えたスカーフを見せ、姫の想いを踏みにじった事に謝罪をする。そして約束するのだ。騎士に代わり自分が姫を守る、必ず幸せにする、と。姫は悲しみを顕わにしながらも、王子の求愛を受ける……という話だった。
(どちらかといえば、ひれん、ですねぇ……)
騎士、報われず。途中、姫を連れて逃げようともするのだ。だが、姫は頷かなかった。
「たしかに、きぞくのおひめさまがかけおちしても、せいかつできませんよねぇ」
「レグルス、そこじゃないわ」
後ろから姉の冷静な突っ込みが飛んできた。
「お前は夢がないわ」
「へいみんに、きぞくのせいかつは、くぎょうだそうですよ」
「だから、そこじゃないの!」
アルティアの鉄拳制裁がレグルスの頭上に落ちた。
「母さまぁ、姉さまがたたきます~!」
「あらあら」
母は息子を抱きしめる。そしてやんわりと娘を宥める。
「アルティア、めっ」
「レグルスが悪いのよ!」
アルティアは納得できず、頬を膨らませる。そして母にしがみ付く弟を睨みつけた。
年が近いせいか、性別の違いのせいか。アルティアとレグルスは普段は仲が良いが、こうやって些細な喧嘩もする。天然なレグルスの発言が、時折アルティアの短い導火線に火を点けるらしい。短気なアルティアは手も早い。強くはないが、度々レグルスを叩く。そしてレグルスは傍の大人へと泣きつくのだ。
母はレグルスの額を突く。
「お前も。女性を怒らせるものじゃありません」
「うぐ…姉さまのおこるポイントが、よくわからないせいです……」
「男の言い訳は見苦しくってよ」
レグルスが完全に黙った。
こう言われれば、レグルスは反論できない事を、母は知っている。クスクスと笑う。そして、勝ち誇ったような顔をしているアルティアにも、改めて注意する。
「弟でなくとも、そう簡単に手を上げるのは感心しませんよ。アルティア」
「だって!」
「淑女たるもの、常に優雅にあらねばなりません。たとえ相手が家族でも、人を叩くなんて」
今度はアルティアが沈黙する番だった。気まずさに母から目を逸らせば、母に抱きつく弟と目が合う。しばらく見つめあったが、そのうちにどちらともなく笑みが漏れる。
「…ふっ」
「うふふっ」
声を出して笑い出す。
アルティアが背中越しにレグルスに抱きつけば、レグルスは反転して抱きしめ返す。
「姉さま、ぎゅー」
「ぎゅっ!」
何が楽しいのか、きゃっきゃと笑いあう。この二人は喧嘩しても、殆ど謝らない。そうせずとも、あっという間に和解してしまう。
レグルスの傍にいる時間が一番長いのが、成人前のアルティアである。だが、この二人に会話は殆どない。アルティアの花嫁修業の傍らで、レグルスが本を読んだり書き取りをしていたり。たまに会話をしては、レグルスの素っ頓狂な答えにアルティアの手が出る。そしてレグルスが執事や侍従に泣きつき、宥められる。だが最後は二人で笑いながら、コロコロと仲良く転がっている。
そんなものなのか、この二人が特殊なのか。
母は微笑みながら立ち上がった。
「さ、帰りますよ」
「「はぁい」」
子供たちの声が唱和する。アルティアはレグルスのローブを整え、当然のように手を繋ぐ。レグルスも嫌がらない。
先程までの不満そうな表情を窺う事は出来ない。
そんな二人を従えて席を出れば、ホールは人で溢れていた。レグルスはその人の多さに怖気づいたのか、姉の手に縋りつく。
アルティアは笑った。
「役者たちが見送りに出ているのよ」
「みおくり?」
レグルスが首を傾げれば、アルティアが指差す。その先には豪華な衣装が見えた。驚くほど濃い化粧の顔も。
レグルスは小さな感嘆の声を上げた。だが人混みが怖いのか、姉から離れようとしない。
アルティアは辺りを見回す。
