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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
33/99

閑話 宴の終わり その後に






 おにわのじいや、しっていますか?おはなには、はなことばというものがあるのです。このおはなのはなことばは、「しあわせのさいらい」というのだそうですよ。

 















 招待客を見送り、グランフェルノ公爵邸に静けさが戻る。

 夜も更ける頃、鏡の前で寝支度を整えていた公爵夫人に、女中が来訪者を伝える。


「レグルスが?」

「ええ。もうお部屋の前まで」

「どうしたのかしら?入れてあげて頂戴」


 女中が廊下へ出ていく。

 本来なら、もう眠っていておかしくない時間だ。昼間、具合を悪くしてひと眠りしたせいで、目が冴えてしまったのだろうか。

 再び扉が開き、女中がレグルスを伴い戻ってきた。

 夫人は立ち上がる。


「こんな時間にどうしたの?眠れなくなってしまった?」


 レグルスは首を左右に振る。そしてじっと母を見上げる。


「なぁに?」

「……いいそびれていたのです」


 夫と同じ、薄い水色の瞳が細められる。

 ふと、その瞳が遮られた。夫人の眼に白い小さな花が飛び込んでくる。


「かあさま。おたんじょうび、おめでとうございます」

「まあ…!」


 それは小さな花束だった。緑の葉に小さな白い花。スズランだ。

 夫人は顔を綻ばせた。花束を受け取り、息子の額に口づける。


「ありがとう。でも、こんな夜更けに……」

「だって。あさはバタバタするでしょう?ひるまは、おきゃくさまで、いっぱいだし……ぼく、ちゃんとおめでとうを、いいたかったのです」


 レグルスは手を組み、視線を下げた。


「かあさまのおすきな、しろいおはななのです。でも、きれいなおくりもののなかでは、かすんでしまうでしょう?どこかにまぎれてしまうのは、いやだったのです……」


 息子の可愛い我儘に、夫人の表情は緩みっぱなしだ。隠す様に、口元に花束を寄せる。

 レグルスはちらりと上目遣いに母を見た。


「…おこってますか?」

「怒る?どうして?」

「ぼく…どうしても、かあさまのおたんじょうびには、スズランをおくりたかったのです。ぼくのだいすきなおはなを」


 だが、スズランは春の花だ。今の時期は咲いていない。

 だからレグルスは『お庭の爺や』に無理を言って、温室のスズランを花束にしてもらった。白い小さな花を好む母の為に育てていた、スズランの鉢植えを。

 本当は鉢植えのままの方が、長く楽しめただろう。だが、鉢植えでは贈り物にはならない。どうしても花束が良かったのだ。

 レグルスの言葉に、夫人は喜びを隠せない。手を伸ばし、息子を抱きしめた。


「嬉しいわ」

「…ほんとうですか?」

「どうして嘘だと思うの?離れて何年も経つのに、お母様の好きなお花を覚えていてくれて、本当に嬉しい」


 レグルスがようやく安心したように、ふにゃりと顔を緩めた。母に抱きつく。


「おうじさまのおにわで、ミントのおはなをみたのです」

「ミント?」

「はい。しろくて、ちいさなおはなです。あれをみたとき、かあさまをおもいだしたのです。かあさまがすきなおはなも」


 母の胸元に顔を擦り寄せながら、幸せそうに微笑む。

 夫人は目元が熱くなるのを感じた。抱きしめる腕に、ほんの少しだけ力がこもる。


「…うれしい……」


 ポツリと呟く。




 レグルスが本当に幼かったころ。小さな手を引いて、外を散歩した。花壇の花を見て、レグルスが指をさす。

 夫人は花の前でしゃがむ。


「これはね、スズランよ。スズラン」

「しゅじゅらん?」

「よく言えました。お母様が好きなお花の一つよ。白くて、可愛いでしょう?」

「ぼくもしゅき。まぁるいの、かあいい」


 舌足らずに笑う姿は、スズランにどこか似ていた。思わず抱きしめてしまう。


