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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
36/99

貴族のお買い物 1






 雪が降っている。

 ここ数年暖冬で忘れかけていたが、リスヴィアは北の大国である。王都にも雪は降る。それほど積もらないというが、それなりには積もる。

 うっすらと白くなった地面を溶かしながら、馬が車を引いている。寒さに鼻を赤くした御者は、目的地の傍まで来ると手綱を引き、速度を緩める。

 馬車の中の人物にもそれが伝わった。


「父さま、ついたですか?」


 幼い声が問いかければ、男の声が苦笑交じりに窘める。


「馬車が止まるまで待て。焦るな」

「だって、楽しみなのです」


 少しだけ拗ねたような、はしゃぐ声。

 中から聞こえるやり取りに、御者は微笑む。少し寂しい気もしながら、御者は慌てず、それでも急ぎ気味に馬車を回した。ある建物の正面玄関に馬車を横付けする。

 関係者の視線が集まる中、彼は御者台を降りた。踏み台を用意し、中に声をかける。


「旦那さま、坊ちゃま。到着いたしました」


 馬車の扉を開く。

 先に出てきたのは旦那様――グランフェルノ公爵だ。

 公爵は地に降り立つと、中を振り返った。両手を差し出す。その腕に抱えられて下ろされたのは、末子のレグルス・グランフェルノだ。今は防寒用に、ファーの付いたフード付きの白いケープを羽織っている。

 何故か解らないが、フード付きの白い羽織りものが彼のトレードマークになりつつある。部屋のクローゼットには、似たような白いローブやマントがずらりと並んでいた。その様に本人もひいた。が、誰の指示かは不明のままである。

 踏み台を片付ける御者に、レグルスは笑いかけた。


「ありがとうございます、リッティ」

「無事にお連れでき、何よりでございます」


 御者も笑い返す。

 公爵も労いの言葉をかける。


「いつもすまないな。これから大分時間は空くだろうが、このまま控えていてくれ」

「承知いたしました。どうぞ、ごゆっくりなさってくださいませ」


 これだけ大きな会場である。車置き場も厩も、十分確保されている。当然御者や従者の控室も。そこでの情報交換も、彼らにとって大事な仕事だ。

 ひらひらと手を振って会場の中に消えていくレグルスを見送り、リッティは空いた時間を有効活用すべく作業に取り掛かった。






 高い天井。精緻な彫刻の施された柱が、どこまでも続いていく。


「わあ…」


 そう呟いたきり、口をぱかんと開けて黙ってしまう。そんな息子を、父公爵は微笑ましく見つめる。

 王都の商工会が持つ催事場。世界でも屈指の規模を誇る。外国から大使が招かれて夜会が行われる事もある。商工会、或いはリスヴィアの商人たちの威信の表れだといってもいい。