「あ!ホラ、あそこ。あなた一押しの騎士役の人!」
メインの騎士の傍仕えの騎士。劇中で彼は主の死後、王子に従う騎士として生還したようだ。
弟の手を引っ張って行こうとすれば、抵抗された。アルティアは振り返る。
「レグルス?」
「人がいっぱいは……」
「大丈夫よ。行きましょ!」
天真爛漫に言われては、レグルスに逆らいようがない。母を振り返れば、笑顔で頷かれる。渋々姉に付き従った。
騎士役の彼は、数名の貴婦人に囲まれていた。それほど重要な役ではないが、やはり人気のある役者のようだ。傍で見ればやはり濃い化粧だが、体つきはがっちりしていて、本物の騎士と見紛うばかりだ。
アルティアはその女性陣をサラリと抜ける。
「こんにちは。今日の舞台、とても素敵でしたわ」
「これは可愛いお嬢様。私のような端役にお声をかけて頂けるとは、光栄です」
「格好良かったですわ。弟が貴方の声を気に入ったようですの」
アルティアはにっこり笑って、陰に隠れるように立つ弟へと視線を促した。
彼は一瞬目を瞠った。だが、すぐに笑顔に戻る。そして身を屈める。
「今日の演目は、少々難しかったでしょう?つまらなかったのではありませんか」
レグルスは首を左右に振る。恐る恐る、口を開く。
「おうたのいみは、よくわからなかったですけど…きれいなお声がいっぱいで、たのしかったです」
「他の役者たちも喜ぶでしょう」
彼は笑みを深くする。
レグルスはほっとしたように息を吐いた。アルティアが困った様子で、頬に手を当てる。
「ごめんなさい。弟は人見知りが激しくて……」
「いいえ。今のお言葉だけで十分です」
「レグルス?役者の方々とお話出来る機会は、滅多にないのよ?いいの?」
レグルスははっとしたように顔を上げた。役者の彼と目が合う。すぐに逸らして、姉を見る。
「姉さまこそ。お気に入りの…ええっと、ユージェル様?はいいのですか?」
「ちょ…っ!」
慌てて弟の口を塞ごうとすれば、彼が笑い声を上げた。周囲の婦人たちからも。
アルティアは真っ赤になって、弟を睨んだ。レグルスはギュっと姉の手を握る。
「呼びましょうか。ユージェルは……ああ、いたいた」
「え?そんな…!」
アルティアが止める暇もなく、彼がユージェルという役者を呼んだ。
ユージェルは大勢の女性に囲まれていた。伊達男の名は噂通りで、サラリといなして彼らの方へとやってくる。後ろに女性を従えて。
「フィル、呼んだか?」
「呼んだ呼んだ。こちらのお嬢様が、君のファンだそうだよ」
「それはそれは…どちらの姫君でしょうか。御名を伺っても?」
アルティアは耳まで真っ赤になっている。手を取られ、小さな声で名を告げる。
ユージェルはにっこりと笑う。
「アルティア姫。こんな可愛らしい方に応援して頂けるとは、光栄の極みです」
そう言って、とった手に軽く口づける…ふりをする。未婚の女性に軽々しく触れることは許されない。大抵真似だけで、本気でする輩はただの田舎者。
それでも後ろからは黄色い悲鳴が上がり、アルティアは今にも倒れそうだ。
確かに、目鼻立ちの整った貴公子然とした役者だ。甘い顔に惑わされる女性は多いだろう。声も何だか甘ったるくて、レグルスは胸やけを起こしそうだった。
「姉さま、しっかり」
倒れそうな姉の背を軽く叩けば、ユージェルの視線がこちらを向く。フードを被ったままのレグルスを、不思議そうに見る。
「小さな魔術師さん、かな?」
「ちがいます」
レグルスは咄嗟に返していた。些か素っ気なくなったのは仕方ない。
ふっとユージェルが笑う。
「さながら、姫を守る騎士でしょうか?弟君」
「はじめまして。レグルス・グランフェルノです」
辺りがざわめいた。役者たちの表情も一瞬強張った。
だがユージェルはすぐに面白そうな笑みを浮かべる。
