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遠い記憶の守人  作者: 名波 笙
成長記録
32/99

宴の庭 2






 華やかなドレスを纏った貴婦人たちが笑いさざめく。

 今日はグランフェルノ公爵夫人の誕生日会である。時期が時期なので、例年は毎年領地で家族だけで慎ましやかに開いている。親しい友人を招いて、もう少し華やかに行っていた時期もあった。だが、レグルスが行方不明になってから、人を集める行事は屋敷全体で避けるようになっていた。

 今年これだけ盛大に開かれたのは、無事に見つかったという報告の為。そして目出度く纏まった長男の婚約披露の為だ。

 とはいえ、昼間のガーデンパーティ。夜会とは違い、女性の衣装は露出が少ないものがほとんどだ。スカートの膨らみも抑えられ、ごく自然に広がるものが多い。

 膝丈のドレス姿なのは、小さな子供たち。袖や襟ぐりにふわふわとしたレースをふんだんに使ったそれも、幼いから許される。

 男性陣の衣装も様々だ。夜会のように細かい規定がない分、色も明るいものを使った長衣や緻密な刺繍が施されたベストなど、個性が反映されている。

 その中で、レグルスの白いローブは異様である。それを摘まんで歩く、マデリーンも。

 トレーに飲み物を乗せて歩いていた侍従が、ローブ姿のレグルスを見つけて慌てたのは言うまでもない。客の間をすり抜け、主の子息の前で身を屈める。


「どうなさいました!?何か問題が?」

「まいごなのです。レリックおじさまをみませんでしたか?」


 レグルスの背後に控えていた少女に、侍従は表情を緩ませた。辺りを見回す。近くの同僚を呼び寄せ、侯爵の居場所を尋ねた。


「先程、広間でお見かけしました。そうそう。お嬢様が見当たらないと……」

「いってみます。ほかのばしょでごかぞくをみかけたら、ひろまできゅうけいしていると、つたえてもらえますか?」

「かしこまりました」


 侍従は頭を下げる。

 レグルスはマデリーンを連れ、広間へと向かった。

 夜会などが行われる広間は、大庭園と繋がっている。今日は休憩所として椅子が運び込まれていた。談笑の場としても使われている。

 袖にかかる力が強まった気がして、レグルスは後ろを振り返った。


「つかれましたか?もうすこしですから、がんばってください」


 幾ら向こうで休憩したからといって、結構な距離を歩いている。貴族の子女には辛いだろう。少し足を引きずっているだろうか。

 歩くペースを更に落として、レグルスは広間へ向かう。


「あー!ヘーミンだ!!」


 突然上がった声に、マデリーンが足を竦ませた。レグルスも立ち止まる。

 声の方向を見れば、数人の少年たちがこちらを指差していた。


「何戻ってきてるんだよ!」

「出てけー!」


 囃し立てる声に、マデリーンの顔が歪む。

 レグルスはポンポンと少女の頭を撫でた。こちらを見た彼女に小さく頷く。


「ないちゃダメですよ。せっかくなおしたおけしょうが、とれちゃいます」


 マデリーンはギュッと袖を握った。レグルスは再び頷く。


「だいじょうぶです。ぼくにまかせてください」


 そう言って、彼女の前に立った。

 少年たちが怪訝そうな顔をする。


「…なんだよ、お前」

「ここは貴族しか、入れないんだぞ」


 レグルスはわざとらしく息を吐く。貴族の子弟というのは、皆こんなに馬鹿なのか。


「ひとのなをきくばあいは、まずじぶんからなのる。きぞくのマナーもしらないのですか?」


 ぐっと彼らは言葉を詰まらせた。顔を赤くするのは、恥じらうよりも怒りによるもの。

 レグルスは首を傾ける。


「ここにいるのはすべて、グランフェルノけの、おきゃくさまです。あなたがたが、どうこういうあいてでは、ありません」


 平民であろうと貴族であろうと。公爵家が厳選し招待した相手に、ケチをつけるのか。

 レグルスは言外にそう告げたのだが、少年達には伝わらなかったようだ。


「ここは公爵様のお宅だぞ!下賤な奴が立ち入っていいわけない!!」

「そうだそうだ!家畜は家畜小屋にいるべきなんだ!」


 平民を家畜呼ばわりとは。市井の民が居なければ、貴族など成り立たないのに。

 確かに、今日は貴族の他にも、いつも懇意にしている商人も招待されている。だが、別の庭に案内された筈だ。こういう貴族たちとの争いを避けるために。

 孤児院の関係者も呼ばれた。彼らはパーティの支度を手伝うという名目もあって、招待客より早く来て、奥の庭に隠されるように通された。

 レグルスは盛大な溜息を吐く。グランフェルノ家は名家だが、現公爵は実力主義だ。向上心があれば家柄など気にしないし、逆にその上に胡坐を掻くようであれば血縁であっても容赦ない。

