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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
39/99

舞台は回る 1






 母が確認をするように、ケープのリボンをしっかりと結ぶ。


「今日は寒いから、ちゃんと合わせてね」

「はい、母さま」


 レグルスはフードの奥で笑う。手にもしっかりとミトンがはめられている。

 母がその手を取る。執事を振り返った。


「行ってくるわ。後はお願いね」

「どうぞお気をつけて」


 執事は腰を折り、彼女たちを見送った。

 馬車に乗り込めば、隣に座った姉が体を寄せてくる。


「今日はね、冬の特別公演なのよ」

「とくべつですか?」

「そ。冬の間、殆どの貴族は領地に戻ってしまうでしょう?だから、王立演劇場は殆ど開かれないの」


 レグルスは今日、母と姉に連れられて、歌劇を見に行くことになった。残念ながらグランフェルノ家の男性陣に観劇の趣味は無い。父と兄達には断られた故の人選だ。

 姉はうっとりとした表情で、今日の劇を楽しみにしている。


「今日はね、王都でも人気の歌手が出るの!」


 と言われても、レグルスにはさっぱりだ。事前にエミール先生に予習させてもらったが、歌劇の成り立ちや演目の背景などがメインで、役者に関しては特にこれと言われなかった。

 レグルスは首を傾ける。


「姉さまも、そのやくしゃさんが、お気に入りなのですか?」

「ええ!だって、とっても恰好良いのよ」

「見た目ですか」


 レグルスが肩を落とせば、アルティアは頬を膨らませる。

 二人の母はクスクスと笑った。


「そう言うものではありませんよ、レグルス。ちゃんと実力もある方ですからね」

「ほんとうですか?」

「ええ。とても綺麗なお声なのよ。それこそ、若いお嬢様を一様に虜にするくらい、ね」

「……母さまも?」


 そう問えば、母は目を丸くした。それからふふっと笑う。


「そうね。二十年若ければ、そうなっていたかしら?」

「あら、お母様は違うっていうの?」

「うふふっ。お母様はお父様の虜だもの。他の男性が入り込む隙なんてなくてよ」


 両手を合わせて微笑む母に、子供たちは顔を見合わせた。そして首を左右に振るのであった。

 姉が弟に顔を寄せる。


「知ってる?二人が初めて出会った時、お母様、お父様に引っ叩かれたのよ」

「え?」

「それがこうなるなんて、だれが予想できたのかしらね」


 目をまん丸にするレグルスに、アルティアは呆れた様子で言った。

 父が母を叩いた?逆じゃなくて?

 レグルスが頭に疑問符を撒き散らしているうちに、話題は移っていく。そしてそのまま演劇場へと到着してしまうのである。



 演劇場は、前に訪れた催事場とはまた趣が違う。何というか、煌びやかで華やかである。

 足元に敷かれた絨毯や、光を放つシャンデリアに、壁に直接描かれた絵画たち。

 さすがに今回はポカンとしたままにならず、レグルスは自分でケープを脱いだ。勿論、下には薄手のローブを纏っている。同じように劇場の職員には驚かれたが。


「これはこれは!ようおいで下さいました、グランフェルノ公爵夫人!!」


 見知らぬ男性が、大仰に出迎えてきた。

 レグルスがとっさに姉の陰に隠れれば、夫人は慣れた様子でにっこりと微笑んだ。


「こんにちは、支配人」

「お越しくださり、光栄です。今日の演目は渾身の力作です。ぜひお楽しみください」


 劇場の支配人である男は、少々芝居がかった仕草で一礼をする。笑っているが、眼鏡の奥の細い瞳は冷たいままだ。

 レグルスは姉から離れ、母に抱きついた。支配人の男を見上げる。

 男は糸目をレグルスへと向けた。丁寧に腰を折る。


「レグルス様でいらっしゃいますね。こちらにいらっしゃるのは初めてでございましょう。楽しんで頂けると幸いなのですが……」

「ふふっ。観劇は好みが分かれるものね」


 母の手がフード越しに頭を撫でる。

 その間もじっとレグルスは男を見つめている。眼鏡の奥の瞳を。

 支配人が首を傾げれば、レグルスも同じように首を傾ける。ふっと丸眼鏡の奥が和んだ。


「私の顔に何か?」

「きれいなオレンジ色なのです」


 レグルスは言った。男の顔に手を伸ばす。


「テュールさまと同じ色です」


 フードの奥でレグルスは笑った。

 男の髪は茶金色で全く違う。だが、細目の奥の色はオレンジの強い薄茶色だ。

 レグルスはこの色が好きだ。どうして好きなのかは分からないが、テュールの時も思わず見惚れたほどだ。

 支配人が困った様子でレグルスの手を剥がした。


「テュール様とおっしゃるのは、バルトグレイム家の……?」

「ごぞんじですか?父さまのひしょかんなのです」

「ええ。まあ……」


 支配人は歯切れ悪く答えた。じっとレグルスを見つめる。

 レグルスも見つめ返す。


「きれいな色……いいなぁ……」

「そんな良い物ではないのですがね」


 支配人は自嘲気味に笑い、フードの下を覗き込むようにしゃがみ込む。

 レグルスは首を傾けた。伸ばされた手に抗わず、フードを外される。青銀色の髪が顕わになった。


「レグルス様も、お父上と同じお色なのですね」

「……ほんとうは、母さまと同じがよかったのです」

 