「お噂はかねがね…お会いできて光栄です」
「ぼくも、今にんきのやくしゃさまとお話できて、うれしいです」
フードの奥で笑みを返す。その肩に手が触れた。
レグルスが振り返れば、微笑みを浮かべた母がいた。その後ろには支配人がいる。
「子供たちが失礼を」
「いいえ。礼儀正しいお子様方で、感心させて頂いておりました」
ユージェルが姿勢を正す。女誑しの彼でも、ここまで高貴な女性にどうこうという空気は出せない。
支配人が間に入る。
「フィル・ディッケル。グランフェルノ家の若君は、甚く君をお気に入りだそうだよ」
「光栄です」
フィルは深く頭を下げる。
レグルスは母が傍に来て緊張が解けたのか、今度は彼にも笑いかける。
「ていおんが、とってもきれいなのです。地のお声もかっこいいです」
「…ありがとうございます」
「おとしをめせば、きっともっと、しぶくてふかみのあるお声になるのです。たのしみなのです」
口元に手を当て、うふふと笑う。
フィルは目を見開いて、レグルスを凝視していた。ユージェルに脇腹を小突かれ、はたと我に返る。
支配人がくくっと苦笑を洩らす。
「レグルス様は先物買いの名人であられる」
「そうでしょうか?」
レグルスが首を傾ければ、支配人が身を屈める。
「女性陣は如何です?誰か、お気に召す声の持ち主はおりましたか?」
「おひめさまのじじょやくの方のお声がすきです。おちつきがあって、きれいでした」
「ふ…っ」
「でもいちばんは、こくおうさまです!」
「ぶふっ」
支配人が噴き出した。ユージェルが「オッサンに負けた…」と呟けば、隣のフィルが肩を叩く。
レグルスは何故笑われるのか解らず、首を傾げる。姉を振り返れば、呆れた顔をしている。
支配人が言った。
「国王役のエルド・ファーレンは、当代きっての名優ですからね。お気に召すのも当然です」
「はくりょくあって、すごかったのです!」
興奮気味に話せば、彼らが辺りを見回す。そして揃って手招きをするのだった。
暫く男性陣で話せば、すっかりレグルスは打ち解けた様子だった。エルドは孫を見るように、レグルスを可愛がってくれた。
支配人が訪ねる。
「そういえば、エルドはリスヴィアの国王陛下に似せるようにと、演じていたのですが…如何でしたか?」
「…へいかは、こんなにいげん、ないですよ……」
「そうですか?私どもは祭りの際、遠目に拝顔することしか適わないのですが……」
「レグルス様から見た陛下は、どんな方ですか?」
「人のさらから、ベーコンうばいとるような方です」
以前、父と一緒に昼食を相伴した時を思い出す。付け合わせのベーコンを、レグルスから取った。ショックを受けたレグルスは、国王からデザートのムースを半分ほど奪ってやったが。
そんなやり取りをしている国王は、レグルスにとって畏敬の対象ではない。敬わねばならないのは分かっているが、畏まらねばならない意味が分からない。
何とも言えない表情になる役者陣に対し、支配人はくつくつと笑うのであった。
暫く歓談した後、帰路につく為、防寒具をはおる。母と姉は知り合いと話しこんでいる。
馬車が回ってくるまで時間があったレグルスは、少しだけ建物の外に出てみることにした。出入り口から、数歩出るだけだ。
外は大分暗くなってきていた。ちらほらと、街灯が点っている。そして小雪が舞っていた。
ぶるりと身震いする。
空は暗いが、街灯に雪が反射して仄明るい。
くるりと一回転して雪と踊る。足元の新雪が舞い上がる。その様子に、レグルスは笑みを洩らす。
(……)
誰かに呼ばれた気がして、レグルスは足を止めた。耳を澄ますが、声は聞こえない。建物の中かと思って戻ろうとすれば、また呼ばれた。
(そと?だぁれ?)