 そもそも、レグルスたちを平民扱いしているのも間違いなのだ。それに気付きもしない。

 フードの下で、レグルスの瞳が冷たく光った。


「ここ、ぼくのおうちですけど?」

「えっ?」


 少年たちが呆気にとられた。

 レグルスは手を腰に当てる。


「ここはぼくのおうちです。かちくごやですか…へぇ」


 周囲を見回す。

 広い庭。立派な屋敷。これが家畜小屋というのなら、彼らの家はどれほどの御殿なのか。

 思わず冷笑が漏れる。幸いにもフードが全て包み隠してくれるが。

 マデリーンを振り返る。


「かのじょは、ぼくのちちのおさななじみである、こうしゃくさまのおじょうさまです。なにをどうして、へいみんというのですか?」


 少年たちが目をまん丸にするのと同時に、周囲からざわめきが起こる。


(ではあの子が……)

(公爵様の?)

(ではあちらはココノエ侯爵の……)

(まあ、あの噂は本当なのかしら?)


 微かな囁きが聞こえてくる。子供の喧嘩は、既に周囲の目を集めている。

 マデリーンは不安げに辺りを見回す。すると、掴んでいた袖が引かれた。レグルスの隣に並べば、耳元でそっと囁かれる。


「…そろそろ、ごかぞくも、みつかりますよ……」

「マディ!」


 甲高い声が聞こえた。ミントグリーンのドレスが駆け込んでくる。


「お姉さま!」


 袖が軽くなった。マデリーンが離れて行く。

 マデリーンの姉・アリステアは、しっかりと妹を抱きしめた。くしゃりと顔を歪める。


「心配したのよ!!いなくなっちゃうから!どこ捜してもいないから!」

「だって…出て行けっていわれて……お姉さまもいないし……」


 マデリーンは鼻をすする。

 アリステアはキッと少年たちを睨んだ。妹を背後に隠し、少年たちに指をつきつける。


「女の子を集団でいじめるなんて、最低!」

「べ、別にいじめてなんて……」

「いじめてなければ、なんなの?貴族のくせに、弱い者いじめしか出来ないのね!」


 少年たちはしどろもどろになる。アリステアは更に言葉を募り、彼らを詰る。


(わぁ、強~い)