 呆気に取られている我が子から、公爵は防寒用のケープをはぎ取った。下から更に薄手のローブ姿が現れて、係員が目を剥いていた。公爵は構わず、自分のコートと共に預ける。

 少しだけ身軽になったレグルスはようやく口を閉じた。辺りを見回す。


「しんでんみたいです」

「そうだな…ヴァラガルの本祭殿に少し似てるかもしれない」

「父さま、行ったことがあるのですか?」

「小さい頃な」

「うらやましいです!フラメルしさいさまに、この間、お話をきかせていただいたのですよ。おまつりのときは、とってもにぎやかなのだそうです」


 お喋りをしながら、奥へと進んでいく。

 ここには既に多くの人が集まっている。否、人だけではない。角や長い耳など、異形の姿も多々見られる。

 レグルスは、高位の妖精族と思しき青年と目が合った。ひらりと手を振ってみたが、苦い表情で視線を逸らされた。残念に思い、父を見上げる。


「きらわれちゃったです」

「仕方ないな、彼らは……」


 人間嫌いで有名だと続けられる筈だった言葉は、途中で遮られた。向こうで視線を逸らした青年エルフが、同族の女性にド突き飛ばされたのだ。床を滑っていく。

 美しい女性は花のかんばせを綻ばせ、レグルスに手を振ってくれた。

 レグルスは手を振り返し、再び父を見上げる。その顔がほんのりと赤い。


「びじんさんに、手をふってもらっちゃいました」

「良かったな」


 そう言って父子は、青年エルフに起こった惨劇は見なかった振りをした。

 美女の頬笑みに機嫌を良くしたのか、レグルスは楽しそうに繋いだ手を振った。鼻歌まで歌っている。

 戻ってきたレグルスは良く歌う。小さな声である為聞き取り辛いが、同じ曲であるように聞こえる。ただし、聞いたことのない曲だ。思い付きで奏でているだけかもしれない。

 歌うのが好きなら、一度本格的に学ばせてもいいかもしれないな。

 公爵がそんな事を考えていると、危うく目的地を通過しそうになった。息子に手を引っ張られる。


「父さま、受け付けは?いいのですか?」

「おっと。すまん」


 行き過ぎかけたカウンターへ向かう。

 レグルスも付いて行こうとしたのだが、集まる人の多さに目を回しかけた。


「ここで待て」


 柱の傍に連れていかれ、肩を抑えられる。不安になって父を見上げれば、父がうっと詰まった。とはいえ、受付を済ませねば、ここに来た意味がなくなる。

 誰かが柱の後ろで噴き出した。


「人が集まる場所も苦手だが、一人にされるのも慣れないか」

「レリック小父さま!」

「来てたのか」


 ココノエ侯爵が柱の陰から出てくる。くつくつと笑っている。レグルスが飛びつけば、軽々と抱き上げた。

 幼馴染に向かって笑いかける。


「俺が見てるよ。それなら安心だろ?」

「頼む」


 公爵が離れる。

 ココノエ侯爵はレグルスと視線を合わせる。


「お前がオークションに興味を持つとはね」


 きっかけは、公爵家に届いた商工会からの手紙。それは競売会開催のお知らせで、たまたまレグルスの目にも入った。今回は規模もかなりのもので、数多くの美術品が集まると聞き、見てみたいとレグルスが洩らしたことに始まる。

 戻って来てからというもの、レグルスの好奇心は旺盛だ。もともと、大人しくても学ぶことは嫌いではなかったのだが。

 レグルスは目を細めた。


「だって、きれいなものがたくさんあるって、父さまが言っていたのです」

「そっか。レグルスは綺麗な物や可愛い物が好きだもんな」

「小父さまも、オークションのご用ですか?」


 レグルスは首を傾ける。

 ココノエ侯爵の視線が泳いだ。乾いた笑い声が漏れる。


「ご用っつーか、要らん用っつーか……」


 何かブツブツと呟きだす。不気味な姿にレグルスは両手を突っ張った。危うく落っこちそうになり、大きく仰け反ったというか逆さづりになったのは、レグルスのせいではない筈だ。

 受付を終えた父に、侯爵が殴られたのも。



「ヴァルツァー・ナハトのじんぶつが?」


 レグルスは訊ねる。訊ねた相手は頭頂部をさすっていた。


「偽名なんだけどな。本名はロンド。ロンド・ココノエ」

「小父さまのごせんぞさまですか?」

「内緒だぞ」


 ココノエ侯爵は片目を閉じて、人差し指を口元に当てた。

 勿論、レグルスはそれを知っている。ロンドは『彼』の息子だ。ココノエ侯爵家を受け継いだ、彼の跡取りだった。


 真面目でお堅いなどと思われていたようだが、自然を愛するのんびりした子だというのが、彼の印象である。自然の中で絵を描くことを好み、特にコーレィの動物のいる風景を好んだ。一方で仕事に対してはいつも真摯で、彼と意見をぶつける事も躊躇わなかった。その辺りが堅いと思われた原因かもしれない。

 そんなロンドは、ヴァルツァー・ナハトという偽名を使って、画家をしていた。

 家を継ぐ彼は「絵は趣味」と割り切るつもりだったようだ。だが、家族や友人の後押しもあって、偽名で絵を描き続けた。父親の理解が何よりもの励みになったのだろう。父親は息子を画家として大成させてやれない事を、何よりも申し訳なく思っていたから。