レグルスは導かれるまま、劇場から離れていったのである。
通りにはまだ多くの人が行き交っている。子供が一人でいても、まだそんなに危険はない。
声は遠く、そしてとても近くに聞こえる。ふらふらと大通りを過ぎ、やがて大きな橋へとぶつかった。下には川が流れている。
橋を渡ろうとしたレグルスは、声がその下から聞こえる事に気付いた。欄干から下を覗き込む。それほど汚れていない筈だが、夕闇に昏い水がゆったりと流れていた。
(…テ……シュ……)
確かに聞こえた。遠くに。それでもすぐ傍に。
レグルスは思わず呟いていた。
「……シルヴァン………?」
水面に手を伸ばす。当然届くわけがないのだが。
突然体が後ろに引かれた。驚いて振り返れば、グランフェルノ家の御者がレグルスの体を掴んでいた。
「坊ちゃま、危ないです!落ちたらどうするつもりですか!?」
「リッティ…?」
リッティはレグルスを立たせると、ケープについた埃を払った。橋の欄干に身を乗り出したせいで、少し汚れたらしい。
そして険しい表情で、レグルスを見たのである。
「どうされました?何か落とされましたか?」
レグルスは首を左右に振る。だが今にも泣き出しそうな表情だ。抱きつけば、リッティはうろたえる。今までの厳しい表情は消え、心配そうにレグルスの顔を覗き込む。
「レグルス様…?迷子になられて、驚いてしまったのですか?」
違う。レグルスは再び首を左右に振って、俯いてしまった。
リッティはレグルスの手を引く。そして大通りを通り、劇場まで戻ったのである。
劇場では突然いなくなったレグルスに、大騒ぎになっていた。憲兵隊に捜索願を出す直前だった。
無事に戻ったレグルスに、母は盛大に怒った。が、項垂れるレグルスは、何の反応も示さず、逆に更に心配をかけてしまった。
馬車の中で、アルティアがぎゅうぎゅうと抱きしめる。レグルスは疲れたのか、姉に凭れかかる。
「…眠い?寝ちゃっていいわよ」
「……」
レグルスは何も言わず、目を閉じる。
目を閉じれば、暗い水底に沈む剣が見える。
(タスケテ、ゴシュジンサマ――!)
そう言って、歴代の主たちを呼ぶ、白銀の剣。
声はどんどん遠ざかる。そしてレグルスの意識も闇に呑まれた。
眦から雫が落ちる。アルティアはそっと拭った。
「眠っている時は、時々泣くの」
フードを外したレグルスの頭を撫でる。
「泣くの。ポロポロ泣く時があるの」
アルティアは夜、レグルスと一緒に眠ることがある。家族には内緒だ。
レグルスが泣けない事は、周知の事実だ。本人がはっきり口にしたことはないが、様子を見ていれば分かる。
だが、夜中に眠りながら泣く事があった。それを真っ先に知ったのは、アルティアだ。本人には言えず、母にも相談できず、父にだけ打ち明けた。
公爵夫人は小さく頷いただけで、姉の膝で眠る息子の顔をじっと見つめた。
◆◇◆◇◆◇
レグルスは黒髪の青年の膝の上にいた。泣きじゃくった挙句に、レグルスは鼻をすすりあげる。
あんまりに酷い顔に、青年が笑う。
「ほら、もう泣かないで…シルヴァンの行方が知れただけでも良かったとしましょう……」
「あんな仕打ちはあんまりです!貴方は何とも思わないのですか!!」
青年は困ったというように、眉を下げる。何とか宥めようと、レグルスの頭を撫でる。けれど、くしゃりと顔を歪めて再び泣き出されてしまう。
ずっとこんな様子で、彼は叩き起こされた。ここで号泣されれば、どうやったって彼は目を開けざるを得ない。少しだけ大きくなった体を膝に乗せ、ゆらゆらと体を揺らす。
レグルスが見つけた、川底に沈む双剣の片割れ。声は遠く、酷く聞こえづらいのは、何らかの魔法要素が絡んでいるとみられる。懸命に助けを呼ぶ声は、レグルスの弱った魂を、更に傷付けていた。
青年は泣きじゃくるレグルスを抱えなおす。
「いつか必ず取り戻します」
「いつかって、いつですか!」
「いつかはいつか。それは貴方次第です」
静かに微笑みながら、有無を言わせぬ言葉。
レグルスは唇を引き結んだ。涙を堪えるように。
そんなレグルスの頭に頬を寄せる。
「これは貴方の人生。あれらは貴方の物。貴方が頑張るしかないのですよ」
「……リョーヤは、助けてくれないですか……?」
レグルスは鼻をすする。彼は首を左右に振る。
「私に出来る事は殆どありません」
「リョーヤのお師匠様は、助けてくれませんか?あの人のせいなのでしょう?」
青年は苦笑する。あの日記は彼にも伝わっている。
「あの薄情者を当てにしてはいけません」
レグルスの顔が苦々しく歪む。彼は微笑むだけだ。肩に縋って再び泣き出せば、彼の手が頭を撫でる。
「いつか取り戻します。シルヴァンだけではなく、シュバリエも」
レグルスは頷いた。けれど悔しさから、涙が止まらない。
手を伸ばせば届きそうな距離。けれどどうしても埋まらない距離。
泣いて泣いて、結局彼に子守歌まで歌わせて、レグルスはようやく安らかな眠りに落ちていった。
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