 レグルスは他人事のように彼らを眺めていた。が、突然アリステアがこちらを見た。睨まれている。


「貴方もよ!」

「はいっ?」

「そんな恰好で!一緒にいたら、ますますからかわれるのが分からないの!!」


 レグルスはフードの奥で眉を寄せた。八つ当たりも甚だしい。

 自分が異様な事くらい、理解している。だから、この大庭園に出ることを拒否した。

 言いたいことは理解できるが、だからといって怒られる謂われはない。

 姉の後ろの隠れる少女は、真っ青になっていた。姉を止めようと、袖を引く。


「やめて、お姉さま。その方は、私を助けて下さったのよ」

「方法ってものがあるのっ。顔も見せないなんて、気味悪く思われたって仕方ないのよ」


 姿を見せた方が気味悪がられることがあるのだ。

 レグルスは踵を返す。ふわりとローブの裾が翻った。

 さっさと歩きだした彼を、マデリーンは追いかけようとした。姉に阻まれる。それでも必死に手を伸ばす。


「レグルスさま…!」


 辺りのざわめきが大きくなった。一目見ようと、大人たちが集まってくる。

 その間をすり抜けるように、レグルスは足を速める。


「レグルス」


 男性の声が彼を呼びとめた。そのまま立ち竦むレグルスに、再度呼びかけの声がかかる。


「レグルス。せっかく来てくれたのに、紹介させてくれないの?」

「………シェルにいさま……」


 渋々といった様子で振り返った彼に、シェリオンは穏やかに微笑みかけた。両手を差し出され、戻らざるを得ない状況に追い込まれる。

 溜息を一つこぼして、レグルスは兄のもとまで戻った。兄は身を屈めて、嬉しそうに笑う。こんな顔をされては無碍に出来ない。兄に抱きつく。

 フード越しに頭を撫でると、シェリオンは姉妹の方へ向き直った。


「こんな恰好でごめんね、アリス。この子はレグルス。俺の下の弟だよ」


 アリステアは何も言えず、顔を引き攣らせた。


「格好に関しては、許してあげてくれないかな?長く栄養状態が悪かったから、すっかり痩せ細ってしまっていてね。逆に怖がらせてしまうからと、姿を晒す事を嫌がるんだ」


 にっこり笑って言われれば、アリステアは頷くしかない。不承不承といった様子の姉に、妹は袖を引っ張る。

 続いて、シェリオンはレグルスに話しかけた。


「レグルス。ココノエ侯爵家のご令嬢で、アリステアとマデリーンだよ」

「さきほど、マデリーンじょうには、ごあいさついただきました」

「そう。マディはお前より二つ年下だよ。大人しいけれどしっかりした子だから、お前と気が合うかもしれないね」


 そう言って、兄は少し意地の悪い笑みを浮かべる。レグルスは冷やかに兄を見上げた。


「にいさまも、じゅうぶん、とうさまのこです」


 兄にだけ聞こえるように呟けば、兄の笑みが深くなる。全く堪えていない。レグルスの不満が溜まる。

 シェリオンはクスクスと笑って、弟の肩に手を添える。そして軽く前へと押し出した。


「アリスも、仲良くしてあげてね?君の方がお姉さんなんだから」

「そうだな。事情も知らずに、恩人に罵声を浴びせるなんて、失礼極まりない」


 やんわりと窘める声に、アリステアはびくっと身を竦ませた。恐る恐る顔を上げれば、父侯爵がそこにいた。

 ココノエ侯爵は腰に手を当てている。


「迷子の妹を連れて来てもらって、姿にまで難癖付けるのはどうかと思うぞ?」

「お父様…どこから聞いてたの?」


 若干恨みがましい目を向けてしまう。ココノエ侯爵はぽふんと娘の頭を叩いた。


「その前に言うべきことがあるんじゃないのか?」


 僅かばかり、口調に厳しいものが混ざっただろうか。

 アリステアはそれでも口を尖らせた。レグルスを見、躊躇うように辺りを窺う。

 それに焦れたのか、マデリーンが先に頭を下げた。


「レグルスさま、ごめんなさい」

「ちょっと、マディ!?」

「私が心配させてしまったから、お姉さまは少しいらついてしまったの。本当はやさしいお姉さまなのよ」


 慌てる姉を他所に、マデリーンは深々と頭を下げる。

 ココノエ侯爵が面白そうに笑った。


「しょーがないお姉ちゃんだなぁ…妹に謝らせるなんて」

「マディが何でもかんでも謝り過ぎるの!」


 アリステアは頬を膨らませた。妹の手を引き、どこかへ行こうとする。

 その行く手を阻んだ者がいた。