 レグルスはフードを被りなおした。目を瞠る支配人に、笑って口に人差し指を当てた。


「ないしょ、なのですよ」

「その色はお気に召しませんでしたか?」

「だって、よわそうじゃないですか?」


 緩く束ねた髪の先端を摘まむ。未だ腰まである長い髪は、相変わらず邪魔で、侍従に必ず纏めてもらっている。


「きれいですけど…ぼく、ヴィーにいさまみたいな、つよそうなきしさまになりたかったです」

「騎士の強さに、外見は関係ないでしょう?まして、髪や瞳の色なんて……」

「だってかおは母さまにで…さいきん、きれいになったって言われるのです。くつじょくです……」


 支配人は危うく噴き出しそうになった。口元を押さえ、顔を逸らす。

 レグルスは頬を膨らませた。

 そんなレグルスの頭を撫で、立ち上がる。姿勢を正す。

 確かにまだ痩せこけた形跡が残り、手も足も細い。けれど細身の面は、母親似で麗しい。将来は美貌の貴公子となるだろう。勇壮な騎士とは対極に位置する。


「綺麗なお色ではありませんか。私は好きですよ」

「ぼくは、しはいにんさんの色がよかったのです」


 そう言って口を尖らせるレグルスに、支配人は腰を折る。


「無い物ねだりですね。お互いに」

「はい」


 レグルスが真面目な顔で頷けば、支配人は笑みを深くする。

 再び公爵夫人に向き直る。


「長々と失礼いたしました。それではごゆるりとお楽しみください」

「ありがとう。息子がごめんなさいね」


 母が悠然と微笑めば、支配人は一礼して、その場を去っていく。

 レグルスは後ろから姉に抱きつかれた。


「レグルス、めっ」

「めっ?ぼく、ダメなことしましたか?」

「アルティア」


 叱る姉に困惑する弟。そんな姉を母が窘める。

 母はレグルスの手を引き、早めに席に着く事にした。勿論、劇場後方のボックス席だ。

 椅子に座ったレグルスは、母と姉の様子がおかしい事に気付いていた。


「…母さま」

「なぁに?」

「しはいにんさんは、テュールさまのごきょうだいですか?」


 母は困ったように笑った。レグルスにとって、それだけで十分だ。

 レグルスが溜息を吐く。


「バルトグレイムこうしゃくさまは、じょせいのてきですか」

「…そうね。そういえば、まだ聞こえはいいわね」


 母の声は淡々としている。反対側の姉は渋い表情だ。

 貴族の子弟が王立劇場で支配人を務めるわけがない。もっと下級貴族ならともかく。


「テュールさまも、しょうふく、ですか?」

「そうよ。あの子のお母様は地方貴族のお嬢様で、王宮で行儀見習いとして、侍女をしていたの」

「…こうしゃくさまのおくさまは?いらっしゃらないのですか?」

「いいえ。ご健在よ。この方が出来た方だからテュールはバルトグレイムに引き取られたし、あの人もちゃんとした教育を受けられたの」


 バルトグレイム侯爵夫人とは、今も付き合いがある。だから、その苦労はよく知っている。

 愛人はともかく、被害女性に親身になり、生まれた子供を引き取ったり、場合によっては養子に出したり……生活だけでなく、望めば子供を学校に通わせる資金援助もした。

 思わず長い溜息が出てしまう。


「テュールさまには兄がたくさんいるって、父さまが言っていたのです」

「ええ。正妻である夫人との間に二人。その他にも沢山。弟もいるわよ」

「…ぜんぶ男の子ですか!?」

「女の子もいるわよ。侯爵夫人との間にはいないけれど、テュールには姉と妹も沢山」


 総勢何名なのか、把握しているのは侯爵夫人と執事のみだ。

 レグルスは行儀悪く、椅子の端に踵を乗せ、膝を抱える。


「くたばれ、女のてきです」

「そうね。だからアルティア、バルトグレイム侯爵様に近付いちゃ駄目よ」

「姉さまもたいしょうですか!?」

「女性なら年齢問わずよ」


 母の目が剣呑だ。レグルスは表情を引き攣らせ、アルティアは強張らせた。

 未だ開かない舞台を前に、アルティアがポツリと言った。


「どうして離婚されないのかしら……」

「したらもっと大変なことになるでしょう?ご存じなのよ」


 出来た侯爵夫人というより、同情を禁じ得ない。あんな男に嫁がされたばっかりに。

 バルトグレイム侯爵は、何だかんだ言って、見た目は良いのだ。あの顔に甘い言葉を吐き出されれば、今でも大抵の娘はころっと騙される。