 それでもナハトの絵は多くはない。家業の合間に、少しずつしか進められなかったから。だから、今でも高価で取引されている。


 だがしかし――


「ナハトは、ふうけいがなら知っていますが……」


 というよりも、彼は風景画しか描かなかった筈だ。風景画なら、グランフェルノ家にもある。

 ヴァルツァー・ナハトは、一切人前に出なかった画家だ。正確には出られなかったのだが。だから肖像画などは依頼された事はない。モデルも頼めない。

 家族の肖像も、正体が漏れるといけないからと、一切描かなかったのだ。

 レグルスは困惑した様子で父を見上げる。父は苦笑いをする。


「あるんだ。一切表には出回らない筈の、ココノエ家秘蔵の人物画が」

「ひぞうが、なぜオークションに?」


 訊ねはしたが、理由は何となくわかっている。貴族の屋敷奥深くに眠っている物が、こんな場所に出る理由。盗難だ。

 ただ、状況が分からない。侯爵家の警備がザルだったとは思えない。よほどの手練か…それにしても、絵画はそんなに小さなものだったのだろうか。

 考え込むレグルスの頭上で、父が溜息を洩らす。


「火事場泥棒というものだ」

「かじ?小父さまのおうちは、かじになったのですか?」

「もう五十年も前の話だ」


 レグルスが心配そうに尋ねるので、ココノエ侯爵は笑いながら答えた。

 侯爵たちも生まれる前の話で、先代に話を聞くばかりのことだ。火事自体は大した事もなく、すぐ消し止められたらしい。だが、騒ぎに便乗した馬鹿がいたようだ。


「気付いた祖父や父がすぐに取り戻しにかかったが、それでも半数近く流出してしまってね」

「はんすう?じんぶつがは一まいではないのですか?」


 レグルスは目を丸くする。ナハトの性格上、複数は描かないだろうと思っていたのだ。

 父公爵が笑う。


「ヴァルツァー・ナハトの人物画は、連作なんだ」

「れんさく?じんぶつがなのに、ですか?」

「人物画なのに、だ」


 父は頷き、ある地点で立ち止まった。ココノエ侯爵も足を止める。

 彼らの視線につられて顔を上げれば、あんぐりと口が開く。

 それは火事場泥棒をするには、あまりに大きな作品だった。


「…よく、ぬすみましたねぇ……」

「全くだな」

「ホントにねぇ」


 思わず口について出た言葉に、大人たちも追随する。

 だが、見事な作品ではあった。

 左右に枝葉を広げる大木。何処までも続く草原。風に靡いて、光が踊る。春の息吹も感じられそうな一枚だ。

 確かに、ヴァルツァー・ナハトの作品で間違いがなさそうだ。だが……


「じんぶつ、どこですか?」


 そう。肝心の人物が見当たらないのだ。

 ぐるりと見回したココノエ侯爵が、やがて一点を指差した。


「多分」


 小さな黒い点。良く見れば、人間のように思えなくもない。

 レグルスはココノエ侯爵を見上げる。


「小父さま。これ、じんぶつがとは言わないと思います」

「人物画なの!ウチの初代を描いた、連作の一つなの!!」

「しょだいさま?」


 レグルスが目を見開けば、ココノエ侯爵が頷く。

 ヴァルツァー・ナハトの人物画――それは父親が急逝した後、酷く落ち込んだ弟の為に描いた、若かりし頃の父親の英雄譚である。

 レグルスは口元に手を当てた。彼が聞いたら「何やってんですか、お兄ちゃん…」と両手両膝をついて、どこまでも凹んでいきそうだ。取り敢えず、彼に今自我がなくて良かった。