「勿論、レグルスの方が好きよ」

「ぼくもかあしゃま、だぁいしゅき~!」


 小さな手を伸ばし、レグルスは母に抱きつき返した。

 それは暖かくなってきた頃の記憶。三つになるかならないかくらいの、昔の思い出。




 名残惜しくなりながら、我が子から体を離す。花束を見、柔らかな微笑みを零す。


「枕元に飾ってもらえる?明日、目が覚めたら、真っ先にこの花を見たいわ」

「かしこまりました」


 女中は花束を受け取る。そして部屋の奥へと入っていった。

 レグルスは欠伸を零した。


「やっぱり、もうおねむなのね。無理して起きていたのでしょう?早くお休みなさい」

「あい…かあさま、おやすみなさいです……」

「おやすみなさい。また明日、ね」


 ふっとレグルスが目を細めた。両手を口元に当てる。


「またあしたも、あえるのです。うれしいのです」


 そう言って、レグルスは部屋を辞していった。


 扉が閉まった瞬間、夫人の瞳から一筋の涙が零れる。女中が驚いて、夫人の背を撫でる。


「奥様?どうされましたか?」


 夫人は首を左右に振り、涙を拭った。

 寝室へ入れば、小さな花瓶にスズランの花が活けてある。ベッドに腰掛け、花瓶を見つめる。

 魔具の灯りを、白い花がぼんやりと反射する。

 夫人は微笑みながら、飽くことなく眺めていた。


「ん…?それは?」


 いつの間にやってきたのか、公爵が傍に立っていた。

 夫人は顔を上げる。


「さきほど、レグルスが持って来てくれたの」

「こんな時間に?」

「ええ。他の贈り物に紛れて、忘れられたくなかったのですって」

「ほう…?」


 公爵は口元を奇妙に歪めた。夫人は眉を吊り上げた。


「今日の一番嬉しい贈り物よ。勝手にどこかにやらないで」

「……わかっている」


 憮然とした様子で、公爵はベッドにもぐりこんだ。妻に背を向ける。

 夫人は笑った。


「なぁに?息子にやきもち?」

「…べつに……」


 盛り上がった布団に、夫人は身を寄せた。肩の辺りに顔を乗せる。


「あの子ね、私が白い花を好きだって、王子宮の庭で思い出したのですって」

「……」

「ミントの白い花を見て、私を思い出してくれたの。とっても嬉しかったのよ」

「………」

「帰り際に、また明日ねって何気なく言ったの。そしたらあの子、何て言ったと思う?また明日も会える、嬉しいって…そう言ったのよ」


 夫人が鼻をすすった。キュッとシーツを握る。


「家族なんだから、当たり前の事なのに……あの子にはまだ、日常じゃないのよ」


 公爵が体を起こした。すすり泣く妻を抱き寄せる。

 夫人は夫の胸に頬を押し付けた。涙が止まらない。


「…あの子は幸せだ」


 公爵がポツリと呟いた。

 夫人は顔を上げる。夫の視線はどこか遠くを見つめている。


「当たり前の事が、当たり前ではない事を知っている。日常が、容易く崩れてしまう事を、誰よりも解っている。だから、何気ない日々に、幸せを感じることができる」

「そんな……」

「あの子は今、誰よりも幸せを感じている。それの何が悪い?何を悲しむ必要がある?」


 夫人は眉を下げた。夫の言うことに間違いはない。だが、どこか詭弁だと感じる自分がいる。

 公爵は妻を布団に引っ張りこんだ。肩まで被せて、子供にするようにポンポンと叩く。


「俺たちの役目は、その幸せを永く感じさせてやることだ。嘆く事ではない」


 夫人は暫く夫を見つめていたが、やがて小さく頷いた。体を寄せる。


「…おやすみなさい」

「おやすみ。明日は笑って出迎えてやれ」

「はい」


 夫の優しい温もりの中、夫人は微かに笑んだ。そして穏やかな眠りへと落ちていったのである。








年内更新はこれで最後になるかもしれません。ごめんなさい。

ダメージが大きすぎました……

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