「…だからといって、貴方が謝らなくていい理由にはならないのよ?」


 そこに立っていたのは、二人の母・クリスタルだ。悲しげに瞳を揺らしている。隣にはグランフェルノ公爵夫人もいて、困ったように笑っていた。

 アリステアがうっと言葉を詰まらせる。

 クリスタルは身を屈める。


「ちゃんと謝りなさい。そうでなければ、マデリーンを泣かせた男の子達と何も変わらないわ」


 マデリーンに手を振り払われた。妹はそのまま母に縋りつく。

 最初唖然としたアリステアだったが、不満そうに口をへの字に曲げる。

 それを黙って眺めていたレグルスは、ふっと息を洩らした。


「べつに…もういいのです」


 小さく呟けば、兄が視線を下げる。


「いいの?許してあげるの?」

「いみをわかっていないのに、あやまってもらっても、こまるのです」


 レグルスは顔を伏せる。ぴったりと兄に張り付いて、離れようとしない。

 不審に思ったシェリオンが僅かにフードを上げて、様子を伺う。レグルスは目を閉じていた。眉が下がっている。


「意味が分からないわけじゃないわ!」


 アリステアが喚けば、レグルスは首を振る。


「にいさま…もう、おくにもどってもいいでしょう?」

「…ここは、嫌?」


 訊ねれば、弟はしっかりと頷いた。少し、呼吸が荒くなっている。兄に縋らねば、立っていることも難しいようだ。

 シェリオンは寂しそうに微笑む。


「せっかくだから、一緒にお祝いして欲しかったけれど…仕方ないね。ハーヴェイ、連れて行ってもらっても?」

「わかった」


 ふわりと、レグルスの体が浮いた。後ろに控えていたハーヴェイが抱き上げたのだ。ぐったりと次兄の肩に頭を凭れかけさせる。


「シェルにいさま、ギーねえさま…ごめんなさい……」

「気にしなくていいのよ。疲れてしまったのね」


 傍で見守っていたギネヴィアは、そっとレグルスの頭を撫でてくれた。僅かに背伸びして、フードをずらして、レグルスの頬にキスを落としてくれる。

 レグルスは弱弱しく笑った。


「うふふ。けがのこうみょう、です」

「ヴィー、ソレ落としていいぞ」

「男の嫉妬はみっともないぞ、兄上」


 周囲から控えめな笑い声が上がった。僅かに緊張していた空気が和んだ。

 ハーヴェイはレグルスを抱え、庭を後にしようとする。


「まって」


 マデリーンが声を上げた。小走りに駆け寄ってくる。彼女はハーヴェイの足元で止まると、レグルスを見上げた。それからドレスを摘まんで、一礼する。


「助けて頂き、ありがとうございます」

「…もう、ないちゃ、ダメですよ。おんなのこがなくのは、にがてです……」


 マデリーンは頷く。

 レグルスは頭を撫でてあげようとして、失敗した。手が届かなかったのだ。諦めて、次兄の肩に手を戻す。


「いつかぼくにも、わらったおかお、みせてくださいね」


 マデリーンは固まった。そのまま動けずにいると、ハーヴェイの手がポンポンと軽く頭を叩いた。

 去っていく彼らを硬直したまま見送る。その周囲から、生温かい視線が送られていることなど、気付きもせずに。

 父に連れられ、母と姉の所へ戻る。

 アリステアはすっかり肩を落としていた。意地を張り過ぎて謝る機会を逃してしまった事を、後悔しているのだろう。

 公爵夫人が微笑む。


「気にしなくていいのよ?あの子は聡い子だから、きっと解っているわ」

「でも……」

「気にするのなら、また遊びにくればいいのよ。あの時はごめんなさいって。そう言ったら、許してくれるわ」


 今だって、怒っているわけではないのだから。

 アリステアは妹を見た。マデリーンはキョトンとしている。何故姉に恐々といったような目を向けられねばならないのか、わからない様子だ。

 ここにはグランフェルノ公爵家のほぼ全員と、ココノエ侯爵家が揃っていた。視線も集まる。


「レグルスは注目されるのを嫌う。騒ぎで視線が集まったせいで、気分を悪くしただけだ。アリスのせいではない」


 グランフェルノ公爵が言った。

 それは事実だ。

 レグルスの貴族嫌いはある意味、決定的になっている。好奇の視線に緊張して、すぐに具合を悪くするのだ。孤児院に遊びに連れて行った際、近所の大人に遠巻きに囲まれて、同じように立っていられなくなってしまった。少人数であれば話をし、多少打ち解ける事も出来るのだが。