 グランフェルノ公爵が、友人に訊ねた。


「それで?これは本物か?」

「…分かんない。風景画としては本物っぽいけど」


 ナハトの人物画は、超貴重な高級品だ。それ故に、贋作も多い。丸きり贋作ならまだ判り易いが、貴重な風景画に後から人物を描き入れた「半贋作」も多い。

 ココノエ家に残っているのは、目録のみ。そこに記されているのは、大きさと表題だけ。これだけ大きな作品も複数未発見の為、区別できない。

 ココノエ侯爵はレグルスを見た。小鳥のように首を傾ける。


「わかる?」

「お前なぁ…」


 幼馴染が呆れたような声をかければ、情けない視線が返ってくる。


「だってこの子、将来守護隊長になるって言うし。あの剣、自分のって主張するし!」

「…何?」

「歴代の守護隊長って、うちの初代リスペクトしてるし!わかるかもって!!」

「オイ」

「人物画の奪還は、祖父もだけど、父の遺言でもあるし!出たって言われたなら、取り敢えず全部買っても良いけど!?」

「待て!」


 どこか壊れた様子の幼馴染に、公爵が折れた。

 ナハトの絵画は、どれも高級品だ。ましてオークションとなれば、更に値はつり上がる。

 友人を破産させるわけにはいかない。公爵は息子を見る。


「協力してやれるか?」

「…むちゃぶりです……」


 レグルスはへにょりと眉を下げた。口に当てていた手を、顎にずらす。頭の周りにクエスチョンマークを飛ばしながら、右へ左で、頭を傾ける。


「これがしょだいさまとして」


 黒い点を指差す。


「これはどのじだいを、えがいたものなのでしょう?」

「時代?」

「だって、えいゆうたんなのでしょう?」


 ならば、基になったエピソードがあったはずだ。レグルスは一歩二歩と、後ろへ下がる。絵の全景を見ようと思ったのだ。

 彼の記憶を呼び起こす。

 大きな木。その下に佇む事があっただろうか。あったとして、それは何の物語を紡いだのだろうか。

 全てを視界に収め、ふと気付いた。

 一見見事な絵画だが、状態があまり良くない。ところどころ色が酷く褪せているし、絵の具の剥落も見られる。だから気付かなかったのだ。

 レグルスはココノエ侯爵を呼んだ。


「小父さま」


 目録の写しに目を落としていたココノエ侯爵は顔を上げた。


「ん?」

「これ、たぶんほんものです」


 侯爵の目が見開かれる。父公爵も目を瞠る。


「本当!?」

「何故?」


 喜ぶココノエ侯爵に対し、父の反応は懐疑的だ。

 父の問いかけに応えるように、レグルスは小さな空白…絵具の剥落部分を指差した。


「ほんとうは、そこにもう一人いたのです」

「もう一人?」

「はい。しょだいのおくさまになられた方です」


 当時、初代当主はまだ十二・三歳。相手の女性は五歳年下だったから、まだ恋にもならない、ただの出会いである。ただ、後の事を考えれば、確かに運命だったのだろう。

 あの木は王都から遠く離れた、ある辺境伯の屋敷の傍にあったもの。その下で彼が「お師匠様」と呼ぶ青年と、同じ色の髪を持つ少女が泣いていた。だから声をかけた。それだけ。

 あまり有名な逸話ではないし、知る者も少ない筈だ。だから、贋作を作ろうとする者はいないだろう。そもそも、これがかの守護天使を主人公とした連作と知っているのは、ココノエ家と協力関係にあるものだけだが。


「この木はかれらが生まれる前にかれてしまっていますし、にたようなふうけいががかかれていたとも、かんがえにくいです。だからこれは、ほんものです」


 以上がレグルスの考察だ。大人二人は顔を見合わせる。ココノエ侯爵は肩を竦め、グランフェルノ公爵は苦い溜息を吐いた。

 ココノエ侯爵は知っている。レグルスの中にいる「彼」の存在を。だからこの絵画に対して、彼の記憶に頼った部分もある。

 だが、グランフェルノ公爵は何も知らない。こうやって時折見せる息子の見識を、どうやって仕入れたのか訝しむ。けれど決して口には出来ない。

 何も訊かず、代わりにぽんと息子の頭に手を置く。


「良い子だ」


 そう言って頭を撫でれば、嬉しそうに顔を緩める。

 ココノエ侯爵は目録を口元に当てる。


「じゃ、これは俺が落札するとして――」

「するのですか?」

「するのですよ~。金額に涙出そうになるだろうけどね!」


 というか、既に涙目だ。

 レグルスは首を傾げる。


「小父さまのおうちからぬすまれたものなのに?」

「公表してないからな」


 答えたのは父だ。

 侯爵家から盗まれた絵画の存在は、もともと、外部には一切知られていない物なのだ。二代目当主と画家が同一人物と世間に公表されていないのと同じように。


「絵心がある分には構わないんだがね。貴族が画家というのは、外聞が悪いんだな」


 次男や三男が目指す分には何の問題もない。新興ではあるが有名貴族の当主が画家としても活躍しているというのは、今でも褒められた話ではないのだ。初代でさえ口を噤んだ程。

 ココノエ家からの盗品を叫べば、確かにこの作品は一銭も使わずに帰ってくる。だが、ナハトとの関係は必ず問われ、隠しておけなくなるだろう。そしていまだ行方不明の作品は、更なる闇へと隠され、二度と陽の目を見なくなるかもしれない。

 レグルスはきょとんとして父を見ていた。


「難しかったか」

「ひとつひとつ、かいもどさなければいけないことは、わかりました」

「それだけか」


 父が少し残念そうな顔をした。






誤字脱字の指摘、お願いします。


ロンド=輪舞曲 ヴァルツァー(ワルツ)=円舞曲

ちなみに前回出てきた今も生きている謎の子供がノクターン(夜想曲)

前世君の子供たちの名前はそんな感じです。

あと二人いますが、当ててみます?w

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