 レグルスは足を下ろす。ぷらぷらと揺らす。


「とりあえず、アレですね」

「そうね。死ねばいいのに、ね」

「きっと、ふくじょうしですよ」

「最低ね。でも、あり得るわね」

「さもなきゃ、ねやでさされるのです」

「それもアリね」


 物騒な会話をする姉弟に、母は額に手を当てただけで済ませた。






 会場の照明が落ち、舞台の幕が開く。

 今日の演目は、悲恋の古典舞台だ。言い回しも独特で、レグルスには少し難しい物だった。

 レグルスは早々に椅子から降りると、手摺へつかまる。


「身を乗り出しては駄目よ」

「はぁい」


 母に注意されれば、顔を手摺の上に乗せるに留める。

 レグルスはじっと舞台を見つめる。華々しい舞台だが、遠くて役者の顔までははっきりと見えない。それでも食い入るように見入っていた。


 一幕が終わり、舞台が暗くなる。客席へと照明が戻った。会場にざわめきが満ちる。レグルスのいるボックス席も、サイドに設えられた魔具に灯りが点った。

 レグルスが母を振り返った。両手を頬に当てる。


「すごいのです。きれいなお声なのです……」


 ほうっと溜息を吐く。

 アルティアが我が事のように、胸を張る。


「そうでしょう、そうでしょう。ユージェル様は奇跡の歌声とも呼ばれる程、美声の持ち主なのよ!」

「そのユージェルさまというのは、主人公のお相手のきしさま役ですか?」

「そうよ!あのお声に、整ったお顔!!とっても素敵な方なんだから」

「ぼく、その人のそばにつかえている、きしさまのお声がすきです」


 レグルスは母に抱きつく。頭を撫でられれば、ふにゃりと顔を緩める。

 アルティアが不満そうに弟を睨んだ。


「もうっ。ユージェル様の良さが分からないなんて!」

「う~ん…ぼくはその人のお声は、けいはくそうで、あんまりこのみではないのです」

「まあっ」


 生意気な弟の頬を摘まむ。レグルスは顔を歪めた。


「姉さま、や~!」

「アルティア。苛めないの」

「だって、お母様!」


 母の陰にレグルスが隠れる。頬を抑える。


「ぼうりょくは、いけません」

「躾よ」

「ううっ、姉さまがいじわるです」

「女性に逆らうと、こうなるのよ」

「母さままで!」


 衝撃を受けるレグルスに、口元に扇を当て、母はうふふと笑う。フードを外し、肩を抱き寄せる。


「でも、レグルスは傍仕えの騎士役の方が気に入ったのね?」

「はい。とってもかっこいいのです」

「そうね。男らしくて、素敵な声だったわ」

「え~、そお?むさ苦しくて、私は嫌だわ」

「あらあら。そこがいいのよ。男の子なら憧れる騎士像じゃないかしら」

「…そういうもの?」


 アルティアは首を傾げれば、レグルスは何度も頷く。

 細身で整った顔立ちの騎士は、確かの女性たちに騒がれる。だが、少年達の憧れは大抵、いかつくて強い騎士たちだ。

 レグルスも例外ではない。


「『ぐれんのきしだんちょう』より、『ごうかのきし』の方がかっこういいです」

「副団長様なの!?団長様じゃなくて!!?」


 紅蓮の騎士団長は赤燕騎士団の騎士団長、劫火の騎士は副団長の異名である。

 騎士団長は勿論人並み外れた剣技の持ち主だが、どちらかと言えば知略で有名な人だ。その傍にある副団長は団長の盾とも言われる程、筋骨隆々の騎士である。騎士団の訓練を見に行った時に彼らに会ったのだが、レグルスは副団長の方に憧れを持った様子である。

 レグルスは自分の細い腕を見た。


「ぼくもああなりたいのです」

「や~め~て~!折角お母様に似たのに!!お父様譲りの髪と瞳なのに!!」

「びじんといわれるのは、男としてくつじょくです!」


 母を挟んでの姉弟喧嘩を、母は微笑ましく見守るのだった。






誤字脱字の指摘、お願いします。

お気に入り登録、評価、ありがとうございます!


観劇の云々はよくわからないので、適当です。オペラも見たことが無いので、適当です。

実在の演劇をやっちゃうと面倒なので、古典劇とか言いつつ作者の適当です。

その辺は突っ込んじゃイヤです。

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