 家族が傍にいれば和らぐかと思ったが、全く効果はなかったらしい。顔には出さないが、気落ちしているのはシェリオンも同じだろう。

 ココノエ侯爵が小さく息を吐く。


「悪いな。娘たちが迷惑をかけた」

「ふ…それこそ気にするな。子供は大人に迷惑をかけて成長するものだ」


 グランフェルノ公爵は目を細めた。


「ごめんなさい…ありがとうございます……」


 アリステアが、今更のようにポツリと呟いた。俯いていると、父に肩を叩かれた。母がギュッと抱きしめてくれる。


「大丈夫だよ」


 シェリオンが笑いかければ、ハッとしたように、マデリーンが口元に手を当てた。


「司祭さまの仰ったとおりだわ……」

「え?何?」

「今日はシェリオンお兄さまも笑ってくださるって…本当だわ」


 全員の視線がシェリオンに集まる。

 どう言い訳をしようか考えていると、ツンっと袖を引かれた。アルティアだ。


「お兄様…五年間の無愛想のツケがここにもありましてよ」

「そうだね…どうしようか?」

「瞳の色のせいか、無表情だと冷徹に見えるというのに……だから『氷の貴公子』なんて呼ばれるのよ」

「え、初耳」


 ギネヴィアの言葉に、シェリオンは目を丸くする。

 その反応に、周囲が瞠目した。


「知らないの?自分の異名」

「嘘だろう……」

「噂話も情報の一つだよ?」

「感情と一緒に、何か別のものも凍らせちゃったんじゃないの?」


 散々な言われように、シェリオンはかなり落ち込まされるのであった。






 ハーヴェイに抱えられたレグルスは、奥庭の離宮へ戻って来ていた。自室に戻っても、世話をしてくれる相手がいないのだ。使用人たちはパーティで忙しい。

 昼寝用の寝台に寝かされたレグルスは、真っ青な顔をしていた。ルオーは顔を顰める。


「軟弱な」

「…ひどいです……」


 応える声も弱い。

 ルオーは留め具を外し、ローブをはぎ取った。上着も脱がせ、シャツのボタンも緩める。靴やらベルトやらも素早く取り上げ、ブランケットをかけておく。


「レモン水でいいか?それとも紅茶?」

「おみず…」

「わかった」


 ルオーは庭に出て行く。

 ハーヴェイは腕を組み、深く頷いた。


「うむ。見事」

「すっかりお世話係が板についてしまって…今では一番頼れるお兄ちゃんですよ」


 司祭がレグルスの上着を掛けながら言った。レグルスに様子を窺い、乱れた髪を直す。

 ハーヴェイは司祭に向かって頭を下げた。


「お手数おかけしてすまないが、弟たちを頼む」

「はい。お預かりします」


 司祭は答えた。

 額に触れれば、レグルスが目を開ける。


「にいさま…」

「使用人の手が空いたら、迎えを寄越すからな。大人しく休んでろよ」

「はい」


 僅かに笑い、再び目を閉じる。

 ハーヴェイは頭を撫でてやり、それから離れた。ハーヴェイも傍についていてやることは出来ない。主催側として、客人をもてなす役目があるのだ。

 羊の安眠枕に顔を埋め、ほのかに漂う軽やかな香りを吸い込む。


(あう…おれいをいいそこねました……)


 この枕を贈ってくれたのは、ココノエ侯爵夫人だ。会えたらお礼をと思っていたのに、すっかり忘れていた。けれど、またすぐに会う機会はあるだろう。

 体を丸める。

 ソファはふかふかで、ブランケットは柔らかい。枕からはいい香りが漂い、外からは賑やかな声がする。

 ウトウトとまどろんでいると、額に冷たいものが乗せられる。


「ホラ、レモン水」

「…ありがとうございます」


 司祭に起きるのと手伝ってもらい、ルオーからコップを受け取る。レモン果汁で風味をつけた水は、さっぱりとしていて気分もすっきりする。

 レグルスは半分ほど飲んで、コップをルオーに返す。そして再び横になった。


「すこし、ねむります……」

「はい、おやすみなさいませ」


 司祭に撫でられ、レグルスの意識は急速に遠のいていく。完全に眠りに落ちる前に脳裏を過ったのは、泣いてばかりの少女の顔。

 レグルスの顔に笑みが上る。


(ぼくのおよめさんこうほは、かわいいおじょうさまたちでした)


 マデリーンは勿論、アリステアも。妹思いの感情表現が素直な子だと、レグルスは思っている。不快な思いをしたのは最初だけだ。


(つぎは、ふたりともわらって…くれ、ますか……ねぇ………)


 女性が泣くのは苦手だ。虚ろな目も。

 それは前世からの記憶。息子を、夫を、恋人を亡くした女性たちの、責める言葉が今も消えずにここにある。


 リスヴィアの守護天使――或いは死神。


 うっかり覗いてしまった彼の記憶。彼が最も苦手とした事は、そのままレグルスの苦手な事になった。

 夢も見ないほど深い眠りに落ちるレグルスは、目が覚めた時、皆が笑っていればいいと秘かに願った……







誤字脱字の指摘、お願いします。


評価・お気に入り登録ありがとうございます!

ついでに感想を頂けると踊ります(は?)


次は『レグルスくん、再び王宮へ行く(仮)』ですかねw

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